忘れじの 行く末までは 難ければ   作:赤沙汰那覇

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不本意の投稿。


今日を限りの 命ともがな

もしも、愛する人への想いが明日消えてしまうのなら

 

 

【恋】(新明解国語辞典 第7版)

特定の異性に深い愛情を抱き、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥感に駆られる心的状態。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

恋をする自分を想像できるだろうか。

私には到底できない。

 

辞書で調べるところによると「恋」とは、

「他のすべてを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感に酔って心が高揚する心的状態」らしい。

 

来る聖杯戦争で私が召喚するサーヴァント、「アーサー・ペンドラゴン」。

 

ブリテン救国の騎士王。

いつか復活せし英国の守護者。

 

そして私の初恋の相手、になる予定の人。

 

確かに顔立ちはよく整っている。「貴公子然とした」という表現が相応しい風格を備えていて、物語の中の王子様のような人だと思うし、実際にそうなのだけど。

そんな万人に愛される要素を持つ相手であったとして。やっぱり、私が恋をするだなんて想像もできなかった。

 

 

私は変な子なんだと思う。

 

生まれたときから大抵のことが分かった。

すべての事象、因果の源流たる根源の渦。私はその接続者。つまり根源の持つ端末の一つが人という種族の形をとってたまたまこの世界のこの場所に生まれ落ちた、人にあって人でない存在。

 

だから、そんなの当たり前なのかもしれない。

 

でも分からない分野が少しだけあった。

それが「感情」という分野。

とはいっても理解できないからといって、それに何か思うことがあるというわけでもなかった。

 

例えば殺人事件について報道されたとしよう。大抵が「怨恨」という感情だったり「利欲」という感情に理由は集約される。根拠のない話が噂として広がるにつれて尾ひれがついていき最終的に取り付け騒ぎによる銀行倒産の危機が起こることもある。これもまた人の「不安」や「善意」といった感情に由来している。

 

そう。

世間で時折起こる模範から外れた行いというやつは「感情」に起因しているのだ。そういったことを考えると、必要なのは「倫理」という教科書一つ。むしろ感情こそ邪魔なものではないのか。愚かなものと断じることなんて当然のことだった。

 

だから、私は「感情」なんていらなかった。

 

いらなかったはずなのに、そんな私が恋をする。

 

ひどい違和感。

それがかえって私に興味を抱かせたのかもしれない。

感情とは何か。私にとって何をもたらすものなのか。このときから私の退屈な乳児期は、専らこの命題に対して与えられた。

 

 

 

そんなときのこと。

 

一応補足として。

私だって身体自体はヒトの範疇に収められているのだ。それを上回る性能を発揮することは出来ない。だから、身体がある程度発達するまでは、色々と両親の世話になることだって多かった。例えば口元までご飯を運んでもらったり、排泄の処理をしてもらったり、絵本を母の膝の中で読み聞かせられたり。そういうことを。

 

正直、絵本は私には必要ないものだったのだけど、絵本の読み聞かせは子供の言語理解に役立つということで、しょうがないのかなと思っておく。

 

ただ一つ変だなって思うことを挙げるとすれば、そういうことの度に母がとても「嬉しそう」にしていたということ。

 

他人への奉仕とは何らかの対価の結果にしか起こりえないはず。「等価交換の原則」はすべての人の根底の中に横たわっている公理のことを言うのだから。勿論、私だって対価が極端に小さいだけであってその例外じゃない。

 

で、あるとすれば。一親等の血縁だからこうなのか。私が「娘」だから特別なのか。

でもそんな理由で納得なんて出来なかった。

 

一応の見解はあるにはある。

それは「生命の本能」。

 

当然、種の繁栄のためには子供を庇護し守ろうというのは理に適ってはいると思う。だからこそ、そう思うように遺伝子の中にプログラムされただけ。もしも種の繁栄のためには子を痛めつけることが一番だっていう生物がいるならきっと親の虐待が絶えない種になっているのだろう。

カマキリなんかを例にするとわかりやすいかもしれない。これは親子関係じゃなくて夫婦関係だけど、雄は子の栄養になるために雌に食べられるのだから。

人間社会では尊ばれる夫婦関係だって生物全体で見ればシビアなものだってたくさんある。親子関係だってそうだと思う。

 

だから人間だけがとりわけ変なのかもしれない。

 

だとして、だ。

今、テレビのニュースを見れば児童虐待、ネグレクト。破綻した親子関係が取り沙汰されている。報道されるのは珍しい事案であるからだろうけど、そういう親と私の親は何が違うのか。

 

脳内物質が関係しているとか?

ならば今まさに母の神経伝達物質やらの分泌を弄ってやれば、狂ったように私を痛めつけようとするのだろうか。お世話のときの嬉しそうな顔を途端に豹変させるのか。

 

テレビを見て痛ましい表情を浮かべつつ私を抱きしめる母を見上げながらそんなことを思った。テレビでの虐待関連の報道の時間が伸びていくたびに母の私を抱擁する力が強くなっていくのを私は

 

(痛いな……。)

 

と顔を顰めた。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

なぜか幼稚園に通うことになった私は宇宙人にでも囲まれている気分になりながら日々を過ごしていた。

 

母が「愛歌は多分、いろんな人と関わったほうがいいと思うのよね。」と言ったのが幼稚園に通うことになる決め手になった。

父は当初、家で私に魔術を学ばせるつもりのようだった。けれど、どうにも母に逆らえない性分をしているようで

 

「沙条家の跡取りとして、魔術を教えるのはこの時期からにしたい。」

 

という言葉は簡単に説き伏せられ、もとい撤回させられていた。

 

項垂れる父と、指を立てて説教する母の姿を見ながら、こんなよくわからない光景が幼稚園でも見れるなら行く価値はあるんじゃないかと思えた。

 

そうして通い始めた幼稚園で特別面白いものがあるわけではなかった。

所詮乳幼児だ。複雑な情動が生じるのは10歳くらいとされる。直線的な感情はそれはそれで面白いものだけど、それなら馬が競うのでも眺めているのと何が違うのだろう。

 

 

ああ、失敗だったなあ、とちょっかいをかけてくる男の子を適当にあしらって過ごすだけ。

 

ただそれでも、おかげであることを思いついた。

ある日通っている幼稚園の同じクラスの女の子が「おなかの中のあかちゃん撫でたら、あかちゃんがおなかをキックするの」と言っていた。

まぁそういうこともあるだろうな、と思う。でもその子にとっては重大な事件だったみたい。表情を興奮させて部屋中に聞こえるように喧伝していた。

 

下らないことを言っているなといつもならそれで終わるんだろうけどそのときは気まぐれか、こう考えた。私以上に社会的に弱者とされる存在が家庭内にいれば、私にも理解できることがあるんじゃないかって。母が私を撫でる理由が分かるのではないか。

 

だから真似をしてみようと思った。

 

帰宅した私は母の部屋に駆け込んで「妹がほしい。」と言った。ちょっとだけ妹がお腹の中にいるとかいう女の子のうるさい声に似てしまったような気がするのは反省点だ。

そんな私に対して、母は少しだけ目を見開いて驚いた後「考えておくね」とはにかみつつ私の頬を一回だけ優しくつついた。

 

つついた場所に何か虫でもいたのかとその場所を私も触ってみるけどとくになにかいるわけではなかった。皮膚が赤くなっているわけでもなかった。

 

(じゃあなんで母は?)

