忘れじの 行く末までは 難ければ   作:○△□☆

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8. ゲームのルール

 霊体化した状態で、綾香の側に立って玲瓏館の邸宅を見上げていた。

 セイバーはこの場所を知っている。

 前回の戦争の終結後に、大聖杯から綾香を抱えて霧散しつつあった自身の魔力を必死に押し止めながら、綾香をこの場所に預けたのだった。

 

 今日話していてセイバーがわかったこととして、綾香は1991年の大聖杯のあの場所における記憶、いや、さらにそれ以上に、聖杯戦争の前後の記憶がすっぽりと薄れてしまっているようだった。

 こんこんと眠り続けた後に、きっと何もわからない状態で玲瓏館の屋敷の中で目を覚ましたのだろう。

 

(サーヴァントの気配は屋敷内には無いようだけれど)

 

 セイバーは冷静に屋敷に向けて、意識を飛ばしていた。もちろん相手の気配遮断能力、霊体化などを考慮した場合、この程度の気配の探りなど意味を持たない。

 

 サーヴァントの気配はない。しかし、魔術師一人、屋敷からこちらを見つめ返しているようだった。

 

 それは計画に基づいた挑発なのか、単なる無謀なのか、セイバーにはわからなかった。しかし翻せば、やはり玲瓏館がサーヴァントを召喚しているのは確定的だと判断できる反応だ。

 無論、玲瓏館が召喚しないはずないというのは、ある程度聖杯戦争の準備をしている魔術師たちなら当然の事実だ。だからこそ、この程度の挑発をしたところで玲瓏館の被る不利など有ろうはずもない、ということか。

 

(さらに踏み込んで考えると、周囲のどこに敵サーヴァントが潜んでいるのかもわからないってことだ)

 

 結局のところ、今まさに玲瓏館側と事を構えようという好戦的な戦略を取るでもないのならば、この場所に留まる意義は存在しなかった。

 

「引き返そう、綾香。もうここで得るものはないと思う」

「やっぱり玲瓏館の魔術師とも戦わなきゃいけなくなるってこと、ですか?」

「そうなるかどうかは、交渉次第だけれど。サーヴァントを召喚しているのは確かだと思うな」

「そうですか。帰りましょう」

 

 二人は、点滅する街灯、人通りない路地、時折2階の一室だけ光っている家を横目に緩やかな坂を降りつつ、しばらく寒さに手を悴ませながら無言で帰路についた。

 

♦︎

 

 セイバーは綾香が自室に閉じこもるのを確認するやその隣の部屋で、壁に背を預けるような格好で腰を下ろして目を閉じた。

 

 壁越しに綾香の気配を感じている、というと変質者っぽいけれど、夜に話しましょうという愛歌の言葉が頭を離れなかった。

 綾香から愛歌への意識の切り替わりというものがああもなだらかに起こるということが薄気味の悪さを感じさせた。きっと綾香は、自分が不自然な会話をしていたことに気づいていなかっただろう。

 どこからが綾香でどこからが愛歌なのか。そういう線引きのできない複雑に混じり合った状態に陥っているのだとすれば、その知恵の輪の解消をどう導き出せばいいのか。

 

 現世の人類にとって不尽の権化とも言える沙条愛歌に対して、綾香という犠牲なしには何の対策を打ち得ないのならば、過去の清算をし終えることなく8年前の戦争から去ってしまったセイバー自身の責任だ。

 少なくともセイバーはそう考えている。

 

 やはり、深夜というのは覚悟を固め直すのにはこれほどとない時分である。

 

 しばらく目を瞑っていると、隣の部屋の扉の開く音がした。

 セイバーは、その代名詞ともいえる蒼銀の鎧に換装して、目的の人物と対面しようかと考えたけれど、考えただけにしておいた。

 白のニットのセーターに黒のパンツというシンプルな出で立ち。その長身にはよく映える。

 

 (くだん)の人物は歩いて歩いて、最後にはガーデンへと辿り着いた。

 少女の背後を追い数メートル付かず離れずの距離を保って、ガーデンの入り口でセイバーは立ち止まった。

 

「ガーデンはね、特別な場所」

 

 そう告げるのは沙条愛歌の後ろ姿をした少女だった。セイバーからはどのような表情で語っているのかわからない。

 感情の込められていないモノトーンな声色にも聞こえるし、かえってそれが落ち着いて、抑制的でそれでいて情感的な印象を与えるようにも感じ取れた。

 

