バグのかけらをひたすら集めるクリームランド在住のデバッガー 作:けっぺん
遥か古代に想いを馳せて 【本】
『向上心があるのか、物好きなのか。どっちなんですか?』
若干その声色に呆れを滲ませながら、グレース嬢は問い掛けてきた。
この数日、私がやっていたことを伝えてみての、第一声がそれである。
それを言われても仕方のないことなのではあるが。何せ私は
「両方、だと思うな」
『自覚があるようで何よりです』
時刻は二十三時。私は自宅で作業用のパソコンに向かいながら、グレース嬢と会話をしていた。
――小惑星の接近という危機を乗り越えたあの日の翌日、私はクリームランドに帰国した。
その前にグレース嬢とライカ少年とは連絡先を交換していたのだが、通話をしたのは今日が初めてだ。
向こうから連絡を寄越してきて、何事かと思えばその内容は近況報告という名の愚痴である。
まあ、出るわ出るわ、ライカ少年への文句。本人を是非とも通話に参加させたかった。
それが一通り終わってから、では貴女はここ最近どうしているんですかと聞かれ、答えた結果が先のリアクションである。
『凄い行動力ですね。僕は少なくとも、何の成果もないと思っているところには行きたいとは思いませんよ』
「それは確かに。今回は多少なり、着想を得たいという気持ちもあったんだ。……気温が高かったし、一日で帰ってきたが」
『行動力に体力が付いていっていない例ですね』
その通り過ぎて何も言えない。プライド様にもこの予定を伝えた時、『また突拍子もなくエールが変なことを……』って呟かれたぞ。
ただ、リフレッシュという気持ちもあったのだ。
ここ最近、私が闇の力への対処に根を詰め過ぎていたという自覚はある。
私がやっていることを、誰に伝えている訳でもないが、睡眠時間を削っていることは案の定プライド様に看破され、息抜きをした方が良いと言われたのだ。
であれば、ついでに前々から気になっていたとあるものを見に行こうというのは自然な結論である。
『しかし、また珍しいところを選びましたね。碌に文献なんて残ってませんよ、あそこ』
「ああ。現地民も多くのことは知らないようだった」
『でしょうね。まだ僕たちが理解するには早すぎるんですよ、あそこは。技術体系が違い過ぎるんです』
――確かに知られていることは少ないが、その内容自体は彼女も把握しているらしい。
結構意外だな。彼女が目を向けているのは星の外であって、この星の過去にはあまり興味がないという印象だったのだが。
「キミ、この手の話は興味があるのかい?」
『趣味です。専門はアトランピアですが、そちらも少々』
そういえば、フットボムの観戦が好きとか何とか言っていたな。きっかけはこうした――旧時代への興味だったりしたのだろうか。
アトランピア文明……今から三千年ほど前、現在のアメロッパ沖に存在していた文明だ。
今の技術を超えるほどの超文明と言えば真っ先に名前が挙がる、ネットワーク社会を遥か昔に築いていたされる古代文明である。
滅亡の要因として有力とされているのが戦争で使われた電脳兵器が社会を維持できないほどにネットワークを破壊してしまったというもの。
既にこの文明があった大部分は海の底であり、幾つかの島を残すのみであるが、研究の結果信仰していた神などいくつかの情報は判明している。
「アトランピアか。なんでまた?」
『参考にすべきところは多いですよ。家の宿題を片付けるために、ロストテクノロジーのカンニングは重要なんです』
「宿題?」
また、軍属である彼女からは出てくるイメージのない単語が飛び出した。
『ちょっとしたプログラムを作れって宿題です。どんな怪物の暴走をも止められるくらいの』
「恐らくそれはちょっとした、ではないぞ」
『難儀なものですね』
グレース嬢の言葉はまるで他人事のようだったが、なるほど……興味はあるな。
どんな怪物でも止められるプログラムか。そんなものが作られれば、ネット犯罪も大幅に減るだろう。
「平和な世の中には間違いなく必要だよ。そのプログラムは」