 

やっぱり母はよくわからない人だ。

 

それから2ヶ月ほどして私は母のお腹には「妹」ができたことを知る。

焦燥感みたいなでも不快感はないようなそんな感情に引きずられるようにして母の下に赴いた。

 

「お母さん、お腹撫でさせて。」

 

無表情でお願いをした5歳の私。

 

「はい、どうぞ。」

 

と受け入れた母はどんな思いだったんだろう。今となっては知る由もない。

 

触ってみても別に赤ちゃんがお腹を蹴るなんてことはなかった。あったことといえば、ただ私が母のお腹を撫でるっていうだけ。触ってみた感想も

 

(ふぅん。こんなものか。)

 

くらいの淡泊なものしか浮かばず、これといった収穫を得ることはできなかった。けれどやっぱり母が私を見つめる目が嬉しそうだったのだけがやけにひっかかった。

 

 

胎内の赤ん坊の成長に反比例するように、母の身体は衰弱の一途をたどった。医者も「このままではお子さんを産めないかもしれません。産めたとして、奥さんの命が……」と難しい顔で父に告げた。

 

父も、母をどうにかして助けたかったようだった。それこそ子供は諦めるよう強く諭すくらいには。

 

私は、どうなんだろう。

よくわからない。

 

一人の生命が潰え、そして生まれる。どちらかを選択しろ、と言われたらどっちを選ぶんだろう。

そもそも妹がほしいといったのは私だ。この状況に関して私は責任があるのだろうな。

 

ある日病院のベッドで寝ている母に

 

「私が妹がほしいって言ったからお母さんが危なくなった。」

 

と言った。母は心底驚いた表情でこちらを見ていた。

 

「なに?」

 

とその表情を問いただせば

 

「愛歌が、そんなこと言うなんて。」

 

と返す。

 

「どういうこと?」

 

別に不思議なことなんて何もないはずだと私は思うんだけど、

 

「愛歌が観察するみたいに私を見てたことは分かってたよ。」

 

私のことをよく見ていた母にとってはそうでもないみたいで。

 

「そうなの?」

 

「うん、そうなの。」

 

お見通しなのよ、と得意げに母は笑った。

 

「じゃあ、どうして私のことを」

 

「お母さんだもん。私はね、愛歌のお母さんなのよ?」

 

「うん、知ってる。」

 

「そっか知ってるかー。」

 

「うん。」

 

「ふふ。」

 

頭をなでられる。

 

「お母さん、くすぐったい。」

 

「そう?だったら……

こうだ!!」

 

今度はぎゅっと強く抱きしめられる。

相変わらず突拍子もない行動をする人だなと思いつつ、嫌じゃないなと思った。嫌じゃないからといって、「良いわけでも悪いわけでもない」ということもない。じゃあ、私は「いいな」と感じているのだろうか。それは分からないままけど、離れがたく思っている自分がいるのは確かだった。

 

おずおずと私の両腕を動かして抱きしめ返す。

 

静かな時間だった。

母の胸のあたりに触れる耳からどくどくと鼓動を感じる。目を閉じて、この時だけはそれのみを頼りとした。

だんだんと人と人の間に横たわる境界さえも曖昧になっていくような気がしたとき。

 

「愛歌。私、絶対お腹の子産むからね。」

 

と母はまるで諭すようにこぼした。

 

「私はお母さんがいてくれればそれでいい。」

 

と出た言葉が私のものだったことに気づいたのは何秒も過ぎた後だった。

 

「ありがと。でもね私、愛歌が妹がほしいって言ったとき嬉しかったの。だって初めて親らしいことしてあげられる気がしたもの。」

 

確かに両親に何かを私に与えるよう頼むことはそのときが初めてだった。ただそれでもこれだけは言わなくちゃいけない気がする。

 

「お母さんはお母さんだったよ?」

 

母は私の前にいつも存在する最も不思議なヒトだった。私の母に抱く感情が絵本や物語に出てくるものほど純粋でないものだとしても、それでも母は私にとって特別だった。

 

「そう?だから私はね、絶対にこの子を産むの。」

 

なおも言い募ろうとする私を手で制して

 

「愛歌、心配しないで。私だって毛頭死んでやる気はないもの。」

 

と言った母の顔は凄絶なまでに美しかった。

 

 

 

 

 

 

程なくして臨月に差し掛かった母。

病室にいつものようにお見舞いに来ていた私はふと気になって

 

「お腹の子の名前は何にするの?」

 

と聞いてみた。

 

「ん?お父さんと話して決めよっかなって思ってたんだけど。どうしたの?愛歌が決めたい?」

 

「そういうわけじゃないけど。」

 

と言ったのに、思案顔になり始める母。

それから何かに納得するように、大きく2回だけ頷くと

 

「よし、愛歌に決めてもらおうかな。」

 

と言い始めた。

 

「えっと。お母さん?」

 

よくない雲行きを感じる。

 

「よし、どんな名前がいい?」

 

いきなり言われても大変困る。名前なんて記号だとは思いつつ、一生涯付き合っていくものだから嫌だと思われる名前だとよくない。幼稚園でキラキラネームを付けらたせいで嫌がらせに遭っている女の子の姿を脳裏に浮かべつつ、色々考えてみるけど

 

「お母さんが決めてよ。私じゃ無理だよ。」

 

母が決めたほうがいいと思うんだけどな。

 

「じゃあ、明日までの宿題ね。いい名前考えてきてよ、お姉ちゃん?」

 

結局押しきられる形で、ほらほら思いつかないならさっさと帰った帰った、と病室の扉を出されてしまった。

 

(ほんとに勝手な人だなあ……)

 

妙なことになったとはいえ、明日までに私が産まれてくる子の名前を決めなければいけないことに変わりはない。どうやって決めればいいんだろう。

 

画数や語感がよく、なおかつ字面が綺麗な「変じゃない」名前を選ぶのが一般的だと聞いた。

それに加えて本人に合ってる名前がいい。じゃあ、どんな子が産まれてくるんだろう。

 

(未来視を使う?)

