そう言えばアタシ、『どうぐ』が大好きだったんだ。
ふと思い出した自身の性分。連日とジムチャレンジに集中してきたために、危うくこの旅の目的を忘れるところだった。
そう、この旅は本来、シナノ地方に多く眠る『どうぐ』をこの目で見て、あわよくば集めようという私利私欲の塊のような目的で始めたものだったのだから。
そんなこんなで、舞い込んでくるかのように情報を入手した、珍しい『どうぐ』の存在。アタシはこれを、誰かに取られる前に手に入れてやるという強欲のままに、『オオチョウ山』の山頂を目指していったのだ。
深海のように深い青色の湖。広がるそれは、生命が生まれてくる神秘的なものを感じさせ、そしてこの湖を守護するかのように、囲うように天へとそびえ立つ霊峰の光景。
アタシは今、『オオチョウ山』にいる。ここで採れる、奇跡的に近い確率でしかお目に掛かれない植物の、そのタネを求めてここに来た。
どうやらこのオオチョウ山の山頂でしか採れないというタネは、『どうぐ』としての希少価値があるという。それを聞いたアタシは、『どうぐ』コレクターとしての血が騒いで仕方が無い。
でも、だからといって闇雲に突き進んだところで山頂には辿り着けないだろう。コタニの山で遭難した経験が今ここで活きるかのように、アタシは現地に着くなりガイドさんの指示に従い、今日は日が暮れるから明日に山頂を目指そうということで、この日はオオチョウ山の宿泊施設で休むことにした。
そして、翌日。施設の個室で流していたラジオからは、ジムチャレンジの情報がリアルタイムで届いていた。その内容は、既に六つ目のバッジを手にした猛者が現れたというもの。
アタシは話で聞いただけではあるものの、どうやらジムチャレンジは、五つ目のバッジへの挑戦から一気にハードルが上がるという。その五つ目の挑戦からは手持ちポケモンを四体揃えた長期戦が待ち受けているということで、ジムリーダーも四体編成を見越したメンツを揃えて、万全の態勢を整えて臨むのだ。
ジムチャレンジは、五つ目のジムからが本番だぞ。そんな風にも言われているこの熾烈を極める行事ではあるが、この時点で六つ目のバッジを手にしているというのは相当早いペースらしく、この調子で行けば歴代で二番目か三番目に早いジムチャレンジの達成も夢ではないらしい。
いや、一番目はどんだけ早いんだよ、ってところもあるけれど……。その六つ目のジムバッジを手にしたチャレンジャーはどうやら、七つ目のジムバッジを入手するべくハクバビレッジへと向かっているとのことだった。あのレミトリさんはこれから、今回、最も早いペースでジムリーダーを打ち負かしているチャレンジャーと衝突することになるのだ。
「……試合、ちょっと見てみたかったな」
ボソッと呟いた独り言。ラルトスを抱きながら自分の髪をブラシで整えていくアタシは、この時にも自分がポケモントレーナーであることを改めて自覚した。今もジムチャレンジに挑戦しているフレッシュなそれであるんだな、と。アタシが今、そんな伝統に挑んでいるんだな、と。以前までの自分からしたら、まるで想像もできない世界に今、身を置いている……。
……何があるか分かんないな。きっと、過去の自分にこのことを教えてあげても、絶対に信じないことだろう。
なんだかちょっと、頑張って生きてるって実感が湧いてくる。そりゃあこの短期間で辛かったりしたこともあったけれど、少なくとも、それらも含めて今を謳歌している自分が此処にいる。
――こんな生活、今までしたことがなかった。ポケモンという得体の知れない存在に怯えながら、ずっと家にいたものだから。今まで言葉で聞いてきただけの世界に飛び込んでみると、それはまあ見える世界も変わるってものだ。
……こういうのも、いいじゃんか。湧き上がってくる、言葉にならない気持ち。いや、その気持ちを言い表す言葉を、アタシが知らなかっただけなのかもしれない。
とにかく! アタシは今、アタシなりに生きている! ガバッと立ち上がってキャップをかぶっていきながら、抱えたラルトスと共に、集合時間ピッタリに着くようアタシは個室から飛び出していった。
そうしてガイドさんに連れられ、登山を開始したこの一日。アタシの他にも数名の人が集まっており、見るからに観光客ってタイプの人達もいれば、見るからにアタシと同じタネ目的っていうオタク気質のタイプの人達も見られたものだ。
着実と登っていくこの道のり。道中では休憩を取りながらも、そこでは息抜きのポケモンバトルで爽快な汗を流していく。自慢のつもりはないけれど、アタシのサイホーンはここでも負け無しだった。アタシのサイホーン、強い!
