皇帝とオニと愉快な仲間たち   作:山田の大蛇

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あけましておめでとうございます。
大変長らくお待たせしました。





EX.喧騒の掟 IV

 このテラの世界には理不尽で有り触れている。

 

 富裕層と貧困層。感染者と非感染者。都心部とスラム街の出生。──隔絶たる差がそこには存在しており、混じり合って入れ替わるなど有り得はしない。

 喩え目の前にある物が黒色だとしても、強者が白色と言えばそれは白色になる。

 

 即ち、追い詰められた側(弱者)には選択肢の余地など無い。

 

 そして今、大地の果てではペンギン急便の社員が追い詰められていた。殺到したマフィアの大軍──では無く、ペンギン急便の社員よって。

 

 追い詰められている社員はただ一人、モスティマ。彼女は今、ホットパンツ姿で冷たい床に正座を強要されている。

 モスティマに対面するは四人の女達。各々が多種多様な表情を浮かべていたが、その中でも特にテキサス──彼女の顔は能面のような表情を浮かべていた。

 

 バーテンダーの位置であるカウンターに座るのはエクシア。ドンドンとカクテルシェーカーでテーブルを叩きながら、厳粛な声を出す。

 

「それでは開廷します。被告人、前へ!」

 

 一体何を言ってるのだろう──そんな思いをモスティマの中で浮かぶも、口に出す事は無い。

 ちょいちょい、と手招きをするエクシアと視線が交わる。モスティマは大きく溜息を吐きながら、呆れた様子を見せるが、素直に立ち上がって歩を進めた。

 

 本来であればニコニコと嘲笑いながら立ち去る所であるが、シュテンに頼まれた手前、この場を離れる訳にはいかない。

 その結果、身柄を拘束されるモスティマ。仕方なく茶番劇に付き合う事となった。

 

「名前を言ってください」

「……モスティマだけど?」

「住所を言ってください」

「……シュテンの家だけど?」

「真面目に答えなさい!」

 

 バンバンとテーブルを叩くエクシアの姿を、何とも冷ややかな目線でモスティマは見つめる。だがエクシアの熱意は決して冷める事は無い。その瞳には強い意志を宿していた。

 

テキサス(検察官)、起訴状を読んで下さい」

「はい」

 

 エクシアが視線を送りながら言葉を掛ければ、モスティマの左前方にいたテキサスが静かに立ち上がる。

 まるで朗読をするように手に持っているメニュー表。商品と金額しか書かれていないそれを開けば、彼女の表情はより一層険しいものとなった。

 

「……公訴事実。今から……えーっと一年くらい前か。モスティマ(被告人)が龍門から立ち去る際、シュテン(被害者)に対し、せ、せ、せ、接吻をだな……」

 

 顔を赤くしながらモゴモゴと話すテキサスに痺れを切らしたエクシアが再び、ドンドンと音を鳴らす。

 

「検察官、続けて下さい」

「……更には十分程前、人目を(はば)らずに公然の場で抱擁をしていた。両件とも被害者の意志を考慮しない、身勝手な行いだ。……罪名、強制猥褻罪及び公然猥褻罪だ」

「強制猥褻は百歩譲ったとしても、流石に公然猥褻扱いは酷くないかい?」

「被告人、許可無く喋らないで!」

 

 淡々と、抑揚の無い声色で語るテキサスに対するモスティマ。彼女もまた、感情の籠らない言葉で返した。

 そんな中、炎の如く燃え上がる激情。白熱したエクシアは止まらない。

 

「先程、検察官が読み上げた起訴状に間違いは無いですか?」

「間違いだらけさ。中々表には出さないけど、あぁ見えてシュテンも喜んでるからね。良かったら今度エクシアもやってみなよ」

「え!? ホント──じゃなくて! ……ごほん。もう一人、この罪状を裏付ける証人がいます。──ソラ!」

「はい」

 

 その生い立ちを示すかのようなお手本とも言える佇まいと姿勢。優等生を代表するソラは静かに語り出す。

 

「約二年前かな、あたしがとある相談事を兼ねてシュテンさんの家に泊まった時なんだけど。急遽決まった事だったから服や下着をモスティマの物を使わせて貰ったの。勿論、新品のを、ね。……で、その時に見つけちゃったんだ」

 

 ポツポツと語り出したソラであったが、言葉を区切るとおおきく深呼吸する。まるで一つの壮大な決断をするような、その様子。決意を胸に秘めて彼女は口を開いた。

 

「──二重底に隠されていた収納棚。そこにシースルーのネグリジェがあったの!」

「はい私刑! 私刑判決! はい、終了! 閉廷!」

「異議有り、って言えば──」

「却下します!」

 

