目が覚めたとき、身体は重く、背中が寝台に張り付いてるようだった。重苦しいのに意識は浮遊感に包まれていた。
日差しが顔に直接届いて不快だった。ぎゅっと眉間に皺を寄せる。
首だけ起こして、窓の方に目を向けて見れば、カーテンとカーテンの間。窓の中央から
腕で顔を覆い隠せば幾分か眩しさもマシになってくれた。
これでもう一眠りできるかな……。
重たいまぶたは重たいまま。眠気に抵抗するでもなく目をゆっくりと閉じれば、カタカタカタと階下からは、お父さんだろうか?お姉ちゃんだろうか?生活音が僅かに耳をとらえた。
子どものわたしは、安堵して、微睡の引力に身を任せようとする。
いや。もうみんな起きてる時間なら、朝の日課をしなければいけなかった。
ガーデンに向かわなければ。
もしかすると寝坊していて、お父さんに怒られてしまうかもしれない。それは、少し怖い。
今度は無理やり重たいまぶたを開けようとして、顔から腕を退けて。
(……あれ?何かおかしい)
子ども。
わたしは、子ども。
でも小学生なんかじゃない。高校生だ。1人きりでこの屋敷に暮らしてる。
なのに、相変わらず階下からはカタカタと音が聞こえる。
(2人はとっくの昔にいなくなってしまったはずで、わたしはもう高校生。それから、えーっと。……何かがおかしい!)
目を見開いて身体を起こす。
カーテンが揺れた隙間から見えたのはひび割れた窓だった。布団から抜け出れば、冷気が部屋を覆っていた。喉は幸いにも乾燥した感じはしない。
朝の落ち着いた水色の空が、昨晩の残り雲によってところどころ欠落させられて、淀んだ白を履かされていた。
黒いカーディガンを寝巻きの上から羽織って、スリッパを履いて窓に近づく。床に散乱していたのはガラスの破片。光を受けてガラスの切先は反射して、刃物のごとく鋭利さを主張する。
急激に記憶が喚び起こされる。
鮮血の記憶。鋭利の真槍の眼前に迫り来る光景。
「わたしは、昨日。サーヴァントに襲われて、それから……?」
どうなったのだろう?これ以上思い出せない。
頭の中に確かに引っ掛かるものがあるのに。どれだけ頭を捻らせても靄掛かった記憶の密林のその先を抜け出すことができない。
焦りに突き動かされるように、駆け出して廊下に出た。
屋敷は所々がヒビで彩られていた。2階は比較的酷くはないけれど、階下を覗いてみれば隠しきれない赤黒くなった血の跡が戦いの名残を教えてくれた。
そして、人の気配。
「だれ、なの?」
本調子にない頭を手で押さえてなんとか回転させる。
襲われてから何があったか。まずは鳩に何度も助けられてやっとガーデンに逃げ込んだ。それでもランサーからの猛追を逃れることができなくて、鳩もわたしを庇って死んでしまった。近しいものの死を目の当たりにしての絶望感。悲哀。ああ、もう無理だ。
そして、槍で胸を貫かれた。
いや。貫かれなかった。胸に手を当ててみても、痛みの一滴すら感じ取ることもできないのだから。
けれど死を受け入れそうになったその後の記憶を再生することができないでいる。
恐る恐る音を立てずに階段を降りて、ある程度はやはり片付けられているが依然散らばったままの窓ガラスに注意しながら、廊下からリビングに通じるドアのノブを下におろして、押し込んだ。
ドアの隙間が徐々に開かれていく。答えはこの先にあるのだという確信に近い衝動。合間から覗く、細身の影が視界の中で揺らめいた。
金髪の青年がわたしに意識を寄せる。身長はすらりと長く、見かけの上では痩躯にも思えるけれど、よくよく注目してみれば、身体付きはがっしりと頑丈にも見えた。
「やぁ。お目覚めかな。レディー?」
青年がわたしに破顔一笑。暖かい。お日様みたいな笑顔。
「そうだ。わたしの、サーヴァント」
シンプルな黒いセーターに身を包んだ青年の手のひらには、目玉焼きとキャベツの千切りの乗せられた白い皿。高貴な出で立ちに反して家庭的な情緒も含んだ光景に、少々驚いた。
「もうそろそろ起こしに行こうかと思っていたところだったんだ。部屋、崩れていただろう?風邪は引いてないかい」
そう言って、ダイニングのテーブルに皿を置いた。トーストされた食パンは小麦色に焼けて、てかてかと溶けたバターが滑りながら滲んでいく。ちょうど深夜に眼鏡を外して月を眇め見たときのような、輪郭の溶けた黄金色だった。
(そうだった。あの蒼白い月の光の下、黄金色に輝く剣を奮ってランサーと対峙する姿をわたしは確かに見たんだ)
振るわれる剣の軌跡がどこか三日月に似ていた。
犬に囲まれて余裕のなかったわたしには、その鮮烈な一振りの残像が今になってまざまざと頭の中に滲み出して印象付けられていく。
ーー美しい人だった。
「風邪は、その。引いてないみたいです。起きたら家がところどころ崩れてて、びっくりしちゃいました……。ええと、ごめんなさい。昨日の記憶がはっきりしなくて。あなたのことはどう呼べばいいの?」
「サーヴァント・セイバー。君の求めに応じて馳せ参じた。……セイバーと呼んでもらおうかな。一番それがしっくり来る」
「セイ、バー」
よくできました。そう言わんばかりに鷹揚に頷いた。
不思議な気分だった。物語の王子様が目の前に立っていて、わたしに仕える騎士だなんてことを伝えてくる。現実離れしてる。
「あっ、はい。えっと。どうもありがとうございます。……昨晩は守っていただいてありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。どこか仰々しくなっているような気がする。
わたしじゃなければ映えた絵になっただろうに。
