お待たせしました、シュテンの過去編となります。
完全オリジナルのシナリオと設定です。
これは遠い遠い昔のお話である。ペンギン急便が設立されるよりも、龍門が龍門たらしめるよりも昔。それこそシュテンが産まれるよりも遙か昔に起きた極東での御伽噺だった。
オニと言う種族もいなかったその時代。極東では今では考えられぬほどに多くの古代人で溢れかえっていた。
戦も起きない平和にも等しい地。土地の関係上、他の地とは隔離されている彼らであったが何一つ不自由なく暮らしている。
そんな時であった。本来ならいる筈もない生物が突然極東に生まれ落ちる。
体長は凡そ成人男性の二倍。筋骨隆々であり、拳一つで鋼を容易く砕き、その身には傷一つ負わない化け物。白髪が逆立ち、片角の悪魔のように鋭い目付きを持つ生物であった。
何故そのような怪物が生まれたのかも未だ不明である。宙か海か──何処からにせよ、彼が及ぼした影響は果てしなく大きかった。
思うままに力を振るい、歯向かう古代人を殺害。武器も、アーツも、
一騎当千の暴虐王。男共は馬車馬の如く働かせ、女共は己の肉欲を満たす道具。そして自らは酒を呑み続ける酒池肉林。国交を持たない極東であったからこそ、化け物の望むままの世界が構成されていた。
だがその時代も長く続く事はなかった。多くの男が衰弱して死んでいき、女達も怪物の子を孕む中で多くの者が耐え切れずに死んだり、発狂したり、自害したりする。
だがその中でも確かに生まれ落ちた命があった。古代人と怪物の混血。人の心を持ちながら巨大な力を持つ子供達であった。
だが怪物には到底適わないほどの実力。それでも多くの者達は母の無念を晴らそうと集い、計画し、怪物を退治する事を決めた。
平和ボケしていた怪物の酒に毒薬を混ぜて大量に呑ませる。無論、その程度で死ぬ生物では無かったものの、確かにダメージは蓄積されるものだ。
そして寝静まった夜に数十人に及ぶ息子達に惨殺された。幾ら本人に劣るとは言え、彼らもまた、古代人とは遠く掛け離れた化け物なのだから。
そして多くの古代人が死んで行った中で残された子供達は平和で暮らしていった。まるで過去を忘れるようにして幸せに永い生涯を終えていった。
そして多くの種族と交わり、過ごしていく中で化け物血筋は次第に薄まっていく。その血も精々人より秀でている程度の肉体となって来た時には、極東にはオニと呼ばれる種族が支配する土地となった。
それが語り継がれない怪物──酒呑童子。鬼の始祖にて傍若無人の怪物。何時しか人々の記憶には消え去っていた歴史である。
そしてシュテンの物語はここから始まる。
酒呑童子の名を知る人々が一握りしかいない極東にて起きた悲劇。
酒呑童子を知る者達も亡くなっていき、風化して言った頃。何十年、何百年と時の中で化学と技術が大いに発達し始めた極東で、一つの実験が行われていた。大いなる意志の元集まった異様な集団。その大元となる人物は、酒呑童子を惨殺したあの日に埋葬を申し出た人物の一族である。
その者は自らの手で酒呑童子を惨殺しておきながら、その強さ、その生き方に誰よりも心を躍らせていた。自身には到底出来ない自由気ままな生活。嫉妬と憎悪と羨望と期待を混じらせながら、その計画の片棒を担いだのだ。
そしてその者は埋葬するべき遺体を全て持ち帰り、保管した。目的も計画もあった訳では無い。ただその様になりながらも勿体ないと、本気でそう思ってしまったのだ。
それは子供、孫、曾孫へと受け継がれていく。腐りゆく肉体。それでも何故かその血は鮮血のように何にも侵されない神秘的な輝きを放っていた。
そして様々な叡智を集めて作り上げた集団と研究所。酒呑童子を崇め、現世に呼び戻そうとするカルト集団である。