 ソラの暴露によって、熱い心を滾らせたエクシア。モスティマの言葉を遮るように叩きつけられていたカクテルシェーカーは、原型も無い程に歪んでしまっていた。

 とは言えモスティマも理不尽過ぎる判決に反撃の手を止めない。

 

「せめて弁明くらいはさせて欲しいんだけど」

「……検察官、どうしますか?」

「死刑だ。死刑」

「検察官の仕事じゃないし、さっきと違う意味の言葉になってるよね? ……ほら、普通ならこっちにも弁護士がいるべきじゃないかな? ちょっと理不尽が過ぎると思うし」

「……仕方ないなー。じゃあクロワッサン(弁護士)!」

 

 満を持しての登場──そう言わんばかりの表情を浮かべるクロワッサン。威風堂々たる佇まいは宛ら熟練の弁護士か。コツコツと踵を鳴らし、モスティマの横に並ぶと彼女は口を開いた。

 

「私刑や」

「はい、閉廷!」

「……全く弁護してないよね?」

「だってウチ、弁護士役やけどお金貰ってへんし。悪が裁かれるのはきっと神の思し召しやで」

 

 結局モスティマが居ようが居まいが、愉快で姦しい日常に代わり映えは無い。

 そんな彼女達を遠巻きに見ているバイソンとエンペラー。果実ジュースとアルコールで乾杯を交わしながら、傍観に徹していた。

 

「……なんか出会ってから半日も経ってないですけど、慣れてきました」

「お、センスあるじゃねえか。本格的にウチで働くか?」

「い、いえ、流石にそれは……」

 

 とは言え目上の──それも父と肩を並べる者から揶揄されれば流石に恐縮するのだろう。少しばかり緊張した面持ちでバイソンは言葉を返す。

 

 そして突如響き渡る電子音。何事かと全員が無言で固まる中、ただ一人過敏に反応する女がいた。

 ループス特有の耳と尻尾をピンと立てた、テキサスである。

 少し駆け足気味に走る彼女の尻尾。余程ご機嫌なのかユラユラと揺れており、希薄ながらも笑みを浮かべていた。

 ゴソゴソと自身のカバンを漁れば出てきたのは電子音の響く携帯。

 

 コミュ障(テキサス)に電話が来るなんて一人しか有り得ない──全員が同じ推測をする中、彼女は通話を開始する。

 

「……私だ」

『問題無く出られるって事はまだ無事の様だな』

 

 言うまでも無く、シュテンであった。

 僅かに聞こえてくる男の声に、全員が聞き耳を立てるようにして静寂と化す。ジリジリと距離を詰めてくる仲間達を一瞥しながら、テキサスは会話を続けていた。

 

「何かあったのか? 周囲が騒がしいようだが……」

『少し出し抜かれてな。俺の事は兎も角、そっちに襲撃があるかもしれないから注意しておけ。──ハッ、そう激情するな! うっかり殺してしまうだろう!?』

 

 明らかに正常とは言えないシュテンの荒々しい言動。その現象をよく理解しているテキサスにとって、只事では無いのを一瞬にして察知する。

 

「……了解した。シュテンも気を付けてくれ」

『安心しろ。俺はこの程度(・・・・)でやられたりはしない』

 

 シュテンがそう言葉を漏らせば、一層激化した攻防が受話口からテキサスへ伝わる。何重にも合わさって聞こえる閃電の剣戟。それでも尚、彼の余裕が崩れる事は無い。

 そしてシュテンの小さな息遣いと共に響き渡った鈍重な爆砕音。まるで重機と重機が正面衝突したのかと錯覚を覚える程。思わずテキサスは顔を歪めた。

 

「大丈夫なら良いが……。でも何故私に連絡を?」

『あー……あれだな。お前を一番信頼してるからだ』

 

 嘘である。大嘘つきのこの男、その名もシュテン。履歴の最上位に居たのがテキサスだっただけ。

 この行動の真意は気紛れか、はたまたモチベーションを上げる為の一言か。どちらにせよ、テキサスにとって掛け替えの無い台詞であった事には変わり無かった。

 

 しっとりと頬を赤く染め、漏れる吐息には熱く湿り気を帯びる。ピンと立てた耳をぴくぴくと揺らしながら、一言一句逃さぬ構えでいた。

 そんな彼女の様子を見れば、ペンギン急便のメンバーも好奇心を沸き立たせて一層耳を寄せていく。

 そしてテキサスは(おもむ)ろに携帯をスピーカーモードに切り替えて言葉を続けた。

 

「シュテン、もう一度言ってくれ。後、私の名前を呼ぶようにして欲しい」

『……? テキサスを一番信頼してるからだ』

 

 その直後、耳を劈くような破砕音と共に通信が切れ、スピーカーからは静寂が訪れる。周りにいる彼女たちの表情にもまた、静寂が訪れた。

 そんな中、唯一笑みを浮かべているのはテキサス。高らかに声を上げながら彼女は宣言する。

 

「ふ、ふふふ……ふはは! 聞いたか!? 聞いたな! これが私とシュテンの絆だ。……どうやら見せ付けてしまったようだな。もう一度聞きたいか?