目を合わせるのが恥ずかしくて顔を上げるのが躊躇われる。
「あはは、そんなに畏まらないで。君の言う昨晩だってそうだ。完全に君を守ることができないばかりか、危険な目に遭わせてしまったね。サーヴァントと言ったって万能な存在じゃない。失敗だってする。それでサーヴァントと名乗るのは不甲斐ないけどね。……少し言い訳がましいかな。ま、何が言いたいのかというとね。もっと軽く扱ってくれればいいっていうことなんだ。例えば、そう。少しだけ年上のお兄さんとか。それくらいに思ってくれるといいかな」
もちろん、今度は守り切れるよう努めるよ。とセイバーは付け足した。
陽だまりのような優しさを湛えつつも貫くような瞳は誓いに満ちていた。
「と、年上のお兄さん。ですか。それはちょっと」
難しいかも。おずおずとセイバーを見つめ返せば、期待のこもった輝く瞳。うっ、苦しい。
「お兄さんだなんてそんなふうには、思えないです、けど。あのとき死ななかったのは、絶対にせ、セイバー……さんのおかげなので。本当にありがとうございます」
他サーヴァントから命を取られる寸前まで追い詰められておいて、今があるのは当然ながらセイバーのおかげなわけで、守りきれずに危険に晒してしまっただとか言われても、それは違うだろうって思う。
「僕だけの力でも難を逃れることができたかどうかは、ひとまず置いておこう。ともかく僕たちは生き延びることができた。……君が寝ている間に屋敷の方を見回らせてもらった。幸いにも今日は日曜日、休日だ。聖杯戦争の準備はしっかりしておこう」
まずは朝ごはんからだ。と、セイバーはわたしに優しく椅子につくよう腕を伸ばして促した。
「は、はい。えと、ありがとうございます」
あまりにもおどおどとした声が自分の喉から出たので正直唖然とした。それでまた顔が熱くなって俯いた。そそくさと席に着くと、対面にセイバーが座るから、それでまた俯いた。
それにしても
(聖杯戦争の準備、か……)
結局その通りになってしまった。一夜を終えて、いま。目の前にはわたしのサーヴァントがいて、聖杯戦争についての今後を考えてる。サーヴァントなんて召喚するつもりはなかったのに、なし崩し的に手札は整い始めて、今日はこれから真っ向から準備をしようって形になっている。
(違う。そうじゃないでしょう?聖杯戦争なんて関わり合わないって決めてたのに)
気分は沈んでいく。参加することになっちゃってる。聖杯戦争に。
今から、あなたを召喚したのは何かのミスで、早々に敗退して聖杯戦争なんて知りませんって顔で過ごしたいんですって言ってしまいたい。でも言える空気でもなければ、さっき自分でも言った通り、セイバーを召喚していなかったら既に死んでたんだろうなという確信が、流されるままの空気をつくりだしている。
(どうすればいいの?!)
心の中で頭を抱える。セイバーはわたしとは対照的にニコニコそのキレイな顔で微笑んでいる。
ひとまず、セイバーが用意してくれた朝ごはんをつつくしかないじゃないか。
「いただきます……!」
他人から提供された料理を口にするというのは、他人自身をまるきり受け容れる形をとる感じがして苦手だった。胃の中がぞわぞわとする。しかし目玉焼きにトーストっていうシンプルな品揃えだったのが功を奏してか、抵抗感少なく喉を通すことができた。なんて、もらっておいて何を生意気なことをって話だけど。
わたしの失礼な内心をよそに、セイバーはやはりニコニコと変わらず笑顔を浮かべていて、そこに瑕疵一つ見出すことができない完璧な表情だった。
(いったいこの人は何を求めてこの戦争に参加しているのだろう?)
サーヴァントにせよ、マスターにせよ、聖杯にかける願いというものがあって、だから戦争に参加する。それが戦いを希求する動機であり、定めとも言える。
魔術師の家系の純正で真っ当な後継者は、根元に至ることを願いにかけ、サーヴァント自身は召喚の求めに応じた時点で生前からの本懐の成就を願っている。
目の前の彼だってそれは例外ないはずで、生前のやり残しを消化しようと考えているはず。
魔術師としては外れてしまっているわたしは例外中の例外で、強いていうなら参加させないでくれというのが願いというべきか。
(願いとか……。そもそも名前とか、ちゃんと聞いたら教えてくれるのかな)
さっきも、何と呼べばいいのかを聞いて返ってきたのはセイバーという言葉。やっぱり信頼関係とかも皆無だからだろう。
いや、でも……!
触媒から全て準備した上でサーヴァントを召喚したマスターの場合は、サーヴァントの真名なんて最初っから知ってるわけで。わたしに教えてくれなかったのは、やっぱり……。
「あ。あのっ」
「なにかな」
いや。深入りしたくないのに名前を聞こうとしてどうするっていうんだ、わたしは。なんとか話をいい感じに軟着陸させないと。……そうだ。
「朝ごはん。美味しいですね。ありがとうございます」
「あはは、ありがとう。とはいっても簡単なものしかつくっていないけどね。そうだ。気になってたことがあるんだけどいいかな?」
「は、はい。なんでしょう」
「冷蔵庫を少し調べさせてもらったけれど、ちゃんとご飯食べてるのかい?育ち盛りなんだから、朝昼晩としっかり栄養を摂らないといけないよ?戦争の準備をする前に食料の準備をした方がいいかもしれないね。買い出し、手伝うよ」
「は、はぁ。お気遣いありがとうございます」
なんだこれ。世間一般で言うところのお母さんみたい。
ちょっと、この人。めんどくさいかも……。
しばらくはめんどくさい少女を書きたいと思っています、が
小説まったく書けないです