タイチさんに招かれて、特別に立ち入りを許可してもらったショウホン城。その中へと入るなり伝ってきた木や壁の匂いは、当時の戦に明け暮れた時代にタイムスリップしたかのようだ。
最小限の光源のみが取り付けられ、内部は薄暗くも外からの日差しも相まって安全に中を歩くことができる。アタシはタイチさんに案内されるまま階段を上っていくのだが、一歩、また一歩と踏みしめていく度に、床はギシギシと軋む音を立てていく。
少し不安になったアタシが「これ、床抜けない? 大丈夫なの?」と言うと、タイチさんは「あぁ、なにも心配することはないよ。ショウホン城の床には技エネルギーと呼ばれる力が張られていて、それが俺達の体重の重みなどを吸収しているんだ」と答えてきた。
意外な技エネルギーの活用方法。アタシは床を見遣る。
「へー、技エネルギーにそんな使い方があったんだね。これ、どんな技エネルギーなんだろ。やっぱこう、観光客かなんかが床を踏み抜かないようにするためだよね?」
「おっと、たぶんヒイロちゃんが考えているようなカラクリではないと思うよ」
「どういうこと?」
「この技エネルギー、どうやら城が建てられた頃から張り巡らされていたらしい」
「へー。……え!?」
アタシは驚きのあまりに、片足を上げて床を注目してしまった。
お年頃の女の子が、男性の目の前で足をおっぴろげに。なんとも野蛮なアタシの様子に、タイチさんはむしろ、イイ反応をしてくれたとニシシ笑っていたものだ。
「ヒイロちゃん、ショウホン城が建てられたのは五百年前だと言われているんだ。その頃は現代ほど充実した生活はできていなかっただろうし、しかも、五百年前と言えば、戦争が真っ只中だったという時代さ。その頃は多くの戦士やポケモンがこの城の中を行き交い、押し寄せる敵の軍勢なんかを相手取っていたことだろう。そんな状況下では、柔くて脆い城を造れない。すぐに壊されて、自分達が討ち取られてしまうから。……じゃあ、より強固な城を造るには、どうするべきか? きっと、当時の人々やポケモンは、必死に知恵を振り絞ってこの城を築き上げたはずだ」
城の中に設けられた展望台へと手を差し伸べるタイチさん。望遠鏡も用意されているそこにアタシは駆け寄ると、それを覗いてみてショウホンシティの景色を眺めやっていく。
一面が池で満たされた周囲に、向こう側の足場に広がる商店街と公園。今も人々とポケモンが行き交い、ある者達はポケモンバトルを、ある者達は野性のドードーにエサをやり、池を泳ぐウパーやナマズンが自然の中を生きていたりと、そこで展開されていたのは、ごく当たり前な日常とも呼べる平穏な日々の風景。
「タイチさん! なんかすごく綺麗だね!!」
「あぁ、ショウホン城から眺めるショウホンシティは、これがまた格別なんだ。もちろんショウホンシティという街は、素晴らしくも儚く、人とポケモンが築き上げてきた雄大なる遺産とも呼べるだろう。そして、シナノ地方の歴史を巡るにあたって、その歴史を最も物語るともされるショウホン城からこの世界を眺めると、見える光景はまた、変わってくるものさ。――意識をするんだ。昔の人々やポケモンも、ここから眺めた光景を見ていたのかもしれない、と。そして、時代の流れを自分の身で感じ取るんだ。あの頃から、今までの時間の流れを」
抱えていたラルトスに望遠鏡を覗かせて、アタシは後ろで腕組みをしながら佇んでいたタイチさんへと振り向いていく。
「タイチさんって、なんか考え方がアナログだよね」
「ハハハッ、昔を顧みるというのも悪くはないと思うんだ。そりゃあ、俺だってなにも輝かしい過去ばかりじゃなくて、むしろ、ゴミを漁って食い物を探していたり、汚かろうと服を着ていられることに幸せを感じていたりと、そんな過去もあったもんさ。……でもな、重要なのは、そういう過去を思い出すことなんかじゃない。なにも、辛かったり苦しかったりした記憶を思い出すために、昔を顧みるんじゃないんだ。――もっと、自分の根本的となる部分。……自分が元々から有してきた性分を思い出すため、昔を顧みるのさ」
タイチさんは、アタシに真っ直ぐな眼差しを向けていた。その目はまるで、アタシの芯である部分を覗き、それと見比べて今のアタシ自身を試してくるかのような目。
――アタシの内側を、アタシの中を見通してくるかのような、透視の目……。
「……タイチさん」
「お? 何か分かったかな?」
「……えっち」
「なんで!?」
最近の中で一番ウケた。アタシはタイチさんの驚き方に、腹を抱えながら盛大に笑った。
タイチさんはタイチさんで頭を抱えながら微笑していて、気を取り直してといったカンジに口を開いてくる。
「俺、せっかく良い事を言ったと思うんだけどなぁ」
「うん、それは分かってるよ。だから、ありがと。タイチさん」
ニヤニヤしながら近付いて、タイチさんを見上げていく。
そんなアタシの様子に、タイチさんは微笑から微笑みを見せていった。そしてキャップ越しに頭をポンポンと叩いてくると、その行動で空気の流れが変わったのだろう、タイチさんは先ほどにも交わした会話の続きとなるその部分を、アタシに訊ね掛けてきた。