「綾香も、むかしそう言っていたね」

 

 亡くなってしまった沙条のお母様が娘のためにと残したもの。遠い過去から、どうか幸せでいてくださいと、撫でてあげることのできない自分自身を悔やみながらも、ひたすらに大切な人の幸せのみを願った……。

 

「そうなの」

 

 愛歌は手を後ろで組んで、まるで感じ入るように上を見上げていた。好意的に解釈すれば、セイバーからはそう見える。

 

 けれどイントロはこの程度に。

 セイバーには問いたいことが多くあった。

 

「君は何が目的でこんなことをしているんだ」

「こんなこと。それってどんなこと?」

「実の妹の身体を奪っているだろう」

「セイバーにはそう見えるのね」

 

 いまだに背を向けている愛歌の感情は窺い知れない。

 

「違うっていうのか」

「逆に。私が綾香に身体を乗っ取られているとかね。考え方は色々あるじゃない?」

「昨晩は、僕が君を背後から刺したときに綾香にかかった血を触媒にした魔術だと言っていたじゃないか」

「それをあなたは信じるの?他でもない、私の言葉を」

 

 今もなお背中を向け続けている愛歌を見ながら、8年前のシミュレーションを頭が演算し始めていた。

 計算して、やはり意味のないことだと頭を振った。

 そもそも8年前だって、裏切り紛いのことをしたかったわけではなかった。手順・方法がいかに悪辣であろうと、その動機だけに目を向ければ、純粋にセイバーの願いを叶えようとしてくれただけだったのだから。

 

 だからこそ、セイバーには背を向け立っている少女が何を考えているのか計り知れないところがあった。

 

(この前の戦争では裏切ってごめん!今回は協力して平穏無事に戦争を終結できるようにしないか)

 

 そう気軽にいえるほどセイバーは無神経ではない。

 

「そんなに悩まなくたっていいのに。私はね、この戦争ではどうしたいのかセイバーに伝えたかっただけ。つまりはセイバーが聞きたかった、何が目的なのかってことね」

 

 沙条愛歌が振り返る。

 少女然とした年若い顔立ちではあるものの、以前マスターとサーヴァントという関係であったときと比べれば、浮き足立っていない、落ち着いた表情があるように感じられた。

 

「聞かせて?今回の戦争におけるセイバーの望みはなあに?」

「願いはもう置いてきたよ。ただ過去から今へとバトンを繋いでいくことだ」

「ふうん。ふふ、だったらもう、私は自分の願いを叶えるだけだわ」

「愛歌の願い?」

「ええ。私の願い。ひいては今回の戦争で私がセイバーとしたいこと」

「……。それは何かを巻き込んで、罪のない誰かを不当に貶めるものではないんだろうね」

「ええ。()()()()誰かを貶めるなんてことにはならないわ」

「そうか。それで、やりたいことというのは?」

「まずはね、セイバーがこの身体を守り切れなかったなら、私の割合を増やすわ」

「愛歌の割合を増やす?……どういうことだ」

「んー。そうね。今から私とセイバーでゲームをするの。とっても楽しいゲームよ。聖杯戦争と、この身体を使って。きっと気に入ってくれるわ。だってセイバーにも悪くない賭けだもの、ね?」

 

 そうはいうものの、きっと悪趣味な提案なのだろうと、セイバーは思っていたし、事実その予想は合っている。

 

「この聖杯戦争で沙条綾香に致命的な外傷が与えられたとき、私が表に出てきてそれをリカバリーしてあげます」

「リカバリー?外傷を直すということかい?」

「そう。でもねそれだけじゃあなくてね、綾香の1日の時間の2時間分をもらうわ。ね?おもしろいゲームでしょう?」

 

 言葉だけを聞けば、悪くないように思えた。そもそも綾香に致命傷が与えられた時点でゲームオーバーのところを、愛歌によって回復を受けることができるのだから。

 代償として、24時間の内の2時間分を愛歌に奪われるのだというのは重くのしかかってくるが、それこそ綾香を守り抜くことさえできれば何の問題もない。

 冷静に判断すればそうなる。けれどなんだろうか、この不安は。何かを見逃していないか。そう簡単に安心して良いものか。

 

