「ラルトス、いる? もしいるのなら、姿を見せてほしいの」
両側に建物の壁が並ぶ、奥へと続いた閉鎖的な小道の空間。昼間の時間帯という明るさでありながらも、どこか不穏なその奥行きに向かってアタシは声を反響させていく。
こちらの声に対して、物音どころか気配も何一つ感じさせない。普段であれば、ビビリのアタシはこの時点で帰りたくなるものだったが……今回ばかりは、アタシの気持ちがそれを許さなかった。
腕に抱えた食品用のカゴ。上には、匂いが漏れないよう布をしっかりと被せてある。先日の対策をばっちり整えて、今回こそはあの時のヘマをしないと意気込んで挑んでいた。何をやってもダメなアタシだって、学んではいるんだから。
……とは言っても、一向に変化の無い光景にアタシは次第と不安も抱えるようになってきた。今も薄暗い小道の奥行きと向かい合っていることから、そろそろアタシのビビリが頂点に達し始めて、卒倒してしまいそう。
いやいや、大丈夫。でも、もしこれで違うポケモンが来てしまったら、アタシはどうすればいいんだろう。しかもそれが、ゴーストタイプという人間にとって特に危険なポケモンだったとしたら……。逃げるとなったら、どこに逃げればいい? ゴーストタイプって言うくらいだから、陽の光で消滅したりしないのかな? というか、そもそもとしてゴーストタイプでいいんだっけ。昨日の図鑑にそんなタイプがあったような気がしなくもないけど――
ガタッ。脳内で様々な言葉が渦巻いていたところで、前方から何かが倒れる音が聞こえてきた。これを聞いてアタシはギョッとし、全身の筋肉が収縮する感覚を覚えながらそちらの方へと見遣っていく。
壁に掛けられていた木の板が、倒れている。そこには人も、ポケモンもいない。これは超常現象といっても過言ではなく、あからさまに人智を超えた理解の及ばない不可思議な力のせい…………。
「……いや、知ってる、から。アタシは、これを、知ってる、から」
ビビリで顎がガクガクのアタシ。抑え切れない恐怖心で今にも倒れてしまいそうになるが、今回で二回目ともなるその現象を前に、必死になって気力を保ち続けていく。
そして、視線を下へと向けていった。足元で何かが蠢いている。今回は匂いの対策をしてきているから、恐らくネズミポケモン……コラッタの心配はない――
人の子のような形をした、白色と緑色の小さな生き物。頭部に生えたハートのような赤いツノを持つその見た目は、ここ数日で二度、そして今朝、ポケモン図鑑でも見た親しみのある特徴。
「……やっほ、ラルトス。その、アタシのこと、覚えてる……かな?」
声を掛けてみた。すると、アタシの声に反応したのか、ラルトスは見上げるように頭を動かして、人の髪のような緑色の頭部をサラサラと流し、その間から血のような紅の瞳を向けてきたのだ。
うおぉ……。さすがにちょっと怖い……。
内心でビビリ散らすアタシ。しかも、ラルトスは相手の感情が分かるポケモン。だからきっと、アタシがビビリまくっていることなんてラルトスにはお見通しなんだろう。
だからこそ、不思議で仕方がなかった。ラルトスは本来、人前には滅多に姿を現さない貴重なポケモン。それも、前向きな気持ちをキャッチすることでその対象へと近付いてくるという、アタシとは正反対の人間に好感を抱く生態の持ち主だ。
それなのに、このラルトスときたら、ビビリでダメ人間な、ネガティブな感情を体現したかのようなアタシに自ら寄ってくる。この時点で不思議極まりない事態なのだが、そうして決めつけるのもまた、常識的なことを常識的に行える正常な人間だからこそ抱く感想であると、アタシは勝手に思っていた。
アタシには、ラルトスの気持ちがよく分かっていた。だからなのか、ポケモンという種族は、人間という種族と共存することができるのかもしれない。
アタシは、ラルトスに思い切って訊ねてみることにした。……この数日、アタシがラルトスから感じ取ってきた、二人に共通するとあることを――
「その……あなたもさ、周りと、違うんだよね」
ドックン。心臓から脳みその頂点に伝ってきた、一瞬ながらの鼓動。
――ラルトスの感情が、アタシの中に伝わってきた……? 感覚のみで感じ取った直感ではあるものの、この受け取り方はあながち間違いではないようにも思えてくる。
「分かるよ、ラルトス。だって、アタシも、周りと違うから。あなたにこんな話をするのもアレなんだけどさ……アタシさ、ポケモンって生き物が苦手なんだよね。でも、周りはそのことを理解してくれないの。ううん、違うな。理解してくれないんじゃなくて、アタシがおかしいだけなの。みんなは、ポケモンのことが大好き。だから、ポケモンは味方、イイ奴、正義! って考えなんだけど、アタシはその逆の考えを持ってた。だからね、アタシ、周りから変なヤツって思われてて、時には嫌がらせとか、イジメとか受けたりしてたんだよね」
ドックン。ドックン。体内に伝ってくる鼓動が、より一層と大きく、広がるようにアタシの中を巡っていく。
……やっぱり、そうだった。アタシが薄々と感じていたことは、ラルトスにとっても同じことだった。
「ねえラルトス。あなたもさ、アタシと同じでしょ」
…………。その小さな身体で、紅の瞳をじっと向けてくる存在はアタシと見つめ合う。
直にも、ラルトスはアタシの脚にくっ付いてきたのだ。それを受けて、アタシも屈んだ姿勢で腕に抱えていたカゴを見せながらそれを言う。
「良かったらさ、一緒に美味しい物を食べようよ。周りとは違うもの同士……いや、同じ考えを持っていて、お互いになんとか頑張っている者、同志、としてさ。あなたのために、アタシ、ポケモンが大好きな味付けのお菓子を作ってみたんだよ。ポフィンってやつなんだけどさ。これ、あなたも食べてみない?」
そう言って、アタシはカゴの布を取り除いてみせた。中からは、カゴいっぱいに詰め込まれた、ラグビーボールのような形をした一口サイズのケーキっぽいお菓子が現れる。
その光景に、ラルトスは思わずアタシそっちのけでカゴの中身を覗いてきた。その紅の瞳を輝かせて、視線は釘付け。
……あれ、なんだなんだ。ポケモンって、意外と可愛いぞ……?
と、その時にもラルトスは光を放ち始めた。頭部のツノから発せられるそれをアタシが認識した頃には、この意識は遥か地平線の彼方へとぶっ飛んでいく感覚。そして……。
開けた視界。あの閉鎖的な小道の空間が嘘のように、緑の芝生と青空が広がる自然の高台へと移っていた。
「ここで食べる? いいじゃん。ラルトス、あなた、チョー分かってる。いいセンスしてる。まるでピクニックだ!」
今までアタシは、特技は何かと問われたら職場で鍛え上げられた愛想笑いですと真っ先に答える自信があった。
けれど、今こうして口元が緩んでいるのは、決して意識して行っているものではない。とても自然な気持ちから、とても自然と表れたアタシの笑みだった。
こんなに清々しく笑うことができたのは、何時振りだろうか。今も寄り添ってはアタシの身体を頑張って上ってくるラルトスを膝に乗せ、抱えたカゴの中から二人でポフィンを取り出して一緒に食べていく。
目の前には、つい数分前まで佇んでいたジョウダシティの光景。発展した活気あふれるその町並みをラルトスと眺めながら、アタシはポケモンという毛嫌いしていた存在との共存に、初めて希望を見出すことができた気がした――――