酒呑童子を現世へと呼び戻す為に志望者を募い、その集団は様々な人体実験を繰り返してきた。
その血を投与──発狂または拒絶反応を見せて死亡。
その血を飲用──内臓が破れて死亡。
その血を塗布──皮膚が爛れていき激痛により自殺。
多くの実験と死者を出しながらも結果を出せないままでいる為、彼らは頭を悩ませていた。
その後、彼らの対象は崇拝者達の子供や幼児にも及ぶ。だがそれであっても芳しい成果を得られないでいた。
そして最終的には対象は胎児へと移る。まだ母親の腹部にいる子供や受精卵、ありとあらゆる状況下の妊婦へと投与を繰り返した。
多くの母体が耐え切れず死に行き、胎児もまた、人の形を為す事が出来ずに流産していく。
ありとあらゆる手を尽くしても実らない結果の中、人の身に宿すのは不可能と諦めた──その時であった。
受精卵にその遺伝子を組み込み、被検体の中で生き抜いた貴重な一人。その彼女は激痛を訴えど、他に異常もないまま生きていた。
研究員と一族の誰もが期待に胸を躍らせる中、母体は痛みに耐え切れずに精神的に狂ってしまう。
二年の月日が流れても、産まれる気配の無い赤子。だが確かに検査を行なえばそこに生命は宿っている。ただ生かされているだけの母親は暴れる気力すらない程に痩せ細っていた。
そして更に一年が経過したところで異変が起こった。異様な程に発達した腹部を押さえながら、突如母体は苦しみもがくようにしてのたうち回る。
来るべき時が来た──そう一族達はその光景を今か今かと目を光らせて見つめ続けている中、ついに誕生した。
三年の歳月を経て母親の腹部を突き破るようにして生まれた子供。髪と歯が既に生え揃っており、生まれながらにして二足脚で立っていた。
真っ赤に染まった白髪と伝説通りの片角を持つ被検体No.0410。
彼は地獄の中で産声も上げずに産まれたのである。
なにか最後に一言ポツリと呟いたものの、母体は衰弱も相俟って息を引き取る。そんな母をチラリと一瞥した酒呑童子を継ぐ忌み子。
すぐさま母体の死体を処理し、忌み子を拘束しようとした研究員達はその体に触れようとした瞬間、嫌がるように振るわれた拳によって吹き飛ばされた。
一瞬の内に壁に叩きつけられて失神した仲間を見て彼等は畏怖するどころか歓喜の笑みを浮かべる。幾ら研究に没頭していたとは言え、腐っても肉体的に優れているオニ。忌み子の肉体に宿る膂力は、並大抵では無いのを一見して理解出来た。
そして忌み子は腫れ物を扱うようにして別室へと移動する。そこは研究員達が技術を存分に奮って作られた、源石爆弾でも傷一つ負わない部屋であった。
何一つ言葉を理解できない忌み子はただ待機している。表情も変えずに部屋の中をウロウロしたり、壁を叩いてみたり。様々な物事に興味津々のようで部屋中を動き回っていた。
トイレとシャワーをジェスチャーにて学び、後は指示通りに行動が出来れば食事が提供され、違えば食事を抜かれる。そんな生活を繰り返していた。
研究員とコミュニケーションも簡単ではなかった。何せ忌み子には言葉も常識も何も通じはしない。そして不用意に知識を持たせない為にも一族は教育など一切させなかった。
腕力や脚力を測定する内は忌み子も言われた通りに行動している。だが次第に痛みを伴う──酒呑童子の回復力や耐久力を試す試験となると忌み子は強い拒否反応を示していた。
だが飢えを凌ぐには彼等の言う通りにしなければならないのは忌み子も理解している。だからこそ、痛みを堪えて彼は耐え忍んでいた。
そんな日も数年が続いた時には異様な速度で忌み子の身体は成長している。胎内にいた事を考えても十には満たない年齢。だが彼の見た目は既に成人男性そのものであり、そしてその思考や理性も近しいものとなっていた。
