明日に控えたジムチャレンジ。予約してから三日は経過していたこれまでの期間の中で、アタシはポケモンバトルというろくに経験したことがなかった物事に精いっぱい取り組んできた。
とてもハードなスケジュールだったと思う。もちろん休憩も挟んだりしたが、それでもポケモンバトルのことを一から手探りで学んでいく苦労に、アタシは何度も心が挫けそうになった。
だったら最初から挑戦しなければいいのに、とも思うかもしれない。だが、ジムチャレンジとはそういうものだと思う。必要なものはやる気だけという、任意参加の伝統的なこの行事。それは楽しいと思う人ならば天国のようなものかもしれないが、中途半端な志を持つ者達にとっては、ジムを巡る冒険はまるで生き地獄のような苦行のようにも思えてくるものだ。
自分がその当事者であるからこそ、分かることもある。例えはかなり悪いと思うが、このジムチャレンジ、すごく現実的な考えで例えると、自ら進んで受けることを望んだものの実際それが連日続くと地獄のように思えてくる、夏季講習、のようだ。
「お待ちどうさん嬢ちゃん! ハクバビレッジ名物の、リンゴたっぷり山菜丼だ!」
閉店時間ギリギリの、ハクバビレッジの料理店。料理人がカウンター席に座るアタシにそれを出し、たっぷりと盛りつけられた山菜とリンゴの丼物に食欲がそそられる。
料理人が調理している間も、アタシは独り言のようにこの期間で頑張ってきた話をしていた。お客もアタシだけという一人だけの状況だったから、そんな話をする前にも個人的な世間話もして料理人と談笑していたものだ。
「こいつァ嬢ちゃんの必勝祈願さ! こんな夜までコタニの山にこもって頑張ってきたんだろう? ご飯のおかわりも遠慮せず言ってくんな!」
「ありがとーおじさん! アタシなおさら、明日は頑張んないとね」
アタシのカウンターに乗っているラルトスも、お店が出してきてくれたリンゴを食べて満足そうにしていた。それでいて、アタシの足元にはサイホーンが寝転がっていて、今日の疲労でひとり静かに沈黙を貫いている。
我ながら今日は頑張った。トレーナーとのポケモンバトルや、野生ポケモンを相手取った訓練にずっと付き合ってくれたサイホーンにもたくさんお礼をしたし、感謝もしている。本番を控えた明日にアタシは気合いを入れながら、リンゴたっぷり山菜丼を口の中へと頬張っていった。
女であることを忘却した、豪快な食べっぷり。こちらの様子に料理人は満足げな顔を見せながら「ほう……」と眺めてくる。
けれど、今は周りの目も気にならない。いや、気にする余裕がない。それ以上にアタシは、腹が減っていた――ッ!!
「おう、いらっしゃい!! ――って、レミトリさんじゃねえかい! 今日も夜遅くまでご苦労さん! ほれ、お客さんはこの子だけだから、ゆっくりしていきな!」
え? アタシは忘却していた女を取り戻し、我に返ったかのように出口へと振り向いていく。
こちらを見たレミトリさんも、「お?」といった調子で意外そうにしていた。後で聞いた話では、レミトリさんはその日最後のチャレンジャーを相手した後はよく、このお店に来るのだということだった。
「奇遇ですね、ヒイロさん。お隣にお邪魔してもよろしいでしょうか」
「ふぁ、ふぁい。いいれふおー」
口いっぱいに詰め込んだ頬から声を出す。そんなこちらにレミトリさんはフフッと微笑し、凛々しい歩き姿でアタシの横に来てからそのイスに腰をかけていった。
続けてレミトリさんは、「彼女と同じもので」と注文した。この流れに既視感を覚えながらも、アタシは空腹のままに丼物を貪って腹を満たしていく。
だからなのか、アタシはレミトリさんに注目されていたことに気が付かなかった。この横顔を眺めてその食いっぷりを見ている彼に気が付いてからというもの、アタシは口元にお米をつけながら向いていく。
「んぉ、むぉ!?」
「おっと、驚かせるつもりはございませんでしたが。フフッ、若者がご飯をたくさん食べているところは、何時になっても見飽きませんね。ただし、ヒイロさんはまだまだ年頃の女の子ですから、外食で済ませるのならば少しばかり周囲の目を気にすることも意識なされた方がよろしいかと。余計なお節介かもしれませんが、どうしても口にしてしまうものですね」
「ふぁ、ひをふえはう」
「はい、気を付けてくださいね」
あ、通じた。ごっくんと飲み込んでからアタシはヘヘッと悪びれたように笑い、お上品をお意識しながらお丼物をお召し上がっていく。
と、レミトリさんの下にも同じ丼物が出され、持った箸を指で挟みながら、両手を合わせて「いただきます」と凛々しく言う。そうして並んだ二人の食事の綺麗さ勝負は、どっからどう見てもレミトリさんの圧勝だった。
そんなことはいいんだよ! 本当の勝負は明日あるんだからな!