 

でも、気が進まない。何故かそういうのではない気がする。

分からないけど、母に対して「私が未来を視たところ、こんな容姿の子が産まれるらしいからこう名前を付けた。」と言ったら怒られる気がする。

 

だから未来視は使わない。

 

母と私みたいな金の髪と碧眼を持って生まれてくるんだろうか。それとも父のような黒髪に黒目?

 

性格はどうだろう。母みたいな無茶苦茶な人になるのかな。父みたいに魔術魔術と言いつつ、結局母に逆らえないみたいな人になるのかもしれない。

 

考えても分からない。これといって正解がある問答でもないから。

そんなときに「いい名前考えてきてよ、お姉ちゃん?」という別れ際の母の言葉が浮かんだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

私がお姉ちゃん、か。

じゃあ私の名前の「まなか」と似た感じで「○○か」ってするとか?

統一感が生まれていいかもしれない。

 

じゃあその穴の中に何の文字を入れようと考えたとき、お母さんみたいな人になってほしいなと、そんなふうに思った。無色のキャンパスを「彩る」ような色彩豊かな人。

 

彩香と書いて、あやか。

沙条彩香。

 

うん、いい気がする。

 

と、ある程度の納得ができたとき柱時計がごーんと10回鳴った。

ちょうどよく寝る時間が来たと思った。

 

「よし、寝よう。」

 

ぐっすり眠って、次の日お母さんに言いに行ったところ。

 

「いい名前だね。まなかとあやか。うん、いい感じ。」

 

好感触の様子。

よし、これで決まると思っていたのだけど

 

「でもね、愛歌。これ画数がよくないの。だからごめんだけど没です。」

 

容赦ない言葉によって私の案は切り捨てられた。思わず

 

「ええ。」

 

と愕然としてしまった。

想い、込めたのになあ。

 

「ちょっと待ってね……。」

 

と黙りこくるお母さんに

 

「私も結構考えたのよ、お母さん。「彩」って字だって、ええっと、その。」

 

「彩」を選んだ理由を言おうと思うと喉が詰まったみたいになった。なんだか言いにくい気がする。なんでか分からないけど。

そうやって口をもごもごさせていると

 

「よし。「綾」って字でいこう。これなら画数もいい!折り重なる綾みたいに色んな人と結びついて幸せにして欲しい、みたいな願いを込めて。」

 

と決定事項みたいに言い出すお母さん。意味合い的には似たところがあるから、もうそれでいいや。

 

「ああ、うん。それでいいね。」

 

と投げやりに賛同する。

 

「なによ、愛歌。私だって悪いと思ってるのよ?そんなぶすっとしないでよ。ほらにっこり笑顔。」

 

と母は両えくぼに人差し指をつけて笑いかけてくる。

 

「それに、二人で一緒に名前を考えたって考えれば悪いものじゃなく思えてこない?」

 

そう言われると、そうかもしれない。

 

「うまく言いくるめられた気がする。」

 

「気のせい気のせい。」

 

釈然としないなあ。

 

こういう流れで「妹」の名前は「沙条綾香」となったのだった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

綾香は無事に産まれた。お母さんも無事だ。

けれど出産による負担はお母さんの身体に残ったままで、日に日に体調はわるくなるばかりだった。

 

医者だったり魔術に頼ったりもしていたんだけど、一向に良くなる気配はなかった。

父はひどく焦っていたけれど、私はお母さんはよく保ったほうだなと思っていた。

 

だって本当なら出産のときに死んでいた。

身体の中の生命力を可視化しても、あのときに尽きていたはずだった。それなのに奇跡的に残った微かな炎だけでこの1年間命を繋いできた。

魔術だろうと何であろうと、なし得ることのない偉業だった。

 

けれど、そんな日々ももう終わりを迎える。

 

「綾香のこと頼むね?」

 

お母さんは隣ですやすやと眠る綾香を見ながらか弱い声で、私に告げた。

託されたとして、それでもこの子には「お母さん」がきっと必要だと思う。

 

「託すって言う前に、お母さんがもっと生きてほうがいいと思うのだけど。」

 

「そりゃ、できればそうしてあげたいんだけど、先は長くないって分かっちゃうからさ。」

 

「ふーん。お母さん、できれば生きてたいんだよね?」

 

言質はとった。

 

「え?どうしたの愛歌?」

 

「お母さんのこと長生きさせてあげられるよ、私なら。」

 

「いや、医者さんも広樹さんも無理だって言ってたじゃない。」

 

確かに父はそう言ってた。でもそれは魔術師の範疇に収まっているからに過ぎない。

 

「ねえ、お母さん、根源って知ってる?」

 

「え?それは分かるよ。これでも魔術師の家計に生まれたのよ。興味がなくて全然練習しなかったけど。」

 

「私は生まれたときから根源に繋がってるの。」

 

一瞬だけ呆けた顔になるお母さん。その隙をつくみたいに

 

「だから、お母さんだって。」

 

と畳みかけようとするも

 

「でも、それは真っ当な方法じゃない。」

 

と一太刀。

 

「え?」

 

「そうでしょう?」

 

青く光る双眸が私を射す。

 

「愛歌。どうやって私を生かすのか、言ってみなさい。」

 

いつもよりも真剣味を感じる。迫力があった。

 

「お母さんの身体の活力がゼロになっても動けるように、屍人みたいに……」

 

「愛歌。それはダメなのよ。」

 

「その方法がダメだっていうなら、別の方法だって。」

 

「お母さんは死ぬの。」

 

きっぱりとそう言い切った。生存への本能こそ生物たらしめる欲求ではないのか。相も変わらず私の理解の及ばない人だった。

 

「なんで……?」

 

問いかけたその声色が少しだけ弱々しい響きを持っていたことに我がことながら驚いた。

 

「私が死ぬってところをね。愛歌に見せたいの。」

 

いじわるだって思う?って、後ろめたそうな顔でそんなことを言うなら。

 

「ごめんね?」

 

ってその眦に涙の雫を溜めながら言うくらいなら。

 

最初から

 

「そんなこと、言わないでよ……。」

 

みっともない。そう自分に思った。

新生児模倣のように釣られるようにして涙が頬を伝った。ただそれだけのこと。けど、生理的な、情動を伴わない涙は初めてだった。

 

「あれ、おかしい、な。」

 

涙を思わず袖で拭う。どうしてか止まらない涙に気持ち悪さを感じた。

 

「もう、しょうがないわね。」

 

と、母がハンカチで涙を拭き取った。ハンカチで目が覆われたことによる視界不良。

解放されたとき真っ先に目に飛び込んできたのは、やっぱり泣いている、それなのにいつも私を不思議な気持ちにさせるあの笑顔だった。

 

「いつかあなたもきっと分かる日がくるわ。」

 

といって撫でられる。

 

