バグのかけらをひたすら集めるクリームランド在住のデバッガー 作:けっぺん
決して大きいとは言えない船で、二時間弱は揺られていただろうか。
海流渦巻くデモンズ海域のど真ん中、まるで海流を操作でもしているように落ち着いた一点に、小さな島があった。
植物なんて碌に見られない。かつては露出した岩肌を波が打ち付けるだけだっただろう、隆起した巨岩と言い換えられる寂しげな島。
その島の全体を改造して作り上げられた工場のような建物は正しく悪の本拠地と称するに相応しいものだ。
――悪趣味が過ぎるぞ。なんだって髑髏を模しているんだ。ストレートな物を作るにしても、もっとこう、表現の仕方があるだろうに。
専門ではないが、主観でそんな評価を下さざるを得ない不気味な悪の城を見上げながら、私たちは船を下りる。
島からは元が透明だったとすら信じられないほど悍ましい色をした排水が海に垂れ流されている。
目を覆いたくなる光景だな、これは。
「ここがWWWのアジト……」
「ぐずぐずしている暇はない。先に進むぞ。一分一秒を惜しめ。オレたちに残された時間はあと僅かだ」
まあ――確かに。WWWの本拠地で排水など気にしていては進めないか。
伊集院少年を先頭に、海岸を歩いていく。
最近はデンサンシティも冬らしくなってきて寒さが目立ってきたが、ここはさらに寒いな。
クリームランドの氷雪と共存する長い冬に慣れていても分かるくらい――そういえばプライド様が、もう向こうは真っ白だと言っていたな。
もう一年も終わる。この時期に冷えるのは日本も変わりないか。
「っと、そうだ。キミたちにこれを渡しておく」
その寒さでポケットに手を突っ込み、それで触れたケースで思い出す。
四人に一枚ずつのサブチップだ。
「なんだこれ?」
「この先、プラグインする機会があると思うが、いつプロトバグに遭遇するか分からない。もしも囲まれたり、袋小路に追い込まれたり――とにかく連中を即座にどうにかしたい時に使うといい。一度だけだが、周囲のプロトバグを一掃できる」
デバッグ能力は捨てているため、プロトバグ以外のバグには対応していないが――これは昨日切り出した断片から構築したバグの洗浄プログラムだ。
プロトバグはその場に留まらない。普通のウイルスのように行動し、手あたり次第にプログラムに取り付いて吸収を目論む。
ナビであろうと例外ではない。連中に囲まれれば、彼らのナビも危険だ。
WWWがプロトを解凍している以上、プロトバグをセキュリティに用いている可能性も十分にあり得る。恐らく無駄にはなるまい。
「そんなもの、昨日の今日で用意したのか」
「伊達に
私はまだ直接相対した訳ではないが、ここまで来てプロトバグの一つや二つで足を止めている時間の余裕はない。
必要な状況ならこれを次々使い捨ててでも、先に進まなければ。
船を停めた場所から島を半周するように回り込むと、岩肌に埋め込まれたような扉があった。
何だか、うらかわ旅館の仕掛けを思い出すな、これ。
ロックの掛かっていたその扉にPETを繋ぎ、手早く開錠を行う。
馬鹿に甘いセキュリティだな……このくらいは序の口ということか。
「デバッガーって言うよりハッカーやな」
「モノの弱みを見つけるのはどちらも得意ということだよ」
セキュリティの強度を知り、そして解除の手段を知ってこその職業だ。
正規の解除手段を保障し、絶対に実行されてはならない解除手段のパターンを把握し可能性を網羅する。
ただのロック一つしかない扉を開けるくらい、朝飯前でなければ。
扉の先は、寂しげな研究室。
壁に貼り付けられているようなモニタやコンソールの数々と、部屋の中心の椅子に集まったコード。
そして部屋の向こう側には扉が一つ。光少年が走り寄って開こうとしてみるも、扉はびくともしない。
……これは。
「すっごいコンピュータやの。科学省のやつより凄いんとちゃうか?」
「でもよ、何処にもプラグイン出来る場所がないぜ? 熱斗、そっちの扉開くか?」
「いや……一体、どうやってロックを解除するんだ?」
「部屋のモニタは全てこの椅子に接続されている……しかし、この椅子も見たところプラグインの端子がないな」
――気味が悪いな。こんなものを何故用意しているんだ。