……聞きたそうな顔をして仕方無い奴等だな」

 

 固まったままの彼女達をどう捉えたのかはテキサスにしか分からない。だが有頂天となっている彼女には最早他者の意図など問わず、自らの進みたい道を邁進するのみ。

 素早く携帯を操作し、ドヤ顔で突き出したテキサス。そして──

 

『テキサスを一番信頼しているからだ』

 

 少しノイズの混じった、シュテンの音声が流れる。

 そう、テキサスという女。彼女はシュテンの着信だと分かるようにメロディを変更しているのみならず、彼との通話記録は全て録音していたのだった。

 

 ──その瞬間である。ガラスの砕け散る音と共に室内へと飛来して来るアソート缶。余りにも不自然過ぎる事態に、誰もが危険を察知して物陰に隠れる中、唯一テキサスだけが浮かれていた事もあり、反応に遅れてしまう。

 

 嫌な予感は的中し、中に詰められていたのは殺傷能力を持つ爆薬。今にも爆発せんと缶の隙間から光が漏れている。

 

 そして響き渡る轟音。破砕音と閃光を撒き散らす中、僅かに遅れながらもテキサスは持ち前の反射神経でギリギリ物陰に飛び込んだ。

 

 だがその回避行動は身の安全が第一であり、一心不乱で行った行動。故に利き手に持っていた携帯には一切の考慮はされていなかった。

 

 テキサスが静かに見つめている先──その手に持っていた携帯は見事に破損。彼女が一心不乱に操作を試みても、画面の点灯さえしなかった。

 

「──漸く見つけたぜ。随分と分かりやすい所に隠れてるじゃねえか」

 

 散乱した室内を介せず、踏み荒らしながら入ってくるカポネが率いるマフィア達。

 言動とは裏腹に、その表情には油断も余裕も見せない。ありとあらゆる飛び道具を構え、彼等はペンギン急便を追い詰めようとしていた。

 

 ──だがしかし、テキサスにとってそれどころでは無い。念願と言っても過言でない程のシュテンの一言。それをバックアップを取る前に消されてしまったのだから。

 

 テキサスは激怒した。必ず、かのマフィアを除かねばならぬと。

 

 

 

 

 

 

 まるで蜘蛛の巣を張り巡らされるが如く、緋色に染まる剣閃が折り重なる。

 その連撃を全て大刀で受け止めるシュテンであったが、その左腕の衣服が大きく切り裂かれ、真っ赤に染まっていた。傷こそ既に治っていたものの、砕け散った電話が足元に散らばっている。

 

 チェンの才能そして潜在能力。それはウェイから聞いていた上にシュテン自身も理解していた為、消して油断などしてはいなかった。

 ──否、理解していたつもりだったと言うべきか。アーツコントロールが不出来とは本人からも聞いていた為、何処か慢心があったのかもしれない。

 

 そんな経緯が起こる前の出来事である。

 チェンの攻撃をシュテンがいなし、返しの一撃をホシグマが受け止める。ホシグマが押し負ける前にチェンが再び連撃を繰り出す──そんな攻防を何度か繰り返した後、僅かに見え隠れする癖を見抜いたシュテンが携帯を取り出した。

 獰猛さの中に冷静さを(したた)かに忍ばせ、仲間への連絡を取りつつチェンの激昴を煽るシュテン。怒涛の斬撃には激しさが増したものの、より単調となり、癖を見極め易くした。

 そして予測通りに訪れる一閃。真正面から打ち合うように一合切り結ぶ。腕力の差が顕著に出た結果故か、チェンは無防備な上体を晒す事となる。

 そして大刀を振り抜いた勢いのまま、繰り出された回し蹴り。殺人的とも呼べる凶悪な一撃がチェンの身体を意図も容易く吹き飛ばした。

 

 残るホシグマも片手持ちとは言え、純粋な膂力ではシュテンに敵う筈も無い。般若で受け止めるも最終的には押し負け、大地を砕きながら叩き付けられる。

 