「愛歌は多分ね誰よりも知ってることが多いけど、その分誰よりも知らないことが多いの。ある意味誰よりも純粋だって言えるかもね。愛歌はきっと、そのことに悩んでるのよ。」

 

「私が、悩んでる?」

 

自覚なんてないけど、母に言わせれば私は悩んでいるらしい。

 

「うん。もうちょっと側にいてあげたかったんだけどな。私は愛歌のことが心配で心配で。綾香のほうがまだ心配しないで済むのよ?」

 

「私のこと、そんなに心配なの?」

 

産まれてまだ一年くらいの綾香よりも心配される私って……。

 

「多分ね、何でも知った気でいるっていうのが一番不幸なことだと思うの。これはね、愛歌のことを不幸だって言ってるわけじゃないのよ?」

 

「言ってると思うけど。」

 

「あははは。でもいま愛歌は知ったでしょ?愛歌はまだ何も知らないってことを。そのことを少しずつ理解できるようにきっとなるから。」

 

「うん。」

 

なれるかな。なれるといいな。でもね、お母さん。

 

「やっぱり、お母さんと一緒にいたいの。」

 

それはダメなのかな。きっと何気ないことの連続のたびにお母さんのことを想う自分がきっといるんじゃないかってそう思う。自分で頼んだくせに、いまだに妹にさえ時折幼稚園の人が話してるみたいな感情を抱けない私が、私一人でだいじょうぶなのかな。

 

多分、人生初めての私の弱音だった。

 

「しっかりしなさい、お姉ちゃん!!」

 

でもお母さんはそんな私を一喝する。

 

「愛歌ならきっと大丈夫。なんてったってお父さんとお母さんの子なのよ。」

 

それは全能の少女としての私に向けてではなくて、娘の私に向ける感情だった。

 

あんまりに眩しくて直視できなかった。

だから顔を逸らしてしまったというのに、お母さんは両手を使って正面に向け直した。

 

「いい?お姉ちゃん。綾香のこと頼んだから、ね?」

 

「……うん。」

 

敵わないんだろうな、永遠に。今のお母さんの年齢に私がなってもこうなれてるのかな。

それに今だって、そう。

 

「綾香に……。お母さんの代わりになれるかな。」

 

これまでの人生。別に長くもない、両の手のひらで簡単に数えられちゃう年数しか生きてないこの私が。

ずっとずっとお母さんだけを見てきた私が。

お母さんの真似なんてできないって分かってたから、不安だった。

 

「愛歌はお母さんにはなれないのよ。お姉ちゃんなの。」

 

「うん。」

 

「だからね、あなたがこの子にしてあげたいことを見つけ出してみて。これがお母さんからの宿題ね?ひとまずは、お母さんがやってたこととかを真似てくれればいっかな。料理とか洗濯とか。ちょっと心配だけど愛歌ならできるわ、きっと。でも、おっぱいとかはあげなくていいからね?夜泣いてるのをあやすとかは、さすがに愛歌も子供だし大変だと思うからそれはやらなくていいからね。お父さんにやってもらうのよ?」

 

それくらいなら、できるかな。

さすがにおっぱいは分かるよ、やらなくていいことくらい。それに、綾香だってそろそろ卒乳する時期だ。

あと。

 

「別に私、寝なくてもだいじょうぶだよ。」

 

自分の身体の脳下垂体をいじって成長ホルモンを適正値まで分泌させれば問題はない気がする。

 

「愛歌、子供は寝なきゃダメよ?それが仕事なの。5歳になって愛歌はもしかすると、もう大人だって思ってるかもしれないけどね。」

 

「いや、さすがに私は子どもだよ。」

 

いまだ6歳なる身ぞ、我は。それくらいは弁えておる。

それに子供は寝なきゃダメっていうのもその必要性があるからであって、私には必要ないものなんだけども、と説明しようかと口を開け始めたところで、お母さんが手招きする。

 

「?」

 

口を結び直して、お母さんの近くにいくと今度はお母さんがベッドに空いているお母さんの横にあるスペースをぽんぽんと叩いた。

ここに座れってことかな。

 

そう思って座ると、

 

「愛歌は頭がいいから、何でもできるって思ってるでしょ?でもね、私とお父さんからすれば子どもなの。子どもでいられる間は愛歌は子ども。」

 

抱きしめられた。あまり強くはない抱擁。でもなぜかここにお母さんはいるんだなって思えてくる。

 

そんな不思議な体験だった。

 

痩せ細っていたお母さんの身体。でも服越しにも柔らかさが伝わってくる。感触だけじゃなくてじわじわと温もりも伝播してくる。

 

(なんだろ、これが気持ちいいってことなのかな?)

 

目を瞑ってみる。ああ。前にもこんなことがあったな。

 

記憶を繰り返すみたいに私も抱きしめ返した。

身体同士の接点からじわじわと広がっていくものがあって、私が溶けていくようだった。喉は苦しかった。

 

「お母さん、愛歌も綾香もずっと天国から見守ってるからね。」

 

また一つ私の頬を涙が伝った。今度はせき止められることもなくこぼれ落ちてお母さんの肩に落ちた。

 

そこからはあんまり覚えてないけど、確かに私は泣いていたんだと思う。

喉がガラガラして鼻も目もぐちゃぐちゃだったから。

 

 

気づいたときには外は暗く、部屋の中の電気も消えていて通常の視界では何にも見えない。

目をぱちくりと瞬かせると

 

「おはよう」

 

上から振ってくる声があった。声はお母さんのもの。

どうやら私はお母さんの膝を枕に眠っていたらしい。

 

「私はいつ、大人になるの?」

 

寝覚めでうまく働かない頭で反射的に返した言葉がこれだった。

どんな意図があるのかなんて私自身分からないけど、いま聞かなきゃいけない気がした。

 

 

 

 

「そのための宿題なの。頑張ってね、お姉ちゃん?」

 

その言葉にらしいなって少しだけ笑った。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

お母さんは死んで3人での生活が始まった。

父は前より魔術にのめり込み、私の魔術の鍛錬も増えてきた。それ以外に変わったことといえば、私が家事を一手に引き受けるようになったことだろうか。最初のころは父も手伝ってくれていたのだけど、いまでは父は机に向かっていることが多くなった。

 

綾香は3歳になって幼稚園に行っているし、私は私で小学校に行っている。

みんながバラバラの生活リズムによって動くようになった。

特別ではない時間が流れ始めていた。

 

今日も学校。先生が黒板にチョークをカリカリと打ち付ける音。子供のざわめき。そのすべてから耳を背けて、頬杖ついてぼんやりと雲を数えるだけのような、そんな退屈な時間が増えた。算数なんてやっている意味もないし、理科もそう。道徳でさえ模範的な意見だけが評価される。

 

試しにクラス中の人心を掌握でもしてみようかと思って遊んでみたりしたこともある。結果として生徒のみならず、先生までも私の言うことを聞くようになった。

 

