They
There cannot
学校のトイレの入り口に差し掛かって、その奥から聞こえたのは悪口だった。
「
そうかも。
壁に手をつきながら、うんうんと頷いた。
「この前だってそう!アタシだって沙条さんに気を利かせて何回も遊びに誘ってあげたのに、用事があるのでって毎回毎回。絶対うそでしょ」
「あっ!わたしも。去年だけど何回も呼んでるのにずーっと無視するの。で、目の前に出て呼びかけたらさ、「あ、わたし呼んでたんだ。ごめんなさい。気づかなくて」だって」
「なにそれー!感じわるぅー!!」
顔を伏せ、いたたまれない気持ちになってきた。
踵を返そうとしたところで、
「あっ、沙条さんどうしたのこんなところで立ち止まって」
黒いハンカチを手に持った
「あっ、こんにちは伊勢三くん」
「こんにちは沙条さん」
爽やかなその笑い顔は転校してからわずかな日数しか経っていないのに早くもクラスの中心人物になっている。
わたしとは大違いの、明るくて、いろんなものに興味とか関心とか向けて。冗談もウィットに富んでいる。
そんな伊勢三くんだけど、妙な悪癖がある。
「悩み事でもあるのかな。良ければ話、聞くよ?」
やけにわたしに絡んでくるのだ。
トイレに気を向けると、ザワザワとしていたのが嘘みたいに静まり返っていた。
(あーあ……)
面倒なことになるかも。
そう思いながら、伊勢三くんに目を向ける。
「なんでもないの。ちょっと立ちくらみがしちゃって。最近、貧血気味だったから」
「そうなんだ」
伊勢三くんは少しだけ困ったように、申し訳なさを含ませた苦笑いを浮かべた。
「心配してくれてありがとう。じゃあ先に教室行ってるからね」
逃げるように、教室へもどった。
どうせ同じ教室なんだから一緒に戻ればいいじゃないか。それもそうだけれど、いったい何を話そう。
(伊勢三くんに、トイレに入ろうとしたらわたしへの悪口が聞こえてきたから入れなかったのって言ってたらどうなったかな?)
例えば、そんな汚いことを考えてしまう。
ーー自己評価であるが、わたしの性格は、最悪だ。
業後。担任が教室を後にした瞬間に騒がしくなる生徒たち。
「ねえ映画見に行こうよ」
「映画ぁ?なんの」
「リング2!」
「あー。リングは怖かったけどさ~。らせんってやつとリング2ってのはどう違うのよ?」
「それはアタシも知らないんだけど……」
わたしの背後ではそんなやりとりが交わされていた。わたしは2人といつも昼ご飯を食べるのだけど、かといって、こういう遊びにわたしが誘われることはない。
(全部わたしが悪いんだけどね……)
初めは誘ってくれてはいたのだ。
「川嶋さん、嘉門さん。また明日」
2人に声をかけてから鞄を肩にかけて、出口へ向かおうとする。2人がバツの悪そうな顔をしている。
なんで2人が罪悪感感じてるのよ。わたしには勿体ないくらい、気持ちのいい人たちだ。
「あっ。よかったら今度映画の感想聞かせて?楽しんできてね」
そう言うべきか迷って結局言わなかった。嫌味とか、そういう変な意味合いに取られたくなかった。
教室を出ようとすると、遠くに伊勢三くんの観察するような視線を感じた。
振り向いて目が合った。
目が合ったときには見覚えのある伊勢三くんの笑顔が浮かんでいるだけで、大きくわたしに手を振ってくれた。
会釈で答えて、廊下に出る。
「つまんな~~い」
昇降口の靴箱の向こうから聞こえた。
どうしてか、わたしにかけられた声に聞こえてしまう。
「そんなこと自分で一番よくわかってるよ……」
薄暮の校庭。
体育会系の軍隊のように整然としたランニング。東棟の音楽室のあたりから流れてくる金管楽器の音色たち。それらがミックスして冬の色素の抜けたような夕暮れに溶けている。枯れ葉を巻き込んだ風がくるくると滞留していた。
校門をくぐって、目の前の談笑する二人組を追い抜くように早足で歩いた。
時折わからなくなる。
「そういう道を選ばなきゃって思うのはなんでだっけ……?」
いや、そんなこと。わたしが「沙条」綾香だからに決まってるじゃないか、なんて。
「冗談。沙条なんて関係ない。ただわたしの性格が暗くて臆病だからってだけなのにね」
6時。
