朝はあんなに急いで走った通学路を今度はとぼとぼと歩く。
「はぁ。……。なんであんなこと引きずらなきゃなんないのよ。向こうだっておしつけようとしてきたわけでさ」
いつまでうじうじしてるの、わたし。パンパンと頬を叩く。
「ああ、もうやめやめ!」
空を見上げればどん詰まりの色合い。神さまもきっと色を考えるのがめんどくさくなったんだろうなっていう、面白みのない灰色づくし。
「雨降りそうだし。折り畳み傘でも持ってきてたらよかったけど。はぁ。ないよね……」
奇跡を信じて鞄の中を漁ってみるけれど、筆箱、教科書。やっぱり折り畳み傘は入ってなかった。
「そりゃそうだよ。入れた覚えもないのに探すっていうのも、変な話」
でも降り出す前には家に着けそう。そこはよかった。
「傘忘れていなければ、帰宅の流れでお墓参りに行けたんだけどな……。残念……」
一旦学校の荷物を家に置いて帰れるんだ。その点、助かったと思い込もう。理想の人物像はポリアンナだ。
・傘を忘れはしたものの雨が降るまでには家に帰れそうなので良かった
・余分に荷物を持って来ずに済んで良かった
・仕事を押し付けられずに済んで良かった
益体ないことを考えている間にも、何台もの車が通り過ぎていく。
黒っぽい車。蒼い色をした車。キラキラと輝くような車。信号が赤に変わって、黒い車・蒼い車と、キラキラとした新車が分断されてしまっていた。わたしも横断歩道をその新車の横のあたりで一緒に信号が変わるのを待っていると、俄かに背後が騒めきだす。
「ばんばんっ……!!」
「待て!!」
「こっちまでおいで〜。ばんばんっ!!」
小学生たちが後方から走ってきていた。携えた傘を銃に見立てての戦争ごっこ。
「戦争……。か」
気落ちして立ち止まって肩を落としていると、どんっと背中に軽い衝撃が走って、前につんのめりそうになる。
「わっわわわ!」
膝と両手で着地。多少擦りむいちゃって、ジンジンと痛むけれど大した痛みじゃない。車道にも飛び込まずに済んだ。
「うわああ、ごめんなさい!」
小学生が大きくぺこりぺこりと礼をしていた。
察するに、追いかけてくる友人を傘で狙いながら後ろを向いて走っていたんだろう。小学生にありがちな周りの見えない動き。
「前にはちゃんと気をつけるんだよ?事故にあっちゃうかもしれないからね」
「はい、すみませんでした!次は気をつけます!」
小学生たちは風のように、ちょうど信号の青になるタイミングに合わせてわたしの横を擦り抜けていった。
「お前、バカ!なにやってんだよ」
「お前もぶつかる前に言ってくれりゃあいいじゃんか!」
「んだとぉ?!」
茶化し合いつつ、結局また傘で遊び始めていた。今度は銃ではなくて剣に見立ててぶんぶんと振り回していた。
既に2人の背中は遠くなっていた。
(また誰かにぶつかりそうだよなぁ。誰も巻き込まれないといいけど)
横断歩道を渡って、既に見えなくなった小学生について、新品の車について。わたしの横を通り過ぎていくイメージを描きながら、それらが絶対的なものだなんて言えるのかを考える。
「わたしにどうにかできるくらいの問題だったら。もっと
わたし1人生き残ってしまったこと。
空はいっぱいに湛えたものを耐えきれずに、雫を落とし始めていた。雫を受けた箇所だけが濡れて濃くなる黒を基調とした学生服。
「あーあ。雨降り始めちゃった」
玄関の前の石段を上る。戸口を抜けて、ローファーを脱ぐ。
制服の上から下まで濡れはしたものの、びっしょり染み込んでいるわけじゃなかった。ほんとうによかった。
多分、火で炙れば30分もしないうちに十分乾いてくれるだろう。
ぐーっと両手を上に、伸びをする。
「あー、寒い……」
