研究所に足を踏み入れると、同時にしてスタジアムから巻き起こった特大の大歓声がアタシを迎え入れてくれた。
足元に伝ってきた反響音。ポケモン研究所も兼ねたジムのエントランスにはメカニックな内装が施されており、この床も機械のような金属でできていたことから、大熱狂となる人々やポケモンの歓声を吸い取ってはこうして響かせてくる。
研究員達も、よくこんなに騒がしい環境の中で研究に没頭することができるなぁ。アタシはそんなことを思いながらもポケモン研究所の受付カウンターへと足を運ぶと、そこで訪問客の対応を行うスーツ姿のお姉さんに訊ね掛けて、アタシは『セイガ博士』となる人物に用事があることを伝えていった。
カセキの鑑定をお願いしたいという旨を伝えたアタシのそれに、受付のお姉さんが電話を手に取って研究所内へと連絡を行っていく。それから少しして、受付のお姉さんは「こちらにお掛けになって、お待ちください」と言いながら手で椅子へと案内してきたため、アタシはそれに従うまま長椅子にボスッと座り、ラルトスを抱えたその状態でボーッとし始める。
待ち時間の間にも、アタシの目の前にある壁を挟んだ向こう側の、このメカニックな内装とは裏腹となる広大なフィールドからは引き続いて大熱狂が流れ込んできていた。しかも、相当な接戦というか、そのチャレンジャーがジムバッジを七個所持する実力者であるというのも相まってなのか、実況と解説もまたマイク越しに素の興奮を響かせて、チャレンジャーとジムリーダー両者に熱烈なエールを送り続けていくその様子。
……アタシも、ジムバッジを七個とか手に入れたら、こんなにも観客が湧き上がるほどのすごいバトルをするようになるのかな。ふと巡ってきた考えにアタシは脳内でシミュレーションを行ってみるものの、自分がそんな、みんなが熱狂するほどの実力を以てしてキラキラと輝く、まるでスーパースターのような姿でスタジアムの中に佇んでいくビジョンというものを全く想像することができなかったものだから、いくら妄想をしても「なんか違うな……」と何度も首を傾げてしまいながら、アタシは今も壁を挟んだ向こう側の情景がまるで思い浮かばなかったものだ。
ラルトスも、こんなアタシを見上げていっては不思議そうな顔で見遣っていたものだった。しかし、その視線はすぐにも他へと移っていき、それも、ラルトスはエントランスの入り口付近へと向けたそれを、じーーーっ、と向け続けていたものだから、アタシはそれに気が付くなり「何だろう」と思いながらそちらへと振り向いていく。
すると、向けた視界の中を横切る、見慣れた変装服。相変わらずの付けヒゲも、もうすでに彼の身体の一部なんじゃないかとも錯覚してしまうほどに見慣れてしまった、本物のスーパースターの気配を完全に殺した一人の男性の姿が見えてしまえた。
……待ち時間の間も暇だし、ちょっとちょっかい出しに行こ。バッと立ち上がってコソコソと歩き出していくアタシ。敢えて彼の死角を突くような角度で少しずつ近付いていくと、音も気配も最小限に控えた忍び足で彼へと接近するなり、アタシは「わっ!!」と死角から飛び出すように彼の目の前に現れた。
そして、彼は期待を裏切らない。「うぉっ!!」と付けヒゲに見合わないイケメンボイスを出しながら短く驚くと、アタシを見るなり彼は、してやられたといった冗談めかした笑いで喋り始めていく。
「あっははは! ヒイロちゃんか! これは参ったな。俺としたことが、ヒイロちゃんに驚かされてしまうなんて。周囲への警戒が行き届いていなかったか。これは失態、失態」
「タイチさん、前にテレビで話してたもんね。暗殺者に狙われたことがあるって。でもアタシに驚かされるようじゃ、その話ってホントは嘘だったんじゃないのー??」
ニシシと、からかい気味にアタシがそれを言ってやった。
すると、タイチさんは「参ったなー」なんて手を首の後ろにやっていきながらも、それでも何か表情がパッとしないその様子に、アタシは疑問を抱いていく。
「……なにか考え事?」
「ん、そうだね。ちょっと、考え事をしていて周りが見えていなかったよ」
「マサクル団のこと……?」
「その可能性は拭い切れない。と言ったところかな」
「???」
首を傾げていくアタシ。こちらの様子にタイチさんはふと周囲の人々を眺めていくと、みんながこちらを意識していないことを確認するなり、アタシの耳に口を近付けながら、小声でそれを話し始めてきたのだ。
「以前にも、“JUNO”と名乗る人物から連絡が届いたって話をしたのを覚えているかな? ほら、ショウホンシティの、ショウホン城の前で」
「そう言えば、そんなこともあったね。タイチさんも守護隊の皆さんも行方すら掴むことができなかったマサクル団の団員を、その人がひっ捕らえて身柄を渡してくれたっていう話でしょ」
