キーラは留学生として転入してから二日目で学校へ通うのを止め、三日目、四日目と連続して登校しないまま土曜日の今日を迎えることとなった。
登校を拒否した二日間を含め、キーラは空いている時間を利用してこの国を調べていた。
それは実際に見聞きしてであったり、書物等で調べたりだったが、違和感を助長させるばかりで肝心の違和感の原因に関しては手がかり一つ得られていないのが現状だった。
何かがおかしいのは確かだが、何がおかしいのかが分からない。
疑いだせば全てが間違っている気さえしてくる始末だ。
少なくともキーラの持つ価値観と、この国に住む者の一般的な価値観には大きな隔たりがあり、交わる気配はない。
調査の成果が得られず途方に暮れかけていたキーラは妹達の提案もあり、息抜きをするべく町に単身で繰り出していた。
「スーパーとやらに行けば材料は揃うと言うことだが……」
息抜きの中身とは“菓子作り”だった。
この生活を始めて、キーラが唯一評価しているのが食事である。
生きていく上で食事は必要不可欠で、所持金を切り崩して近くのコンビニで食料を購入していた。
最初こそ金銭を用いた取引の勝手が掴めなかったが、場数を踏むに連れて馴れいった。
オニギリや弁当、カップ麺など、口にするもの全てが新鮮で、美味だった。
そして今日の昼食後に話の流れでデザートが食べたいということになり、どうせならただ買うより一から作ろうとなり今に至る。
買うべき材料を書き綴ったメモ用紙を乱暴に上着のポケットに突っ込み家を出たはいいのだが、先程からキーラは同じ場所で行ったり来たりを繰り返している。
スーパーなら以前町を探索している時に一度見かけたことがあるので大丈夫だと歩みを進めた結果、端的に言えばキーラは道に迷った。
周りの通行人に道を尋ねるという行為は、端からキーラの選択肢には存在せず、朧気な記憶を頼りに町を歩き回っていた。
すると――
「こんな所でどうしたんだ?」
背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
「……こんにちは、キーラさん」
振り返るとそこにいたのは四四八と鈴子の二人組。
キーラもそうだが休日の為、二人とも制服ではなく私服に身を包んでいる。
鈴子の方は先日の件もあって、表情に気まずさを感じさせる影があった。
「何か用でもあるのか?」
「いや、偶々見かけたから声をかけてみただけだ。何か困っている風に見えたんでな」
「だったら余計なお世話だ」
「でもあなた、さっきからここら辺を何度も歩き回っているように見えたけど。道に迷ったなら素直にそう言えばいいのに」
四四八と鈴子もこの場所の近くで偶然出会い、そこで立ち止まり話し合っていた。
するとキーラが目の前の道を通過していくのを鈴子が目撃し、数分後に先程とは逆方向に同じ道を歩く姿を、それ以降も何度か四四八達の視界に入ってきたので、そろそろ声をかけるかということとなった。
「余計な世話というものだ」
「あなたねぇ――」
繰り返すが、キーラの選択肢に手を借りるなどというものはない。
だから気遣いなどは不要でしかない。
そんなキーラの反応に鈴子が言い返そうとした時だった。
「いた、お姉様」
「見つけた、お姉様」
キーラと同じ髪の色をした二人の少女が、キーラと鈴子の間に話って入ってきた。
背格好も髪型も容姿も同じで、双子と推測するのは容易い。
「お前達、家で待っていろと言っておいただろ」
「でも、これが置きっぱなしだったから」
「確か買い物には必要だったよね」
言葉と共に差し出されたのは財布だった。
思い返すと、確かに財布を持ち出した記憶が無く、キーラの手落ちだ。
姉妹の会話に、四四八と鈴子は割って入る機会を窺っていた。
財布をうっかり忘れた姉に仲良く双子が届けに来たという、字面にすればただの微笑ましいやり取りのようにも思える。
しかし、実際にその光景を目の当たりにした二人が感じたものは、微笑ましさよりも、異様さが際立っていた。
ロムルスとレムス、二人は背格好も容姿も瓜二つだというのに、初見の人間でも見分けるのに苦労はしない。
その理由が異様さを感じさせる要因の一つでもある。
二人の片割れ、レムスは目の部分を包帯で何重にも覆っていいた。
ただそれだけで周囲の目を惹くには十分だが、それだけでは終わらない。
Tシャツにズボンという簡素な服装はまだいい。しかしレムスとロムルスの足の肌色を見過ごすのは難しい。
二人とも靴を履いておらず、裸足でここまで歩いてきたことになる。
さらに、注視するとロムルスの肌色には血の赤が混じり掠れている。
「ちょっと、その足……!」
足の血に気づいた鈴子がようやく言葉を口にした。
「お菓子ってどんな味なんだろうね」
「甘いらしいけど、甘いってどんな感じなんだろうね」
しかし、当の本人は鈴子の声が聞こえていないかの如く、意に介せず会話を続ける。
無邪気に、愉快気に。
「キーラ!」
「まだいたのか。即座に去るが良い」
四四八がキーラの名を呼ぶと、キーラは不機嫌を露わにした返しをした。
キーラにとって、四四八と鈴子は妹達との会話の邪魔でしかない。
「足に血のようなモノが付いている。怪我している可能性が高い」
「……ロムルス、少し右足を上げて見せてみろ」