 思ったよりも呆気無い結末の中、若干の落胆をシュテンは見せながら、電話越しのテキサスが意味不明な言動を繰り返している。その要望に応えながら意識をチェン達に向けた──その時であった。

 

 遠方から漏れ出した殺気と威圧感。視界には何も映らずとも瞬時に気配を感じ取ったシュテンが弾くように拳で払う──事は出来ず、その手に持っていた携帯が破砕し、腕と肩口には悲痛な裂傷が刻まれた。

 

「……ほぉ」

 

 痛みに声も上げず、純粋に感心する。吹き上がる血もそのままにただ真っ直ぐ視線を向けていた。

 暗闇から真紅に染る剣──赤霄(セキショウ)を引き抜き、不得手であるアーツの斬撃を飛ばしたチェンが歩み寄っていたのだから。

 

 そして現在に至る。赤霄によるものかアーツによるものか不明であるものの、飛躍的に速度と膂力が増幅したチェンの一撃は、全てが不可視の必殺。だがその一つ一つをシュテンは確実に弾き返していく。

 

 神速の斬撃が阻まれ、遅れて甲高い金属音が反響する。苦悶の表情を見せるチェンに対し、より獰猛と歓喜の笑みを深めていくシュテン。怒涛の如く攻めているのはチェンにも関わらず、その心境は真逆であったと言えよう。

 

 袈裟斬りを大刀の腹で流し、返す横薙ぎを踏み込んで手首を掴み、動きを静止させる。即座に逆手持ちに切り替えたチェンが片手で腹部を切り裂こうと身を捩った。

 だがその一撃が当たるよりもさらに一歩踏み込んだシュテン。肌と肌が、顔と顔が触れ合う程の距離。当然斬撃どころか打撃すらもまともに与えられない距離。

 その移動と同時にチェンの胸元へと手を添え、全身の体重移動が終わる前に全身の関節を駆動。そのベクトルを全て手掌へと集約させて解き放つ。

 

 炎国由来の武術で言う所の寸勁であった。

 

 不完全な我流とは言え、シュテンの腕力も考慮すれば致命的な一撃。チェンと言えども大怪我は避けられないだろう。

 

「──隊ッ、長!」

 

 その瞬間、地に伏せていたホシグマが血を流しながらチェンの脚を引っ張り、体勢を崩させた。衝撃を与える相手がいなくなればシュテンとて、技を不発に終わらざるを得ない。

 そして即座に反応するチェンは崩れた体勢から強引に踏み込み、逆袈裟にて赤霄を切り上げた。

 

「── 赤霄ッ!」

 

 神速にも相応しい一撃。今日一番──否、チェンの人生に於いても最高とも言えるアーツの一撃。

 

 近衛局に勤めてからは挫折の文字を知らぬ類稀な才能。その鬼才が生命の危機を感じ取ったが故の飛躍的な成長である。それはシュテンの実力と放つ殺気による弊害であったと言えよう。

 

 音速を超え、人智を超え、空間すらも切断する一刀。一足飛びで遥か後方まで跳躍したシュテンであるも、その一太刀は目の届く範囲全てが射程圏内であった。

 無論、彼もその威力を認識している。だがこれ程の事象を前にして回避に徹するなど選択肢にある筈も無く。真正面から受け止めてこその娯楽(・・)であった。

 

 迫り来るアーツの一撃に対し、大刀を振り上げて力を込めて振り下ろす──ただ単純な唐竹の一撃。だがその一手もまた、シュテンが扱うとなれば必殺の絶技であると言えた。

 

 オニと深紅の斬撃が交錯する。余波だけで大地が爆ぜ、建物が崩壊し、耳を劈く音が響き渡る。

 まるで天災の始まりを告げるかのような事態にホシグマも般若を構えて衝撃に備えていた。

 

 そして大刀を大地に振り切ったシュテン。赤霄の一撃は彼によって切り裂かれ、霧散した──だけでは無かった。

 

 パキパキと罅を立て、同時に舞う鮮血。耐え切れずに砕け散った大刀が空へと塵に成っていく。

 

「──く、あははははは! 炎国の年姫に創らせた一級品なんだがな! 大したアーツと武器じゃないか!」

 

 自身の胸元に手を触れれば、べっとりと血で濡れていた。流れ出す鮮血と鉄の臭い。そして何より、十何年も強敵を屠った愛刀を喪失するとは思わず、シュテンは狂ったような笑い声を上げる。

 久しく感じられなかった脳が痺れるような感覚に無意識に身体が歓喜に震えた。

 