いじめはやめましょう、とでも言えば即刻クラスは手を取り合い、この子をいじめてとお願いすれば、昨日まで親友と言っていた子でさえ躊躇なく、疑問に思うこともなくいじめさせることができた。そんな遊びをしている私に、先生は愛歌さんは素晴らしいと何度も褒め称えた。

ばかみたい。

 

ありふれた日々の中のさらに絞りかすみたいな、そんな生活。

 

私はいったい、何をしているんだろう。

 

自室の椅子に背中を任せつつ、何を思うでもなくぼんやりと天井を見つめていた。

ただ眺めるだけの時間に少しずつ瞼が重く感じた。

 

(ああ、このまま眠ってしまおうか。)

 

目を閉じれば、自分だけの世界がやってくる。

暗い。

でも、ましな世界。

 

(このまま籠もったままでもいいかもしれないな。)

 

移ろう意識の中、

 

「まなかおねえちゃん!!」

 

と威勢のいい声とともに自室のドアが開かれた。息を荒げながら、着替えもせずスモックのままの妹の姿だった。

どうでもいいことだろうと思いつつ、体裁を整えるために目をぱちぱちと、あたかも驚いているような表情をつくる。

 

「どうしたの?綾香。」

 

親身に妹に寄り添うような姉の出す声色を努めた。

結果、餌を見つけた魚のように妹は息一ついれずに叫ぶ。

 

「ようちえんの男の子があやかのことぶすって、ぶすっていった!!」

 

うん、心底くだらないな。

けれど、口に出さない。有象無象の意見なんて聞くに値しないものだ。そんなものに気を取られている時点でこの子も凡人。興味もわかないな。

 

でも「姉」だったらこんなときどんなことを言うんだろう。

 

「綾香はかわいいわよ。」

 

当たり障りなさ過ぎてこれで合っているのかも分からない。それに対する綾香の反応はというと

 

「でもおねえちゃんのほうがかわいい……」

 

とふくれっ面になる。

 

(なんで私の話になるの?)

 

会話に論理の欠片もないな。なんだろう、返答を誤ったのかしら。

 

「もう。どうしたの綾香。男の子にいじめられたなら私が助けてあげよっか?」

 

今度はそれらしいこと言えたんじゃないかな、と思うんだけど

 

「おまえは、おまえのねーちゃんとぜんぜん似てないな。ほんとに妹なのか?って。それからおまえみたいなぶすが妹なわけないじゃねーか。って言われて……。」

 

「はぁ。」

 

詳しく聞いたところでさらにどうでもいいことだと思わされる羽目になるだけだった。じゃあどうやって綾香を追い出そうかを考えていたところで

 

「あやかっておねえちゃんの妹なんだよね?」

 

弱々しい声ですがりつく妹の姿が目の前にはあった。ちゃんとお母さんのお腹から産まれてるはずだし、病院で取り違えられたってこともないはず。それに何より

 

「綾香。」

 

ここまで母の性質を受け継いだものはないというところが綾香にはあるじゃないか。

 

「綾香の目。青いでしょう?お母さんの目も青かったの。それにほら。」

 

といって綾香に私の顔を近づける。

 

「私の目だって青いじゃない。」

 

ちょっとだけ明るい表情になり始めてきた綾香にとどめといわんばかりに

 

「私とおそろいでしょ?」

 

と微笑みかける。笑顔はお母さんの顔をイメージした。

 

「ふふっ。」

 

と綾香が笑う。私の説明に納得したからだと思ったんだけど

 

「おねえちゃん、笑顔へたっぴさんだね。ふふっ。」

 

と言い出した。

 

「へ?」

 

言ってる言葉が理解できなかった。完璧にお母さんの笑顔を模倣したはずだと思ったんだけど。

 

「私って笑顔下手なの?」

 

にっこりと笑う。

 

「おねえちゃん。それはちょっと怖いよ。」

 

ふふふと笑ってたのが、次第に膝を叩きあははははと大胆な笑いに変わっていくのを見て、私の困惑は増大されていく。

 

「え?そんなにおかしいの?」

 

「うん。学校じゃそんなふうに笑っちゃダメだよ?」

 

「学校じゃこんな笑い方しないし大丈夫だと思うけど。」

 

思うけど。

複雑だ。

とっても複雑。

 

こんなのっておかしい!!

 

むむむと唸りながら、よしと一つ思いついた。

 

「綾香。いい?笑顔の特訓よ?今から色々試してみるから、審判お願いね?」

 

「うんうん。あやかに任せて!」

 

相変わらず私を見てにへへと笑っている綾香に、なんというかこう、ぎゃふんと言わせてやりたい。

への字になっていた口の周りを手でぐりぐりとマッサージして……

準備はオッケー。

 

 

 

 

「さぁ、どう?!綾香!」

 

「ほほー。

じゃあ次おねがいしまーす」

 

「これはどう?!」

 

「うむむ。こうおつつけがたいね。」

 

「じゃあ、これ!」

 

「ふふふ。」

 

「なによ。じゃあ、こう!」

 

「いいよいいよ!」

 

「これでどう?!」

 

「おねえちゃん。」

 

「これは?!」

 

「まなかおねえちゃん。」

 

「これは……

って。なあに?」

 

「ふふ、かわいいね。」

 

「笑顔よくなった?」

 

「笑顔はさいしょの以外ぜんぶよかったよ~。」

 

「ん、え?どういうことなの?」

 

「えっとね。いつもよりおねえちゃんがやわらかい感じでかわいかったの。」

 

ぎゅっと私に抱きつく綾香。

一応頭を撫でてみる私。

 

綾香は目を細めて気持ちよさそうにしている。なんだか猫みたい。

 

「柔らかいってどういう意味?」

 

「うんとね。いつもよりもね、おねえちゃんがあそんでくれてる気がしたの。」

 

「え?今の遊びだったの?」

 

「うぇ?遊びじゃないよ。」

 

「ん?」

 

「え?」

 

どういうことなの?