「そうだね。で、今回もその人物から連絡を貰って、俺がこうして駆け付けたってことなんだけど。その受けた連絡の内容がまた、不明瞭でありながらも物騒なものだったから、もしこの内容が真実なのであれば、俺はこれからどのように動くべきだろうなと、色々と考えていたところだったんだ」
「不明瞭でありながらも、物騒……?」
アタシはさらに首を傾げていく。
ラルトスも真似してアタシのように首を傾げていくこちらの様子を見ると、タイチさんは少しばかりと口を閉ざして何かに考えを巡らせていき、若干と躊躇いを感じさせながらも言葉を選ぶようにして、アタシへとそれを話し始めてきた。
「ヒイロちゃんに話をしたところで、ヒイロちゃんを変に怖がらせちゃうだけになるかもしれない。ただ、まだまだここに滞在するつもりなのであれば、ヒイロちゃんにも少なからず関係する事態となるかもしれない。――ここだけの話だよ。実はね、JUNOという人物から、『そう遠くない未来に、ママタシティは災害に見舞われる。それを阻止しなければシナノ地方は多くの悲しみを背負うことになる』という警告文が届いたんだ」
「……へぇ。なんか迷惑メールっぽいっていうか、なりすまし詐欺みたいな未来予告だね」
「俺としても、これはさすがに悪戯なんじゃないかと思っていたんだけど、如何せんあのJUNOがこれを警告してくるんだ。今までにも何通か届いた警告文にオレは半信半疑で従ってみたところ、その予告はすべて的中し、マサクル団による被害を未然にも防ぐことができていた」
「あー、じゃあ今までの流れからして、この災害が来るよっていう警告文も、本当の可能性が高いかもってことなんだ」
「そういうことだね。ッハハハ、話の呑み込みが早くて助かるよ」
と言って、タイチさんはアタシの頭を撫でてきた。それにアタシは気分を良くして、ゴロニャーンと効果音が聞こえてきそうな表情をしながら、ラルトスを抱きしめて話を続けていく。
「ママタシティのどこに甚大な被害が出る、ってのは書いてなかったの? もし書いてあるんならさ、タイチさんのスーパースターのパワーで守護隊を動かしてそこを見張らせておけばいいじゃん」
「守護隊の皆さんを動かせる力があるのなら、俺もきっとそうしていたかもしれない。だけどね、ちょっとそれができない大人の事情があるというか。いくらチャンピオンという地位を持つ人間からの警告であったとしてもね、その、あまりにも不明瞭かつ漠然とした、起こるかさえも分からない事象に対して国はリソースを割くことができないもんだからね」
「おっけー、把握。だから、タイチさんはこうして一人で抱え込んでるってことなんだね」
「ッハハ、話が早くて助かるよ」
参ったなといったお手上げなカンジに苦笑するタイチさん。
タイチさんも色々と大変なんだなぁ。そういう、国が重い腰を上げるにまで至らないような地道な調査をタイチさん一人で行っているってことなんだろうし、そのJUNOって人物からの警告文であったとしても国が動かないのであれば、そりゃ事情を知る残りの人員は遊撃部隊のタイチさんくらいしかいないものだから、こうして一人であれこれしないといけなくなるんだろうし。
……アタシも手伝えるんなら手伝いたいんだけど。そう思って内心では「アタシもそれ、手伝うよ」なんて何度も何度も連呼を続けていたものだが、これもまた悩む大人の複雑な事情が絡まっており、先ほどにも大失態君の問題も解決に導けなかった身としては、ただただタイチさんを応援することしかできないというもの――
――と、そうしてタイチさんと話し込んでいる間にも、アタシの後ろから聞こえてきた受付のお姉さんの呼び掛け。
「ヒイロ様ー。おられますかー」
「あっ、ハーイ!! じゃ、タイチさん。アタシちょっと用事あるから」
お姉さんのそれに答えながらも、アタシはタイチさんに小さく手を振ってそれを合図する。タイチさんもまた事情をすぐに汲んでくれて、「あぁ、行ってらっしゃい」と言ってくれた。
で、アタシはお姉さんの下へと駆け付けようとするのだが、やはりタイチさんのことも気になるわけで……。
「タイチさん、タイチさん。アタシもマサクル団を知る貴重な人材なんだから、何かあったらアタシを上手く使ってよ?」
「あぁ、ヒイロちゃんのことは、とても頼もしく思っているよ。ヒイロちゃんも、俺やジムリーダー、守護隊と同じ秘密を共有する者同士として、対等の仲間意識を持った貴重な存在さ。だから……ヒイロちゃん。いざという時には、ヒイロちゃんに頼る場面も訪れるかもしれない。その時は、一緒に戦ってくれるとありがたいな」
「もっちろん! 任せてよ!」