目覚まし時計の鳴り響く音を、天井を見つめながら迎えた。外はまだ暗く、口からは白いモヤが吐き出される。
「寒……」
学校の制服に着替え、中庭に向かう。ガーデンはすぐそこだ。
ガーデンの作業台。
その上に立って無垢な瞳をわたしに向ける白鳩。
ため息を吐くと、心配してるみたいにわたしの顔を鳩がのぞき込んでくる。
「ううん。何でもないよ」
柔らかくなでてあげると気持ちよさげに首から力を抜いた……ように見えた。見えてしまった。
父はこういうわたしを何度も嗜めたはずだった。
わたしの勝手な思い込みだろう。
「ごめんね。今からお前の首を切ろうとしてるんだよ」
まただ。また話しかけちゃって。
鳩が懐いてくれるほどの慈しみが私の中にあるわけでもない。
沙条の家の意志を継いで魔術師足らんと努めるわけでもない。
(誰の期待に応えられない……)
すべて中途半端。ただ停滞しているだけ。
「変わらなくちゃ」
布で鳩の目の辺りを覆い尽くして、左手で胴を押さえつけた。
作業台に置かれた血の渇ききった鉈を本日三度目、手に取る。左手の中の鳩は大人しく、身じろぎしない。
自分の手の温度。自分の汗。自分の脈拍。左手から伝わってくるのはそれらばかり。
鉈を構える。
(……)
右手が次第に震えてきた。
鳩の様子を視界に収め続けるのには耐え切れず、少しだけ作業台の右手方向に目線を逸らすと、鏡、に映った「鉈を構え、口元を不細工に歪めた
「……!」
目をぎゅっと瞑って。鉈を大きく振り上げた。
『ダンッ』
鈍い音がガーデンに響き渡った。
羽根が浮き上がり、そして右へ左へ右へと舟を漕ぐように滑空し落下していく。
鳩の真横に突き立てられた鉈は、赤い汚れを撒き散らすことなく、静かに突き立っていた。
頭の拘束を外された呑気な鳩は、今はすでにわたしの肩を優しく足で掴んで、飛び立つわけでもなく白い翼をばたつかせて時折1本、2本程度の羽を落としている。
少しだけ首を横に傾けてみると、鏡には、鳩が飛んできた勢いでガーデンの石畳に尻餅をついてしまったわたしの姿。右肩に載っている鳩に覆われて顔は見えない。
頭だけ鳩に置き換わってしまった地面に這いつくばった不格好な
(なんて、無様……)
やっと立ち上がって肩から鳩をどけ、カッターを手に取る。
カチカチと刃を伸ばしてぎゅっと固定する。刃をわたしの腕の皮膚の日焼けしてない不健康な白に押し当てた。
すでに白い跡が何本か横についている。その跡と被らないところに、刃は少しずつ埋め込んでいく。皮膚は鋭い切っ先に耐えかね、その臨界点を越えたところで、赤い玉がぷっくりと浮かんでくる。
刃を横にスライドさせると、線にそってじわじわと滲み、つーっと赤い液体が漏れ出した。
もはや鍛錬を強制する師もいなければ、私自身にもモチベーションが消えかけている。それでも、やりなさいとかつて言われたことだけは何度もなぞり続けていた。
(いったい何のために?)
ううん。理由なんてきっとないんだろう。ただ、なんとなく、日課になってたから続けてるだけ。
ふーっと、大きく長い息を吐く。
「芽吹け、眠りし種子よ
深き土の記憶を辿り
根を裂き、蔦を這わせ
静かなる緑、影を纏い
形を結べ」
ーー
蔓が土より這い出でて、用意してあったぬいぐるみに絡みついた。
威力はあまりない。ぬいぐるみを引き裂き、押し潰すほどのパワーさえ持たない。
血を垂らす程度の対価ではこの程度。
絡みついてぐるぐるまきにするくらいの、
膝から座り込んだ。わたしの周りをうろついている白鳩をぎゅっと抱きかかえて、頭を柔く撫でた。
鳩はくるるるると喉を鳴らして目を細めている。口元の緊張が和らぐ。
この先の展望が見えなかった。空っぽの自分を満たすためだけの魔術修行。
もういない姉と比べては卑下する日々。師事する人もいない。
(わたしもきっと)
ガーデンの使い古された机に向かい、白木のチェアにふらふらと座り込んだ。さっきまで悪戦苦闘していた作業台を薄目に見つめる。
朝の光がガーデンを包んでいた。
天井の虚空を凝視し、それからこの無力な手のひらを穴が空くほどににらみ続けて、諦念をぎゅっと拳を握りしめた。
項垂れた背中。
カレンダーにバツした日付のその先に、わたしは果たして存在しているのだろうか?
