真昼の太陽は心地よく、暑いとまではいかない過ごしやすい気温が、とても清々しい。もしこれでバイトさえ無ければ、河原にでも赴いて化石探しでもしてみたかったものだ。
購入したパンをいっぱいに詰め込んだ紙袋。そこから漂ってくるパンと紙袋の香りを嗅いで、アタシは満足感を満たすことができた。
昨日の休日が丸々潰れた腹いせに、バイトの帰り道でパン屋に寄ってやった。特にパンを食べたいといった気持ちでは無かったものだが、如何せん昨日の出来事が出来事だったため、何かで憂さ晴らしでもしないとやっていられなかったものだから。
一昨日の夜、アタシは夜道で一人、ぶっ倒れた。原因は、ひどいショックを受けたことによる卒倒。命に別状は無かったものの、女が倒れているという通報で駆けつけてきたおまわりさんに保護され、そのまま病院で一日入院となった。
理由を聞いた医者は、理解ができないといったように首を傾げていた。それもそうだ。だって、ポケモンが自分の脚にくっ付いていることに驚いたなんて、周りからすれば、そんなこと当たり前じゃんって話だったからだ。アタシにとってそれは当たり前ではないし、むしろ毛嫌いする生命体が前触れも無く忽然と現れて、しかも自分にくっ付いているとなれば、ひどく驚いても別に可笑しくない話だろう。
だけど、周りからはそのことをまるで理解されない。結局はアタシが情けなくて心の弱い弱者である、と、そんな認識で落ち着いたところで、ポケモン研究所から博士の父が駆け付けてきて、アタシのことをとても心配してくれた。
ポケモン博士の一人娘であろう女の子が、なぜそんなにもポケモンを苦手とするのだろう。そんな話を交わす看護師の声も届いてきた。皆が、アタシを理解してくれない。いや、理解するしない以前として、アタシがおかしいのだ。周りにとっての当たり前に当て嵌まらない特性を持って生まれてきてしまったがために、その特性を拒まれ、疎ましく思われ、常識を知らずに成長してきた教養の無いダメ人間という認識で世間に知られていく。
理解しろとは言わないけど、やっぱりこう、自分の特性を変えるだなんて無理な話でもあって、どうにもできないモノを背負って生きていくことが、とにかく辛くて、苦しいものだ。誰にも理解されないから、コレを一人で背負っていかなければならないのだから。そう考えると、自分はいつだって孤独だった。周りから見ても常に一人で行動しているし、自分の気持ち的にも常に孤独を感じているし……。
「…………」
……そう考えると、アタシにくっ付いてきた“アレ”って、アタシと一緒に居てくれたんだな。
おまわりさんが駆け付けたというその時には、既に姿をくらましていたらしい。しかし、その特徴をおまわりさんに伝えたところ、それは『ラルトス』というポケモンであることが分かった。
ラルトスというポケモンは、人の感情を感じ取ることができる、エスパーのような能力を使えるポケモンらしい。ラルトスは、感情を感じ取った対象と同じ気持ちを持つ生態のようで、気持ちが明るい人の前に姿を現したり、その対象が喜んでいると、ラルトスも同じように嬉しくなって一緒に喜ぶ……のだとか。
ただ、その話を聞いてアタシは不自然に思えた。じゃあ、どうしてアタシなんかにラルトスは近付いてきたの? と。アタシは日々、この世界に憂いばかりを抱いていて、とても前向きな気持ちを持っているとは思えない。それなのに、そんな人々の感情を勝手に共有しては勝手に喜んだりするその生き物が、どうしてネガティブなアタシの下に来たというのか。
おまわりさんは、この言葉も残していた。それにしても、ラルトスが人前に姿を現すなんて珍しいな、と。どうやらラルトスは、世間一般では滅多に見かけない貴重なポケモンらしく、ラルトスをゲットしているトレーナーは強運の持ち主か、とても前向きで信用に値する人物である、と言うのだ。
だったら尚更、どうしてアタシの前に現れたんだろう。その理由を考えても、アタシはそのラルトスの気持ちを理解することがとてもできなかった。
……そして、その理解できなかったラルトスの気持ちを考えた時に、アタシは何故だか、ラルトスと分かり合えた気がしたのだ――
自転車から降りて、そこらに停めておく。その動作をちゃちゃっと行ってから、カゴから先ほど買ったパンの紙袋を取り出して持ち歩き、アタシはその奥行きと向かい合うように佇んだ。
あの日は、午後十一時という暗がりだったから雰囲気があったものの、今こういう明るい時に見てみると……いや、明るければ明るいで、やっぱりその閉鎖的な空間がしっかりと視界いっぱいに広がっていて、これはこれで怖い。
よくこんなところに入ったな、と、アタシはそんなことを思いながら因縁の小道へと入っていった。
自分がどうしてこんなことをしているのかは、自分でもよく分かっていない。これは言葉では形容できない、感情的なものだったからなのかもと思ったり思わなかったり。