 ──認めざるを得ない。チェンが強敵であると。

 

 ペンギン急便の社員達でさえ、この世界に於いては天才と呼ばれる部類の人材である。

 だがそれも飽く迄も常識の範囲内での規格。理解を超えた人外の存在──世界の不具合(イレギュラー)は一握りしか存在しない。

 

 そしてチェンはその境界を越えつつある。

 テキサスとラップランドを相手取った時さえ感じ無かった死の淵。間違い無く命を刈り取る実力を有した猛者なのだ、とシュテンは決断を下した。

 

 ──だからこそだろう。故に彼は理性を溶かした。

 

「人の一生分は世界を観てきたんだがな、それでもお前のセンスは五指に入るぞ。──ハッ! 良い女だよ、お前は! 俺が認めてやる!」

「……そうか。私はお前に騙された気分だよ。まさかこれ程とはな。……一運送業に従っているべき強さじゃない」

「だろうな。だがウェイの野郎は俺の実力を認識している。──分かるか? 天災と喩えられる俺に対して、たった二人で挑めと言い渡された、その意味が」

「…………」

 

 ──だがそれもどうでも良い事だ。

 

 ドロドロと融解していく理性。混ざり合う殺人衝動と狂気が脳内麻薬のように分泌していく。

 

 ──早く大地の果てに向かわなければならない。ならないと分かっているにも関わらず、シュテンの理性は本能に侵食されていた。

 飢餓を迎えた者の前に至高の馳走が並ぶように。禁欲の果ての男の前に絶世の美女が全裸で横たわってるように。

 

 極限の最中での本能は何物にも侵されない聖域。それが酒呑童子の血となれば尚更である。

 

 何せ、目の前に極上の実力者がいるのだから。

 

「まだ本気じゃないだろう。……いや、その剣とアーツを御しれていないと言うべきか。どちらにせよ、底を見せていない訳だな」

「……何が言いたい?」

「俺も同じだと言うだけだ」

 

 即座に体勢を立て直して再び構えを取るチェン。しかしながら不完全なアーツと腹部に受けた一撃の為か、その顔には脂汗が浮かび上がっていた。

 対してシュテンは衣服こそ破れているものの、傷は全て完治している。戦況は目に見えていた。

 

「さぁ、ギアを上げるぞ」

 

 大気が、空間が、世界が。

 軋み、歪み、犇めく。

 

 浮かべていた獰猛な笑みはより一層深みを増す。最早その表情は獣と表現するのが相応しい。感情と殺意を剥き出しにした姿は裏表も無い、まさに野生。

 理性よりも本能が優位に立ち、単純に目標を狩るのみの猛獣。

 

 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ──と、本能が警鐘を鳴らす。チェンの意志とは反して全身が身震いするような恐怖が襲い掛かった。

 自然と足が竦む。命を賭ける覚悟はあろうとも、命を投げ捨てる覚悟がある者などいる筈も無い。居るとすればそれはただの狂人か、自殺願望者に過ぎないのだから。

 

 シュテンの踏み込んだ一歩で大地が爆ぜる。超攻撃的な前傾姿勢。開いた腕は一切の防御を介さずにただ獲物を殲滅する為だけの構えであった。

 

 そんな中であった。ホシグマがチェンの前へと遮るように立ち塞がる。

 

「待って下さい。少し話をさせて貰っても宜しいですか?」

 

 ──シュテンの踏み出した足がピタリと止まる。

 水を差すその一言。燃え盛る闘志が冷え切っていくのを感じざるを得なかった。

 そしてそれはチェンとて同様である。喩え恐怖でその身が動かなくなろうとも、胸に秘めた決意に揺らぎはしない。

 龍門近衛局の特別督察隊隊長と言う立場。言わば龍門の秩序そのものと言える。個人の感情は意図せずとも、悪と制定された対象を見逃す事は断じてあってはならないのだから。

 

「ホシグマ、下がっていろ。私が赤霄を抜いて終わりにする──それだけの話だ」

「しかし、もし彼の言葉が本当だとしたら──私達はウェイ長官の掌で踊らされているだけに過ぎません。それも、命を賭して。……真偽はどうであれ、一度話を聞いてからでも遅くは無いと思うのですが」

「…………」

「隊長」

「……シュテン、一つ確認させて貰う。本当のことを教えてくれ。──お前は今夜の騒動に関わっているのか?」

 

 冷え切った闘争心。シュテンの滾っていた本能は鎮静化し、純然たる理性が感情を支配する。

 淀んでいた空気は霧散し、獰猛な笑みは消え、スラムの雰囲気は日常へと切り替わった。

 