それで、登山を再開した一同。アタシもラルトスを抱えながらゼェゼェと息を切らして必死についていき、そして――
――山頂。朝早くに出発して、今は昼を過ぎたそれなりの時間帯。手を伸ばせば雲に届くんじゃないかってくらいの高さまで到達したそれは、見える景色がまた格別!
遥か向こうにあるオオチョウシティや、その更に奥へと見遣った山々は、あれはきっとコタニの山。数日とかけて自転車を走らせてきたその距離なのに、ここからでも眺めることができてしまうのだ。このオオチョウ山を渡るロープウェイやケーブルカーへと手を振っていくアタシとラルトス……と、それに見向きもしない足元のサイホーンは、山頂に着いてからというものの、しばらくは純粋にこの達成感と景色を楽しんでいたものだった。
我に返ったのは、この声を掛けられてからだった。
アタシが、景色に見惚れていたその最中にも聞こえてきた「自由時間は残り三十分となりまーす」という言葉。え、ウソ!? アタシまだ、奇跡的な植物だかの『どうぐ』を探してもいないんだけど!? と一気に巡ってきた焦燥で慌てていく。
そこから、アタシは活動的になってオオチョウ山を駆け出していった。他にもいた登山客の人だかりから離れるように場所を移動すると、こうして団体から少し離れた場所では、アタシの本来の目的のように、目を光らせながら植物を必死に探しているマニアたちの姿がある。
くそ!! アタシはジムチャレンジだけならず、こういった場面でも出遅れるのか!!
今までのんびりとしていた自分自身に嫌気がさしながらも、残る時間以内で見つかるかどうかという制限時間との勝負に心臓をバクバクさせながら、目を見開いて視界を広げながら山の中を歩いていくのだ。
ここには無い。あっちにも無い。既に残された人の足跡からして、あったとしても取られていることだろう。ということは、もしタネがあるのだとすれば、誰も来ていない場所を探さないといけない。今も周囲には競争相手が鬼の形相で目を凝らしている。
「……ラルトス、テレポート! テレポート!!」
抱き抱えるラルトスをぎゅっとする。それを受けてラルトスは「え?」といった具合に顔を上げてくるのだが、アタシもきっと周囲と同様の鬼の形相だったのだろう。あまりにも必死なそれにラルトスは「えぇー……」なんて聞こえてきそうな顔を見せると、アタシがサイホーンをモンスターボールに戻した頃合いを見計らい、余分とも言えるだろう力を使ってテレポートを繰り出した。
ブワッ。一瞬だけ飛ぶ意識。もう慣れたその感覚でテレポートが完了したことを認識すると、次にもアタシが降り立った場所は、人が全く踏み入れていないだろうという、手が加えられた跡も見られない緩やかな山の中。
それどころか、足元には雪が積もっていた。ちょうど太陽の光が当たらない場所なのだろう。一気に下がった気温に、アタシはスカートから入ってくる冷気に凍えながらも、これも『どうぐ』のため……なんて思いながら歩き出していく。
普段であれば、少なくとも景色でしか見てこなかった雪と急に出くわすその場面は、自分は何処に飛ばされてきたんだろう、自分は何処に来てしまったんだろう、なんて恐怖が湧いてくるかもしれない。しかし、アタシはこれをむしろ、チャンスだと思ってしまった。
この雪には、人の足跡が無い。ということは、ここには誰も来ていないということ。つまり……誰にも採られず、発見されてもいない奇跡的な植物が、ここにある可能性が十分に期待できる!