「こんな毎日が続いていくだけなら、さっさとこの命……」
冒涜的な光景のイメージが突如として脳内に流れ込んでくる。
大切な誰かの死。
「あっ」
発汗と過呼吸。肩に手をかけられたような、間近で浴びた濃密な死の感覚。今はもう上手く思い出せない
(死ぬのもイヤだ。生きてるのもダメ。じゃあ、わたしどうすればいいんだろう)
才能なんてからっきし。そのくせ見栄っ張り。ダメな私。
それに比べると、
「綾香。魔術というのは再現性のあるもの。魔法というのは科学では再現できないものだ。我々は魔法にたどり着くために研究を行う」
「お父さんは研究者さんってこと?」
「そうだ。沙条に生まれたからには綾香も研究者になるということだ」
「かっこいい……。お姉ちゃんは?!」
「愛歌だってそうだ。これからお前たちは姉妹で切磋琢磨していくんだ」
「せっさたくまってなぁに?」
「お互いに励ましあって頑張るってことだ」
「うん!お姉ちゃんとがんばるね!」
魔術の習い立ての頃は目を輝かせていたっけ。お姉ちゃんが優秀だってことくらい、幼かったわたしでも気づいていた。
そんなお姉ちゃんと並びたって魔術を研究している将来の自分を想像したときには、自分もお姉ちゃんと同じくらいキラキラしているだなんて、根拠もなく信じてたっけ。
亡くなる前のお姉ちゃんは、今のわたしよりも年が2つも下だったっていうのに、「自分の身体みたい」というよりはそれ以上に色んな魔術を扱っていた。
あの頃のわたしは目を輝かせてお姉ちゃんすごい!!って憧れてた。
魔術を齧り出して、既にお姉ちゃんと隔絶とした技術的差があることを飲み込みつつあった。
埒外の存在。何をするにも完璧で、できないことがあるのなら誰か教えてほしいくらいの自慢の姉だった。
「どうして、わたしも死ななかったのかな?」
お姉ちゃんも、お父さんも死んだ。わたしよりもずっとずっと優れていたはずの2人が。
なんの力も持たない私はこうしてまだ生きてる。
机の上に腕を枕に顔を寝かせて、ぼんやりとそんなろくでもない思考に耽っていると、いつの間にかずれた眼鏡ごしにぼやけた像が映った。
(なんだろ?)
左手で眼鏡を直しながら、右手でその像の源に手を伸ばせば、手に持っていたのは、過日に机の上に置いてた木製の写真立てだった。
在りし日の家族の肖像。
厳格に顔を引き締め正面を見つめるお父さん。無表情気味で右下に少しだけ目を見やるお姉ちゃん。その後の悲劇のことも何も知らずに馬鹿みたいな笑顔を浮かべるわたし。
小難しいことなんてあの頃はまるで考えなかった。
身の回りには大好きな人たちと、大好きな人が残してくれた庭と、世界に対してふんだんに塗りたくられた未知。
世界はあまりにも大きくわからないことだらけなのに、手を伸ばせば届くくらいの私の側には「世界のすべて」が佇んでくれていた。
大きくなるにつれて未知は減って、その代わりに「世界のすべて」はどこかへ旅に出てしまってついぞ会わない。
ちっぽけな、わたし。
「お父さん、お姉ちゃん……もう8周忌だよ」
天国にいる2人はわたしを見守ってくれているだろうか。
再び移ろっていく意識の中で見覚えのある金色の糸束が優しく揺れたような気がした。
鈴の音のような綺麗な声が私を誘う。
その心地の良い音の旋律はどこかセピア色の過去を懐かしく彩るような響きを備えていた。
まだ家族という殻に守られていた頃に感じたものだった。
安心感から覚醒へと移行しつつあった意識は再び微睡みの中に戻り始めていた。
声の主もそんなわたしを察してか、鷲掴むような格好でわたしの肩を弱く震わせた。
「うーん。もうちょっと……」
いっそう揺すられる肩。
「もう、10分……」
とうとうそんな私の有り様に耐えかねてか、一喝が放たれる。
「こら!いい加減に起きなさい!遅刻しちゃうでしょ!」
「ひっ。ごめんなさい、起きます!」
半覚醒から覚醒状態への急激な状態遷移。さっきまで枕にしていた腕を解いて、両手をダンッと机に叩きつける勢いのまま立ち上がる。
目をぱちくりとさせて辺りを見回す。
(あれ。沙条の家に私以外の人がいるわけもないのに。誰に叱られたわけ?)
目の前には涎で濡れた机があるだけ。
凝り固まりかけた首をぐるぐる回しながら周囲の様子をも一度窺ったところで他人の気配はまるでない。
(でも、頭がいつもよりもちょっと重いかも?)