 舌打ちをしながら煙管を取り出したシュテン。火種を作りながら口を開く。

 

「嗚呼。更に言えば環状線を壊したのは俺だ」

「……そうか。なら──」

「──だがな。この一件は俺だけじゃない。お前らの上司であるウェイ、そしてスラムの統治者である鼠王も関与し、認知している案件だ」

 

 数瞬の思考の中、話しても支障がないと判断したシュテンが紫煙を吐きながら淡々と語っていた。

 

「ならば私達が来るのを知っている上で事を構えたと言う事ですか?」

「そうだ……と言いたい所だがな。無様にも鼠王とウェイに出し抜かれた。俺には何一つ伝えられてない」

「……協力関係なのにですか?」

「お前らが想像するよりも(したた)かで強欲な奴等だからな。裏で何を考えてるかまでは読み切れん。特にウェイは必要とあれば市民ですら即座に切り捨てる冷血な男だぞ」

 

 淡々と、それでいて饒舌に語るシュテンの言葉を反芻するように、チェン達は言葉を返していく。だがその表情は苦虫を噛み潰したよう。

 自身を掌で踊る操り人形(マリオネット)と呼ばれているのだから、当然とも言えた。

 

「……話が見えて来ないな。何故長官がこんな回りくどい事を?」

「さぁな。だが十中八九時間稼ぎだろう。……俺が此処に来たのも鼠王の娘──ユーシャから手紙を受け取ったからだ。精々その事を把握してるのはウチの社員と鼠王くらいなものだろう」

「……つまり鼠王とウェイ長官が繋がってお前を陥れてると。それはお前が龍門に対して何かしでかしたからじゃないのか?」

「そう言う捉え方もあるだろうな。何、信じるか信じないかはお前ら次第だ、真実なんて物は誰の口からも語られはしない。……とは言え、中々面白い内容の手紙だったものでな。チェンも読めば気が変わるかもしれんぞ」

 

 そう言ってシュテンは手紙を指の間に挟み込んで、手首の返しで勢い良く投げる。下手をすれば怪我をするような飛来物を器用に掴んだチェン。

 プライベートな私物を見てもいいのか、と困惑していた彼女であったものの、構わんぞ、と言葉を投げられて丁寧に中身を取り出した。

 

「──な、なんだこれは……」

 

 視線を右往左往させ、丁寧に熟読したチェンが目を見開く。意外にも可愛い便箋に丸い文字で書かれていたものの、その内容は驚愕の一言に尽きる文面であった。

 

「……これは本当なのか?」

「それを確かめる為にわざわざ此処に来たんだよ。残念ながらもぬけの殻だったがな。……嗚呼、手紙そのものの真偽を問うているなら、ユーシャの同級生だったスワイヤー嬢にでも確認すれば良い」

「……いや、その態度と目を見れば嫌でも理解出来る。……分かった、私達は一先ずシュテンから手を引くとする」

 

 軽快な足取りで近づいて来るシュテンへと手紙を返し、敵意を仕舞うように刃を納めたチェン。

 

「……チェン隊長、宜しいのですか?」

「私はウェイ長官の為に働いている訳じゃない。龍門の市民──延いては弱者の為に秩序を正しているんだ。……権力を持つ者が正義とは限らない」

 

 何処までも貫く真っ直ぐな強い意志。揺らぐ事の無い瞳でシュテンを捉えて離さない。

 この手紙の通り、鼠王が黒とするならば、その手助けをするようなウェイも黒に近しい存在なのだろう。

 とは言え、そうであってもシュテンが黒では無い理由にはならない。潔白であると言う裏付けが存在しなければ灰色に染まったままだ。

 

 だがチェンは知っている。シュテンは善人と呼べずとも悪人では無いという事に。

 そうでなければ、あれほど社員達から愛される筈も無いのだから。

 

「理解のある友人で助かったよ。お陰で手を汚さずに済むようだ」

「随分と傲慢な発言だな。……それで、お前と龍門のツートップは何を企んでいたのだ?」

「シラクーザのマフィアを一掃するだけの話だ。尤も、計画に対してのメリットが少ないからな。水面下で何かしらの動きがあるのは予測していたが……まさか対象がペンギン急便だとはな」

 

 シュテンは口に出してなかったものの、チェン達が現れたこの状況──時間稼ぎと評していたが、その為に近衛局長を駆り出すメリットが鼠王から提示されたとは考えにくい。

 長期で見れば──もしくは何重にも折り重なった思惑の末であるならば有り得るかもしれない。

 