「それで、さっきの話をもう少し詳しく教えてほしいんだ。その、ユノさんという人物について」
「うん。でも、アタシもあの人のこと全然知らないから、大した情報じゃないかもしれないけど」
「いいや、十分さ。さっきまでは探すアテも無くて途方に暮れていたもんだから、こうして情報が舞い込んできた時点でも有益さ」
「おっけ、じゃあアタシがユノさんと出会ったところから話していくね」
そう言って、アタシはタイチさんに、ユノさんと出会ったこれまでのことを話していった。
一通り話し終えるなり、タイチさんは手をアゴに当てて深く考え込んでいく。
……そんな、なんか思うところでもあったのかな。アタシはタイチさんを待っていると、考えが整理できたのだろうそのタイミングで、タイチさんはアタシを見遣ってくる。
「『クロベ湖』、って……ヒイロちゃん、それを見たのかい?」
え? そっち? アタシは少し呆然としてから、両腕を大きく振りながらのジェスチャーで答えていく。
「うん。ユノさんが言ってた。オオチョウ山の雪山地帯に、こう、深い青色の湖がこーんくらい大きく広がっていて、で、こーんくらいの湖の、ここら辺の位置に、祠っぽいのがあって。で、ユノさんは、あの中に何かいると思う? なんて聞いてきて。最初アタシ、寒さで頭やられちゃったのかななんて思ってた――」
「クロベ湖』なんて、初耳だ」
「え?」
アタシは、目を真ん丸にした。
「タイチさんでも知らないの?」
「あぁ。それも、オオチョウ山の雪山地帯にそんな湖があるなんて話を聞いたことがないし、実際に俺は修行として、あの連峰を彷徨ったことがある。吹雪が激しくまともに歩けたもんじゃない環境のはずだが、どうやらヒイロちゃんが訪れたタイミングは奇跡的に吹き荒れていなかったということになるだろう。そんなこと、あの一帯であり得るのか? 猛吹雪によって年中立ち入り禁止区域となっているはずなのに。しかも、その一帯、野生ポケモンは普通に生息しているはずだ。特に、ユキカブリとユキノオー。それらが見られないとなると、それだけでも異常事態であることは確かだ。……あと、彼女の言葉が気になる。ヒイロちゃんがその湖の第一発見者になるくらいの、地図を塗り替えるほどの前代未聞の大発見——」
……??? タイチさんのそれについていけないアタシは、思考停止していた。
そして、思考に入り浸ってしまったタイチさん。なにやらブツブツと言いながら自分の世界に入っているため、変に話しかけ辛くてこの場を持て余してしまった。
観光しよ。それも、今はアタシとタイチさんと、下の階に警備員が数名いるだけというがら空きのショウホン城の内部。こんなにもすっからかんなお城の中なんて、関係者でも無ければ見られないでしょ。思わぬ形で出くわした観光スポットの独占に、なんだか気分が良くなってきたアタシはルンルンと歩き回っていく。
床のギシギシという音も、建城当時から張り巡らされている技エネルギーによって抜ける心配が無いことから、むしろ楽しく思えてきた。敢えてちょっと強く踏み付けてみたりと、アタシは暇を持て余した空間で落ち着かない。
と、吹き抜けとなっている窓を見つけた。四角いそれからは外の景色が見えており、ここから覗くのも面白そうだなと思ってアタシはそれに手をかけていく。
ラルトスも、身を乗り出して興味津々な様子だった。やっぱり気になるよね。こう、出先かなんかで四角い窓があったら、思わずそこから覗きたくなる。久しぶりの好奇心にアタシはそこから顔を出して景色を眺めていくのだが、この時にも鼻から伝ってきた謎の“それ”によって、アタシは景色どころではなかった。
「……なんか、イイ匂い」
すごく、甘くて美味しい香りがする。すんすんと嗅いでいくと、やはり勘違いでもなんでもなく、お城の風貌にはとても似つかわしくない、お菓子のような甘い匂いがするのだ。
四角い窓から覗くそこから、周囲を見遣って確認していく。
……いや、特になにもない。これは何なんだろう。それを思ってアタシはふと、下へと向いた――
――眩し
「ぎゃッ!!!!」
頭上の窓に頭をぶつけたアタシ。大きな音を立てたそれにタイチさんが我に返ると共に、アタシは何かしらによる攻撃を受けて吹き飛んでいたことを理解する。
ラルトスを手放してしまったこの状態。放り出されたラルトスがアタシへと駆け寄ろうとするのだが、その小さな身体を覆う……いや、ラルトスを覆い切れないほどのさらに小さな身体が窓から進入してくると、“それ”は頭を押さえているアタシめがけて飛んできたのだ。
“それ”は小さな身体をしておりながら、この形はなんとも形容し難い。強いて言えば、浮遊感のある液体とも呼べるものだが、“それ”の名前も知らないアタシは、驚きのあまりに立ち上がって“それ”から逃げ出し、そして、“それ”も逃げるアタシへとしつこく追撃をかましてきたのだ――――