体を震わせながら両腕で自分を抱き締め、自室で毛布にくるまってストーブの前に座り込む。目を閉じてみると、まぶた越しに暖色が描き出されていた。身体の内側からじわじわと雪が溶けていくような心地に誘われる。頭がぼーっと弛緩してきた。
何かに包まれている感覚には縁がなかった。それが毛布にくるまっているときだけは違った。
「ずっと、こうだったらいいのに……」
毛布に顔を埋めるとちょっとだけかび臭かった。構わず埋めっぱなしにしている。
でも、ずっとこうしているわけにはいかない。
立ち上がって、一瞬立ち眩みに襲われつつもガーデンに向かって歩き出した。向かう途中、台所に寄って食パンを手に取った。
2月のカレンダーがチラリと目に入る。
「早く、お墓。行かなきゃね……」
ガーデンの扉を開け放った瞬間に一斉にこちらに顔を向ける鳩たち。一瞬その場で警戒心を表すかのように、羽を羽ばたかせながら、開けたのが私だと分かるや否や羽をばたつかせるのを中断し、再びいつもの呑気さを取り戻して、ちょこちょこと地面を歩き始めた。
「みんな元気そうだね」
おいでおいでと手招きをすると、それを合図にわらわらと足元に鳩たちが集う。
その中でも一羽の鳩がわたしの腕に向かって滑空とでもいうような俊敏さで着地した。
この鳩だけはわたしの手に乗ってる餌しか食べようとしない。
グルメなのか、その日にわたしの食べたものを好んで食べる不思議な鳩だった。
今も無垢な瞳でわたしを見上げている。
「ごめんね。今日はパンなんだけど……」
ぴりっと食パンの封を切って一枚の食パンをちょっとちぎって口元に運んであげる。わたしを見上げるその瞳には(こんなご飯なの?)と少しばかり非難の色が見え隠れしているように感じるのはきっと気のせいだろう。
ため息つくみたいに頭をちょこんと俯かせた後で、ようやくパンをもっさもっさと口に運んでくれた。
「ジャムもつけてあげたほうがよかったかな」
鳩は雑食だとは言うけれど、どんなものなら良くて。何が悪いのか、具体的なことはまったくわからない。
ただこの子は、わたしの食べたご飯をもう少し分だけ残しておいて、それをあげると機嫌よさそうにしてるってことだけはわかってる。
「こんなことじゃお父さんに顔向けできないな」
頭をぐりぐりと撫でてやれば、もっと触りなさい!と言うみたいに頭を手にすりすり押し付けてくる。
いつの間にか自分の口元がほころんでいるのに気づいた。そうやって自分を客観視して、またため息をつく。
(この子はわたしの弱さの象徴だ)
だからこそこの子をやらなきゃと思って毎日鉈を振り上げようとするのに、その鉈を下ろせないでいる。そんな自分がいやになる。
殺さないで良かったってほっとしてる自分にも嫌になる。
「もうそろそろお墓に行ってくるから、籠にみんなお戻り?」
一羽一羽掴んで、籠に近づけてあげるとみんなさらーっと入っていってくれる。こういうとき鳩って賢いなあって感心する。
最後の一羽。わたしと同じご飯を食べたがる子。
今日に限ってはこの子がなかなか籠に入ってくれない。暴れるわけではないけれど、無理やり押し込もうとすると、わたしの手を邪魔そうに振り払う。
「今日はどうしちゃったの?」
いつもなら一番物わかりが良くすぐに入ってくれるのに、ほんとに今日はどうしちゃったんだろう。
「もしかして体調が悪かったりする?」
素知らぬ態度の知らんぷりだった。でも、そのツンツンとした態度にも関わらず、わたしの右腕に足を貼り付けて離れようとも逃げ出そうともしない。
左手でほっぺのあたりをつんつんしてやると、ぷいっと頭を背けた。
「んー、今日は強情だね。……まあ、ガーデンを締め切っておけば籠からだしておいても大丈夫かな。そもそも昨日なんてしまうの忘れてたくらいだし」
残された一羽の鳩は右腕から飛び立っていった。
「ようやく腕が軽くなった……」
そうして右腕をぐるぐる回していると今度はわたしの左肩に乗っかった。