両側の壁に狭苦しいものを感じながら、アタシは足を進めていく。抱えたパンの紙袋から香る匂いで恐怖心をなんとか誤魔化していくのだが、ふと足元に感じたその気配を察するや否や、何故だかこみ上げてきた期待感と共にアタシは視線を下へと向けてい――
「……ネズ、ミ?」
紫色で、出っ歯が特徴的なネズミポケモン。それが四匹、五匹と一斉にアタシの足元に群がって、よじ登ろうと必死になっている。
パンの匂いにつられて現れたのだろうか。というか、え、てか、ただでさえ毛嫌いするポケモンが、それもネズミポケモンが、何匹もアタシに這って――
「え、っ。……ぁ、い、いギャアァ!!!!」
女らしからぬ、とんでもない悲鳴を上げた。
あまりの驚きで、その場でよろめいて腰を地面に打ち付けてしまう。
この衝撃で、抱えていたパンの紙袋を落としてしまった。ドサッと落ちたそこからは中身のパンがゴロゴロと地面にぶちまけられ、それめがけてネズミポケモンが一気に群れを成す。
どこから湧いてきたかは知らないが、それはうじゃうじゃと十匹程度。転がるパンに飛び掛かって貪り食らうその光景が、集合体を苦手とするアタシの精神にダイレクトアタック。
しかも、ネズミポケモンはその勢いで他の個体に誤って食らいついてしまい、それに激怒した個体が飛び掛かることでもみくちゃの喧嘩が勃発。それに触発された別の個体が乱入して乱闘を繰り広げたり、そんな騒ぎなどどうでもいいと無視してパンを貪っていく個体が、また別の個体とパンを取り合っていたりと、その光景はもはや絶望の一言に尽きる。
これを、自分が引き起こした。傍から見たら大惨事だよこれ。自分はとんでもないことをしでかしたのかもしれない。
ポケモンという生命体と、それによる集合体という光景にビビって思うように腰が持ち上がらないアタシ。このままでは、次はアタシが食われるんじゃないか。そうでなくとも、この乱闘に巻き込まれたらタダでは済まないかも。そんな不安が更に襲い掛かってくることで、アタシは尚更しりもちをついたこの状態から一向に動くことができない。
アタシはただ、このパンをラルトスにあげてみようと思っただけなのに。野生のポケモンに餌付けするという行いもどうかとは思うが、何かを感じ取った同士の仲だったとしたら、と。あれだけ毛嫌いしてきたポケモンに、アタシは僅かながらの何かを感じたからこそ、初めてポケモンのためにと思っていつもとちょっと違うことをしてみたというのに。
その結果が、これだよ!! どうしてアタシって、何をやるにしても上手くいかないの!!
もう涙目。我ながら情けないと思いながら、圧し掛かる感情にただただ圧し潰されそうになって身体が動かない。
パンが次第と数を減らしていく。個体同士で争い合っているがために次々と倒れていく地獄絵図。生物が織り成す、食と闘争。
次はアタシだ。ここで大嫌いなポケモン共に食われて残酷に死んでいくんだ。既に数匹がアタシへと向いている。今にも襲ってきそうだ。
文句は言えない。全てはアタシが引き起こしたことだから。何を今更、元凶であるアタシが助かろうだなんて都合が良いことを望んでしま――
「…………?」
服の袖を引っ張られる。あのネズミポケモンかと思って過剰にビクッと反応したものだけど、そうして向けた視線の先では、想定していた姿とはまるで異なるポケモンが、アタシのことをじっと見据えて存在していたのだ。
……ラルトス。緑の頭部と、ハートの形を頭に埋め込んだツノのようなものを持つ“それ”が、今にも泣き出しそうなアタシを見遣って佇んでいる。
言葉は出せなかった。恐怖心に煽られて、アタシは声も出せなかった。 ――しかし、こうして声に出さなくとも、ラルトスというポケモンはその対象の感情を読み取ることができるのだ。
ラルトスの身体が、ピカッと光る。僅かに迸ったそれにアタシは唖然とすると、次の時にも、遥か地平線の彼方へと飛んでいく感覚と共に、アタシの意識は一瞬だけ途絶えた。
……え? 自分に何が起こったのか。その理解が追い付かない混乱で見遣ったこの光景。
座り込むアタシの手元には、生い茂る緑の芝生。満天の青空と流れゆく雲からは、大自然の香りが漂ってくる。
ここが高台であることをまず理解した。それでいて、前方でのどかに歩く、目玉のような輪っかのようなツノを持つトナカイのようなポケモンの、その先。
アタシは、ポケモン博士の父がしょっちゅう口にしているその言葉の意味を、初めて体験することができた。それは、ポケモンという生命体が宿す、未知なる力が織り成す脅威と、魅力。
あぁ、そういうことだったんだ。ようやく分かった気がするよ、パパ。そんなことをアタシは思いながら、この高台から、つい先ほどまで歩いていたハズのジョウダシティをしばらく眺めていた。