 

「今のって笑顔の練習なのよね?」

 

「そうだよ!笑顔のおねえちゃんがいっぱい見れてうれしかったの。」

 

不思議そうな私に対して逆に不思議そうな顔を返してくる綾香。なにこれ。

正直いまは何の時間だったのかわからない。無駄ばっかり。でも少しだけ気になったことがあった。

 

「綾香は私が笑顔だと嬉しいの?」

 

「うん!」

 

「なんで?」

 

「おねえちゃんが笑顔だとあやかもうれしいの!」

 

答えになっていないと思うんだけど、でも私を見上げるその顔立ちが誰かに似ているような気がした。

 

「そっか。」

 

だからだろうか、納得してしまったのだ。理屈でもなんでもなくて、ただ私が笑顔だから嬉しいんだろうなって。

 

「綾香。」

 

それでなんとなく。多分気まぐれだろう。

 

「なあに?」

 

「明日ピクニックに行かない?」

 

って誘ってみたくなった。

 

「でも幼稚園行かなきゃダメだよ。」

 

「私も休むから、ね?それにいやーな男の子がいるんでしょ?」

 

「うーん。」

 

「ね?お姉ちゃんからのお願い。」

 

「えー……。そんなにあやかといたいの?……いいよ!」

 

さっぱり晴れ渡るような笑顔が花開いた。

 

 

 

 

その日は綾香がやたらと積極的に話しかけてきた。夕食後もそう。

 

それに二人でお風呂に入るのはいつも通りとしても、いつもよりも「おねえちゃん、あらって」とか要求が多かった。昨日まで一人でほとんどできてたじゃないの?

 

お風呂から出ちゃえば部屋で分かれるだろうと思ってたんだけどそのまま私の部屋に入ってきたし、「かみの毛かわかしてー」と甘えられたりもする始末。今日はどうしちゃったんだろう。

結局、いつの間にか私の部屋でぐーぐーと眠ってしまった綾香と同じベッドで寝ることになった。

 

 

次の日、私と綾香は二人とも学校・幼稚園をサボタージュした。もちろん父には内緒だ。

向かう先は公園。この時間に学校に通ってる子に出くわすはずもなし。せいぜい公園で会うのといったら幼稚園に通えなかった、もしくは通っていない小っちゃい子と親御さんくらいだろう。でも公園はがらんとしていて私たちを除いて人はいない。これは私が人除けの結界を張ったからだ。

 

そういうわけで好き勝手やっても問題の無い環境ができあがった。

何をするのかというと。

 

「おねえちゃん!火だして!」

 

「はい、どかん」

 

「わーーーーー!すごーーい!!」

 

手品ごっこをやっていた。もちろん、魔術であって手品なんてものじゃないからごっこはごっこだ。

 

「あやかもやりたい!」

 

「うーん。」

 

綾香も最近魔術の練習を始めだしたけど、できないんじゃないかな。家で練習してる魔術は黒魔術だし、火を出すための魔術ではないから。

 

「どうしたの?」

 

「ううん。じゃあまずは魔術回路にスイッチを入れてね。」

 

「うん。」

 

ここまではいつも通り。火を出すっていうなら火属性の魔術。綾香は魔術属性が火だったかな?

違ったと思う。

そうなると、どうだろう。使える魔術は、これかな?

 

 

「まずはね。今あやかの周りに何があるか言ってみて。」

 

「おねえちゃん!」

 

「そうなんだけど、それ以外は?」

 

「えっと、公園のブランコとか、ゾウさんみたいなすべりだい。」

 

「他には?」

 

「タイヤ?……おねえちゃん、これっていみあるの??」

 

「まぁまぁ、落ち着いて。ほら他にもだしてみて。」

 

「むぅ。トイレ、太陽、くも!」

 

「そうね。じゃあ次。この前習った五大元素について。5個ぜんぶ言ってみて」

 

「えっと五大げんそ……。火と空と地、水、風?」

 

「正解よ。」

 

「むふふ。」

 

合っていることに喜びつつも、何をやっているのかさっぱりといった綾香の顔。

 

「元素変換、っていう魔術があるの。それを使って火を起こすわ。」

 

「げんそへんかん? この前ならったくろまじゅつじゃダメなの?」

 

「火を起こすことだけを考えれば、あんまり向いてないの。」

 

「?」

 

「なんて言ったらいいかしら。……そうね。

絵本をたくさん読んでも、外でする鬼ごっこでうまく逃げられるようになるわけじゃないでしょう?それと似てて、黒魔術ばかり練習しててもできるようにはならないことだってあるってことよ。」

 

「うーん。ちょっとだけ、わかったかも。」

 

「そう。ならよかったわ。」

 

勿論これは嘘だ。方便と言い換えたほうがいいかもしれない。

黒魔術はなにかを供物に捧げることの対価として、自分の持っている力以上の魔術を行使するものだ。魔術の力量がほとんどない綾香にとっては火を起こす程度の簡単な魔術を使うにも黒魔術によって補う必要がある。

 

でも公園はがらんとしている。供物になるものは出来れば生物がいいし、生物の中でも複雑な構造をしているもののほうがより強力だ。あたりに鳥みたいな小生物は見当たらない。雑草を引っこ抜いて供物にするのでは雀の涙。虫も同じ。

そういうことを踏まえると、元素変換の出番だろう。

 

あと、綾香にはまだ早いんじゃないかなっていうのも一つ。でもこれくらいの頃には私は鳩の首くらい落としていたはずだから、やっぱり早いも遅いもないかもしれない。じゃあ、何だろう。心配、なのかな。

 

「おねえ、ちゃん?」

 

「え?」

 

「どうしたの?」

 

「ううん、なんでもないわ。」

 

あれやこれやを考えてる間に綾香を心配させてしまったみたい。にっこり笑いかけるとほっとしたみたいに私を見上げる綾香の顔が緩む。

 

「じゃあ続きね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜんぜんできないよぉ!」

 

「煙は出てるじゃない。もう少しよ。」

 

うん。お世辞抜きにもう少しだと思う。

目の前にある木の枝から火を起こそうとして1時間ちょっと。まさかここまでできるようになるとはこの愛歌の目を以てしても見抜けなかった。黒魔術よりもこっちのほうが適性があるのかもしれない。

 

「じゃあ、おねえちゃんはどれくらいでできるようになったの?」

 

「えっと……。」

 

どれくらいだっただろうか。そもそも父にもならってできるようになったわけじゃないし。それに最初から火を出すだけの魔術だったらほぼシングルアクションだ。こんなに苦労なんてしてないな。

でもそんなことを綾香にいってもへの字にしている口元がさらに傾いてしまうだろう。

 

……どうしよう。

 

「魔術には向き不向きってあるから、綾香も自分に向いてるのを探せばいいと思うわ。ね?」

 

「でもおねえちゃんのことだから、最初からできてたんだろうね。」

 

誤魔化しきれず。微妙に棘を含んだ言い方。

こういうところではやけに勘がいいわね。

 

「まぁまぁ。できるようになるまでちゃんと付き合ってあげるから。機嫌直して?」

 

「ん?ほんと?!」

 

「え?」

 

やけに嬉しそうになった。綾香もお母さんと同じでよくわからない人類なのかもしれない。そう自分の中での認識を新たにした。それでまた練習しはじめたんだけど

 

「ねえねえ、綾香。」

 

「なあに。」

 

「真剣にやってる?」

 

さっきよりも真剣味にかける気がする。モチベーション上げられたと思ったんだけど、ダメだったのかな。やる気なくさせるようなこと言ったかしら、私。

 

