紅い霧が幻想郷を覆いつくした異変――紅霧異変が博麗の巫女の手によって解決され、早三日。
一時は外の世界にすら干渉しかけ、人々を大いに震撼させたかの異変だったが、今や幻想郷はすっかり台風一過の様子である。
博麗神社の境内を、妖精たちがせっせと忙しなく駆け回っていた。その手に持つ盆の上では、料理や酒瓶がカシャカシャと音を立てて揺れており、今にも落っこちてしまいそうで危なっかしい。
異変が終われば、待つのは宴会。それが幻想郷の常識だ。
今は霊夢一人では大変だろうと、レミリアが紅魔館の妖精メイドたちを動員させ、宴会の準備を進めているところだった。
そんな場にて、土下座している妖が一人。
「ほんっとうに、申し訳なかったっ!」
もちろん、俺である。
美しく整った、圧倒的ジャパニーズ土下座。
目にしたものは、堪え切れず感嘆の声を漏らしてしまうほどだ。準備に忙しない妖精メイドも、思わず足を止めて見入ってしまっている。それほどまでに、完成された土下座だった。
「いや、だからもう分かりましたからっ! いい加減、頭を上げてください!」
「……ハッ!」
頭を上げてくれと懇願する美鈴の声で、我に返る。
完璧な土下座を披露することに没頭するあまり、どうやらかなり長い時間、地面に頭を伏していたようだ。
七点くらい、か。
いかんせん師匠が説教が好きな人のため、すっかり俺は土下座して詫びるのが板についてしまった。そしていつしか、俺は土下座に芸術性を求めるようになっていたのだ。
うーん、意味わかんねぇな。
「いやあ、ホントにごめんな? 実は俺、殴ったものにどんな災いが降りかかるかはわからないんだ。それが、腹痛なんてむごいことになっちまうなんて……」
「私はもう気にしてませんから……。ああ、でもその刀はもう近づけないでくださいね!」
果たして、美鈴がトイレに間に合ったのか。それはもはや神のみぞ知るところだが、名月のことは完全にトラウマになってしまったらしい。
両手を前に出して距離をとる美鈴に、背負う名月がシュンとへこむのを感じた。大切なパートナーだ、あとで慰めないとな。
「そっちの魔女も、こんな刀で叩いて悪かった。実行犯だからって、ちょっと手荒かったよな」
視線を動かし、美鈴の横にいる少女に向ける。
寝巻きのようにゆったりとした薄紫色の服装に、レミリアのものと似た不思議な柄の帽子。サラサラと油気のない健康的な長い紫色の髪をしているわりに、その体は栄養不足気味でほっそりと華奢だ。お米食べろォ!
彼女こそ、レミリアの友人にしてこの異変の実行犯だった魔女。
彼女とはそれなりに激しい闘いを繰り広げたのだが、終末はやはり腹痛だった。
重ねて言うが、俺はこの身体がおびき寄せる災いを選ぶことができない。連続で腹痛とか奇跡かよ。
「パチュリー・ノーレッジよ。本に被害はなかったから、気にしてないわ。それに、貴方にはフランがお世話になったそうだし。ああ、でもその刀は絶対に近づけないでね」
「おう……」
物の見事にことごとく嫌われてしまった名月さん。大丈夫だ、たとえ世界中が敵になっても、俺だけはお前の味方だからな!