「ラルトス、一緒に探して! ガクガク、ブルブル。こ、これは、アタシにとってすごく大事なことなの。ハ……ハ……、ヘックチ!!」
寒くてくしゃみが出る。ちょっと独特なくしゃみをしながらもアタシは目を凝らし、寒がっている場合じゃないとひたすら雪山の中を歩いていった。
数少ない木にも、その雪が積もっている。これは、足が埋もれるほどという量ではないにしても、雪が降ったという証拠なだけで雄大な自然でなり立つ地帯であることは明らかだっただろう。
それどころか、手が届きそうなんて思っていた雲が、もっと近くで感じられる。いや、その雲から剥がれ落ちるかのように、雪が降り始めていた。
……さすがに、遭難してしまうか。空を覆い尽くした無限なる雲の天井に、アタシは次第と恐怖感に染まり始めていた。ラルトスもとても不安そうにしていたため、この子のためにも無理はできないかと思いながらアタシは、この先へと続いていた足跡を辿ることを止めて、来た道を引き返すことにする。
振り返ると、アタシの足跡が刻まれた雪景色の霊峰。下へと続く地形はまたしても上り始め、似たような山を象っては地平線へと続いていたのだ。
……アタシ、学んでないな。冷気で身体を震わせながら、振り返ったこの光景に自分のダメな部分を目の当たりにする。ラルトスは戻るべき山の場所を把握しているため、多少はズレてもガイドさんの所に戻ろうと思えば戻ることができる。ただ、それとはまた別に、アタシはどうしてこんな、自分を追い込むようなことを自分でしてしまうのだろうと、目にした雪景色に、自分は直らない性格と向き合った気がしたものだったから――
――歩いてきた足跡。こうして形となった足跡は、なにも今だけのものではない。普段は形として残らないそれだが、今まで歩んできた人生にもきっと、こうしてアタシの足跡がついてきたハズだ。
柔らかく降り積もる雪。振り返った自分の足跡に、虚しさを感じる。
……どうしてもっと早く、旅をしなかったのだろう。なぜアタシは周囲に馴染めず、学校に通えなかったのだろう。どれも自分の怠惰な部分に甘えてきただけなんだろうが、そうだとしても、こうして振り返った時に、今までの道のりで刻んできた自分の足跡を見ると、ただただ虚しいだけというか、この足跡からは虚無しか感じられない。
「……アタシの人生って、何だったんだろう」
ラルトスを、ぎゅっと抱きしめた。凍えた手でその小さくも温かい身体に触れていく。
ラルトスもまた、アタシの冷たく凍えた手にそっと手を置いて、じっと、触れ続けていてくれた。
……ありがとう。新しい一歩を踏み出したハズなのに、アタシは踏み出した足に、過去という足枷を着けたまま歩いていたんだな。
そして、この枷は生きているかぎり、ずっと着いたままだ。これを外すことは、もうできない。後戻りできないのだ。
「……なんか、寂しいね」
ラルトスの頭に、顔を埋める。今、涙を流してしまったら、それが凍えて顔がもっと冷えてしまうと思ったから。
だから、この温もりで乾かそうと思った。今も頬を伝う雫を拭うため、その温もりに頼らざるを得ないと思って…………。
…………ん?
「……足跡?」
ふと、目についたもの。アタシは今まで、何の疑問にも思わなかった。
なんで、この先に足跡が続いていたの? 自分の足跡を振り返っていた身体を方向変換させて、山の先を見遣った。
……やっぱり、そうだ。この足跡、アタシのじゃない。だってアタシはまだ、この先へと行っていないもの。
刻まれたばかりと思われる、一定の間隔を空けながら存在していたそれ。しかも、これは間違いなくアタシの歩幅ではなく、もっと脚が長い人によってつけられた、真新しいものだったのだ。
この先に、遭難した人でもいるのだろうか。だったとしたら、ラルトスのテレポートで救えるかもしれない。恐怖心を忘れ去ったアタシは駆け出して、この山の先をひたすらと目指していったのだ。
山に隠れていた雲の天井。走る度にそれは徐々と明らかになっていくのだが、こうして歩を進める内に山から顔を出してきたのは、先ほどまでの陰鬱とした雪の雲を思わせない、陽の光が降り注ぐように大地を照らしていく光景。
雲を貫くように、それは射していた。目にした景色は相変わらずの霊峰で、その下には深い青色の湖が広がっている。しかしアタシは、この場に居合わせてからというものの、凍えたことによる冷えとは全く異なる、本能的な部分から送られてきた“何か”によって、ひどく鳥肌を立てていたものだ。
湖に浮き上がる、一つの小さな祠。そこから感じられる、寒気と悪寒。周囲の深い青色が祠に一層の深遠なものを想像させ、アタシはこの光景を前にして、足がすくんでしまっていた。
――絶対に、間違いなく、何かがいる。
「気になる?」
……!? 確かに掛けられたその言葉に、アタシは落ち着きがない動作で周囲を見遣った。
地面の雪に刻まれた足跡。歩幅の広いそれが続いていく先には、この連峰の出っ張った足場で佇む、一つの背中。
腰まで伸ばした、白色のポニーテールが特徴的だった。他、黒色のジャケットっぽいパーカーに、赤色のチュニック。大人びた黒色のライダーパンツに、膝下までありながらも動きやすそうな黒色のロングブーツという身なりをした女性。
身長も高く、脚が長い。間違いなく、彼女がつけてきた足跡だろう。それを確信した時にもアタシは、こちらへと振り返ってくる女性と、邂逅を果たしたのだ――