だが研究を続けてきた彼ら一族にとって、これまでの結果は芳しいものではなかった。確かにありとあらゆる分野にて高水準を叩き出していたものの、逆に言えばその程度。
伝説とも言える強さを誇った酒呑童子には遠く及ばない存在であったのは、誰の目から見ても言えることだった。
そして一族一同は顔を合わせて話し合う。全ては酒呑童子復活の悲願の為に何を成すべきなのかを。様々な仮説や議論、推測が飛び交う中で、彼等の中では一つの方針が決定される。
それは酒呑童子の血を忌み子へと投与し、より本物へと近づけると言う結論であった。
そして数日後、忌み子は何も告げられぬまま、その腕に酒呑童子の血が入った注射器を打ち込まれる事となる。
怪訝な顔をした忌み子であったが痛みを生じないのであればと気軽に受け入れてしまった。それが如何に過酷な物であるかも知らずに。
突然強烈な吐き気と目眩を催した忌み子はその場で
副作用が出た、と研究員の一人が制止を振り切って忌み子へと近づく──その瞬間、彼の振るった拳で肉塊と化した。
飛び散る血と肉の中、忌み子は悪魔のように笑みを浮かべる。真っ赤な瞳を大きく見開きながら、未だ収まらぬ殺人衝動を肉塊へと叩きつけ続けていた。
その結果に一族は継続的な血液の投与を決定した。投与される度に彼の力は大きく増大され、凶悪性が増していく。実験も徐々にエスカレートしていき、源石生物の殺害から始まり、次第に人を殺す事も当たり前となっていた。
そして彼自身の耐久試験もより過酷なものになる。切られ、焼かれ、殴られ、潰され。落ち着きを取り戻した際に拘束されては拷問のような、それこそ四肢の切断さえ最終的には行われていた。
一族が管理していた酒呑童子の血がほとんど費やされた頃。彼の肉体は最早彼らには測りきれない程の性能を誇っていた。軽く振るう拳で源石爆弾ですら傷つかない部屋が大きく罅を作り、走って駆け抜ければ撃ったボウガンを追い抜く事さえ可能。鋼の肉体も最早準備しておいた武器では皮膚を切るのが精一杯。
そしてその血も酒呑童子に適応してきた為か、殆どオリジナルと変わらない純度を誇っている。
まさに彼等が求めていた酒呑童子がそこにはいた。
常に殺意を纏う忌み子は凶悪な笑みを浮かべ続けている。そんな扱いを受ける事になっても何故彼が何もしないでいたのか。
それは彼自身がそこに居る事で全てを学んでいたからだ。言葉を、仕草を、態度を。目線も歩き方も全て彼は無言のまま吸収し続けた。
未だに研究員達は忌み子は言葉を理解せず喋ることも出来ない──そう、思っているがそれは間違いである。
彼は既に会話の八割の言葉を理解しており、その仕草や態度から何を示しているのかを十全に理解していた。
忌み子は自身が実験動物に過ぎない事を知っている。酒呑童子と言う存在について詳しく知る術は無かったが、その化け物を生み出そうとしている事も。
だがそれも全て彼は受け入れていた。本能が決して許さないと囁き続ける憎悪、即ち彼等に復讐を果たす為。
母を実験道具として使った奴等を殺し切る力を得るまで、忌み子は殺人衝動を抑え込み、その血を我が物にしていたのだ。
そして全ての血を取り入れたその直後である。最後には彼の心ごと酒呑童子の血に呑まれ、彼は殺人衝動と心に淀んでいた憎悪を元に、血の思うがまま訪れた研究員を惨殺。容易く扉を殴り壊して室外へと飛び出れば、次から次へと一族を骸へと変えていく。
だが彼等とてこの叛逆を予想していなかった訳ではなかった。酒呑童子の血の研究の成果により、血を投与することが叶わなくても一般的なオニ達にも眠る僅かな酒呑童子の血。それを呼び起こす──所謂先祖返りを無理矢理に引き起こさせる研究を成功させていた。