私だからこそ言える立場だが、正気の沙汰ではないぞ。あの技術は。
「……この椅子から操作するんだよ。人の脳波を電脳世界に送ることで」
「エールさん……? ってことは、これ……」
「ああ。パルストランスミッションシステム。それも、私が使っているようなものじゃない、科学省が開発した本来のものだ」
オリジナルを目にするのは初めてだ。
殆ど外に出るようなこともなく、完成する前にひっそりと消えたようなシステムが、何故こんなところに……。
椅子に集まってくる四人に、決して座ることはないように警告する。
手動での起動にはなっているが、何かあれば大事だ。
「脳波を電脳世界に送るって、どういうことだ?」
「簡単に言えば、人の精神が電脳世界を歩き回れるようにするためのシステムだ。精神をデータに変換して、もう一人の自分として電脳世界に体を作る。昔、科学省で開発が進められていたが――」
「――あまりにも危険なため、中止された。当時の科学省にいたワイリーなら再現できてもおかしくない技術だ」
私の言葉を引き継いだ声は、今通ってきた扉の方から。
振り向いて四人の前に立てば、すぐに扉が開いて、声の主が入ってくる――
「お、おじさん!」
「やあ。久しぶりだね」
光少年の驚愕に、微笑みで返す、髭を蓄えた壮年の男性。
――いや、待て。まさか。
「……コサック氏?」
「私を知っているのか。君は――」
間違いない。写真越しで姿を見ただけだが、今よりもう少し若い彼を知っている。
「……もしかして、ヴァグリースの娘かい?」
「……如何にも。エール・ヴァグリースだ。貴方のことは、父からよく聞いていた」
「そうか――彼の。ということは……なるほど、彼とよく似ている」
「コサック……完全自立ナビ開発の第一人者の?」
「昔の話さ。今は何でもない、しがない技術者というだけだ」
伊集院少年も、名前は知っていたか。
ドクター・コサック。かつて科学省に海外から招かれた、世界最高峰の科学者。
プロトと同時期に完全自立ナビ開発を背負っていた、今のネットワーク社会を作り上げた生ける偉人。
そして――科学省時代の、父の恩師。
「さあ、どきたまえ。私がそこのロックを解除してこよう」
「危険だ。開発当時科学省にいた貴方なら知っているだろう、パルストランスミッションがどれだけの欠陥品なのか」
「無論。だが、私も用事があってここに来ているのでね。ここで危険性を議論している暇はないのだよ」
コサック氏は警告を承知の上だと頷いて、椅子に腰かける。
これで行えるパルストランスミッションは私が使っているものとは違い、最低限の戦闘に堪え得る外装を纏う訳ではない。
なんの防御もない精神データで電脳世界を歩き回るなど、これの危険性を知っていれば選択肢すら生まれないというのに――
「コサック氏――」
「問題ないよ。私に任せたまえ。では行くぞ――パルスイン」
おもむろにコサック氏は椅子の電源を入れると、その体から力が抜けていく。
頭上の機器へと脳波が送られ、ケーブルを介する間に精神データへと変換――。
大型モニタへと目を向ける。
部屋の電脳世界を映すそれに、データへと変換されたコサック氏が現れた。
……取得する脳波の域の関係か、服装も反映されるらしい。羨ましい。
『パルスイン完了。ただ今より、ロックの解除作業に入る』
「お、おっさん、本当に電脳世界に入りよった……」
「凄え……オレたちにも出来んのか?」
「……機会があってもやらない方が良いと言っておくよ。精神データが傷を負えば、現実で同じ傷を負うより遥かに厳しいことになる」
科学省で開発されていた頃のパルストランスミッションシステム――つまるところ、恐らくこの機器によるパルスインは、連続して脳波の変換と送信を繰り返すもの。
私が使っている、名前が同じだけの似て非なる技術は、パルスインの持続中は精神データを送りっぱなし。
前者は水道の蛇口を緩めたまま流し続ける、後者はバケツに水を溜めて蛇口を締め外に運び出す、というのが分かりやすい。
これらの違いによるそれぞれの危険性。
後者のそれは、たとえばパルスインの最中にパスが切断されたりすると、体に意識が戻ることがない。
前者の場合は精神データのダメージが接続中の体に逆流し、傷が体に反映される可能性がある。
