借りは必ず返す、その言葉を受けて四四八は交換条件を提示することを思いついた。
これで貸し借りはゼロであると。
交換条件の中身はキーラが修学旅行に参加することである。
当然キーラは修学旅行に参加する気などなかった。それ以前に学校と関わりを持つことすら放棄していた。
このままではキーラは社会から孤立する。
そうならないようにするならば、キーラには学校が必要だ。
学習を“知識を得ること”と解釈するなら確かにキーラが主張するように自習の方が効率の良い者もいるだろうし、クラス単位で授業を進める為にどうしても個人レベルで見れば効率の悪化を招かざるを得ない。
しかし、集団で学ぶことに意味がある。
人は社会の中に身を埋めて生きていくものなのだから。
学校は社会の縮図と例えられることもある場だ。
キーラに学校を通じて社会に関心を持ってもらう、その切欠作りとして修学旅行を利用しようと四四八は考えている。
そして修学旅行当日を迎えた。
「お、キーラちゃんじゃん!」
「久しぶりー。本当に来てくれるか心配してたよ」
待ち合わせ場所としていた四四八の家の前にキーラが現れる。
栄光や歩美、晶もいる。
「ふん」
親しげな対応にも、キーラはぶっきらぼうな態度を返すだけだ。
「んで、その後ろにいるのがキーラの妹達か?」
晶がキーラの後方に二人して並んでいるロムルスとレムスを発見し、聞いていた情報からキーラの妹だと言い当てる。
「二人ともかわいいじゃん」
「要らぬ手を出したらタダでは済まんと思えよ」
「ひっ……!」
栄光の軽口にキーラが睨みを利かす。
学校に通っていた時も何度かあった光景だ。
「行き帰りの新幹線は何とかなるだろうが、問題は夜だな」
「大丈夫大丈夫、うまくいくって」
四四八の出した交換条件を呑む際に、キーラからも条件を加えていた。
それが、ロムルスとレムスの同伴だ。
そこで問題の焦点となったのはロムルスとレムスの宿泊場所である。
最初の案は、同じ宿の別室に泊まるが挙がったが、既に満室だった為に却下。
次に挙がったのは、別の宿にキーラ共々泊まるだったが、せっかくの修学旅行なのに別々に泊まるなどつまらないと却下。
最終的に女子部屋に匿うという案が採用された。
「さて行くか」
全員が揃ったので四四八の号令により出発する。
残りのメンバーである鈴子と敦士とは駅で合流する手はずになっている。
修学旅行がついに始まるのだ。
◆
修学旅行先である京都に着くと、観光地を点々と廻って行った。
移動は基本バスとなり、ロムルスとレムスには芦角先生から隠れなが乗ってもらった。
「おーこりゃ絶景だな」
「栄光くん、せっかくなんだから飛び降りたら」
「何でだよ!」
「ほら清水の舞台から飛び降りるって言うじゃん。せっかくなんだから記念に一飛び!」
「そんな記念いらねーよ!」
「のり悪いなー、ぶーぶー」
栄光を歩美が弄り、晶は歩美と一緒になって笑い、四四八は呆れたように溜め息を吐いた。
「ちょっとあなた達、そんなに乗り出したら落ちるわよ!」
そんな四四八達と距離を置いた地点では、鈴子が背丈以上の高さのある手摺の上に乗っかかっていたロムルスとレムスに声を上げて注意していた。
修学旅行中のロムルスとレムスは檻から解き放たれた動物のようにあちらこちらと動き回り、度々四四八と鈴子に注意されていた。
もっともロムルスもレムスも注意など聞こえていないかの如く意に介する気配がないのだが。
「いいのかあれ、放っておいて」
取り残された敦士とキーラは今まで互いに無言だったが、鈴子に注意されるロムルスとレムスを見てキーラに尋ねる。
「わざわざこんな所まで来たのだ。自由にさせてやれ」
「そうかい」
敦士とキーラの初の会話はものの数秒で終わった。
だが敦士からすれば、予想に反して会話が成立したことに内心驚いていた。
積極的にキーラと接しようとしているの他のメンバーに対して敦士は、キーラを他のクラスメート同様に客観的に見ていただけだ。
なのでこうしてキーラが修学旅行に参加している事自体が予想外で、無言に耐えかねて気紛れで話しかけたものの返事が返ってこない前提だった。
事実、普段のキーラなら会話など成立しない。
一方的に言いたいことを言い、相手の言動が不快であれば文句を言うぐらいだ。
理由は単純、キーラに会話をする意志がないのだから。
先日のような非常事態か相手から情報を引き出す目的でもない限り、他人に合わせる会話をキーラは好まない。
だから今の敦士への返事は稀少だ。
無邪気にはしゃぐ妹達を眺めて、大らかな気分であったことが大きい。
「なあ皆で写真撮らねえか? ちょうどあそこに花恵さんもいるし」
「ハナちゃん先生、写真お願いしていいですか」
近くにいた芦角先生にカメラを手渡し、キーラと敦志がいた場所に集合する。
これはキーラを半ば無理やり参加させる為の対策だ。
「あの芦角先生、この子達も写真に入れてもらっていいですか?」
鈴子がロムルスとレムスを連れて来て確認を取る。
「別にかまわないが……その子ら何か見覚えがある気がするんだが」
「気のせいだって、きっと!」