頭に左手を伸ばしてみると、もふもふとした感触が伝わってくる。この手触り。わしゃわしゃとそれを撫で付けてやると、身を捩らせたのか重心がぶれて、緩くたたらを踏んだ。
なるほど。物理的に重くなっていたわけだ。独り合点しつつ、右手も頭上に伸ばす。頭の上のそいつを鷲掴んで目の高さまで下ろす。
「くるっくー」
魔術の鍛錬用に出して籠にしまい忘れた白い鳩が無垢な瞳でこちらを見つめ返していた。
「夢かなぁ。まさか鳩が怒鳴ったわけじゃないだろうし……」
じとーーっとした目で見つめれば
「くっくーー」
と返してくる。鳩の鳴き声を人のそれと勘違いしちゃったのかな。
(少し懐かしい感じがしたんだけど。どうしてだろう?)
聞いたことのある気がするあの声。
記憶を照合しつつ首を捻っていると、けたたましくリンリンリン!!とタイマーの音が鳴り響いている。
「うわ、もしかして……」
時計を見れば、8時15分を指している。
(気づかなかったけどもうタイマーの音を2回も無視してる!)
「学校……間に合わない!」
慌てて鏡を見て汚れがないことをしっかりと確認。うがいを念入りにしはするものの、朝ご飯食べてる余裕なんてない!
(明日始まる戦争までのタイムリミットで頭がいっぱいだったのに、結局こうして学校の始業のタイムリミットの方で頭を抱える羽目になっちゃってる。ホントにバカだ……)
玄関のすりガラスから、淡い陽光が差している。学校指定のローファーに左足だけを滑り込ませる。
(いつも通りに過ごせるのかわからない明日が待ってるっていうのに、どうしていつもの平穏な日常、通勤通学の列の中に紛れ込もうなんて急がなくっちゃいけないの?)
右手に提げられた学生鞄の重みは麻痺してしまったみたい。わたしは固まってしまった。
8時25分少し前。
息が苦しかった。気の済むまで水を飲んで、胸に広がる砂漠が潤うまで、飲み続けていたかった。
上り框に腰を下ろして、波が引くのを待つ。目をぎゅっと瞑っていると、肩に重みが増えた。
「くるっくー」
私をのぞきこむ白い羽の持ち主は、嘴におそらく自分のものであろう羽をお守りがわりに持っていけばと言わんばかりに、ぐいぐいと私に押し付けてくる。
「……ありがと。優しいね、お前は」
ぴょんと肩から降りた白鳩は、私の隣に足を折りたたむようにして座り込んだ。少し気の抜けたおかげで、もう数分くらい深呼吸をしていたら壁に手を置けば立てそうなくらいには回復できた。
「……行ってきます!」
もはや余裕のない状況にも関わらず、自分以外の人間という意味では誰もいないはずの屋敷に律儀に出立を報告する自分をどこかくすぐったく感じる。
魔術師は合理性を求める在り方を自らに律すると言うけれど。その考えに則れば、魔術師の端くれとして、私は不適当なのかもしれない。
いってらっしゃいと誰かが言ってるかのように、優しく風が背中を押した。
学校に着いて、授業開始ぎりぎりでの入室。朝のホームルームはキャンセルしてしまったが、肝心の授業には間に合ったんだからつべこべ言わないでいただきたい。
そうは思うんだけど、やはり教師という職業柄なのかくどくど説教を受ける。
(億劫だ……)
孤独というわけではないけれど特別仲良い人がいるかというとそうでもない私が、教室というおよそ正方形の形で切り取られた空間に倣うように整然と座る同級生に見守られながら、先生からのありがたい講釈を黒板の壇上で拝聴する。
時間にしておよそ5分ほど。
くたくただ。帰りたい、切実に。
しかし先の一件で目をつけられたのか、今日はやたらと私を狙って教師は指名してくる。
「ぎりぎりで来るってことは余裕だってことだよな?」
それに付随して煽りを入れてくるもんだからむかむかする。ぎりぎりだけど間に合ったじゃない!!
