死を悟った水中で、唯一と覚えていた断片的なその記憶。
湖の激流に呑まれて回転するアタシに“それ”が近付いてくると、水玉模様の真ん丸なそれはアタシを引っ張りながら、上手く水流に乗って泳いでいくのだ。
これを最後にして、アタシの意識は薄れていった。
……口元にくっ付いてきた水泡のようなものが、アタシに酸素を供給する役割を果たしてくれる感覚を覚えながら――
水気を帯びた芝生の上。清らかな水が、草地を潤す目の前の光景。
目を覚ましたアタシは、びしょびしょとなった衣類をまといながら、見知らぬ地でひとり起き上がっていった。
ここは、どこ……?
キノコのような形をした木の群生地。色合いも森林そのもので、まるでアタシは小人にでもなったかのようだ。
水が流れている鮮やかな草地。アタシが倒れている間にもそれはどこからともなく流れてきては、斜面も無い平坦なこの場所を、何かを目指すようにサラサラと緑の地を通っていく。
手をつくと、芝生のように浮き沈みする感触が伝わってきた。……確かにここは、いつも何気無く踏み歩いている芝生そのものだ。でも――明らかに、何かが違う。
どこかへとやってしまったブーツを履いていない、靴下の状態。それも水を吸っていてとても気持ち悪いハズなのに、靴下のみならず、この水を吸った衣類からは、あの湿っているものを着用したときの不快な感覚を一切と感じられない。
……むしろ、着ていてすごく気持ち良い。このままずっと服を湿らせていたいくらいに今着ているびしょびしょの服が気持ちよく感じられて、まるで水の加護に包まれているかのようだ。
そんな草地を通る水は、アタシと対する方向から流れ出てきていた。周囲を見渡してもキノコのような豊かな木々が詰められるように生えているだけであり、一切と隙間も見えないそれらを潜り抜けて通るだなんて、とてもできそうになさそうだった。
一方で、水が流れてくる方向には、不自然に切り開かれた道が続いていた。ここから奥へと目を凝らして眺めてみても、そこには永遠に深緑の木々が続く景色しかうかがえない、途方の無い無限を思わせる、不思議な道。
……行くしか、ないか。自分があの激流からどうして助かっているのか自体が疑問であったものだけど、奇跡的に生きているこの状況であるからこそ、行動するべきだ。
決心するように歩き出すアタシ。正直、命の危機に瀕して心身ともにものすごい疲労が圧し掛かってきていたものだったが、それでも進むしかないと思ったアタシは、水が流れてくる深緑の森の中へと、いざなわれるかのように入っていく――
薄暗くて、不気味な森だ。陽の光が薄れてきた緑の中、キノコのような形をした木々がより一層と生い茂り、アタシは暗闇に包まれてきた自身の状況に不安を覚え始めていく。
あの時、アタシはラルトスを置いてきてしまった。それどころかバッグもスマートフォンも置いてきてしまっていたため、今のアタシは完全な手ぶら状態という、非常食も持たない完全なサバイバルモード。
……それらの要素も相まって、アタシは胸がすごく苦しくなってきた。何なら、今すぐにも大声をあげて泣きたいくらい。声が枯れるまで泣き続け、アタシがボロボロと零していった大粒の涙たちを、この流れる水へと落とし続けていくその行為。
それこそ、虚無だった。この周辺には生き物の気配さえも感じられない、ここは完全な孤立を思わせる不思議な空間。泣きたくて泣きたくて仕方が無いけれど、そうして足を止めていては、一日でも長く生き延びるための食糧にもありつけない。
しばらくと歩き進めていく深緑の道。陽の光が出てきては、それが遮られてを繰り返す、無限回路。
ずっと同じ景色を見ている気がする。途中では十字となった分かれ道なんかも目の前に現れたのだが、それを適当に進んでいっては、またしても同じ十字路に辿り着いて、アタシは頭をかしげながら参ってしまう。
どうするかな……。諦観を越えた何かの感情で、無に近いものを抱えながら違う道を選んでみるアタシ。そうして進んでみると、またしても同じ十字路が目の前に現れるのだ。
「迷路じゃんここ……。あーあ、せっかく生きてるっていうのに、やっぱアタシは孤独を感じながら死んでいく運命なんだ」
何もかもがバカらしくなったアタシは、その場で縮こまるようにうずくまった。
水が流れていても気にせずお尻をつけていき、両足をたたむようにして、それを両腕で抱えるようにして、丸くなる。……それを十字路のど真ん中で行い、アタシは走馬灯のように湧いてくる脳裏の言葉たちを、意味も無く流し続けていくのだ。
ラルトス、アタシがいなくても生きていけるのかな。サイホーンとマホミルは、きっとアタシのバッグを見つけてくれた誰かに解放してもらえると思うし、あの二匹ならきっと、アタシがいなくても生きていけるから心配はいらないかも。パパは、一人娘を失ったという傷が一生付き纏うのかな。死んだあと、アタシはどんな顔をしてパパの前に行けばいいんだろう。
