「あの、ヒイロさんですよね? 私、昨日の試合をスタジアムで見てました! とてもすごかったです! 良かったら握手をしてください!」
……え?
ジムチャレンジの運営が出入りする、チャレンジャーの休憩スペースである役所のカフェ。そこでラルトスを抱えて、パイルのみジュースを飲みながら雑誌を読んでいたアタシは、ふと掛けられたその言葉に唖然としながら振り向いていく。
アタシよりも年下に見える、いたいけな少女。キマワリというポケモンを連れて、絶賛ジムチャレンジ中ですというポケモントレーナーの素質を思わせていたものだが……。
「アタシ? ……え、アタシでいいの?」
「もちろんです! あの、私ハクバビレッジのジムバトルも中継で観ていました!! サイホーンだけでレミトリ様を倒したの、最高でした!! そこでヒイロさんが気になり出して、ショウホンシティのジムバトルも、ジムチャレンジの公式ホームページで、過去の試合が観られるっていう中継の録画で、最後まで観ました!! あの試合も、ヒイロさんのマホミルとサイホーンがすごかったです!! そして今回は、あのサイホーンが進化して、大逆転……!!! 私、ヒイロさんにこうして会えるのをずっと楽しみにしてたんです……!!!」
「わ、分かった分かった!! なんかすごく恥ずかしくなってきたから、握手しよ! ね?」
「わー! ありがとうございますー!!」
テレビに映るって、こういうことなんだなぁ。
そんなことを思いながら、アタシは少女と握手を交わしていった。それから少女はスマートフォンを取り出して「写真も一緒に撮ってくれますか……?」と上目遣いで頼んできたものだったから、アタシは断れない雰囲気に流されて「いいよー」と返して、ラルトスも含めたツーショットで少女を満足させていく。
なるほど、タイチさんが変装する気持ちが少し分かったかも。
同時に、見ている人はホントに見ているんだなー……という世界の広さや世間の狭さなんかを実感して、アタシはお礼をしながら駆け出していく少女へと手を振って見送っていく。
オウロウビレッジジムでの激闘から、一日が経過していた。あの後にも、アタシらの勝利をスタンディングオベーションで讃えてくれた観客席へとアタシは慣れないお辞儀をしていき、ニュアージュさんからも「完敗でございましたー」とおっとり言われながらジムバッジを手渡される。
それからというもの、アタシがジムから出てくると、スタジアムで試合を見ていたという五名ほどの男女の団体が、アタシを出迎えて「イイ試合だったよー!!」と声を掛けてくれたのだ。それに対してもアタシは「あ、ありがとうございます……」と面食らった調子で言いながら、そこで少しばかり話し込んでいく。
どうやら昨日のスケジュール、みんなが注目している推しのチャレンジャーが、同じ日にちの、午前の部に集中していたとのこと。それで、あんなに人が多かったんだなーと思いながらも、そんな人達が期待を胸に見守る空間の中で、午前の部のトップバッターを務めたというアタシの境遇に、今となって緊張してしまえたものだった……。
で、いざ勝利という形で終わってみると、真っ先とアタシに飛び付いてきたのは、クルミ君だった。
『ヒイローーーーー!!!! どうしてジムに挑むってこと、オレに教えてくれなかったんだよーーーーー!!! ヒイロがジムにチャレンジするって知ってたら、オレもグレンもカナタも応援しに行ってたのにさーーーーー!!!』
『おいクルミ! 疲れているだろうヒイロを揺するな!! 首の動くオモチャみてェになってんぞ!!』
オウロウビレッジの中で、クルミ君にガンガン揺すられるアタシ。ジムチャレンジで全ての気力と体力を使い切ったアタシが、なるがままに任せていくその様子を心配したグレン君がクルミ君を引き離していく。