『……まあ、悪事が減るなら頑張らないととは思いますね。デューオがいつかもう一度この星に来るって考えると』
いつかデューオが戻ってきたとしたら、彼はその時のこの星の悪というものをもう一度裁定する。
その事実はグレース嬢を多少なり奮起させる要因とはなったらしい。
特にそれは軍とは関係なく、だからこそ先程聞かされた愚痴に含まれていたライカ少年の強い説教があったのだろうが。
『ともかく。ヴァグリースさんがやろうとしていることは知りませんが、程々に、とは言っておきますよ。手段を選ばないとしっぺ返しが来ますからね』
「経験則かい?」
『軍に入る前ですけど、過去の文明の産物を中途半端に模倣しようとして暴走させた挙句、パソコン一つを台無しにしてライカくんに拳骨を貰ったことがあります』
「……ライカ少年は或いはその時世界を救ったんじゃないか?」
『かもしれませんね』
……否定してほしかったんだがな。世界の危機になるようなものじゃないって。
恐怖の情報処理部隊。その隊長は薄々思っていたが危険人物だったらしい。
その後、またそこそこ長く続いたライカ少年関連の愚痴。そこから得られた情報は、その一件が、彼がグレース嬢に手を上げないと決めたきっかけであるらしいことだけだった。
結局通話を切ったのはさらに三十分後。
ずっと作業をしながらではあったが――少なからず、気晴らしにはなったか。
……技術体系が違い過ぎる、か。
そちらの技術をこの世界が再び手に入れる日は果たして来るのだろうか。グレース嬢は要するに、これは参考にならないと言っているのだ。
「……」
チラ、と居候一同のディスプレイに目を向ける。
ジャンクマンとアイリスは既にスリープ状態に入っている。
レヴィアはまた、気付いたらいなかった。戻ってくるのはどうせ日が変わってからだ。
――例えばこの家にいる三人が悪の心に蝕まれた時。今の私に助ける手段はない。
闇の力に真っ向から立ち向かう力がいる。ナビの力ではなく、私自身がそれを出来る力を。
昔関わった材料は手に入れた。あとは、これをどうするか。
応用範囲は広い。ゆえにこそ私は着想を得るためにあんな場所にまで赴いたのだ。
――誰かにとっては、参考にならないのだとしても、私にとってはそうではないかもしれない。
得たものは確かにある。痕跡は確かに残っていたようで、その場所に近付くと電子機器が誤作動を起こすため、持ち込み自体が推奨されていないが――幸運にも持ち帰れたものがある。
殆どは意味の分からないジャンクデータだ。だが――それを修復すれば見出せるものは、確かにあったのだ。
作る必要がある。
対ダークソウルに特化した、三つ目の外装を。
エールハーフやエールオールでは駄目なのだ。これでは他者に根付いた闇を、本人ごと排除することしか出来ない。
ダークチップの影響を完全に払えるほどの力――それこそが、私にとっての当面の優先課題。
「……」
時間の猶予はない。バグのかけらだって、無限に用意できる訳ではない。
当面は心配しなくても良い量はある。
だが、複数の用途に少なくない数を使っている以上、油断すれば底をつく危険性だってある。
ウイルスの飼育。無害ウイルスだけではない。
その他の、普通に使用するためのものだってこれを食べることで強くなるのだ。
なくて通常のスペック未満になることはないが、あれば性能の向上が見込める以上これに手を抜くつもりはない。
ウイルスだって私にとっては大きな力なのだ。
外装の作成。これにだって、一つ一つにそれなりの量を使う。
今は新たな外装を作ろうとしている最中だ。その分も含めれば、此方も相当数の消費が予想できる。
そして――もう一つ。
元々何のために私がバグのかけらを集め始めたかといえば、このために他ならない。
私が私であるために、今は必要ないものを、今あるべき形に維持しておくため。
今、私に求められているのはあれではなく。今の私だ。こうして生きるエール・ヴァグリースこそを、あの人は望んだ。