「し、しんけんにやってるよ。あやかがんばってるもん。」

 

露骨に焦り始めた。やっぱり真剣じゃなかったみたい。

 

「どうしちゃったの、綾香?」

 

「……。」

 

「黙ってちゃわかんないでしょ?おねえちゃん何か悪いことやっちゃった?」

 

「おねえちゃんは悪くないよ!ただ。」

 

「ただ?」

 

「えっと。おねえちゃんと一緒にいれるかなって。まじゅつできるの遅ければ。」

 

「……。」

 

不意を突かれた、ような感じがした。

でも相変わらず、分からなかった。だからお母さんの言うとおりだったんだなって。

 

 

結局すべきかどうかっていう観点でしか「理屈じゃないこと」ができない。そんな私だけど、今このとき。

 

綾香をぎゅっと自分の意思で初めて抱きしめた。

 

このことはきっと間違いなんかじゃない、はず。愛だとかなんだとかなんてさっぱりわからないけど、こうしてみたいって私が思ったんだから。

 

抱きしめた瞬間、頭がショートしたみたいに真っ白になって何も考えられなくなった。例えば、自分に生まれついて付随していたものを初めて裏切るような、そんな衝撃。

 

覚束ない意識がふわふわと浮かぶような感覚がした。

勝手に時間だけが過ぎていくような、おかしな空気がする。

多分、私は勿論のこと綾香も黙ったままで数分が過ぎた。私は抱きしめたまま。綾香は抱きしめられたまま。

 

ただこの抱擁は私が綾香を宥めようというものだというよりは、むしろ……。

 

「そんな心配を、綾香がしなくても。」

 

「私はきっと綾香の側にいるからね。」

 

「だって私は、―――。」

 

 

 

 

やっぱりすべき論でしか行動を起こせない私。それでもなんで今このときに「すべきだ」って思えたのか。不思議でならないけど、積み重なっていくナニカが確かにあったんだと思う。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 

何かを理解できるようになっていた。その自覚もあった。

ちょっとずつではあるけど綾香と姉妹らしくなったような気がする。そのことに満たされるような心地になりながら暮らしていた。

 

そんな頃。

東京で大儀式を行うためのマナが溜まりきった。ついに聖杯戦争が開催される、そんな時期に差し掛かったのだ。つまりは、コーンウォールから発掘した彼の王の失われた黄金の鞘、それを触媒にアーサー王を呼び出す。そのときが来たのだ。

 

私は感情を知るための糧を求めていた。お母さんと綾香、ちょっぴり父のおかげで何かを掴みかけていたとは思っていた。

けれど、未来視で視た景色のようにアーサー王を召喚すればもっと人間らしくなれるんじゃないかって、そう思った。なんて言ったって「恋」という強い感情に溺れる自分がいるからだ。

 

私は期待していた。聖杯戦争が終わった頃にはきっと綾香と屈託のない笑顔を向け合いながら手をつなぎ家路につく姿を。

 

でも現実は非常だった。

聖杯戦争の末期のこと。

少しだけといって見た未来の中。私は綾香を地面に引きずりながら一片の迷いもなく大聖杯に対して生贄に捧げた。

 

何のために?

 

分からない。だってそれは大聖杯に潜む獣を世に解き放ち、世界を崩壊させる行為に他ならないはずだ。そんなことを、この私が、望んでいるとでもいうの?わざわざ綾香を生け贄にくべてまでやるというの?

 

愕然とした。

数年前の私ならまだ分かる。生きながらに空っぽのまんまだったもの。でも未来視で視た通りだとすれば、今の私は綾香を殺せるのだということ。

 

結局この数年で私は変われたとかなんとかっていうのは勘違いだったの?

 

私のことを信じてると言ってくれた母。私が笑顔だと嬉しいって言ってくれた綾香。

全部、私が裏切るの?

 

「そんなの、おかしいじゃない。」

 

だって確かなものをそこに感じてた。

 

「こんなおぞましいものに私はならない。なっちゃいけないんだ。」

 

だって、きっと嘘じゃない。嘘になんてしたくない。

 

「なってたまるもんかなってたまるもんかなってたまるもんか。」

 

呪文みたいに、延々とこの言葉を繰り返してようやく冷静さを取り戻すことができた。

 

(まずはなんでそんなことを私がしようとしだしたのかをちゃんと視なきゃ……。)

 

そんな簡単なことにようやく思い至り、深呼吸して絞るみたいに目を閉じた。

 

ぎゅるぎゅると脳に情報がたたき込まれる。

 

そうして分かった。「恋」という熱病に浮かされたということこそが原因なんだってこと。

 

これから召喚する予定のアーサー王が聖杯に掲げる望みである「ブリテンの救済」。私は恋の相手であるアーサー王の望みを叶えるために、大聖杯に潜む獣の力を借りて5世紀あたりから今にいたるまでの人理を崩壊させる。

 

結果その間の歴史はなかったことになり、アーサー王は故国を救済できる、という計画みたい。

 

 

アーサー王を召喚するのをやめる。多分これが正解なんだろう。

 

しかし戦争開始まで秒読みの現状、新たに代わりのサーヴァントを見つけ出してこようだなんて到底無理な話だ。もっと早くに未来視を使っていれば万全の状況を模索出来たかもしれないのに。

 

だとすればこれは私の怠慢が原因だ。

 

別にサーヴァントなんていなくても、多少の無茶はすることになるでしょうけど私ならやってやれないことはない。それだけの自信だってある。

触媒を使わずに召喚して、適当なサーヴァントを出すのだっていいかもしれない。

 

けれど不安が拭いきれなくなってしまった。私という化け物が、私の大事なはずの人たちにいつ牙をむくのかなんてことが。

それは聖杯戦争がどうとかは関係なくて、不意に何かの切っ掛けで大切なものがガラクタに変わるような人間が他人を幸せに出来るのかとか、そういう問題。

 

「私はどうすればいいのかしら。」

 

唯一頼れるお母さんは何年も前にいなくなってしまった。こんなときに自分がどうしようもなく子どもであることを感じてしまう。

 

(お母さん……。)

 

ぼんやりと見つめる窓の向こうに広がる空には雲一つとしてかかっていない。

 

(私は物語の主人公にはなれないのね。)

 

明瞭な青こそ今の私を傷つけるものだった。

 

でもね。本当は分かってるの。本当におかしいのはこの青空でも世界でもなくて、この私だってことくらい。

 

窓を開ける。びゅうっと吹き込む風。冬の風は私には寒くない。

 

 

 

夜。

 

何の気なしに、擦り寄ってくる綾香に

 

「もしも私が幸せになれるなら、綾香は死んでくれる?」

 