激しい闘争の後だというのに、すごく平穏な時間を過ごした気がする。クルミ君はそれからにもアタシをお祝いするために食べに行こう!! なんて言い出して、グレン君が疲れ切ったアタシをなんとか支えつつも、無言でそこにいたカナタさんも含めた四人でその日はオウロウビレッジを堪能していった。
で、今に至る。
ラルトスがポフィンをもぐもぐとしていく中、アタシはスマートフォンを取り出して画面を確認する。
……ユノさんから、『おめでとう、ヒイロちゃん。よく頑張ったね』のメッセージが届いていた。
昨日、ジムチャレンジの後から姿を消したユノさんとランヴェールさん。ジムに挑むまでの期間中にもアタシの特訓に付き合ってくれた、アダルティなそのお二方。こうしてニュアージュさんに勝利することができたのも、あの二人がいたからこそ。だから、この報告は口頭で伝えたかったものなんだけど……。
「ユノさんもランヴェールさんもマサクル団を追っているみたいだし、そっちが忙しいのかな」
なんか、寂しいな。アタシはラルトスの頭を撫でながらそんなことを呟いて、どこでもない場所を眺めていく。
それにしても、アタシだけが仲間外れにされている感が拭えないのもまた事実。……まぁ、そりゃあ二人にも都合というものがあるんだろうし、ああして魅惑的な色気を放つ大人二人が同時に姿を消すだなんていったら、ねぇ……? アタシだって、思春期だもん。そんなことを考えちゃっても、別に変じゃないよね。
――とか何とか考えて気持ちを紛らわそうとするのだが、それでもアタシの寂しい気持ちは収まることが無かった。
ユノさん、ランヴェールさん。二人は今、どこにいるんだろう……。
「おかえり、ヴァルキリー。キミがお手洗いで席を外している間に、ボクがお会計を済ませておいたからね」
中折れハットに右手を添えながら、対面する席に腰を落ち着ける淑女へとその言葉を掛ける男。
どこかの地域の、とあるお洒落なレストラン。煌びやかな照明と飾り付けに、周囲にはカップルである男女の二人組が、自分達だけの時間を楽しんでいく光景が展開されている。
それらと同じくして、二人で訪れていた会食の場。白色のポニーテールを揺らす彼女もまた、複雑な顔をしながらも「それは、まぁ、ありがと……」という素直になれない様を見せていくことで、男は女性に見惚れるような視線を向けていく。
「どうだい? それなりの期間、ボクの見張りとして追い掛け回してみた感想は? ボクの行動から、キミは何か得られたかい? ――まぁ尤も、こうして行く先々でボクに親切とされてしまうものだから、キミとしてもそろそろ、ボクの見張りに後ろめたさを感じてきたんじゃないのかな?」
「そ、それは無いわ! 絶対に、無い! いくら私という敵対する存在にどれほどの敬意を払おうとも、それで貴方達が行ってきた行為が許されるだなんて思わないで! ……貴方がルイナーズじゃなければ、素直に素敵な紳士だと思えたのに」
「フフッ、心は既にボクを許しているようではあるね」
「勘違いしないで。その悪戯な目も、むしろ恨めしいくらいなんだから。――こうして嫌々と貴方に付き合っているのも、貴方が不審な行動を起こさないようにするため。あと、ヒイロちゃんに手出しをさせないためなんだから」
「へぇ、キミはそんなに、ヒイロちゃんのことが気になるのかい?」
「それは……。ッ——」
不覚をとった。
女性は、背筋に渡った悪寒に表情を強張らせる。
そして男は、闇よりもドス黒い何かを瞳に宿らせながら女を凝視して、それを口にしてくるのだ。
「フフッ、参考にさせてもらうよ。――キミはどうやら、何か勘違いをしていたようだ。あぁ確かに、ボクはヒイロちゃんと行動を共にしてからというもの、キミにずっと監視をされ続けていた。だが、果たしてそれはどうだろう。キミは、ボクが何かしでかさないようずっと見張ってくれていたものだけど、同時にして、ボクもまたキミのことを、ずっと見ていた、とでも考えるべきじゃないのかな?」
