「さて買い出しだ。なるべく外出の機会は減らした方がいい。男手があるから一度でたくさん買おう……とはいえないところが申し訳ない。僕たち英霊が気安く外出することで、相手マスターに姿を晒してしまうことになりかねないからね」
「はぁ」
「霊体化してついてはいくから安心してほしい。……だから、いつもより多少多めに買い出しをしたら、日持ちする料理をまとめてつくっておこうか」
「わかりました」
外出する前に着替えようと、部屋に引き篭もる。
部屋着を脱いで、胸に刻まれた刻印に目を落とす。指で触れても、特別なものを感じ取ることができない。
羽根のようにも見える令呪は、3画でできているのに、直線のように無骨なデザインだった。
「これが、令呪」
気分はどんよりと沈んでいく。
これを隠しておけば、戦争の間中も一般人として生活を営んでいけるのではないか。
「なんて妄想、あの槍使いが昨晩に強襲してきてるんだから、あり得ないことだってわかっているはずなのにね」
この戦争を生き抜く意味。戦うという意志。誰かを害そうという決意。
手のひらを見つめる。沈思。再起動。
部屋のドアノブに手をかけると、ドアノブは外からの冷気のせいか、手の甲まで貫くほどに冷たかった。
玄関先ではセイバーが、屋敷を、目を細め眺めていた。
「準備はできたかな?」
「はい」
「気配を感じたら手を引っ張るからね。綾香が気を張る必要はない。晩御飯に何を食べようかでも気楽に想像していて」
「わかりました」
玄関を出ると、さっきまであんなに存在感のあったセイバーの気配が消えてしまった。
「さぁ、行こうか」
頷き返し、わたしは鍵を閉めた。
街並みは、普段と変わり映えせず、昨夜のことがすべて嘘のように思えた。信号の青と赤が入れ替わるたび規則的に横断歩道を渡る人々。
外は眩しくて、視界が少しだけ褪せていた。
本当にセイバーはついてきているのだろうか?不安を感じているという意味ではなくて、無言の状況が少し気まずい。誰もいないのに独り言をいう人に見られる可能性を考えればそうして当然なのだけれど。
3つ目の角を曲がったところで人気のない小路に入り込んで、
「ねぇ、セイバー」
と抑えた声で話しかける。なんだいという返事はすぐさま返ってきた。
なんだいと返されて、特に用事があるわけではなかったことを思い出す。メガネの橋をくいっと押し上げながら、頭をぐるぐると働かせる。
「たっ、たとえばなんだけど」
まだ頭を働かせる。話題が出てこない。
あっ、と。そこで自分より年上の同じ高校に通っている人のことを思い出す。
あの人も絶対にサーヴァントを召喚しているはず。
「日常生活を送るっていう意味で、こうやって買い出しに来てるんだけど、平日の……学校って、どうすればいいと思う?行かない方がいいの?」
「行かない方がいいというのはその通りだね。規則的な動きを取るというのは、罠を仕掛けられやすいということでもある。聖杯戦争は夜中に行われるというのは暗黙的な了解ではあるけれど、全員が全員、分別のついたマスター、サーヴァントというわけじゃないから」
「その。学校に、多分。というか絶対に1人はマスターがいます。玲瓏館のマスター。沙条の家と同じでこの土地に根差した魔術師の家系の人です」
学校一の美人で、人を寄せ付けないようなカリスマ性を漂わせ一目置かれ、かといって誰とも馴染まないわけではない。瑕疵の一片さえ目に映らない、完璧な人。
この地に根差す名門の出身という意味ではわたしと同じはずなのに、大違いだ。
「
「えと、ない、です。全く」
「……戦争への方針・協定のようなものが先代からの密約として残っていたりもするかもしれないから何とも言えないか」
「何の話ですか?」
「昨日の襲撃も、玲瓏館のマスターによるものの可能性もあるということだよ」
「あっ」
そうか。だとすると学校に通うのはリスクが大きいのか。
「もちろんそうと限ったわけではない。月曜の学校で、もしかすると今まさに沙条邸を訪問しに来て、協定を結ぼうと交渉を持ちかけに来るかもしれない」
「交渉内容次第ですけど、戦争の終結直前までは玲瓏館との激突を避けられるかもしれない?」
「その通り」
よくできました。と言わんばかりの明るい口調だった。
「もちろん、魔術的な契約事だから破れば相応のペナルティーをいただきことになってしまうから注意が必要だよ。相手もね、抜け穴を突いて、いざというときに反故にできるつくりにしてくる。そういうものなんだ」
「そう、なんですね」
魔術師同士の契約事なんてわたしが知るはずもなく、途端にゾッとしてくる。
「平日に通うのなら、もちろんぼくも霊体化して学校についていくことになる。そもそも沙条・玲瓏館はサーヴァントを召喚して当然と思われてるはずだよね?霊体化でもサーヴァント相手には気配を悟られることはあるけれど、沙条の家は想定通りに召喚しているんだと思われるだけだから」
学校に敢えて通い続けることで、勘繰らせることもできる。そのあたりも含めて、帰ったら方針を立てようか。
はい、わかりました。