その数おおよそ五十人。並のオニをはるかに凌駕していながら武術を修めているのだから、戦いの素人である忌み子には荷が重い。苦戦を強いられながらも彼は傷だらけの身体を力の思うまま振る舞い続けた。切られようとも叩かれようとも愚直に拳を振るう。
そして無我夢中で我武者羅に暴れ続けた結果、彼は血溜まりの中で意識を失って倒れ込んだ。
死者七十八名、重傷者二百五十名。それが彼が破壊し尽くした研究所の被害数であった。
その大事件が切っ掛けとなり、酒呑童子の計画が公のものとなる。遂には国が動く大事となるが、最早血に呑まれた忌み子は誰にも手も付けられない存在となっていた。その為、苦渋の選択として緘口令を敷くと共に、忌み子を封印する事となる。
大掛かりな仕掛けの元、彼は山の中へと囚われる事となった。山そのものが大きな結界となって酒呑童子の力を抑え込み、その中の小さな祠に忌み子は鎖に繋がれ、目隠しをされている。
何年、何十年、何百年の時を過ごしているのか忌み子には分からない。
酒呑童子の血と完全に同化した彼は不老の体となっている。空腹に激しい飢えと乾きを感じながらも、文字通り霞を食うだけでも生きていける強靭な肉体。
そして凶悪なまでの殺人衝動に気が狂いそうになりながらも、暴れる事は敵わない状況。精々鎖に繋がれた体を揺さぶる事しか許されなかった。
殺したい殺したい殺したい殺したい──そんな思考が頭を支配し続ける毎日。乾き過ぎて口を開いていても唾液のひとつも出てこないそんな中、一つの声が聞こえてくる。
「へぇ、本当に酒呑童子っていたんだ」
凛とした若い女の声だった。独特な香りの煙たさを感じた忌み子であったが、その声に呼応するようにして、口を開き、叫ぶ。
「──ッ! ──!」
「……あぁ、ずっとこのままだから喋られないのね。ほら」
そう言って忌み子の口の中へと何かが流し込まれる。封印されて以来何も口にしていなかった彼には貴重な水分であった。
次から次へと嚥下して喉を潤していく。全てを飲み終えた忌み子は大きく咳き込んだ後、再び口を開いた。
「殺す! 殺して、やる!」
「……何突然。そんな封印された状態でビビる訳ないでしょ」
牙をむき出しにして叫ぶ忌み子に対し、妙齢の女性は呆れたように見つめているだけである。
狂気に自我を奪われて身を捩ることしか出来ない。それを見て何を思ったのか、女は突如忌み子を優しく抱きしめた。
「貴方辛い過去があるんだって? ……私は味方よ、安心していいわ」
興奮状態の彼は、彼女の肩口へと喰い千切るようにと噛みつかなか。幾ら弱体化しているとは言え、人の皮膚くらいは容易く傷付ける口筋力は有していた。
だが彼女は肩から流血してもその慈愛が消えることは無い。ただただ優しく彼の頭を撫でていた。
そんな日が三日、四日と続いても忌み子の狂気は収まる事はない。五日、六日と経てば彼女の身体は生傷が絶えないものとなる。
そして七日目。いつも通りに女が訪れると、そこには狂気を失った忌み子がいた。
「あら、今日は噛み付いてこないのね」
「……悪かった、な」
荒く、熱い吐息を吐き出しながら、彼は俯いて堪えていた。酒呑童子の血を抑え込むのに必死なのだろう、一切たりとも目を合わせようとしなかった。
「貴方って本当に伝説の忌み子、酒呑童子なの?」
「……違うます。俺は被検体No.0410。忌み子、と呼ばれる、た事もある。が、酒呑童子の血が適合する、だけだ」
「変な言葉遣いね。……でも世間に流れている噂とは違うわ。大昔に人体実験でも行った名残なのかしら……?」
辿々しい言葉遣いで語る忌み子に、彼女は紫煙を立ち昇らせながら苦笑いで応える。
そして世間で
多くの研究データと鬼の始祖である酒呑童子の情報が欠乏している極東。先人と国の力を用いて隠滅してきただけの事はあり、時代の流れもあって真実を知る者は一握りしか居なかった。