「……貴方の本当の目的は、それだったのね……!!」
「そう。――いやもちろん、可憐で儚き姫君のヒイロちゃんを精いっぱい手助けしたいという想いもあったさ。ボクは、ありとあらゆる女性のことを、心の底から敬意を払いながら愛し尽くしている。でもね、その気持ちとはまた別にして、ボクがこうしてヒイロちゃんと行動を共にした本当の理由というものはね。くっ、ふふふ……。ユノ・エクレール、キミの監視を任されていたからさ」
段々と俯いていく女性。その視線の先にあったカップの中のコーヒーに、波紋が渡っていく。
「キミが自ら監視を買って出てくれた時は、ボクはものすごく助けられたものさ。だって、女性を陰から尾行しろだなんてそんな、女性を心底から怖がらせるような真似は絶対にしたくなかったからね。だから、どうしようかと悩んでいたものだったけど、まさかキミから監視の対象を申し出てくれるだなんて、あぁ、ボクは本当に幸運だった。……女性からの熱烈なアプローチに、ボクは常に心が躍っていた。そしてこれからも、ボクはキミに監視され続けたいとも望んでいる。そうすれば、ボクから言い迫ることなく、ユノという、“彼”をも魅了した稲妻の申し子と共に過ごせる時間が増えるというものだからね」
「ふざけないで……っ!!! 貴方は、私の動向や目的を、間近でうかがって……そんな……っ」
「悲しまないでくれヴァルキリー。ボクは何も、キミを悲痛のどん底に陥れようだなんて微塵にも思っていない。胸の内で涙する悲愴の念に囚われし淑女も好みではあるけど、それに魅了されるのであれば、ボクはそんな彼女の再起を渇望する。何か、追加で食べたいものはあるかい? ボクの財布が許すかぎりにキミの心と腹を満たしてあげよう」
「貴方も、“彼”みたいに最低な人間よ……! 結局は自分のことしか考えていないクセに! どうせ滅びゆく世界の中を散々とこねくり回して混乱させて、私はそんな悪趣味に何度も何度も付き合わされて無様な思いをさせられ続ける……!! 貴方達には本当に、人の心ってものが無いのね。――ルイナーズとか名乗って、世界規模の強大な力を持つ立派な組織をつくり上げたというのに、それに属する当の本人達は、自分勝手なワガママを貫き通すだけの、本能だけで生きて周りに迷惑だけを掛けていく自己中心人間だけの集まりなんだから。そんな連中に殺されてきた、数えきれないほどの命のこともきっと考えたことなんてないんでしょうね!!?」
「…………」
寛容な目から一転とした、女性を敵対視するかのような鋭利な目つきとなる男。
「ボクは、人間もポケモンも、誰一人として殺したことなんてない」
「いいえ、殺してるわ!! まずルイナーズに属している時点で、貴方も同罪であることを理解するべきよ! 貴方にも自分勝手な都合があるんでしょうけど、それで自分だけはのうのうと助かって、今は女性やポケモンが大好きだなんだ言って偽善を振り撒いて生きている。そんなの、貴方達の行いで死んでいった全ての命に対する冒涜よ!!」
「ボクは本当に、人間の女性も、ポケモンのことも愛している」
「貴方は、自分自身に嘘をついて生きているわ。だから、それを生きる目的として自分の存在意義を肯定し続けているんでしょうけど、結局は貴方、“彼”に殺されたくないだけなんじゃない? だから、私みたいに“彼”のお気に入りとなって、ついでにルイナーズのメンバーに加わることで、自分だけ滅びゆく運命から免れて。“彼”の暴走を止めるという手段に出ないどころか、命乞いをして“彼”に頭を下げて仲間にしてもらうだなんて、本当にゲスが極まってるとしか言いようがないわ」