固い盟約を立てたところで、小さな黒い羽根が目に入った。パチュリーの後ろから、ひょっこりと。時折、様子を窺うように顔をのぞかせる、彼女はたしか――
「ああ、あのとき突っ込んできた使い魔か」
「ひっ!」
合点がいき、ポンと手を叩く。すると赤髪の使い魔は小さく悲鳴を上げて、またパチュリーの背に隠れてしまった。おおう、めちゃくちゃ怖がられてる。
「……この娘、私の使い魔のコアっていうのだけど、見ての通り、だいぶ貴方のことがトラウマになってるみたいで。まあ、時間が解決するだろうし、あまり気にしないで」
そうパチュリーはこちらを気遣って言うが、やはり責任を感じずにはいられない。コレは、俺が起こしてしまったことなのだ。
彼女の震える身体を目にして、何も思わないほど俺は薄情ではない。
「コア!」
大きく、名前を呼ぶ。
いきなりのことに驚いて、ビクンっとコアの体が跳ねた。
「お前、勇気あるよな」
「……え?」
素っ頓狂な声をコアが上げて、パチュリーの後ろからこちらを覗く。
「パチュリーがやられそうになった時、お前は捨て身で突っ込んできた。勇気を振り絞って、主人を守ろうとした」
それは、相当に勇気がいるはずだ。だがコアは自身を顧みず、なけなしの勇気を振り絞り、両目を瞑りながらもこちらにタックルをかましてきた。
「それは、誰にでもできることじゃない。カッコよかったぜ、コア」
実際、あの異変で俺に攻撃を当てたのは、最後の弾幕の檻を除けばコアだけだ。勇気は、時にとてつもない冒険を産む。
コアを見て、そう思った。
「あの、とても言いにくいのだけど……」
一通り語り終えたとき、気まずそうな顔をしたパチュリーが控えめに手を挙げた。一体、どうしたというのだね。
「コアがトラウマに思っているのは、その、腹痛のことなのよ」
「……ほう」
一瞬、場が凍った。
……あーはいはい、そういうことね。
きっと、俺の想像以上に、彼女らを襲った腹痛はすさまじかったのだろう。俺はてっきり、主を守り切れなかった自責の念で、コアが意気消沈しているのかと思っていた。
「穴があったら入りてぇ……」
嘆き、顔を両手で覆う。
先ほど自身が放ったクサいセリフが脳裏を過ぎり、途端に恥ずかしくなる。
やばい、死にたくなってきた。今すぐ枕に顔をうずめたくてたまらない。
「「ぶふっ、クククっ、あはははっ!」」
俺が悶えて苦しんでいると、耐えきれずといった様子で、皆が笑い声を漏らす。
やがてそれは堰を切ったようにあふれ出し、美鈴が、パチュリーが、そしてコアが、腹を抱えて笑い声を上げている。そんなにおかしかったか?
美鈴なんか、人目を憚らず地面を叩いて笑い転げている。
「はあー、久しぶりにこんなに笑いました……」
むっと釈然としない気持ちでそれを眺めていると、やっと笑いが納まった様子のコアが、涙を拭いながら立ち上がる。
「優しい人なんですね、あなたは」
「勘弁してくれ……」
これは、皆を腹痛に陥れた罰だろうか。
未だかつて味わったことのない恥辱に、おうちに帰りたくなってくる。
でも、コアからすっかり怯えが消え去り、こうして笑い合えているのだから、考え方を変えればこれで良かったのかもしれない。
「あっ、そうだ」
唐突に、なにかを思い出したかのように美鈴が声を上げた。今度はなんだと顔を向ける。
「私たちはある意味心が広いというか、気が長いというか……そんなわけで、お腹を痛めたことに寛容ですが、妖精たちには気が短い娘も多くって」
美鈴にしては、珍しく歯切れが悪い物言いだ。
要領を得ない言い方に首を傾げると、後ろから、不穏な人影が近づいて来ていることに気づいた。その数は一人や二人では、とても足りない。
「それで……けっこう、おかんむりみたいなんです」
振り向くと、絶望的に似合わないサングラスを装備して、ひゅうひゅうと鞭を振る妖精メイドたちがずらりと並んでいた。その様子、さながら抗争に向かうヤクザのようである。
ああ、君たち……俺の土下座に見惚れて集まってたわけじゃなかったんだな。
クルリと回転し、妖精に背を向ける。
「逃げるんだよォ! スモーキーッ!」
「「おんどりゃあ、待ちやがれェーーっ!」」
こうして宴会の場にて、唐突にリアル鬼ごっこが始まったのだった。
次回も宴会です。というか次回こそ宴会です。