 だが、それはあり得ないだろう──シュテンは心の中でそう呟き、思案する。

 こちらに一切悟られずに画策したとなれば、よりシンプルに、より単純でなければならない。

 

 鼠王よりも付き合いの長いウェイが相手だからこそ分かる事もある。即物的で直接影響のある物、それは目の前にいる存在であった。

 

「……?」

 

 じっと見つめてくるシュテンを訝しげに見つめ返すチェン。

 挫折を知らないエリート中のエリート。出生は複雑であったものの、壁らしい壁にはぶつかる事無く生きて来た。

 ──否、この表現には語弊があるだろう。類稀な才能と血の滲むような努力を惜しまないその性格が、意図も容易く壁を乗り越えてしまっていたのだから。

 

 挫折が人を成長させ、敗北が人を強くする──その理論が有るとするならば、チェンは強敵(シュテン)を前にして潜在的な能力を引き出したと言えよう。

 

「チェン・フェイゼ。もし近衛局──ウェイの元を離れる気になったら、ペンギン急便(俺のところ)に来ると良い。お前なら何時でも大歓迎だ」

 

 突如降り掛かった言葉に、チェンは驚きの表情を浮かべた。それはシュテンにとって最大の賛辞とも言える言葉。

 その言葉の真に意味するところを彼女は知らずとも、シュテンの声色を聴けば、如何に真剣な発言であるのかを認識出来た。

 

「随分と評価して貰えているようだが、私は近衛局を辞めるつもりは無いぞ」

「お前とウェイの思想は似ているようで根本が違うからな。可能性は十分ある。……何、ペンギン急便が経歴や素性を問う事は無い。喩え感染者であろうともな」

「……その時になったら考えておく」

 

 だが近衛局を離れる気はチェンに微塵も無い。軽くいなすような態度で受け流した。

 

「嗚呼、そうそう。──折角の記念だ。持っていくと良い」

 

 そう言ってシュテンは自身の携えていた、刀身の折れた大刀を投げ渡した。両手で受け取ったチェンであったが、思いの外に重量感のある残骸だったのか、体勢を崩している。

 

「ウェイに渡して嫌味の一つでも言うと良い。きっと喜ぶぞ」

「……対峙した証拠として受け取っておく」

「それでも構わんさ。……さて、遊び過ぎたな。俺は急いでいるから先に行かせて貰うぞ」

「あぁ、気を付け──つぅ」

 

 言葉を遮るようにズキンと痛む腹部を押さえたチェン。少しだけ顔を歪めたその様子を確認したシュテンは近付き、シャツの裾を捲り上げた。

 

「少し見せてみろ」

「んな──」

 

 普段から腹部を露出させる着こなしで過ごしているとは言え、無遠慮にも触れてくる者などはいない。

 狼狽え、固まるチェンに対し、シュテンは真面目な表情をして打撃痕を見つめていた。

 内出血を示すように拳大の青痣が出来ているものの、他の傷跡一つない細身の柔肌。──そんな前人未到の腹部を触るシュテンの掌に伝わるのは、尋常ではない程に鍛えこまれた腹筋。見た目には表れずとも男性の強度を遥かに超えているようである。

 

「思ったよりは傷が浅いな。衝撃の瞬間に後ろに跳んで緩和させたか? だがアーツの酷使もあって内臓に損傷があるかもしれないから治療は受けた方が良さそうだな」

「そ、そうだな……!」

 

 怒気を孕む震えた声。しゃがみこんで問答無用にチェンの腹部を触っていたシュテンは、訝しんだ表情をして見上げる。

 そこには顔を真っ赤にして拳を震わせているチェンの姿があった。

 

「……伝承通りの色欲ですね……」

 

 本来であれば過剰に反応するであろう言葉にも意識が割かれる事は無い。

 ただただ理解出来ぬ現状に首を傾げるしか出来ないシュテン。

 

 普段からチラリズムの甚だしい服装である以上、腹部を捲り上げた行為に対しては何ら失礼には当たらないと彼は判断していた。

 腹部に触れた行為についても同様である。ペンギン急便の社員を煽る為、はしたなくも腕に抱きついてくる女に対してであれば、決して軽犯罪に当たるとは思えない。

 

 寧ろ、経緯があれど、親身になって怪我の様子を診ている者に対しての反応では無い──そう、シュテンは本気で思っていた。

 

 まるで怪奇を目の当たりにした表情。実に珍妙な光景だったのは言うまでも無い。

 

「……何時になっても女心だけは理解し難いな」

「──常っ! 識っ! だっ!」

 