実際にこの地も多人数のアーツによって隠蔽されており、並の者では見つけ出すことすら困難である。
「なんで貴方はこんな所にいるの?」
「……知りません。だが、酒呑童子の血が人を殺し、たくなる。だから、ここにいた、と思った。みんなが、殺されるからって」
「ならなんで今の貴方は普通に喋られるの?」
「……お前を傷付ける。だから、必死に抑えてる」
そう語る忌み子に対し、彼女は微笑みながら言葉を返した。
「優しいのね」
「……? 言葉の意味が、知らん」
「うーん、人の為に動けるって事だよ」
「じゃあお前も、一緒」
私はそんなできた人じゃないよ──そう彼女は語り、色々と彼に対して質問を重ねていった。自身の知識と忌み子の重ねてきた経験には大きな差異が生じていた事に大きな驚きを見せたりする。
そんな日々が続く中、彼女が煙管を咥えながらふとした拍子に尋ねた。
「そう言えば貴方の名前は?」
「……被検体No.0410」
「そうじゃなくて、本当の名前」
そう言われると忌み子は不思議そうな顔を浮かべる。本来なら親が子に授ける名前。その習慣も理解していない彼ならばその反応も当然と言えた。
「他の名前は、ない」
「……そうなのね」
どこか寂しそうに呟く彼女の声に理解が出来ない忌み子。目が見えていなくてもその彼女の声色が変わった事を彼は認識していた。
「なら私が決めてあげる」
「名前は必要、なのか?」
「貴方が貴方である為に必要なものだよ。……そうね。酒呑童子の酒呑と、No.0410の410。二つを取ってシュテン。どう?」
名前の意義も意味も分からない忌み子にはその良し悪しなど分かる筈も無い。しかも母では無い遥か年下であろう女が相手なのだ。
たがそれでいても──どこか胸の奥が温かくなるような、そんな感覚を覚える。
「いい、と思う」
「そう。なら貴方は今日からシュテンね」
そしてその日から忌み子はシュテンと名乗るようになった。
それからも毎日訪れる彼女とシュテンは沢山の会話をする。栄養食しか知らない彼に多くの料理について語り、飲料は水しか知らない彼にジュースやアルコールについて語る。
極東の中でも珍しく他の国々を知る彼女は、研究所と言う一点しか知らないシュテンに世界の広さを教え、喋るのも拙いシュテンに多くの言葉を教えた。
その話はシュテンにとっても日々の楽しみとなり、未知に対して大きな期待を膨らませる。想像するだけでも心が踊るような気持ちになっていた。
それはシュテンの最後の心の拠り所だったのかもしれない。
そんな日々が一ヶ月程経過した頃。突如彼女の姿が現れなくなった。突然の出来事に寂しさを覚えたシュテンであったが、元より一人で永年囚われ続けていたのだ、多少の孤独は慣れたものである。
だが一週間、二週間と時が経っても彼女の姿が現れる事は無かった。ただただ彼女の話を反芻するだけの日々。待てども待てども人一人も来ず。
そして三週間が経った頃。いつも通りに巡回に訪れる監視者の足音が響き渡る。特に感慨も無く音が反響して耳に届くが、その音がいつもと異なっており、複数人いる事をシュテンは感じ取れた。
そして聞くつもりもなかった彼等の声が聞こえてくる。
「全く、あの女のせいで余計な仕事が増えちまった」
「だが関係者諸共極刑にした。何も無いとは思うが……」
──頭が真っ白になった。彼等が何を話しているのかが理解出来ない。否、脳が拒絶している。
極刑とは人の死を意味していた筈とシュテンは知っていた。では何故彼女が極刑とは関係あるのか──。
──分からない分からない分からない分からない分からない。
──分からないならば、どうすれば良い?