「どうしろっていうのよ」
わたしに負担がかかっているということとか、そういうのどうでもいいですとばかりに目を瞑る鳩。
「意外とキミ重いんだけどなあ。うう。肩が凝る……」
諦めてもう先に他の準備やっておこっか。
財布をポケットに入れて、お墓の掃除用具を小さな鞄に入れる。帰り掛けに買っておいたお花も忘れずに手に持って玄関の傘立てに掛けられた傘を手に持った。
「これで準備完了なんだけど。ちっともどいてくれそうにないねキミは」
肩に巣はできていないぞ。
「もしかしてわたしのこと結構好きだったりするの?」
冗談めかして問いかけてみる。少しだけ期待をしてみるも特に反応するそぶりはない。
「なに恥ずかしいこと聞いちゃってるんだろ。鳩が人の言葉に反応するわけないじゃないのよ」
当然のように肩に居座る白鳩を横目で見ながら、もう観念して私はため息をついた。
「一緒に来る?」
「くっくー!!」
「いきなりいい返事だね。都合がいいんだから、もう。……肩に糞落とさないでね。」
翼を威嚇するように広げる。あ、怒った。
「ふふっ」
こうして一人と一羽は連れだって霊園まで移動することになった。
「外。雨降ってるから傘からはみ出ないようにしてよね?」
「くるっくー」
わたしに言葉に対する反応が
目的の教会の所在地は隣町と言えど家から大して離れているわけではない。ちょうど学校ー家ー教会の三角形のような位置関係にあって、家から教会までは徒歩にして30分かからない程度。
平時なら30分程度なんて大したことない距離だけど、こうも雨が降っているときには御免被りたい距離だ。
「それで、時間30分、雨で片手が傘で埋まるってだけならまだしも。これだからねえ」
右を見ると、鳩が肩に乗っている。これで歩くことのなんと大変なことか。
「ね。重いんだけど」
聞こえませーんとばかりに右翼だけ広げて、口で毛繕いでもするみたいにわたしから顔を背けている。
「せめて左肩に移動してほしいな。もう右肩壊れちゃいそう……」
そう言った途端、白鳩は左肩にさっと小さく飛んで着地した。眉をひそめる。
「ほんとに頭がいいねキミ」
ちょっと睨む。
被害妄想ならそれでいいけど、わたしのことを監視するためにどこかの陣営から送り込まれ使い魔の可能性とかあるんじゃないかな。
この子に対して魔術的な作用が働いているのかを、これまで確認したことはなかった。
「あのさ。もし。もしなんだけど。キミが他の魔術師の使い魔で、わたしの監視のためにガーデンに潜り込んでるんだとしたら……。わたし儀式に関わる気なんてさらさらないし、儀式の秘密を知ってるなんてことないからさ。わたしを狙うのなんて時間の無駄だよって伝えてくれないかな」
鳩の方は見ず、前だけ向いて、ノイズの雨に包まれる中半径10cmくらいの距離までならギリギリ聞こえるくらいの小さな声で呟いた。
既に教会は目の前だった。
鳩はバサッバサッと羽ばたいて、雨の中飛び出して行ってしまった。わたしは傘の隙間からその白い後ろ姿を見送った。
「行っちゃった……」
雨は勢いをさらに増した。さっきより静かに感じられた。
肩が凝った。今は肩の荷が降りたけど、さすがにおよそ30分という旅路はそれなりに疲労を与えてくれた。
雨は相変わらずの勢いだけれど、教会の入り口の水くみ場で一つ桶をとる。備え付けの蛇口から水を注ぎ目的の場所を目指して歩き出す。
何基も立ち並ぶ墓の中から迷うこともなく沙条家の墓の前まで移動する。
掃除を終えて、片付けも終えて。持ってきた白百合を墓に供えるだけ。腰をかがませて一輪墓前に添えたところで、背後に何者かの気配があることに気づいた。
「こんにちは。サジョウ……アヤカさんデシタネ」
(今の時期に、沙条について触れてくるってことは。戦争の関係者?!)
