人の手によって拓かれた空間。高原と呼ぶには背の高い樹林が占める、森林のような広大な一帯。
キソシティにある、『ヒラキタ高原』に訪れたアタシ達は、ジムチャレンジのために目指している『オウロウビレッジ』へと続く道のりとして、雄大な平地の中を歩いていた。
切り開くように伐採された、人やポケモンが通るための開けた空間。キソシティと繋ぐ道であるそれをユノさんと共に歩いていくと、次第にもどんどんと開けてくる広場には、数少ないながらもどうぐや食べ物を売っている屋台であったり、簡易的な宿泊施設なんかもあって、『オウロウビレッジ』へと向かう旅人の備えとなるような、充実とした施設が見受けられる。
キソシティほどの活気があるとは言いにくいが、ここにはアタシのような、その場にそぐわない若いポケモントレーナーが多いような気がした。きっと、ここにいるみんなも『オウロウビレッジ』を目指すために、このヒラキタ高原に設けられた施設を利用しているのだろう。
そして、ポケモントレーナーが集うような場所には必ずと言っていいほど用意されていた、ポケモンバトル用のバトルコート。そこでは多くのトレーナー達がパートナーを戦わせており、『オウロウビレッジ』という試練の地に備えて、万全の準備と共に自分らの肩を慣らしているようにも見えた。
……今まで訪れてきた所と比べて、異質な空気が漂うこの空間。きっと、『オウロウビレッジ』という場所を目指す多くのトレーナー達が抱える緊張や不安が、ここに充満して重々しく感じられるのかもしれない。
アタシとユノさんは駐輪場に自転車を置き、少しの休憩を取ることにした。自転車のカゴに入っていたラルトスを抱えてからアタシはユノさんと別行動となってヒラキタ高原の中を歩き、適当にほっつき歩いて散策をしてみる。
すると、バトルコートとはまた異なる、ポケモントレーナーのためのキャンプ場に辿り着いた。どうやらこのキャンプ場、野営を好むアクティブなポケモントレーナーやポケモン達のための場所であるらしく、持参したテントで過ごすことで、より一層とこの自然を体感することができるという、インドア派なアタシにとってはとても考えられないような、活力が滾るような人達の集い場となっていたようだ。
そこでもやはりポケモンバトルが行われたりしていたが、バトルコートで行うような正々堂々の戦いというよりは、軽い運動程度の遊戯としてわざをぶつけ合ったりとした、同じようにキャンプを行う者同士が仲良くやっている、和気藹々とした雰囲気がよく伝わってきたものだ。
こういうところもあるんだ。なんて思いながら、アタシはなぜか逃げるようにキャンプ場を後にした。それからユノさんと合流しようと思ってヒラキタ高原を歩いていると、目についた先では、ジムチャレンジを行うチャレンジャー達に意気込みを訊ね掛けていくインタビュアーとカメラを発見する。
それだけ、『オウロウビレッジ』という場所は、シナノ地方において屈指の過酷な土地とされている。それでいて、今からそこに臨むというチャレンジャーに意気込みを訊ね掛けていくテレビの者達としても、そんな苦労の絶えない『オウロウビレッジ』に挑むチャレンジャー特集なんてもので番組を組んだりするものだから、こうして『オウロウビレッジ』の周辺に滞在することで常にネタ集めを行っているのだ。
……テレビ、映りたくないな。アタシはラルトスを抱える腕に力が入りながらも、気配を殺すようにそそくさとこの場を離れていく。
で、離れることに意識を向けていたからなのか、アタシはいつの間にか、全く人がいないような見知らぬ高原に来てしまっていたのだ。
拓かれた広場を囲うように広がっていた樹林を掻き分けて、道とは言えないような雑木林で形成された木々の一帯を抜けていくアタシ。
そうして少し開けた場所に出てくると、そこで待ち構えていたのは険しい崖と流れる川。――そして、こちらの往く道を遮るように広がったこの光景には、次にもアタシが目的としていた山脈が、その姿をこの視界に悠々と現してくるのだ。
『オンタケ山』。空を泳ぐ大雲に紛れるよう頂上を隠した雄大なる山脈は、鬱蒼とした表面と、人間を近寄らせないような自然の加護を思わせるオーラを放ってアタシの視界に存在していた。それは連峰とまではいかない山でありながらも、シナノ地方を見守る守護神の如き圧倒的な佇まいはまるで、その奥にある『オウロウビレッジ』という秘境を隠しているようにも見えてくる。
本能的に、あの山に近付いてはならないと訴え掛けてくる存在感。こうして視界に入れているだけでも祟りや災いが降りかかってくるのではないかと思い始めてしまい、アタシは背筋に走る寒気にラルトスを強く抱きしめて、それへと対峙していく。