「……ボクの気持ちを理解してくれとは言わないが、キミはどうやら、推測を真実として思い込む悪い思考回路を持っているようだ」
「それでも結構よ!! 私はもう、貴方達に振り回され続けて、私の人格も、私の人生も、私の家族も、私の故郷も。私の大切なもの全てを貴方達に壊されて壊されて壊され続けて踏みにじられたものだから、そんなひねくれた思考でしか物事を考えられなくなっているんですからねっ!!!」
感情の昂りによって荒げた声。彼女のそれが店内に響くことで、周囲の皆が二人へと向いていく。
……向けられた視線によるものか、はたまた、彼女の言葉に思い当たる節があるのか。中折れハットを深く被った男は暫しと無言を貫くと、次にも開いた口からは、そのセリフが飛び出してくるのだ。
「…………ボクの任務は終わった。この時を以て、キミの監視は切り上げるとするよ。ヒイロちゃんには申し訳ないものだが、ボクは一足先にキミ達の旅から外れることにする」
「ヒイロちゃんには私の方から説明しておくから、貴方はさっさと“彼”のところに戻って泣きついていなさい。そして、何とでも報告すればいいわ。“彼”が大切にしているあの女に散々なことを言われて、ひどく腹が立ったとかね!!」
色白の凛々しい表情を歪ませた、憎悪を宿した彼女の顔。それに見送られるように男は立ち上がると、店の出口へと向かって歩き出していく。
……と、数歩と歩いたところでピタッと足を止めると、その時にも彼は振り向くことなく、女性へとそれを話し始めたのだ。
「――少なくとも、キミ達と過ごした日々は、ボクにとってかけがえのない宝物となった。……いや、本当に楽しかったな。ヴァルキリーとプリンセスの二人と共にした、短くも濃厚だったこの日々に、ボクは心から感謝をしている。だからこそ、ボクはその感謝の気持ちとして、キミにあるヒントを残したいと思っているんだ」
男の背を見遣り続ける女性。彼女からの鋭いそれが突き刺さる感覚を男は覚えながらも、中折れハットを手にやったまま言葉を続けていく。
「“以前の場所”で、『ミュウツー』を捕縛した。現在はマサクル団の基地に捕らえられていて、“どこにでもいる”例の研究員が、ミュウツーをダークポケモンへと仕上げるべく洗脳を続けている最中だ」
「……それ、私に教えてもいい情報なの?」
「構わないさ。それだけ、ボクはキミ達に感謝をしているという意思表明でもあるのだからね。――尤も、ミュウツーに関する情報であれば別に、キミに晒してしまっても何ら問題はない。なぜなら……そのミュウツーの洗脳を解くことができる唯一のトリガー。あらゆるポケモンと友好を結ぶことができる、天真爛漫な心を持つ真っ直ぐな少年を、キミは“以前の、そのまた以前の場所”で見つけることができなかった。だから、キミはミュウツーの洗脳を解くことができず、“其処”は滅びてしまったと。くっふふふ……」
「……なめないでちょうだい。“此処”で絶対に、貴方達を止めてみせるから」
「ボクとしても、キミにはまだまだ奮闘してもらいたくて、こうして情報を与えているようなものでもあるからね。何故かって、キミがルイナーズを食い止めようと活動を続けるかぎり、ボクはまたこうして、凛々しくも切なき美しさをまとうキミと再会できるというものだからさ。――じゃあ、ボクはこの辺で失礼するよ。ダークポケモンと化したミュウツーを食い止めるトリガー、今度こそ見つかるといいね。フフフッ……」
顔だけを女性へと向けて、その視線を投げ掛けていく男。
……中折れハットから覗く、肩越しの妖しい瞳。その奥に秘めし、彼の思惑がまるで読み取れない不気味なそれを見ると、女性は不快極まりないという目を向けて、店の出口へと向かう彼の背を見送った――