 チェンから振り下ろされた拳を器用に躱したシュテンは、滑るように懐を抜けて崩れ掛けた建物の外壁を足場に駆け上がる。

 今にも崩落しそうな屋根の上から、彼は二人を見下ろして口を開いた。

 

「ホシグマと言ったか。狂気()に躊躇っているようだが、もう少し受け入れてみると良い。間違いなく酒呑童子()の系譜だ。何時でもアドバイスは教えてやるぞ」

「そう、ですか。では機会がありましたら」

「おい、シュテン! まだ話は終わってないだろう!?」

 

 オニの母体そのものが相手では、エリートとも呼ばれるホシグマとて適う相手では無い。そんな結果であったとしても、彼女の持つ潜在能力をシュテンは感じ取った。しかしながらも理性を最優先とした闘い方。それはオニとしては不完全な戦い方である為に淡々と助言を投げ掛けたシュテンであったが、まるで聞き流すかのようにホシグマは静かに言葉を返す。

 激高するチェンは相手にしないまま、シュテンは背を向けて手をヒラヒラと振った。

 

「じゃ、散々壊した後始末は頼んだぞ。近衛局長様」

「──ッ! だから待てと──!」

 

 まるで意に介さずにシュテンは去って行く。その背中に怒号が飛んで来ようとも、その足を止める事無く、屋根を伝って消えて行った。

 

「……ホシグマ、直ぐにでも追い掛けるぞ」

「しかし隊長、この惨状を放置しておく訳にもいかないと思いますが」

 

 チェンが辺りを見回せば、そこに広がるのはあらゆる建物が崩壊──とまで言わずとも、激しい戦闘の傷跡が大きく残っている。それも殆どが斬撃痕。アーツを込めたチェンの剣圧によって刻まれたものであった。

 

「それに彼の正体については凡そ特定出来ています。……事実であれば、本気を出された場合には近衛局の手に負える相手では無いかと」

「……確かに常識を逸していたが……それ程なのか?」

「それ程です。小官にとって──いえ、極東にとって、知る人ぞ知る御伽噺の存在ですよ。……分かりやすく言うなら、神話に出てくる様な怪物に挑む様なものです」

「大した比喩だな」

 

 そんな言葉を吐きつつも思案するチェンは、自らの手に握られている刀身の無い大刀を見つめた。

 ずしりと重く、まともに扱えると思えない程の重量感。オニ特有の怪力ならばと考慮しても、長い刀身で自身の連撃を受け流すなど未だに信じられずにいた。

 そもそもの話、チェンの猛撃を凌ぎ切れる人材が居る事自体、奇怪千万な出来事と言えよう。

 

 何より一挙一動が殺意を纏うような有り様。死神と称しても過言では無い程、手足に死を宿していた。

 一撃が致命的とも言える怪腕と対峙すればそれだけで精神が摩耗する。それでも尚、チェンが平常心のまま五体満足でいられているのは、シュテンにとって余興に過ぎないからであろう。

 無邪気な子供が残酷にも虫を殺し尽くすように。

 

 だがその力は一個人が持つにしては余りにも強大過ぎる暴力である。チェンも知らなかったとなれば、それは龍門の中でも極秘中の極秘とも言える情報。

 ウェイ長官が見逃す筈も無い──否、懇意にしているからこそ、ペンギン急便に対する対応の緩慢さがあったのだと、チェンは今更ながらに合点が行く。

 

 ──だからこそ解せない現実がある。

 

 身を以て体験したからこそ理解した。虚勢を張って強い言葉を吐きはしたものの、アレは命を賭しても適わぬ相手なのだと。

 ならば不用意に敵対するのは命知らずと言うべき状況。ともすれば龍門そのものを危険に巻き込み兼ねない自体と言えた。

 

「何を考えているんだ……?」

 

 ウェイ、そして鼠王の思惑が見えないまま、チェンはシュテンの去って行った場所を見つめているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、あれですね。隊長の女性らしい所を初めて見た気がしますよ」

「……忘れろ」

「隊員達には仕事人間って印象らしく、恋愛対象にはならないと専らの噂ですから。あんな姿を見たら皆驚きますよ」

「お前はアイツらと何を話しているんだ?」

「他愛も無いコミュニケーションですよ。……でも相手があの人じゃ、不憫と言うか見る目が無いと言いますか……」

「ただの知人だ。下衆の勘繰りは止めろ。……それに噂だけで実際に会った事は無かったんだろう? 実際に会っていた私の方が人柄は良く知っている。……詳しい話は戻ってから聞かせてもらう」

「そうやってフォローする辺り──」

「良いから手を動かせ」

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