──嗚呼、そうだ。分からない事は全て彼女が教えてくれていた。
──だから聞きに行けばいい。
身を動かせばジャラジャラと鎖が音を立てた。監視者達からは驚くような言葉が飛び交うが、それ以上は動く事も出来ないと口を揃えて話す。
だがシュテンは理解していた。
ただ復讐の為だけに受け入れたこの力。自我の弱かったシュテンは血に取り込まれ、その力を忌み嫌い、拒絶し続けていた。
意志なき心には力は宿らない。それは酒呑童子の力であっても例外ではない。
だからこそシュテンは決意する。その酒呑童子の血を、力を、狂気を、殺人衝動を。全てを呑み干して我が物とする為の覚悟を。
全ては
無理矢理に押さえ付けて拒絶していた血に応じるように心を開けば、直ぐ様狂気が彼の心を侵食していく。
赤く、より紅く染まる瞳と釣り上がる口角が鋭い犬歯を見せる。
込み上げてくる殺人衝動と狂気に呑み込まれないように堪えた。だがそれは決して否定している訳では無い。その感情を全て自らの意志によるものとし、自身の心と融合させていく。
そして初めてシュテンは酒呑童子の血を自らの血とした。こびりつく殺意に力の制御はままならなかったものの、身体そのものは自身の意思として動かす事が出来る。
大きな咆哮を上げながら、シュテンは身体に力を込めた。山そのものが震撼していると思える程の力に呼応し、大地が揺れる。
怯え戸惑う様子を見せる監視者達の前で、シュテンは強引に鎖を引き千切った。長年封印し続けたアーツによる結界が破壊された為か、辺りには轟音が響き渡るも、シュテンは自由になった両手で金属製の目隠しを破壊する。
久方振りの明かりは目を焼くほどの熱さを覚えたものの、目の前にいるオニ達を視認した瞬間、身体が強烈な高揚感が襲う。その心の赴くまま、自らの意思で大地を踏み締めて駆け出し──一人の首を削いだ。
まさに目にも止まらぬ早業。オニ達が気づくよりも早く、二人、三人と手と足で首をへし折っていく。
ただ暴れる訳ではない、純粋に殺すことに特化した動きは、まさに彼がその力を制御している他ならない。
そして血溜まりの中一人立ち尽くすシュテンと、怯えながら腰を抜かした一人のオニ。そのオニの首を剛力で掴み上げて彼は口を開く。
──彼女のところに案内しろ。
有無を言わさない気迫と威圧感。オニに選ぶ手段などなかった。
山を下り、車に乗せられてどこか遠くへと移動していき、果ては多くのオニ達が住む街へと到着する。
車も道も街も喧騒も。何もかもが初めてのシュテンにとっては余りにも情報過多な世界であった。全てを理解したい、だからこそ早く彼女に会いたい──そんな一心で男を連れて進み続ける。
周囲の奇異な視線を気にも留めず、彼らが着いた先は都市の中心地。一見しただけでも他の建物とは訳の違う巨大なものであった。
そしてオニは慌てた様子で守衛に話し掛ける。滑稽無稽な説明に鼻で笑う男達であったが、後ろにいた者の気配がおかしい事に表情を変えた。
そんな中、シュテンは守衛達を押し退けて一人で敷地内へと進んで行く。当然ながら許されるはずもなく、武器を向けられながら警告。シュテンは見向きもせずにその武器を素手でへし折り、ただひたすらに奥へと進んで行った。
道中では多くの者が彼を阻んだ。その度に頭部を破砕し、首を手で切り飛ばし、死体を投げつけては戦闘不能に追いやっていく。
殺せば殺すほど人が増えていく。だが先祖返りもしていない奴等如きに傷を負う訳もなく、シュテンは問答無用で進んで行った。
そして上階へと進んで行った建物にある一際豪勢な広間へと到達する。そこには今までの者達とは漂う気配の違う初老の男がいた。
「来たか。待っていたぞ」
堂々たる振る舞いで玉座に座す男。彼は極東を総べる現国王であった。