体の危機を、パルスアウトするその瞬間まで分からないことも考えれば――半端に傷を受けることの危険性は前者が遥かに高い。
後者の私の技術は知らないだろうが、前者についてはコサック氏は熟知している筈だ。
恐らく、この転送を行ったことも初めてではないのだろう。
もしかすると開発時代、試験を行ったのかもしれない。
電脳世界でのロック解除という、現実世界での作業と差異が出る作業もそつなくこなせている。
『ロック解除――どうやらエレベーターのようだね。内部の電源も起動出来た。これで、上へと上がれる筈だ』
此方の声は向こうには届かないものの、モニタを通して私たちが見ていることは知っているようで、コサック氏は声に出して状況を報告する。
成果を証明するように、扉の向こうからは何かの駆動音が聞こえてきた。
危険ではあったが、これでこの場での作業は終わりだ。このままパルスアウトをすればいい。
ここで発生するのが、本来のパルストランスミッションによるもう一つのリスク。
通常のナビのプラグアウトのように、その場で体に戻ることが出来ないのだ。
私の外装のように、ナビの機能を偽装する術を用意していなければ、パルスインした場所に戻るしかない。
『む……!』
「え――?」
作業を終えたコサック氏が、パルスインによって降りてきた場所へと戻る最中。
突如として何かに感付いたように振り返る。
“何”を見つけたのか――その答えは、ゆらりと、圧倒的な存在感でもってモニタに現れた。
『無力な人間が電脳世界になど……命を捨てに来たか、コサック……』
『――フォルテ……!』
――沸き立つ震えを、爪を立てて、唇を噛んで抑える。
大丈夫。数歩進めば、パルスアウトが行える位置だ。
相手がフォルテとは言え、どうにか戻ることが叶う距離――。
「フォルテ! お、おじさんと知り合いなのか……?」
「……光少年は、昨日聞いているだろう? プロトの反乱の時、罪を押し付けられた自立ナビと、それを開発した科学者について」
「――! そ、それじゃあ――!」
そう、彼らもまた、プロトによって全てを破壊された者たち。
科学者はその事件が科学省を去ることになる遠因となり――ナビは絶望の中で生き延び、人間への憎悪を糧に力の究極を望むに至った。
『やはりここにいたか……何故、何故ワイリーなどに手を貸す!』
『老い耄れの計画になど興味はない。オレが求めるのは、貴様ら人間を滅ぼすための絶対的な力ただ一つ!』
フォルテはマントを振り払い、その胸を曝け出す。
ナビの証であるマークに斜めに刻まれた傷。
本来であれば修復できるものだ。だが、彼はそれを、あえて残している。
『見ろ。あの時、科学省のナビ精鋭部隊、その総攻撃の果てに負った傷だ』
『……っ』
『瀕死の傷を受け、薄れゆく意識の中でオレはこの傷に誓った……この憎悪を忘れぬこと、いずれ必ず、人間どもへの復讐を果たすことを!』
『その憎悪で……お前は生き延びたというのか』
『そうだ! お前がオレに組み込んだゲットアビリティプログラム――これが、オレが憎悪に生きることを許容した』
ゲットアビリティプログラム――フォルテの最強たらんとする覇気に、相応なる力を与える彼独自の力。
手にしたデータを己の中で半永久的に保存し、自在に出力できるプログラム。
フォルダがなくともチップを扱える。一人のナビしか持たない力を、それを取り込むことで手に入れる。
勝てば勝つほどに強くなる、それが、彼という絶対強者なのだ。
『想像もつくまい。迫るウイルスを倒し続ける日々。朽ち果てたナビの残骸を喰らい、元が何だったのかもしれぬジャンクデータを貪り、何日とかけて一つの傷を修復する。人間が定義するものなど生温い――あれこそが地獄だ。それを生き延び、オレは今の力を手に入れた』
『……全ては、人間への復讐のためか。お前は最早……人類の脅威となるほかないのだな』
――そのコサック氏の表情には、諦観と決意があった。
その姿に、つい最近にあった一つの別れを重ねた。
何をしようとしているのかを悟ってしまい、私は此方からパルスアウトを行おうとする。
「――なっ」
しかし、椅子のコンソールからの入力を受け付けない。