クリームランドの上層部と、あとはあの人の一部の知人。それが私の全てを知っている者。
そして彼らは既にあれを必要とはしていない。だからこそ、私が持っているものは
ゆえに私はあれをあくまで材料の一つとして考える。今の私こそ、私の全てとして――ダークチップという己が蒔いた災いに立ち向かう。
――それが答えだ、リーガル。
きっとあの時、私に真実を教えたのは、彼がずっと抱いていた野望に向けて本格的に歩み出す前の訣別のため。
かつて持っていたリーガルへの連絡先は既に繋がらない。彼との連絡手段を私は失っていた。
もしかするとこれ以上関わるなと――暗に示しているのかもしれない。
だが、駄目だ。その悪の片棒を担った以上、それをどうにかせずにいられる私ではない。
ネビュラは私が戦うべき……戦わなければならない存在へと変わったのだ。
「……」
また、プライド様は怒るだろうか。
私に何があったかを、プライド様は聞かなかった。だから私は、それを伝えられていない。
だがANSAやオフィシャルを通してリーガルが――私の施術を担っていた男がネビュラの首領であることは伝わっている筈だ。
その上で私に何も聞いてこないというのは、ある程度、私の様子に感付いているからだろうか。
ネビュラには関わらないと、プライド様にいつか宣言した。
それを、寧ろ積極的に関わりにいくことになったと告げれば、きっとプライド様は止めてくる。
――言いたくない。
私が生み出した惨禍を。ゆえにこその私の決意を。プライド様に伝えたくない。
それをすれば、今度こそ――今度こそ、プライド様は失望する。
友人が離れていくこと。今までは曖昧にしか想像出来なかったそれが、今では明確にイメージすることが出来た。
嫌だ。ここまで私を支えてくれたその繋がりが失われるなど私は許容できない。
これでは駄目だというのに。私が自分なりの力で、プライド様を支えられれば良いと――一方通行で構わないと、その筈だったのに。
「っ……」
それを考えたくなくて、キーボードを叩く力が強くなった。
今は考えなくていい――ダークソウルを――それに溺れ沈んでいくナビ――意識するな――それを救う手段を、今作っているんだろうが。
あの日から思考に空白が生まれるたびに滲むように現れるようになった、闇でもがく無数のナビたち。
一日に幾度となく思い浮かべるそれは、一様に私という存在を糾弾しているようだった。
急ぐ。急ぐから、私にその光景を見せないでほしい。
きっと私が、そこから救い出す手段を作り出して見せるから。
――そんな夜を過ごした日の、一週間後だった。
ネビュラの大規模作戦が実行され、日本のインターネットの大半を彼らが占領するという大事件が発生したのは。
悲劇はそれだけに留まらなかった。
同時期にネビュラは科学省を襲撃。光氏を誘拐し、偶然見学に来ていた大山少年、桜井嬢、綾小路嬢からPETを強奪。
国一つを揺るがす大事件によって――ネビュラは世界に対して宣戦布告を行ったのである。
・アトランピア文明
外伝作品たるL.o.Nに登場するエグゼ世界の古代文明。モデルは古代ギリシャ。
現在のアメロッパ沖に、約三千年前に存在していた非常に高い技術力を持った文明。
ネットワーク技術のほか、環境を維持するためのシステムなど現代で完成された技術を既に有していたほか、数千年単位のコールドスリープも可能としていた。
最後はネットワーク戦争の果てに文明内のシステムの暴走、自然災害という形で滅亡した。
本作では外伝作品に相当する事件は扱わないため、名称のみの登場。数年前にシャーロでこの文明の電脳兵器『トロイの木馬』を模倣しようとした結果暴走しパソコン一つを犠牲に収束した小さな事件はあったらしいがそれだけである。
エールが目指す新たな力。そして、一つの関係の終わりによって生まれるもう一つの絆への依存。
だいぶ不安定な形で5編の始まりです。
今の状況に光氏の誘拐って弱り目に祟り目にも程がありますね。自重はしませんけど。