ユノさんとランヴェールさんも心配しているかもしれない。あの二人なら、こんなアタシでさえも見つけてしまいそうなくらいの信頼はあるものだけども、さすがに見込めないか。せめて、生きている内にユノさんにポケモン勝負で勝ってみたかったな。
どうぐも、半端に集めたり見てきただけで終わっちゃったな。だったら、ひかりのねんどを買っておけば良かったかな。最後の散財として、ひかりのねんどを愛でてから死にたかった……。
……バッグにずっと入れてあったお守り。コタニの山で遭難した時にもアタシの傍に在り続けてくれた、ラルトスがとても気に入っていためざめいしも、今はアタシの手元には無い。
「…………ぅぅ」
孤独だ。今のアタシには、何もかもが無い。虚無だ。
四つの方向に分かれる十字路は、まるでアタシの未来を指し示しているようだ。薄暗く、わずかに陽の光が入る、無駄に期待を抱かせてくるような今のアタシの立場。このド真ん中にいるアタシは、どの方向を進めばここから脱することができる道を辿ることができるのだろうか。
顔を、腕に埋めていく。涙も小粒のものが溢れてきて、それを、声を殺して流していくのだ。
何も無い。アタシには、何も無い。全てが無くなった。やれるだけのことはやってきたハズなのに、その結果が、現状なんだ。
何も感じられなくなった。降りかかる現実にすべてが嫌になって、今では身体に伝わってくる痛覚くらいにしか、反応することができない。
冷たい。冷える。寂しい。悲しい。お腹も空いてきた空腹感がアタシをより縮こませ、もう、この場から一歩も動けないと、行動する気力も振り絞れずに十字路の真ん中で静かに死を待つのだ――
――ぶぶぶ、ぶぶぶ。
背後の風切り音。覚えのあるシチュエーションにも反応する気になれず、アタシはそんなものなど知らないとうずくまり続ける。
ぶぶぶ、ぶぶぶ。その音が、アタシの前まで来た。
一体何なんだ。アタシを捕食しに来たか。最期にその面を拝んでやるとアタシは顔を上げると、そこで目が合った三つの顔……。
ハチの巣に顔や羽、触覚や下腹部がついた、とても奇抜な見た目をしたそのポケモン。三つの顔を引っ提げたそれは、左の顔はアタシのことをキラキラとした目で見遣り、右の顔はアタシのことをどうでもよさそうにする表情、下の顔は、泣いているアタシに怯えながらも様子をうかがうような、それぞれが異なる表情を見せていく、なんとも不思議な光景。
それぞれに、意思があるのかな。そう思ってアタシは眺めていると、ふと、下の顔のおでこら辺に、赤色の逆三角形のようなマークっぽいものがついていることに気が付く。
……なんか、面白いポケモンだな。少しだけ元気になれたアタシは「ふふ……」と力無く笑ってみせると、そんなこちらの反応に、そのポケモンは上下に揺れながら飛んでいってしまった。
「え、あ……。待って」
背を向けて、十字路の一つの道を飛んでいくそのポケモン。アタシは孤独感から、目についたそれへと急いで駆け出していくと、アタシはそのポケモンを追いかけるように、慌てた足取りで道を辿っていったものだ。
またしても同じような十字路に到達すると、そのポケモンは向きを変え、異なる道を進みだす。アタシもそれに従って走っていくと、またしても辿り着いた十字路の変わらぬ光景。
それも、そのポケモンは向きを変えてどんどん進んでいくのだ。時折こちらへ振り返って何かを確認している様子を見せていたそのポケモン。速度もアタシが追い付ける程度にはゆっくりとしたものであって、意外と鈍足なのかなと思い始めていく。
そして、またまた同じ十字路に到達すると、そのポケモンはくるりと振り返り、アタシを通り越して来た道を戻っていったのだ。
それに対して「え、戻るの?」と訊ね掛けながらも、こちらを向いてから再び道を進んでいくそのポケモンについていくよう、アタシも進んでいく。
……流れる水が、次第と強くなってきている? 靴下から感じ取れる感覚にアタシは足元を見ると、それは明らかに増水していることに気が付く。
足の裏に匹敵するかしないかの薄い水の流れだったのに、今見るとアタシのくるぶし辺りまで満たしてきていた水の量。それなのに足は全く重く感じられなくて、こうして目で確認するまで増水していることに気が付けなかったことに、アタシは思わず困惑してしまうばかり。
その間にも、あのむしポケモンはどんどんと前へ前へと進んでいく。アタシは遠のいていくそれに焦りを感じながらも慌てて駆け出して、水を蹴り出す飛沫をあげながら、アタシは段々と開けてきた深緑の光景に、目を疑うような景色を目の当たりにすることとなったのだ。
石の段差が、アタシを心地の良い水流から離していく。たった数段でありながらも、足の裏で自然の生きる力強さをひしひしと感じ取れたアタシがそのまま進んでいくと、そこには森林に拓かれた小さな空間と、木漏れ日を浴びる木造の一軒家が建っていた。