心臓の鼓動が急激にテンポを速くさせた。
(鳩に変なこと言ったから、それで本当の
だとすると儀式の関係者であるというだけではない。それ以上に危険な相手かもしれない。
(怖がるな……。素振りを見せるな。大丈夫だ。だいじょうぶ)
言い聞かせながら振り返ると、自分よりも顔一個か二個分くらい身長の大きな外国人の男が立っていた。
「誰ですか。わたし外国の方に知り合いはいません」
「……。これは大変失礼しマシタ。明日より始まる儀式の監督者として、聖堂教会より派遣された……サンクレイド・ファーンと言イマス。お見知りおきヲ。前回の実質的な勝者である沙条の生き残りのあなたにあえるかもしれないとこちらまで馳せ参じたのデス」
ニコリと笑顔を向け、手を差し出してくる。
やっぱり儀式の関係者だった。監督役ってことは、鳩は関係ない?……いや、鳩は今はどうだっていい、置いておこう。
「わざわざここまで来てわたしのことを待っていたってことですよね?何か重要な用が、わたしにあるってことですか?」
喫緊の懸念事項は話しかけてきた目の前の男の真意。
「いえいえ。これといって。ただ……。あぁ、ご家族のことは、本当にお気の毒デシタ。ああ、真理まであと一歩だったというのに。嘆かわしいことデスネ」
語り出す神父の服を着たその男は、見た目の通りにやっぱり胡散臭げな口調で……。腹の内の読めない男だという認識を強くする。
けれど今は、男の発言の中のある一点が脳にザラザラとした不快感を与えてきて、カッと熱くなってくる。
(何が真理まであと一歩だっただ。そんな儀式なんてどうだっていいじゃないの。そんなもののために無辜の命を消費して起きる奇跡だなんて、わたしはそんなもの絶対に認めるわけにはいかない……!)
突然胸に降って湧いたようなこの怒りが、どこに依拠して生じたのか自分のことなのにわからなかった。
「帰って」
声が出て、こんなに冷たい声が出るんだと自分で驚いたくらいだった。
「帰ってください」
「帰って。フフ、おかしなことをおっしゃいますね。私はこの地を任されている者だというのに。……。サジョウサン。まだ準備をなさっていないのでしょう。なぜデス?此度の戦争を監督する者として、各陣営はすでに動き出していること、報告を受けていマス。今夜0時でちょうど8年です。あなただって」
「わたしは……」
振り向いて、その大男を見上げる形で睨み付ける。
「聖杯なんかには関わり合いになりたくないの」
サーヴァントを召喚しなければそれで戦争に関わらなくたってよくなるはずだ。私には関係ないし、勝手にやっていてくれ。そういう気持ちをぶつけるように吐き捨てる。
目の前の神父服の男は、そんな私の態度に、言うことを聞かない生徒に頭を抱える表情をしていた。
「……すべての事象は因果の内にあります」
大男が不意打ちで、身をかがめ、私の耳元にそっと口を寄せた。
「逃げ場はありませんよ」
後ずさりをする。
「放っておいてください!」
関係ない。わたしには関係ないはずなのに。
サーヴァントなんて喚ばないから。それで終わりじゃないの?
放っておいてくれないのは周囲じゃないか!
纏わり付く嫌な空気を振り払うように、墓地を後にする。追いすがるように、背後から声が聞こえてくる。
「誤解しないでくだサイ!!私はあなたを心配しているのデスヨ!!」
神父の声が私に絡みつくように現実というものをつきつけてくるような心地がした。足が自然と速まっていく。
「放っておく?できるわけないデショウ?前回の事実上の勝者であるサジョウの娘を見逃しておけるほど甘いわけがないじゃないデスカ!!」
(そんな言葉、聞きたくない!逃げなきゃ逃げなきゃ。早く早く早く早く……!!!!)
墓地から出ると途端に雨は弱くなってきて、嘘のように雨音が世界から遠ざかっていった。さっきまで別世界にいたのだろうか?