「今はね、1%ってところかしら。つまりおよそ15分。そこから少しずつ私という存在に書き換わっていくわ。12回で完全に私の身体になるわ。でも何も問題ないわよね?どこにでもいるような娘が一人いるか、私が一人いるか。その重要性なんて、比較するまでもないことだもの」

 

 沙条愛歌という少女の身体がいかに異常かはセイバー自身理解しているが、それとこれとは話が別だ。

 成すことのできる奇跡の大きさという意味で、もしかするとこの沙条愛歌に及ぶ人類は存在しないかもしれない。過去現在未来の3界を含めた上で、極上の魔術回路の質を持ち得た人の形をした生き物。けれど、同時に他者(ひと)の命を命とも覚えず弄ぶ、無垢な少女。

 

 それに。

 

「人の輝きは成し得る奇跡の大きさで決めるんじゃないんだ。大切なものやことや誰かを悼み、慈しみ、涙を流す人の情こそが、ふとしたときに人の背中を押したり引き留めたりして、世界を正しく循環させて導いていく」

 

 見知らぬ誰かの幸福を祈り、次代へと繋いでいくこと。

 過去を生きた英霊として、もはや亡くなった国の王だったとして。その礎の上に今を生きる人々の営みがあるのであれば、セイバーは愛した国が滅んでしまったという事実すら意味のあったことだと受け入れることができる。

 それを教えてくれたのが幼い少女だった、沙条綾香だった。

 

「世界を、正しく?うふふふ。世界なんてもの、いつだって私と繋がっていたわ。多くの人の想いの繋がりの総体が世界の均衡をとっている?おもしろい考えね。私も否定しない。けど、ね。そんな均衡、私みたいな人間一人がふと魔が刺しただけで簡単に崩れてしまうの。世界は私を愛してくれていたから」

「そうかもしれない。けれど、前回の君は成し遂げることができなかった」

「私を殺したのは、だあれ?」

「それは、僕だ」

「そう。あなたに胸を突き刺されてしまった。だから成し遂げることができなかった……。あのときの私はあなたの願いを叶えてあげたくて、盲目的で。あなたに拒絶されるなんて思いもしなかった」

 

 愛歌は、過去に突き刺された胸の正中線をすーっと撫でながら、愛おしそうに口元を緩めていた。

 

「今の僕は、ブリテンを滅亡から救おうだなんて考えていない。だから、愛歌は8年前のようなことをしようなんて考えなくても良いんだ」

「そう。そこなのよ。8年前の私は、セイバーに愛されたくて。あなたの願いなら何だって叶えてあげたくて、だから聖杯の出力を外付けにして、過去へのパラダイムシフトを起こそうとしたわ。でもセイバーがそんなことを望まないなら、ふふ、やらなくても良いわね」

「聖杯戦争に協力してくれるならありがたいさ。けれどそれ以上のことは望まないし、仮に愛歌が現代での肉体を手に入れたいのなら、綾香の身体をわざわざ乗っ取ろうだなんていう迂遠な方法を取る必要はあるのか?」

「でもね?」

 

 私、知らなかったんだけれど。と言いながら、セイバーの目を覗き込むように、上目遣いで、懐に潜り込んだ。

 

「女の子ってとっても欲張りで、ずっと嫉妬深いみたいなのよね。結局昨晩あなたに伝えた通り。あなたの好みが綾香なら、私が綾香になればいい」

「ふざけないでくれ。身体を乗っ取ろうが、ある一個人を一個人たらしめているものを侵すことなんてできっこない!」

「それはどうかしらね?例えば、今朝から今に至るまでの間。私は綾香の時間のおよそ15分を使えた。今セイバーと話してる時間が5、6分ほど。……ね。もし私が綾香としてしゃべっていた瞬間があったとして、あなたに判断がつけられる?」

 

 つけられるに決まっていると言おうとして言葉に詰まった。

 幼い頃の綾香と少しの時間関わりがあっただけで、基本的には今日一日だけの付き合いのセイバー。

 愛歌とは前回の聖杯戦争を共に戦ったと言えるのかは疑問符がつくけれど、それでも言葉を交わす機会は何度もあったし、作戦会議のようなことだってした。その中で、常人とは思えない思考様式に触れて、冷や汗をかく機会があった。

 