四四八の発言にようやく反応らしい反応を見せた。
ロムルスとレムスの足下に視点を落とすと、ロムルスの足に血が付着しているのを確認した。
キーラの指示にロムルスは素直に従い右足を上げ、キーラは手に取り傷口を見る。
「少し切れた程度だな。血も止まっている、問題はないだろう」
大した怪我ではないと判断し、足から手を離す。
だが――
「そんな訳ないでしょ! 傷口から菌が入ったらどうするのよ、最悪切断なんてケースもあるんだから」
キーラの見立ては楽観的過ぎると、鈴子が声を上げた。
切断とまではいかなくとも、傷口を晒したまま素足で歩くと菌など侵入し化膿する可能性は高い。
「切断……それは足を切るということか?」
「そうよ。とりあえず手当しましょ、話は後よ」
鈴子は近くの空いたスペースまで移動し、ロムルスを座らせようとするが、鈴子が座るように言ってもロムルスは言う事を聞かず立ったままを継続する。
「ロムルス、座っておけ。出来るだけ足を地面につけないようにしてな」
「はい、お姉様」
状況を見かねたキーラが助け舟をだし、ロムルスを座らせる。
鈴子の指示に従うのは癪だが、知識が足りないせいで今は従うのが無難だ。
鈴子の脅しが効いていると言える。
キーラとしても妹の足を切断などさせたくはないのだから。
「そこの薬局で消毒液と包帯を買ってきた。あと、取りあえずサンダルもだ」
鈴子がロムルスの相手をしている間、四四八が近くにある薬局へ足を運ぶ応急処置に必要そうなものを揃えていた。道中にサンダルを販売してい る店を発見したので、ついでに購入した。
キーラの協力の下、鈴子はロムルスに足を出させて消毒液を塗る。
鈴子が触れようとした瞬間、ロムルスは嫌そうな顔をしながら足を引いたが、キーラが「我慢しろ」と言うと、大人しく従った。
「なんだって靴を履かずに外に出たのよ」
応急処置を続ける鈴子は、当然の疑問をぼやいた。
少なくともこの国の常識で考えるのなら、外に出る時は靴を履くものだ。
文化や風習から裸足が普通の国もあるのは事実だが、キーラ達がいた国はロシアだ。雪国で過ごしながら靴を履く慣習がないとは思い難い。
「二人が外へ出ることを想定していなかった為、買い与えていなかったのだ」
鈴子も四四八も“何故”とは聞けなかった。
二日前の一件から、四四八達はキーラについて何度か話し合い、その結果推測もいくつか浮かんだ。
まずキーラの発言から、学校へ通った経験がないのではないかという推測。
ロシアにも義務教育制度はあり、識字率は日本を上回っている。そんな環境で学校へ通う事が出来ていなのだとしたら、よっぽどの事情があるはずだ。
しかし学校へ通っていなかったのなら、どうやって留学するに至ったのかという疑問もある。
推測はしょせん推測に過ぎず、真実であるとは限らない。
だがロムルスとレムスを見る限り、何らかの事情があるのは間違いないと考えていいはずだ。
キーラの性格を考慮するなら迂闊に質問するのは避けた方が良い行為であり、聞き出すのならタイミングを計る必要がある。
下手に今余計な事を言えば、この穏便な空気を破ることに成り得る。
「これでいいと思うわ。念の為に医者へ見せることを勧めるけど」
「そうか」
無言で続けられていた鈴子の処置が終わると、ロムルスはサンダルを履き二の足で立ち上がった。
痛みも特に感じていない。
キーラはロムルスとレムス二人を並べて向かい合う。
「財布を届けてくれたことは感謝する。お前達は一旦家に戻り待っていろ、送っていく」
穏やかな表情と口調、普段のキーラからは考えられないものである。
四四八と鈴子も驚きながら、今度こそ微笑ましさを感じた。
しかし、このまま放っておけばキーラ達が勝手に動き出すだろうという空気を感じた四四八は待ったをかけた。
「余計なお世話かに感じるかもしれないが、迷わず帰れるのか?」
「場所さえ教えてくれたら私達で案内するわよ」
本当に余計なお世話だとキーラは思った。
「舐めるな小童共、誰が手など借りるものか」
既にロムルスのことで手を借りてしまっているので今更でもあるが、だからこそ自尊心がこれ以上を許さない。
馴れ合いはしない、キーラが初めから一貫して主張していることである。
「意地を張るのは結構だけど、早く帰る方が大事じゃないかしら。時間をかけて歩いてたら妹さんの傷にも負担がかかるだろうし」
自尊心と妹、二つを天秤にかければ答は決まっているようなもの。
だが今は少し状況が違う。
ここで無理をして傷に負担をかけたところで取り返しがつかなくなるとも限らない。
むしろこの程度でどうにかなるとも思えない。
だからいつも通り突き返そうとしたが、先程の鈴子の言葉が頭を過ぎった。
「……借りは絶対に返す。この屈辱は忘れん」
悩みに悩んだ結果、キーラは屈辱を甘んじた。
キーラには知識が足りない故に、ロムルスの怪我の危険度が判別がつかない。
怪我など気合いで何とかなるとさえ考える風潮がある。
しかし“切断”、この大袈裟な言葉がキーラに慎重な判断を選ばせた。
二の足で歩けなくなる、その事に無駄に恐れを覚えたのだ。
「だったら――」
借りを借りっぱなしではいられないというキーラに、四四八はある案を思いつき口にした。
そして――修学旅行の日がやってくる。