……アタシは、あの山を越えなければならない。大丈夫。だって、ジムチャレンジっていうこの地方の伝統が、あの山の向こう側へ行くことを許してくれているのだから。
自分に言い聞かせるように思い込み、オンタケ山をまじまじと見遣り続けていった。
――待っていなさいよ。絶対に、アタシはこの試練にも打ち勝ってみせるんだから。次にも抱いた強気な気持ち。きっと、今までの旅路が目の前の試練にも挫けない精神の強さを鍛えてくれたのかもしれない。
きっと、これまでの軟な自分であったのなら、あの雄大な姿を一目で見てジムチャレンジを諦めていたかもしれない。でも……。
……今ではむしろ、立ちはだかる障壁に対して、やってやろうじゃないのって思えてくる。
「ラルトス。……ううん、サイホーンとマホミルもそう。アタシ達は明日、あの山の向こう側を目指すんだよ。その道のりはきっと、今までの中でも特に過酷で大変な環境かもしれない。でも、なぜかね。あなた達と一緒なら、どんなに辛くて苦しい道のりでも、自然と耐えられそうな気がする。それくらいね、アタシは、あなた達のことを心強く思っているの」
無意識に、それらを口にしてしまっていた。
自分が声に出しているなんて気付かず、アタシはすごく恥ずかしいことを平気に言ってのけた。これを聞いていたラルトスは角をピカピカと光らせ始めていて、アタシの言葉に応えるようにしていたものだ。
……今も、アタシのすぐ目の前で流れていく真下の川。崖にもなっているこれはおそらく、この先はオンタケ山だぞという自然がつくり出した警告なのかもしれないとも思えてくる。
それでも、やってやるぞ。というか、そういう試練のような環境を乗り越えてこそのジムチャレンジだぞという、昔から続く伝統のそんなセリフさえも聞こえてくるような気もした――
「可憐な立ち姿でありながらも、その胸に宿した、未来を渇望する気高き魂。純粋無垢に輝くその眼差しは果たして、陰ることなくその未来を捉え続けることができるかな?」
……?
え、なに? 後ろから聞こえてきた、爽やかでありながらも独特な喋り方をする男性の声。若々しくも捉えどころがない不思議な魅力が詰まった声音に誘われるまま、アタシは振り向いてその正体を確認する。
被っている若葉色の中折れハットを、左手で押さえながらこちらを見遣る一人の男。着用している服装も、若葉色のファンシースーツと茶色の革靴という派手な外見である彼は、琥珀っぽいオレンジ色のショートヘアーと、琥珀色の瞳を向けた端正な顔立ちでアタシのことを眺めていた。
「驚かせたかな? いや、こんなところにいたいけな女の子を一人にしておくのも忍びないと思って、声を掛けさせてもらったんだけどね。それもどうやら、余計なお節介だったようだ」
「あ、いや……。お節介なんかじゃないよ。そりゃ、急に声を掛けられてビックリはしたけど、心配してくれて声を掛けてくれたんだもんね。ありがと、知らないお兄さん」
こちらのお礼に対し、彼はニヤりと笑みを浮かべながら一礼してくる。
正直言って、イケメンすぎて逆に怪しいパターンなタイプの男性だった。帽子で若干と隠していた目元からは、アタシのことを卑しく見ているのだろう視線がひしひしと伝わってきていて、ちょっと気味が悪い。ド派手な服装に包んだ本性も得体が知れなくて、余計に捉えどころの無い印象を与えてくる彼ではあったけれども、掛けられた声音や彼からの言葉からは不思議と心地の良い何かを感じられて、つい、信用してしまいそうになる。
言ってしまえば、魔性の男とでも言えるだろうか。言動や表情は明らかに不純な動機であることが確実とさえ思えてしまう中でも、そんな怪しさ全開な要素から感じ取れるキケンな魅惑が、彼に一目惚れしてしまう要因ともなるのかもしれない。
実際に、顔立ちはすごく良くて、アタシとしてもどストライクだ。何ならいっそ、お持ち帰りされてもいいくらいに許せてしまえる部分があったのだが、如何せん、出会った場所がロマンスに欠けるから……。
「心配してくれてありがと、お兄さん。じゃ、アタシはこれで――」
「一人で大丈夫かい? ヒラキタ高原のレジャー施設の場所は分かるかい? 来た道が分かるのであればそれでいいのだけど、ボクは心配性でね。可憐に佇んでいたキミの背中を見たものだから、ボクはキミが、無事に戻れるかが少し心配なんだ」
そう言いながら、彼はさり気無くアタシの下へと歩み寄っていた。
そして、帽子を押さえていた手をこちらへ差し伸べてくる。……怪しさ全開でありながらも、甘美な声音と絵に描いたような端正な顔立ちでいざなうかのように――
