NEW HORIZON〜蒼き炎〜   作:Eeny,meeny,miny,moe

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3.薄氷の上に咲く

 

 落ちてきた雫の冷たさに梨子は体を震わせ、そして我に返った。いまだ衝撃は大きかったが、現実逃避をしている場合では無いと自らを奮い立たせる。

 

「佑輔、海夕。逃げよう!」

 

 逃げ始めた住人が続々と三人を追い越していく。

 その中名前を呼ばれた二人は、呼ばれた順にビクッとして空中の黒い穴から目を離した。

 

「……あ、あぁ、逃げよう。海夕、俺の背中に乗って」

「うん……」

 

 海夕は申し訳なさそうな表情をしていたが、足の速さが二人より遅いことを知っていたために素直に従う。

 佑輔がしっかり負ぶったのを確認して、梨子は再び走り出す。佑輔もまた、梨子について行った。

 

「あの黒いの……海夕達の家の方にあったよ……」

「……」

 

 佑輔に掴まりながら、海夕は泣きそうに震えた声で言う。佑輔はもちろん、隣を走っている梨子にもそれは聞こえた。

 

 何処からか悲鳴が上がる。

 何かの建物が崩れ落ちた音がする。

 親とはぐれたのか、幼い子どもの甲高い泣き声が響く。

 こんな時に、いやこんな時だからなのか、怒鳴り合う声が遠くから聞こえる。

 

 海夕達も元々穴からそう離れていた訳では無い。家は、両親は、もっと近くだった。

 上手く逃げてくれていればいい。けれど、あの中に巻き込まれている可能性の方がずっと高い。

 

 梨子は何も言えずに歯を食いしばった。

 

 もしも梨子が一人だったのならば、恐らく危険を承知で両親の元へ駆けつけたのだろう。だが、現実には佑輔と海夕がいる。

 いや、二人だって駆けつけたい気持ちはあるはずだ。今梨子が引き返そうと言ったのなら、きっと同意する。

 

 しかし。二人のことは自分が守ると、長女として幼い頃よりずっと思っていたし、両親にも伝えているのだ。

 そして、両親はなんと言っていたか。任せたと、そう言ってはいなかったか。

 

「……分かってる」

 

 結局、海夕の言葉に返したのは佑輔だった。

 絞り出したような声と辛そうに歪めた顔から、佑輔が梨子と同じように葛藤していることが分かった。

 

 海夕は二人の様子に、不安で心配に思っているのは自分だけでは無いと気付き、いやそれ以上に考えていることに気付いて唇を噛み締める。

 今はただ、一歩でも遠くへ逃げることが最善への道だった。

 

 

*** *** ***

 

 

 本降りになった雨が降りしきる。

 道路には水溜まりができて走りにくい中、何とか転ぶことなく逃げていた。

 

「海夕、どう?」

「今のところは大丈夫みたい」

 

 梨子が確認したのは、化け物の所在。そして海夕が安全を告げるのは、佑輔の背から見渡した情報――ではなく、海夕の能力によるものだ。

 

「そっか、ありがとね」

「ううん、これくらいしかできないから」

「そのこれくらいに助けられているのよ。胸を張って」

「……うん」

 

 それは、海夕達が『空間識覚』と呼んでいるもの。

 その能力に気付いたのは、本当に偶然だった。一年ほど前にかくれんぼをしていた時の事。たまたま鬼役になった海夕が探すために辺りの地形を思い浮かべようとすると――

 突如、頭の中に()()は浮かび上がったのだ。

 

 驚いた海夕は遊びそっちのけで姉兄を呼び、そしてその事実を伝えた。

 さすがの二人も半信半疑だったが、海夕がそんな嘘を吐くはずもない為に信じるしか無かった。何より、可愛い妹が困っているのを放って置けるはずもないのである。

 

 そして梨子と佑輔の協力の元、地道に検証を重ねて行くうちに詳細がわかったのである。

 

 空間把握と同列の能力ではあるが、決定的に違うのは離れた場所や遮蔽物を超えた先まで正確に認識出来ることだ。

 それも、海夕を中心に約半径200m内を感知することが出来る。それは視界に入っていなくても分かる――というより、普通の視界とは別に()()()いるのだ。例えるならホログラムが近いだろうか。色彩こそわからないが、死角もなく光源もいらないとくれば、そんなデメリットはないに等しい。