「そう言えば先ほど、明日のチャレンジャーをまとめていましたら、ヒイロさん、貴女様のお名前が並んでおりましてね」
「うん。明日、レミトリさんに挑戦するから。アタシ、明日のために頑張ってきたんだから! ……三日だけだけど」
「正直でよろしいですね。しかし私の目に間違いが無ければ、ヒイロさんの陰で今も燃え滾る闘志からは、三日だけで仕上げてきたとは言い難い修練の数々を感じさせますがね」
アタシは、足元の影がわずかに動いたのを感じられた。
「とても良い仲間と巡り会えましたね。旅において重要なのは、なにも強さや賢さではございません。その道を共にする、仲間です。ポケモントレーナーという道においての話ですがね。そして、ヒイロさんから感じられる雰囲気と、ヒイロさんの周りで過ごす仲間達からは、とても似たようなものを感じ取れる。――どうやらヒイロさんは、縁によって強くなられるタイプのようですね」
ラルトスが、顔を上げてレミトリさんを見ていた。リンゴを食べるその口を止めてまでして。
アタシの足元でも、もぞもぞと動いていてやけに落ち着きがない。アタシはアタシでレミトリさんの、縁で強くなるタイプという部分に「ほえー」なんて返事しながら頷いていたものだが……。
「レミトリさん。明日の試合は、二匹を選出して戦うバトルだよね。だけどアタシのラルトス、攻撃できる技を覚えていなくて」
「えぇ、リストにはチャレンジャーの手持ちも記載されているものですが、最初は目を疑いました。いえ、目を疑ったという表現は適切ではありませんでしたね。そういうチャレンジャーもおりますよ、毎年のように。しかし、そういった方々は大抵ポケモントレーナーになったばかりであり、たった一匹である手持ちの練度もそこまでではない場合がほとんどです。最初ばかりは私も、この子は本当にあのチャンピオンに注目されているのかと疑ってしまいました。しかし、第一印象で決めつけるのはよろしくありませんね。これはジムリーダーとして、勝者と敗者の選定を任された身として最も有ってはならない未熟な部分です。――正直に言って、今ここでヒイロさんと出会うことができて良かったと、心から思っておりますよ」
手を止めてそれを喋っていたレミトリさん。アタシもその箸を持つ手を止めてこの言葉をひとつひとつ聞いていたものだが、正直に言って、それを最後まで聞かなければ良かったと思う。
凛々しい表情はそのままに、その瞳の奥に滾らせた闘争の炎。シナノの大空を支配するその翼の奥には、数多のチャレンジャーをことごとく捕らえてきた爪が隠されていることを、アタシはこの瞬間にも思い知らされた。
「なぜならば、私はジムリーダーとしての勝利に慣れすぎるあまりに、明日にも勝手な決めつけにより自らもたらした敗北によって、泥土を舐める姿の晒し上げでジムチャレンジという神聖な伝統を穢してしまっていたかもしれませんから。ヒイロさんの形ある縁をこの目で見ることで、私は緩んでいた気持ちを引き締めることができました。ですから、お礼を言わせてください。ありがとうございます」
凛々しいレミトリさんの笑みが、この上なく不敵に思えて仕方が無かった。
今もアタシの隣に座るこの男こそが、シナノ地方の伝統を継ぐに相応しいとされた、選ばれし者。単なるジムリーダーとしての認識だったこれまでの意識が、彼の奥底に秘める何かを感じ取ることで、アタシもその見る目が変わったことを実感した。
……陽が真上に到達するであろう時刻。天井の開いた解放感あふれるスタジアムの光景に、アタシもまたこの場所に立つ挑戦者として、一層と気合いを引き締めて歩き出した。
時間を迎えると共に、控え室から入場口へと歩き出す。いつもの服装で、白色のキャップをいつもより深くかぶりながら。今もこのバッグから飛び出してきてしまいそうな興奮が伝わってくると、アタシはそれをなだめるようにバッグに手を添えながら、天から陽が射すそのスタジアムへと一歩踏み出した――――