以前に会っていたのか、この修学旅行中に見かけたのか、単にキーラに似ているから見た気がするだけなのか、いずれにしろキーラの妹であるとバレたら面倒事になるので晶が勢いで誤魔化す。
「ほらほら、両腕に引っ付いて」
芦角先生に疑惑を持たせない為に、歩美が勢いに乗っかかりロムルスとレムスをキーラの両端に引っ張りキーラに引っ付かせる。
「こら待て、何故腕に抱きつかせる必要がある!」
「思い出だよ、思い出」
「おーし、そんじゃ行くぞー。はいチーズ」
◆
時は過ぎ、既に日が沈み空には月が浮かんでいた。
夜も更け、キーラのいる部屋も寝静まっている。
ロムルスとレムスも仲良く布団が仕舞ってあった押入れに籠って瞼を閉じていた。
(無駄に騒がしい一日だったな)
窓を開け、夜風に銀の髪を靡かせながら今日を振り返る。
ロムルスとレムスを匿いながら京都へ到着し、あちらこちらへと観光して回った。
今日のプログラムが終わると、宿泊先へ。男女でそれぞれ別の部屋に向かう。
ロムルスとレムスを何とか部屋まで移動させることに成功し、これでようやく一息付けると考えたが、騒がしさが止むことはなかった。
キーラは当然不参加だったが、女子による男風呂除きなど話を聞くだけで何がしたいのだと頭を抱えそうになっていた。
部屋へ着いて以降、ロムルスとレムスと共に部屋に待機しているというのに疲れは溜まっていく一方である。
ちなみにキーラまでもが部屋を出ないのは妹達の心配もあるが、キーラの気質からすれば他の生徒に混じってワイワイ騒ぐなどありえない。
群れることを嫌い孤立を好む、それが学校でのキーラを知る者の認識だ。
むしろよくここまで問題を起こさずに来れたものだと感心さえ起きる程に集団行動に向いていない。
夕食は三人分を予めコンビニで購入していたもので済まし、露天風呂も利用していない。
夕食はバイキング制度の説明を聞いた時から部屋で勝手に食べることを決めていたという。
四四八達も説得を試みたが、聞いただけでストレスが溜まると一刀両断。
露天風呂も同様だ。
そもそも風呂に入るという行為そのものが、習慣づいていないキーラには好んで取るものではなかった。
日本では風呂に入るのが当たり前でも、キーラに取っては当たり前ではない。
靴の件と言い知識では知っていても、常識としては備わっていない。
経験による補完がついてこない。
この国で目覚めてからの経験はあまりにも初めてのことが多すぎる。
それが文化の違いで済まない域に達していることをキーラも薄々感じていた。
記憶が欠けているからというのも言い訳としては弱い。
記憶があっても結果は同じだったように思える。
考えれば考える程に違和感が膨れ上がり現実感は失われていく。
そう、まるで――
「寝なくていいの?」
月を眺めながら物思いに更けていると背後から声が聞こえる。
「こんな場所で寝られるものか」
声に対しキーラは振り向くことなく淡々と応える。
「妹さん達は寝てるのに。……押入れだけど」
声の主、水希は換気用に少しだけ戸が開かれた押入れを見ながら言う。
ロムルスとレムスが物置で寝ているのは隠す目的ではなく、二人がいつの間にか入り込み気が付けば寝ていたというだけのことだ。
「丁度良い、貴様に問いたいことがある」
「なに?」
「ここは、本当に現実か?」
「――――え?」
キーラの問いの意味が分からず、水希から自然と力のない声が漏れた。
「何を呆けている。問いに答えろ」
「えっと……ここが現実かってどういう意味?」
「そのままの意味だ。ここが夢であるか
「そんなの現実に――」
「決まっていると。それは疑問の余地もなく断言出来ることか?」
当たり前だ――と水希は言い返せず声を詰まらせた。
ここが本当に現実なのか。
もしかしたら、まだ夢の中ではないのか。
その疑問をこれまで一度も浮かべたことがないかどうかと追及されれば、ないと水希は断言出来ない。
今が夢のようだと思う瞬間は多い。
それにここが現実ならばどうしてもおかしい存在がある。
明らかにおかしい異物、いるはずのない異分子。
「なるほど、もう十分だ。貴様もさっさと眠るが良い」
水希の反応に納得がいったのか、僅かに頬を吊り上げ会話を一方的に打ち切った。
水希も言い返す言葉が見つからず、寝床へと帰っていく。
ずっと感じていた違和感の正体にキーラはようやく気づいた。
正体と言うには朧気で曖昧なものだが、キーラの認識を正すには十分に過ぎた。
「下らん夢だ」
根拠はない。
原理も説明不可で、記憶もまだ戻っていない為に現状を正しく把握してすらいない。
だがそれでも直感的に理解したのだ。
ここは自分のいるべき場所ではないのだと。
四四八達とキーラでは住んでいる世界が、生きてきた世界が違う。
異なる世界のギャップが違和感を生み、現実感を喪失させる。そうして現実感が失せていく中で、まるでここが夢の中なのではないかとキーラは思った。
荒唐無稽な考えだが、奇妙なことに自身がここにいるという状況よりかは現実味があったのだ。
何かを知っている風だった水希を問いただし、疑惑は確信へと変わる。
「――待っているがいい」
瞬きを挟み、再度月夜を見上げる。
開かれた両の眼は、金色の輝きと熱を帯びる。
今宵、遅れ馳せながら鋼牙の獣は邯鄲の夢へと姿を現す。