 セイバーにあるのは、沙条愛歌という人物に対しての人外じみた感性をある種の信頼。それ故に見破れると考えているのであって、綾香のことをよく知っているからというわけではなかった。

 

 ならば、大きくなった綾香のことはこれから知っていけばいい。

 

「おおかたそんなことを考えているのでしょう?けれどこれからセイバーが知っていく綾香というのはすでに混じり物なのよ?だったらセイバーのできることなんて、私を含めて受け入れるってことでしょう?」

 

 これから聖杯戦争と同時に進行する、沙条愛歌とセイバーの間で行われるゲームには、基本的にセイバーに対して完全な勝利というものは存在しないようだった。

 露悪的な言い方をするのであれば、これは沙条愛歌による陣取りゲームだ。取られた陣を取り返す方法は不明。問題は、いかに沙条愛歌からの侵攻を抑えられるのかということ。

 

「僕が綾香を守り切ることができればいいということだろう?」

「そういうことだけど少し訂正するわ」

「なんだい」

「私も守ってね」

 

 ここのところでいちいち突っ込んでいたら埒が明かないから、スルーする。

 

「聞きたいことがある」

「なあに?」

「例えば、僕と敵陣営の交戦中に、綾香の身体を乗っ取ってわざと不利な状況に綾香が置かれるように細工をするということはするのか」

「いたしません」

「それから、綾香に致命傷が与えられたと判断するラインは?例えば10日後に死ぬという呪いがかけられた場合、どのタイミングでルールが適用される?」

「10日後の死ぬ直前よ」

「これで最後にするけれど、世界が滅亡するほどの魔術もとい魔法の結果として綾香が致命傷に陥った場合は、綾香を守るという結果を起こすためには世界も救わなければならなくなるだろう?しかし、君の魔術的な出力を考えると瞬時に対抗魔術を起動して世界を守るなんてことができるようには思えない。その場合はどうする?」

「なかなか面倒な想定をするのね」

 

 さしもの沙条愛歌も苦笑いをしてみせた。うーんと考えて、パンと手のひらを合わせて、

 

「そうならないように頑張りましょう」

 

 にこりと笑った。

 結論をぼかされたようにも思えたが、おそらく愛歌の力を考慮したときこれが限界ということなのだろうと判断してセイバーは追求することをやめた。

 

「じゃあ確認することはもうないわね?それじゃあ、今晩はここまでね。……ふぅ。なんだか眠くなってきちゃったわ。おやすみ、セイバー?」

 

 そうして愛歌は退屈そうな足取りでスタスタと部屋へと戻っていった。

 セイバーは再び霊体化をして、一人物思いに耽っていた。絶対に綾香を守り切るのだという固い誓いを立てて、隙を生まないようさらに精神的な集中を高めていた。

 

 けれどそれも薄氷だ。

 例えば、前回の聖杯戦争で沙条愛歌が大暴れした結果、玲瓏館美沙夜の身体は今回の聖杯戦争をタイムリミットとした時限爆弾となって、タイムオーバーの後に屍人となる呪いがかけられている。

 例えば、前回の聖杯戦争で沙条愛歌が大暴れした結果、ライダーのマスターたる半死半生の少年・伊勢三杏路は、ビーストのカケラを体内に埋め込まれて、元々残り少ない命をさらにすり減らした。そればかりか、人道的とは言えない苦痛を押し付けるばかりの治療により、死ぬことも許されないでいる。

 例えば、前回の聖杯戦争で沙条愛歌が大暴れした結果、前回の実質的な勝利者として聖堂教会、時計塔の構成員たちから目されている状況。単なる沙条の生き残りである綾香よりも、沙条愛歌が存在しているという事実の方が甘美であろう。

 

 つまり、沙条愛歌というカードの切り方次第では全てのマスター・サーヴァントを一手に引き受けて戦い抜かなければならなくなり得るということ。

 セイバーはそのことを認識しているはずもない。一方の愛歌はよくそのことを理解している。いくら凡俗程度のことを精細に認識できないとはいえ、元凶なのだ。

 

 このセイバーと愛歌の間の知識の非対称性が今後の聖杯戦争における進展になんらかの影響を及ぼすのかはいまだ知れないことだ。




※ハッピーエンドです
※既に消してしまいましたが元々の話からはズレない予定です
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