臣下達の助言を無視し、ただ自分だけがこの場に残ると言う豪胆さ。恐らくはオニの頭首と言うだけあって実力にも自信があるのだろう。
「伝説の酒呑童子の忌み子よ。貴方の過去は俺達王族は全て把握している。まさか狂気に呑まれていた筈の理性を持っているとはな。……さて、実験や封印について積もる恨み辛みはあるのは分かっている。その上で問おう。──何故ここに来た?」
「彼女をどこにやった?」
王の言い分など何一つ汲み取ることなく、シュテンは淡々と言葉を返す。
その言葉に王は嘆息した。まさか部下から報告は受けていたとは言え、まさか本当に
「貴方の言う彼女とはこれの所有者の事か? そうであれば既にこの世にはおらんよ」
そう言って王が何かを放り投げると、シュテンの足元へと転がってくる。なんの事かさっぱり分からない彼がしゃがんで拾い上げた物。それは金属製の細長い筒であり、シュテンには見たことも無い代物である。
だが、そこから僅かに香る匂い。それはあの日々で何度か漂ってきた煙と同じ匂いで──。
シュテンはフツフツと湧き上がる怒りを抑えようともせず、その足を王へと進めた。
「話は聞いている。あの女が貴方の心の支えになっていたのはな。だがそれも全て国を滅ぼす為に計画したものだと知っていたか?」
男は悠然とした態度で語る。曰く、極東に恨みを持つ組織がどこからか酒呑童子の噂を聞き付け、あの山を探索していたのだと。
そして長い年月をかけて見つけた
そこでシュテンを懐柔する為に選ばれたのがあの女。
全ては自身の復讐を果たす為、その為に彼女はシュテンに訪れていたのだと。
「つまりは貴方は利用されていただけに過ぎない。極東を恨む気持ちは分かる。俺の命で良ければ差し出そう。……だが、彼女の恨みと言うのであれば、それはお門違いに過ぎん」
「だからどうした?」
「……何?」
「喩え彼女の言葉が偽物であろうと、救われてここに俺という意志が生まれた。呑み込まれていた酒呑童子の中で俺と言う自我が芽生えたんだ。……恐らく彼女の事だ、自身が死のうとも俺がここに来る事を予見していたかもしれない」
唖然とする王の前に、シュテンは殺意を高めながら言葉を続ける。
「だからこそ──俺は恩を返す為にお前を殺す」
「はっ、面白い。これでもオニの王だ。そう簡単に──」
最早続く言葉などはなかった。頭と胴体が分かれてしまえば喋る事など出来る筈もないのだから。
血の吹き出ている肉塊が脳を失い、制御出来ずに倒れ込んで行く。浴びた血が全身から滴り、ぽたぽたと音を立てていた。
鉄の匂いが鼻を刺す。そんな中でシュテンは静かに遺物である筒──煙管を眺めていた。
「貴様等には分からんだろうな。御伽噺の存在と、個として扱われて来なかった者の気持ちが。どれ程その優しさが心を動かしたのか」
だが──そうであったとしても、だ。
彼女の本心がそこには無かったのは、シュテンにとって心を抉るような真実であった。触れ合う中で僅かな情が湧き、そこに優しさがあったのかもしれない。
だがそれも最早答える者はいない。真実は闇の中に葬られ、ただ国の復讐が目的であったという事実のみ。
──貴方なんて産まなければ良かった。
ふと、そんな母の死に際に言った言葉を思い出す。何故なのかは自分でも分からない。ただ、今の心の有り様は、その時の感情と似たようなものなのは間違いなかった。そんな感情を理解出来ぬまま、生まれて初めて、彼の目からは涙が伝い落ちる。
目的も、喜びも、何もかもを失ったシュテン。だが彼女は言っていた。──そんなつまらない顔が出来ないほどに世界には楽しい事が待っているよ、と。
心にぽっかりと穴が空いてしまったシュテンには、そのくらいしか頼れるものはなかった。
「そうだな……世界を見て回ろう」
そうすればきっと楽しい事が見つかると信じて。
少し続きます。