向こうが完全に制御権を握っている――此方が止めようとすることを、分かっていたかのように。
『ならば、せめて私がお前の開発者として、責任を取らせてもらう』
『責任だと? 人間風情に何が出来る』
『今の私は電脳世界にいる。データである存在ならば、こういうことも出来るのだ!』
いけない――データを自ら書き換えることによる過負荷――そんなことをすれば精神などという脆いもの、簡単に壊れる。
高まったエネルギーを精神データに溜め込むコサック氏を、冷たい目でフォルテは見下ろす。
止められない――椅子から引き離すか。後遺症が出る可能性は否めないが、そちらの方がまだ――
『愚かな……自爆程度でオレを倒そうなどと思い上がったものだ』
『それでも! ここで憎悪を終わらせることが、私がお前に出来る唯一のことだ! あの時お前を庇えなかった私の――!』
『下らん感傷だ――オレを憐れむな、人間!』
そうして――何も出来ないままに、無防備なコサック氏に、フォルテの力が叩き込まれる。
力の余波を受け、モニタの映像が消えた直後。
「ぐ、ぅぁああああああああああ――――ッ!」
「コサック氏!」
「お、おい、おっさん!」
苦悶の悲鳴を上げ、本体に意識が戻る。
だが無事な訳がない。精神データのダメージが一部逆流したのか、口から赤いものが零れ落ちる。
それだけで済んではいまい。精神の傷が戻ってきた時、どういう痛みとなるか、私はよく理解している。
「おじさん、しっかり! しっかりして!」
「呼吸を意識するんだ、痛みはじき治まる!」
「っ……くっ……わ、私は、フォルテに何を求めていたのか……世界初の、自動プログラムナビなどと、ただ自分の力を、誇示したかっただけなのかも――」
「喋るな! 余計に消耗する!」
がらがらと濁った呼吸。最早目も開かず、小さく痙攣する体が、全体で警報を鳴らしている。
今は喋っている余裕など一切ない。命の危機だ。
だというのに――コサック氏は口を動かし続ける。まるで、私たちの声が聞こえていないかのように。
「……頼む……フォルテを、デリート……過去に戻れる、ならば……人間のパートナーとして、フォルテを……」
彼の願望は、最後まで紡がれない。
顔を伏して動かなくなったその体に――嫌な寒気を覚える。
「おい、どうし――コサック博士!」
「触るな!」
体を揺さぶろうとして、伊集院少年の怒声に手が止まる。
落ち着いた様子の彼が首に触れ、幾らか状態を確かめ――小さく頷いた。
「まだ息がある。安全な場所へ連れて行こう」
「っ……」
「ならオレが! 皆は早く先に! すぐ追いつくぜ!」
コサック氏の容態を確認すると、大山少年が手早く彼を背負って部屋を出て行く。
背筋の寒さが全体に行き渡り、ようやく冷静になった時――事は全て、終わっていた。
「…………すまない。取り乱した」
駄目だ、これでは。私が彼らより動揺してどうする。
「無理はないけどな――次は勘弁や。もうあのおっさんの手助けは借りられへんってことやからな」
「分かっている。些か、色々なことが起こり過ぎた。先に進もう、すぐに冷静になる」
立ち止まってはいられない。フォルテという介入があったものの、道は開かれたのだ。
だが、フォルテを止めるためにこんな場所にまで来たコサック氏の覚悟は、理解しておかなければ。
この先きっと――いや、必ず彼とは再び相見えることとなる。
その時も、これまでと同じように震えていては話にならない。今度こそ、負けるようなことがあれば次はないのだ。
・コサック
3で登場する人物。
プロトの反乱当時、科学省に勤めていた科学者であり、当時トップクラスの技術を持っていた。
世界初の完全自立ナビ、つまりはフォルテの製作者。
反乱時、疑いを向けられていたフォルテの処分を最後まで反対していたが、その甲斐なく処分は執行され、その後は科学省を去った。
フォルテがシナリオに関わるのは3だけのためか以後のシリーズでの登場は無い。
コサック氏との邂逅。
そして本来のパルストランスミッションシステムと遭遇。
エールのそれとの違いも説明。どっちもどっちですが、何にせよ身を守れて戦う手段があっても電脳世界に突っ込むのは正気の沙汰じゃないと思います。
危険なので絶対に真似しないでください。