小さくガッツポーズを見せていく。で、ラルトスもアタシを真似して小さくガッツポーズをしていくものだったから、こうして二つのガッツポーズで応えるアタシらにタイチさんは笑みを浮かべながら、手を振ってアタシを見送ってくれた。
「ヒイロですー! お待たせしましたー!」
受付のお姉さんの下へと急いで駆け付けるアタシ。その言葉と共にお姉さんが手で案内する方向を見遣っていくと、その先には白衣を着た一人の男性が佇んでいた。
「ヒイロ様がお探しでした“セイガ博士”は、こちらの方でございます。本来であればセイガ博士の面会には事前の連絡を有するものでございますが、今回は博士が特別に面会を許可されましたので、次回からセイガ博士とコンタクトを取る際には、まず受付へご連絡ください。では」
そう言って、受付のお姉さんはアウンターへと歩き去っていく。
こうしてセイガ博士となる人物と二人きりになったエントランスの中、アタシは目にした男性の姿に既視感を覚えると同時にして、ふと蘇ってきた記憶が脳裏を駆け巡り始める――
『と、いう時にも、ママタジムと繋がる通路から駆け寄ってくる一つの足音が、段々と大きくなってくるのを三人は感じ取った。』
『すぐにも姿を現してきたのは、白衣をまとった一人の男性研究者。ゴム手袋に長靴で、頭にはゴーグルを着けているというまさに研究途中から抜け出してきたかのような、オレンジの髪をヤンチャに上げているその人物。手に持つバインダーを掲げるようにしながら口に手を当てていくと、普段通りといった調子でラオ博士を呼んでいくのだ。』
『博士ぇー! ……おっと、取り込み中んとこすまない! 博士。ジムチャレンジの関係者が博士んこと呼んでたぞ! なんか来客ってことで、博士んことを探していたようだ!』
『そう言えばそうだった。変装したイケメン君と会って話をしなきゃ。教えてくれてありがとう』
『いいぇー!』
――――
『ん? どうした? 俺の顔に何かついてるか?』
『ニコッとした笑みで、とてもフランクに声を掛けてくる男性。これを聞いてアタシは、「あ……」なんて声を零して少しだけ恥ずかしくなってしまう。』
『……と思ったが、彼が向けた視線がアタシから全く外れていることに気が付くと、その対象がアタシの隣に存在していたことに気付いてそちらへと見遣るアタシ――』
『――目を見開いたユノさん。口をぱくぱくとさせて、上手く言葉が出せないその様子……。』
『ぁ、えっ……い、いいぇ! その――何でも、ない、わ』
――白衣をまとった一人の男性研究者。ゴム手袋に長靴で、頭にはゴーグルを着けているというまさに研究途中から抜け出してきたかのような、オレンジの髪をヤンチャに上げているその人物……。
「おろ? 見覚えがあると思ったら、前に展示コーナーでラオ博士と話していたお嬢さん方の子か! 前にも見た顔だと、初対面ってカンジがしなくて気軽でいいよな! ま、そんなワケで俺が、お嬢さんが探し求めていた『セイガ博士』ってことでひとつ、よろしく!」
悪戯な笑みのような、清々しい表情で話し掛けてくるその男性。
右手で指をビッとして軽い挨拶を行ってくるものだったが、アタシはその人の顔を見た瞬間から、こう、心臓によぎってくるというか、どこか胸がざわつく落ち着かない気持ちに鼓動を速まらせてしまって、うまく言葉を口にすることができずにいた。
……この人と会ってから、ユノさんは泣き崩れてしまった。
――え、何。この、彼から感じられる、どことなく切ないこの気持ちは……。
「……あ、もしかして意外と人見知りするタイプ?? ま、そんな緊張することはないさ! 俺は、お嬢さんが持ってきたカセキを鑑定して、お嬢さんはそのカセキを復元するか持ち替えるかの二択をその場で決めてもらって、それでおさらばになるだけの一時的な関係なもんだから、こう、気楽にいこう!!」
「え? あ、うん……! その、アタシはヒイロっていうの。よろしく……」
「おう! よろしく! じゃ、俺の研究所はこっちだから、ついてきてくれ。あっと! 足元に引かれた電線には気を付けてくれよな! たまにそこで躓いちゃう人もいるもんだから!」
なんとも、しっかりした風格と、飄々とした一面の両方を兼ね合わせたような人物だ。
……結局、ユノさんはどうしてあの時に号泣をしたんだろう。ただでさえ謎ばかりが深まるユノさんを泣かせるにまで至らせたその人物。本来ならばこれでカセキを鑑定してもらって、そのカセキの名前を把握してそれで終わりというだけのつもりだったのに……。
色々と思うところがあった。しかし、今はそんな彼であるセイガ博士についていくことが最優先であったため、アタシは遅れを取らないよう、足元に気を付けながらセイガ博士と共に研究所の中を歩き出していった。