小路を出る。
どっと疲れた気分になった。聖杯戦争の作戦会議、か。ずっと聖杯戦争から逃げたかった。
誰かが目に見えないところで、目の前で、死んでいく。
そんなものと無関係でありたかった。
(いま、前向きに戦争に参加しようとしてるマスターみたいだった……)
そういう振る舞いをしたかったわけではなかった。
とにかく、今はこの買い物を終わらせることだと気持ちを切り替える。
マスター全員と契約して、わたし沙条綾香は聖杯については放棄いたしますので、戦争事はわたし以外で行っていただきたい。害しようなどと考えないでください。
そうすれば平穏な一日は戻るのかもしれない。
(一旦、そっちの方針で行きたいな)
スーパーはあまり混んでいなかった。地元の人が割と使うスーパーなだけに、まるっきり近隣とは言えないまでも、沙条邸から徒歩圏内に屋敷を構えている玲瓏館美沙夜とすれ違ったりすることを想像したのだけれど、よく考えるとあちらは元々魔術師界隈だけでなく、一般的な社会においての成功も収めていた家系。今の様子は知らないけれど、家政婦もいたという話を聞いたことがあるくらい。
わざわざ本人が買いに来るわけもないかと思い直すと、少しだけ心のモヤが晴れた気分になって自動ドアをくぐる。
きんぴら。煮物。
それから鍋物用に豆腐、にんじん、しらたき、白菜、しいたけ、もやしとかも買っておこうか。
あとは……。
「肉・魚が入ってないけれど。タンパク質は重要だよ」
生鮮食品売り場を素通りしたところで、小さな声が背後からかけられる。
「……でもその。肉料理が苦手で。魚も」
「ベジタリアンっていうやつかな」
「そういうわけじゃ……。ただ、なぜか、気持ち悪くて苦手で。既に加工されて原形が失われてるものなら、まだ食べられるんですけど」
「うーん。どういう形なら食べられる?」
「ひき肉の料理とか、そもそも豆腐で代替するものとか、です。調理後のひき肉はいいんですけど、売られパックに包まれてるひき肉はちょっと見た目が気持ち悪くて、触りたくないくらいです。卵料理がもっぱらですね」
「なるほど」
「?」
会計を済ませてスーパーを出る。店内にいたのは10分にも満たない程度の時間だった。太陽はまだ高く上っているというのに、夕方の兆しを見つけたような焦燥感が心を這っていた。
早歩きをするように、帰宅した。
帰るころには午後2時。独特の暖色の空が、この東京を染め抜いていた。なかなかこんなにたくさんの量を1回で購入してすることはないから、玄関に上がるや、どっさりとレジ袋を、たたきの上の床に置く。
「お疲れ様」
セイバーがすーっと、レジ袋を継いで、キッチンの方へ歩いていく。それから慣れた感じで、中身の食材たちを冷蔵庫に詰めていく。
サーヴァントって、召喚されるときに現代の知識を与えられるらしいけれど、どれくらいのことを知っているんだろう?
ぼんやりとそんな益体ないことを考えつつ、ようやく立ち上がったわたしもキッチンへ向かった。
家の補修もなんとなくだけど終わりつつ、結界もできる範囲で掛け直し、今後の日持ちする用の煮物などをつくる。
気づけば時刻は7時ごろとなっており、現在、わたしはセイバーと鍋を囲んでいた。
「サーヴァントもご飯って、食べるんですね」
「基本的にはマスターからの魔力が資本だから食べなくてもいいんだけどね。でもやっぱり、生活をしているって感じること自体が、精神的な健康に繋がるというのかな。そんな感じだよ。ご相伴に預かってごめんね」
「そんなこと……。結構いろいろなところでセイバーに任せちゃったところもありましたし」
「あれくらい当然だよ。久しぶりに料理をすると楽しいね。……もうそろそろ煮えたかな。蓋を取るよ」
そういってガラス蓋をセイバーが取ると、一気に湯気が部屋を立ち込めて、メガネが曇った。これじゃ、前が見えない。鍋なんて一人ではあまりやらないからこの感じを忘れていた。
(しょうがない)
メガネを外す。
「いただきます」
箸で狙いを定めていると、セイバーがわたしの方に顔を向けて目を見開いていた。こてんと首を傾げて
「どうかしましたか?」
と問えば、
「いや、何でもない。……いや、うん。なるほどね」
と、何かに納得している様子?
「?……わたしのことで何か」
「いや、ね。メガネを外した方がかわいいんじゃないかなって、思っただけだよ」
「えっと……それは」
お世辞、だよね。というかこの人、いきなり何を言い出すんだ?!不覚にも顔が熱くなってしまったじゃないか。
「お気遣いありがとうございますね。じゃあ、白菜!」
とった白菜を、おろしポン酢につけて口に運ぶ。ポン酢独特の酸味と大根おろしが白菜にまとわりついて、白菜を噛むたびにシャキシャキとした食感が、またたまらなかった。
窓越しに外を見ると、既に外の様子を見て取ることができず、色素の抜けたわたしの鏡が映っていた。
こうして少しずつ、街の人気は少なくなっていき、魔術師たちのための夜が近づいていた。
お姉ちゃんを出すタイミング……。割としばらくおもしろくないです