神父に追いかけてくる様子はなかった。ほっと一息つけたら良かったのだけど、纏わりつくあの声が、言葉がわたしを駆り立てる。
「知らないって言ってるのに、どうして……」
あの言葉がフラッシュバックする度に、震え上がりそうになる。
夜もすでに8時を回っていた。
雨は上がっていて、しかし、しとどに打ち付けられ散々熱を奪われた都市の冬めいた面影はいっそうの冷たさを帯びていて、平時見慣れた街道の残酷な側面を覗かせていた。
「ご飯、食べなきゃ……」
へとへとだったので家から近くのコンビニに弁当を買うべく転がり込んだ。
中華丼にそぼろ丼に、おにぎり各種、サンドウィッチ、ちょっとした惣菜。陳列されているものを見てもどれもおいしそうには思えない。
「今日はもう食べなくてもいいかな……」
そう思うけれど、耳にこびりついて離れないあの言葉
を思い返すたびに、無理やりにでもお腹に詰め込んでおかなくてその結果襲い掛かられたときにうまく動けないなんてことになったらどうしよう?なんて不安がもたげてくる。
「ありがとうございましたー」
という言葉を背に受けて、結局おにぎりを購入した。帰宅して、梅、おかかをお腹に入れ込む。別に美味しくなんてない。おにぎりだけでも吐きそうになっている。でも吐くんだったら、ただ苦しむためだけにコンビニに寄ったみたいだ。
(だから意地でも吐いてやらない)
無理やり詰め込んで、お腹が胃もたれしてるようで。今ほど胃というものを意識できたことはなかった。
9時手前を時計は指している。
カチカチカチカチ。秒針の音。一定周期で刻まれる音が、消費されていく残り時間をわたしに刻み込む。
(鳩は……もうあれでさよならなのかな?)
教会の墓地に入るときに別れてから、姿形も見当たらない。当然か。なくしたものは戻らないんだから。
「誰かの使い魔だったのかな?やっぱり。そうだったとしたら、わたし間抜けじゃない?」
うつむく。しだれる横髪が目にかかって視界が遮られる。
「お父さんの言う通りだ。話しかけたりなんてしちゃダメだったんだ。お父さんの言うこと守っておけばこんなことでなやまなくったって済んだはずなのに。間抜けどころか大バカだよ。はぁ……」
見たくないものは見ない。触れたくないものには触れない。関わりたくないものには関わり合いたくない。単純な願いなのに、どうして。
聖杯、戦争。なにが聖杯。真理なんてわたし、一度だって求めたことなんてなかったのに。
よみがえる過去の断片的な記憶。たくさんの死体。血まみれの父。姉。背後から姉を突き刺す光。狂気のまま死に絶える父の顔。視界を覆う夥しい量の血液。
お父さん、お姉ちゃん。大事な人の命を奪い、わたしが天涯孤独となったあの事件が繰り返される。そんなもの毛頭関わりたくないのに。
「痛みもなにもなく消えてしまえたらいいな……。ううん、違う。何にも起こらずにこの戦争に無関係でいられればそれでいいもん」
時計をみれば何事もなく一日が終わろうとしている。風呂に入る気力も起きなくて、日付をまもなく超えるというのに何の準備もしないままで、呆然と時計の針が回転しているのを眺め続けていた。
午後11時59分。いつしか時計を穴が空くくらい凝視していた。緊張の一周だというのに、いつも通りに秒針が一定のリズムで時計回りをして針はあっけなくゼロを指した。
柱時計が音を鳴らす。ボーンボーン。独特の響きに肩を一瞬だけ震わせる。子供のころは怖かったこの音も今となっては恐怖も何もない。それに
「静かなままだ……」
静けさは保たれている。平穏はこの一日を境目としても連続したものだったことにひどく安堵した。
「そう。……そうよ。何も起きるはずなんてなかったんだ。大体サーヴァントも喚んでない未参加者をどうして殺そうって言うのよ。だったらちゃんとせんそうしようとしてる相手のことを考えた方がよっぽど建設的だものね」
日付は確かに変わっていることを何度も確認した。
「あの神父の脅しを真に受けすぎたんだ」
(よかった……)
柱時計が12回目の鐘を鳴らした。立ち上がって自室に戻ろうとした瞬間に、にわかに周囲が騒然としてくる。
「え、なに?」
窓のレースカーテンをめくり上げて外の様子をうかがうと、猟犬を引き連れ槍を携えた男が、大きな欠伸をしていた。
独特な魔力の形。
「……。サー、ヴァント……?」
青い短髪を掻き上げながら、ニヤリと、視線が交錯する。
間もなく、鋭い牙を剥き出しにした猟犬たちの猛攻が開始した。