と聞いた。その質問に驚いたのは私自身だった。本来なら問いかけるはずもない、そして考えたくもないはずのことだったから。自分の、人から外れているようなところを嫌になるほど感じた。

 

「死にたくないけど、お姉ちゃんが幸せになってくれるならそれもいいかもねー」

 

と言って、綾香は私にぎゅうっと抱きついて、そして聞いてくる。

 

「お姉ちゃんは、今幸せじゃないの?」

 

言葉に詰まった。

 

お母さんが死んだ。あっさりとどうでもいい日々に戻る世界にこんなものかと見限った自分。

綾香と一緒に遊んだり笑ったりした。どうでもいいと切り捨てたのは単に自分の無知をこそと思い知らされた。

 

それはきっと大切な日々の積み重ね。

でも。

 

「どうなんだろう?」

 

分からなくなる。結局新鮮さで判断が鈍っていただけで、こんな日々には何の価値も見いだせていなかったのかもしれない。だとして、幸せだなんて私には到底……。

 

黙ったままでいると綾香がいきなり手で顔の形をぐにゃりと変えて、おかしな表情をする。

 

「なあに、それ?」

 

「変顔だよ、お姉ちゃん!!今クラスで流行ってるの。笑わせたら勝ちなんだよ!!」

 

思うのは、そんなので面白いの?っていうこと。でも綾香はなんだか楽しそう。

 

「それで、なんで今私に変顔したの?」

 

「お姉ちゃんに笑顔になって欲しいから」

 

にへら~と笑う綾香。

なぜかはわからない。生まれたての頃に死んだ母から些細なことでもえらいえらいと頭を撫でられたことを、そういえばと思い出した。気づけば私の手が勝手に綾香の頭に伸びていた。そしてそのまま撫でていた。

 

綾香は気持ち良さげに目を瞑る。喜んでるみたい。こんなことで喜ぶなんて単純だなと思う。

でも、悪い気はしない。なんだろう、この気持ち?

 

「ふふ……。」

 

でもこの気持ちは初めてなんかじゃない。だって目を閉じればこれまでの記憶がたくさん浮かんでくる。

 

幸せなんてものやっぱりわからないけど、でもやっぱり。私は幸せなんだよ。

だってこんなにたくさん思い出があるもの。

だってこんなに心が温かい。

 

真似なんかじゃない。これは私がやりたいこと。

私は綾香のお姉ちゃんなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

在りし日のこと。

 

カーテンの隙間から射す春の陽気に微睡む正午のひととき。

幼稚園の課題の作文で綾香が家族のことを書いていた。覗こうとすると、綾香がすごい勢いでそれを隠す。

 

「なんで見せてくれないの?」

 

と聞けば、幼稚園の発表会でいうから誰にも言っちゃダメってせんせーがいってた。と言い張る。

 

むむっ。

 

「私は発表会に行けないから、見せてよ。お願い、ね?」

 

と、綾香の目にかかって邪魔そうな前髪を手で横に分けてあげつつ手のひらを綾香の頬にぴたっとくっつける。今日の私はなんでかしつこい。

 

綾香は頬に触れる手に自分の手を重ねる。

触れあう手と手。冷たい私と温かい綾香。その境界では絶えず熱と熱が交換されている。

熱平衡によっていつしか温度が一緒になっていく。

 

気づけば二人の手は下ろされていたけれど、重ねられたまま。

 

「来れないならしょーがないかもね。はい、おねえちゃん。」

 

もう片方の手に握られていた作文用紙。元気いっぱいに渡してくれたそれを見ると

 

「お姉ちゃんはやさしくてかわいいです。それになんでもできてすごいかっこいいです。そんなおねえちゃんがだいすきです!!」

 

と書いてあった。

私が、やさしい?そうなんだろうか。よくわからない。

 

「私って優しいの?」

 

「しらなかったの?すっごいやさしいよ!ごはんつくってくれるしなでなでしてくれる。夜ねれないといっしょにねてくれる!!」

 

ふんすと鼻息を荒げながら力説する綾香に「え、ええ。そうなのね」と引き気味で返す。

 

でも私は優しい、らしい。私は私のことがわからないのに、私の知らない私を綾香がたくさん見つけてくれてる気がする。

特に何も言わずに綾香にぎゅうううっと抱きついた。

 

「おねえちゃんどしたの?あまえんぼさん?」

 

「うん。そうかもね。」

 

「しょうがないおねえちゃんだな〜」

 

にこにこしてる綾香。

 

 

 

そのあとどうなったんだっけ。

ああ、そうだった。そのまま一緒に綾香と眠っちゃったんだ。

 

起きたら二人して口からよだれ垂らしてたからそれがおかしくて笑っちゃった。

 

 

綾香はどんなふうに思ってたんだろう。

私にとってはね、こんな「何気ない日々」こそがすごく刺激的だった。

 

 

 

きっと知らない間にそうやって、何度も救われてたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのためにはセイバーを召喚し、狂ってしまう前に死を選ぶ。これが最良の選択。じゃあ、私が自殺した後、綾香はどうなるんだろう。ちゃんと生きてるの?

 

私が事前に死んでおいた場合の綾香の未来を視てみる。すると今回の聖杯戦争では綾香は無事に生き抜くことができるものの8年後に必ず死ぬらしい。それもまた聖杯戦争によるもの。

 

それじゃダメだ。どうすればいい?

 

 

ならばと今度は初心に戻って私が綾香を生け贄にしようとする場合の、その続きを視た。

 

引きずって綾香を大聖杯の中に落とそうと私がする、その瞬間。背後から迫りくる長剣に恋に盲目だった私は気づくことができなかった。セイバーにあっさりと背後から聖剣で刺された私は全能を自負する割にはあっさりと死んだ。そして死の瞬間にもセイバーに愛を囁いている。

 

恋とはあな恐ろしや。

私が最低なことをやってることは分かってるつもりだけど、自分を刺殺するような人に求愛し続けることほど空しいものはないと思うんだけどな。そんな人よりもよっぽど綾香のほうが……。

 

未来の私とやらに小一時間は最低でもぐちぐちと言ってやりたいところはあるけど、それはさておき。

 

私が視たことによる未来の改変が起こらない。これはどういうことかを一瞬考えて、なるほどと一つの答えを得る。ならばこれ以上の情報はもういらないでしょう。それは私の計画がうまく運ぶことの証左だと言える。

 

決行するに先立って、綾香に聞いた言葉を今度は自分に問いかけてみる。

 

「もしも綾香が幸せになれるなら、私は死んであげられる?」

 

答えなんて決まり切ってる。




このままじゃ投稿しないまま終わりそうな気がしてきたので、このまま投稿します。
自分でも気持ち悪いところはたくさんあるんですけどキリがないので……。気になったときにちょくちょく直していくスタンスで。

残り1話!(だと思う)

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