内心はらわた煮え繰り返りそうになりながら、キーンコーンカーンコーンと終鈴が鳴ってほっと一息。地獄の1時間はようやく終わりを告げる。
「起立、気をつけ。ありがとうございました」
日直の掛け声に追従する形でクラスメイト全員でありがとうございましたと呼ぶ。当然私は口パクだ。椅子に座り込むと、重いため息をついて、やさぐれたように頬杖ついて窓枠で縁取られたカンバスに描かれた曇天模様を眺めていると、背後から声が聞こえた。
「あはは、沙条さん。災難だったね」
「あ、えと。伊勢三くん。……まぁ、ね。私が遅刻しちゃったのが悪いから」
「いつもはホームルームのぎりぎりには来てるのに、今日はどうしたの?何かあった?」
「あはは。大したことじゃないの。寝坊しただけで……」
寝癖が直し切れなくて耳のちょっと上のあたりがぴょこんと跳ねたままだったことを思い出して、顔を赤くしながら右手で押さえる。
「昨日は何か悩み事でもあったのかな?最近沙条さんの顔、ちょっと暗い感じがしてたから気になってたんだ。もし悩み事とかあったら教えてね。力になれると思うんだ」
心配そうな、気遣う表情で、伊勢三くんが私を見下ろす。初めて伊勢三くんの顔をこんなに近くでまじまじと見た。いっそ不気味さを感じるほどに整った顔立ちのように見えて、出所のわからない焦燥感に駆られる。
「最近色んなことを思い出しちゃって、」「色んなこと?」
「う、うん。もうすぐ父と姉の命日で……」
焦りとともに、言わなくても誤魔化せたはずのことが口からポロポロとこぼれてしまっている気がする。軌道修正しないと。
「それに2月だから!暗いと気分も落ち込んでくるって言うしね」
他人に聞かせる話ではなかったなと猛省する。声色をなんとか明るくしてみた。
落ち込んでる理由には、もう一つ、例の戦争のこともあるのだけれど、当然ながらこれは心の中に閉まっておくべきことだ。
「……うん!まずいこと聞いちゃったね。ごめん。でもね、ほんとに心配してるから、何かあったら言ってね!」
「……ありがと。伊勢三くん」
ある人は本鈴が鳴るまでは大丈夫だと一向に席に戻ろうとせずに駄弁っている。それも数人程度。大抵のクラスメイトは自席に戻っている。伊勢三くんもしっかりと自席に着いていた。
そんな私の観察に気づいた伊勢三くんが胸の前あたりで小さく手を挙げた。私もちょこんと会釈をした。
そうして間も無く本鈴が鳴り、授業が始まるのだった。その後の授業でも示し合わせたかのように私を指名してくる教師陣。
「はい。じゃあ、ここは……。沙条。」
という言葉を何度聞いただろうか。多分5回くらい。
当てる教師の目を見れば、狙ったっていうよりはただの偶然そうだったから、今日はそういう偶然が重なる日だったってことだと思う。
(もしかして悪いことでも起こるアンラッキー日和なのかま?例えば、そう。妙な儀式に巻き込まれたりとかして)
冗談で考えてみても、心が暗くなってきた。鬱屈とした気持ちをさらに深くしつつ今日の授業は終わり。
机の上の金属フックに掛けた学生鞄を机の上に置いて、机の中に仕舞い込んだ教科書の一部を詰め込んでいると、
「沙条さん。また明日!」
と、手をこちらに向けて大きく振る伊勢三くんが他の生徒たちに囲まれながら教室を出ていく。
「あ、うん。じゃあね」
小さな声しか出なかった。聞こえただろうか?胸の前でちょこんと手を振ったからきっと大丈夫。
(さて私も帰ろう。行くところも、あるからね)
「ねえ。沙条さーん」
鞄を肩にかけようとしたところで、2人の女子生徒が、私に群がってくる。
「今日日直なんだけどさー。私たち忙しいの。知ってる?今日クラスの何人かでカラオケがあるんだけど。松田くんとか、佐藤くんとか、それから。伊勢三くんとかも来るんだけど?だからさー。代わりにやっといて来んない?」
「沙条さん。どうせ暇でしょ?私たちを助けると思ってさー」
「えと。そっか。忙しいんだ」
「そうなの。沙条さんはカラオケ、誘われてないでしょ?私も誰が来るのかは把握してないんだけどねー?」
「沙条さんクラスの集まり全然来ないもんね?」
こいつらどうしたんだ?と思ったものの、
「わたし、別に伊勢三くんのこと狙ってるとか。そういうことないから。安心して?」
「は?」「え?」
図星突かれたような表情。そんなところだろうと思ったんだ。大当たり。
「今日はね。父と姉の命日で」
青くなる表情。
「私も2人とおんなじくらい忙しいの。だから、先に帰るね?」
振り返ることなく教室を出た。
きっと、もっといい言い訳くらいあったはずで、こんなこと言うのは良くないことだって伊勢三くんのときにも反省してたはず。なのに、つい口に出してしまった。
自己評価ではあるが、私の性格は、最悪だ。