 

「具合は大丈夫か?」

「このくらいは平気。お兄ちゃんの方が大変でしょ?あまり喋らなくていいよ」

「それこそ心配ご無用、ってやつだな。バスケ部の体力なめんなよ?」

 

 佑輔が悪戯っぽく笑う。しかし内心では、海夕の返答を聞いても尚体調を心配していた。

 

 それもそのはず。

 検証の為に海夕がこの能力を使った時、その後熱を出して寝込んだことがあったのだ。そのためあまり使わせないようにはしてきたが、それでも何度かは調べるために使用し、その度に熱を出した。

 

 普通の五感以外にもう一つの感覚が現れたのだ、それも情報量が多い。当たり前の反応なのだろう。

 

 今も時間をおいて時折周囲を探らせてはいたが、それも短い間に留めていた。だがここまで逃げるために何回も使っているため、そろそろ疲労が溜まっていることだろうと懸念していた。

 

 その上、これは佑輔と梨子にも当てはまるが、ずっと雨に打たれているのだ。風邪をひく心配もあった。

 走って動いている二人はまだしも、背負われている海夕は相当身体が冷えているはずだ。実際、佑輔の首に回された手はとても冷たい。

 

(早く安全な場所へ逃げないと。梨子ももうへばってきてる)

 

「梨子、ちょっと確認したいんだけど」

「ん、何?」

「俺たちは川を越えればいいんだよな?」

「……正直、分からない。初めはそう思ったし、今更化け物がいる反対側に行けるわけもないけど。でもまだ嫌な感じがずっとしてる」

「そうか。まぁやることは変わらないな。俺たち三人で逃げ切る。な?」

 

 顔を曇らせた梨子と不安そうな海夕を励ますように、佑輔はわざと明るい声を出すとニッと笑う。

 

「うん」

 

 梨子も微かに笑い返しほんの少し雰囲気が緩んだ、その瞬間。

 

 

 

 

 三人のすぐ後方で倒壊音と悲鳴が鳴り響いた。ついに化け物がここまでやってきたのだ。

 

 音を吸収し視界を塞ぐように降る雨と最早BGMと化した悲鳴が、そして海夕の能力への信頼故に生じた油断も、もしかしたらあったのかもしれない。それらが重なって発見を遅らせ、気づいた時にはもう姿がはっきり見えるほどに接近を許してしまっていた。

 

「いやぁぁぁ!!」

「急げ!」

「早く逃げるんだ!」

「待って!子供が瓦礫に挟まれたの!」

「ママ!!助けて!!」

 

 誰かの声が行き交う中、三人も必死に逃げる。

 一人、また一人と犠牲になっていく様子を音だけで感じ取りながら、その誰かの犠牲によって今生き延びていることを実感していた。

 

 しかしその時間稼ぎすら、僅かな時間を延命しているにすぎない。梨子がちらっと後ろを振り返れば、化け物とはもう、あと僅かな距離しかなかった。

 

(もう足も限界だ…)

 

 梨子は静かに覚悟を決める。

 

「後は任せた」

「うぉっ」

 

 梨子は佑輔を横に突き飛ばし、二人の真後ろまで迫っていた化け物から逃した。

 そして、代わりに梨子が捕まえられた。

 

「くっ!」

「お姉ちゃん!!」

 

 梨子が命懸けで作ったその隙に、佑輔は何とか逃げ出す。しかし海夕は後ろを向いて梨子を呼んでいた。

 

 どんどんと遠ざかっていく梨子の姿に、海夕の瞳からは雫が溢れる。

 雨と涙のカーテンの向こうに隠れた梨子を見つめ続けた。

 

 正常性バイアス。如何なる状況でも自分は大丈夫だと思い込む状態のことを言うが、まさにその通りだった。今さっきまで、それこそ間近で化け物の姿を目にしたって自分たちは大丈夫だと、きっと助かるのだと心のどこかでは思っていた。

 

 だが、愛する梨子が犠牲になったことで、自分だけは大丈夫だなんてことはないのだと、そして今までのささやかな幸せな日常が、如何に薄い薄氷の上にあるものだったかを実感したのだ。

 

 海夕の脳裏には、梨子が捕まえられた瞬間が焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 ───雨はまだ、止まない。

 

 

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