「……じゃあ、レジャー施設まで連れてって。でも、二人きりだからって、アタシを変な場所に連れ込まないでよ? いざとなったらアタシ、ちゃんと逃げる手段だってあるんだから」
「信用はしてくれていないみたいだけど、ボクの心配性に付き合ってくれてありがとう、お嬢さん。これでボクも心置きなく、レジャー施設に戻れるというものさ。――さ、崖があったりして足元は危ない。ボクの手を取って。ボクはこの辺りの土地勘があるから、お嬢さんを絶対に、安全な場所までエスコートしてあげられる」
「ん、ありがと……」
ラルトスを抱えながら彼の手を取って、アタシはものすごく丁重で優しい扱いをされながらヒラキタ高原の宿屋まで戻ってきた。
……なんか、アタシが思っていた以上に本気でこちらの身を案じていたようで、その道中の雑木林では、「枝が足に刺さって怪我をしたら大変だ」とか言って、木の枝も落ちていないような場所をわざわざ選びながら、アタシの歩調にしっかりと合わせた案内できちんと最後までエスコートしてくれたその男性。
あれ、実はただ単純にすごく良い紳士なだけだったのでは? 怪しいと思っていた自分自身を恥じるくらいにまで終始丁重に扱ってくれたその男性にお礼を言うアタシ。そんなこちらのお礼に、彼は美しいフォームで華麗なお辞儀を披露していく。
「お礼だなんて、そんな。麗しきお嬢さんからお褒めの言葉をいただけるなんて、光栄の限りだよ。無論、ボクとしても、キミを無事に送り届けることができて本当に良かったと心から思っているものさ」
「へー、こんなにも絵に描いたような紳士がこの世にいるだなんて、世界って広いね。ありがと、紳士さん」
そう言って、今度はアタシから手を差し伸べていった。
「ヒイロ。アタシの名前は、ヒイロっていうの。で、こっちはアタシの相棒のラルトス。アタシ達はジムチャレンジの真っ只中で、ポケモントレーナーとしてはまだまだ新米の中の新米だけれど、これからもっと頑張ってジムバッジ全部集める予定なんだ」
「へえ! ヒイロというのか! ――ふむ、なるほど。ヒイロか。確かに、健気さをうかがわせながらもその身に秘めた溢れんばかりの活力を思わせる、お嬢さんにとてもお似合いな、麗しくも可憐な響きの良い名前だ! お嬢さんのことは、ちゃん付けで呼んだ方がきっと似合うな。では、よろしく、ヒイロちゃん」
「うんうん。よろしく」
こちらの出した手に、彼もまた握手をするべく手を差し出していく。
……と、そう言えばと思って、アタシはそれを訊ね掛けた。
「良かったら、お兄さんの名前も教えてくれない?」
「ボクのかい?」
ちょっと意外そうにした彼。怪しいと思っていたその目つきを若干と見開き、アタシのことを常に視界の中央へと捉えていくのだ。
「そ、お兄さんの名前。良かったらでいいから教えてよ。麗しくも可憐な響きのヒイロちゃんにさ」
「くっ、ははは! 面白いねヒイロちゃん。イイネ。ますます気に入ったよ!」
なんだ、笑うと普通にイケメンでカッコいいじゃん。内心でそんなことを思いながら、アタシは彼が続けてくるセリフに耳を傾けていく。
「じゃあ、ボクの名前も名乗るとしようか。ヒイロちゃんにだけ名乗らせて、ボクは名前を伝えもしないだなんて不公平ったらありゃしない。――ボクの名前はね、“ア・ランヴェール”っていうんだ。ちょっと言いにくいかもだけど、アラン、とでも呼んでくれればいい」
「ふーん。ランヴェールさんでもイイかんじすると思うけど」
「呼び方は、ヒイロちゃんに任せるよ。ボクとしては、ヒイロちゃんという無垢の化身とも呼べる、繭のように可愛らしいお嬢さんから名前を呼んでもらえるというだけでも至高の喜びを感じるくらいだからね」
「おおげさだなー。じゃ、ランヴェールさんで。はい、よろしくランヴェールさん」
「うんうん。こちらこそ、よろしくねヒイロちゃん」
握手を交わし、アタシはランヴェールさんと仲良しになった。
何だかんだで、とてもイイ人だった。アタシは良い巡り会いをしたなと思いながらもユノさんと合流するべく彼と別れを告げ、ラルトスを抱えてアタシは、ユノさん探しでヒラキタ高原の中を駆けていったものだ。
……視界からアタシが消えた頃にも、ランヴェールさんは左手で中折れハットを押さえながら、向けていた視線を他へと遣っていく。
――そして彼は、帽子から鋭利な目つきを覗かせた。……爽やかながらも独特で魅了するその声音からは想像がつかないほどの、ドスを利かせたように低くした、獣のようなうなる声で呟きながら……。
「ボクとしたことが、寄り道をしてしまったな。一刻も早く“マサクル団”と合流をしなければならないというのに。――それにしても、ヒイロちゃんか。くっふふふ……」