天然防衛隊員、八重木阿斗里の破戒録 作:さようならハンバーグ伯爵
ボーダーには、明確な序列が存在する。
分類としては、C、B、Aというクラスがそれぞれあり、皆が皆上の階級を目指し研鑽を励んでいる。
Cは訓練生である。配布されるトリガーも正隊員のものと比べ、セットできる武装も少なく脆弱で防衛任務も与えられない。訓練と個人戦で結果を残し、正隊員を目指す階級だ。
Bからが正隊員である。ここから正規のトリガーが配布され、メインサブ含め8つのトリガーをセットできる。
そして──A。
このランクは、個人で幾ら強くなろうとも不可能な領域となる。
A級部隊に在籍している人間が、A級隊員としてカウントされるからだ。
元から存在するA級部隊に入隊するか、B級ランク戦とA級昇格試験を経て上へ昇り詰めるか。
さて。
太刀川慶という男がいる。
──A級1位太刀川隊の隊長であり。
──個人ポイントでも堂々たる1位を誇る男。
ボーダーで一番強い、という事実だけであらゆる全てを跳ねのける地位と存在感を作り上げている男。
部隊の階級。そして個人。
その双方において──トップを張る男。
「ふむ...」
長尺の黒コート。
両脇に差した二刀。
そして──顎髭を弄る仕草と共に、彼は個人ランク戦ブースに赴いた。
彼にとって。
戦いは呼吸と同等である。
日常であり、失われると苦しい。
現在彼は──レポートの作成の為密室の中閉じ込められ、おおよそ三日ぶりにここに赴いた。
腹を空かせていた。
有り余る力を解放する場を求めていた。
現在彼の眼は獲物を探し、餌を求めている。
幾らかもう戦いはしたが、まだ足りない。
更なる闘争を。
更なる充足を。
「──お」
そして。
その姿を見かけた。
「よぉ。八重木」
「やあ、太刀川さん」
同じく。
太刀川と、全く同様の飢えを宿した女が──太刀川の視界の中に入る。
「お前のせいで、俺は三日も密室の中に入る羽目になった。レポートと反省文でな」
「私のせい? ──何を勘違いなさっているのですか? 私はただただ、貴方に頼まれるがままにレポートを作成しただけです」
「ふ。次に頼むときはきっちりテーマは伝えてやる。今回の事をしっかり反省してくれな」
「申し訳ありませんが、それは無理です。──もう風間さんから手伝うなと釘を刺されましたから」
なに、と。太刀川は声を上げる。
「く。風間さんめ.....手が速い....!」
「そんな事より──」
八重木は流し目で、現在空いているブースに視線をやる。
「ずっと三日も何も出来ずに──太刀川さんの方もとても溜まっているでしょう。さあ、やりましょう。とっても楽しい事を」
「──そうだな。まだ、全然足りねぇ」
笑みを浮かべる。
両者ともに。
全く同じ形に歪んだ笑みで──二人の足先は同じ方に向く。
「10本勝負で行きましょう」
「ああ」
※
個人ランク戦ブース内。
市街地の中に転送される。
眼前、おおよそ十メートル程の距離をもって、──八重木阿斗里と太刀川慶は相対する。
太刀川慶は、弧月を二つ握り、それを左右に拡げる様に構えていた。刃があり、柄があり、グリップがある刀状のトリガーである。
八重木阿斗里は左腕の前腕を胸の辺りに構え、右腕にナイフのような小さな刃を逆手に握り腰先に構える。その刃は、トリオンの光そのものが刃を形成しているかのようで、弧月のように明確な物質としての形が成されていない。
八重木は──太刀川が持つ弧月ではなく、スコーピオンと呼ばれるトリガーを使用していた。
互いの視線があった時。
戦闘は開始された。
太刀川の二刀が振られると同時。
八重木はその斬撃の間に入っていく。
横薙ぎに振られるその斬撃に。
八重木は左腕を前腕のみを回し、その斬撃に割り込む。
その腕には──右手に持つ武器と同様の刃が
スコーピオン。
このトリガーもまた、弧月と同じく──攻撃手用の武装である。
それは、弧月程のリーチも、威力も、耐久力もない。
一撃でシールドを破壊する事も出来なければ、弧月と打ち合えば数撃で刃は砕ける。
それでもこのトリガーが弧月と共に数多くの攻撃手に使用されている理由は、──その形状を自由に変えることが出来、また使用者の身体のどの部位からも好きに出すことが出来るという特性があるからだ。
八重木はスコーピオンと弧月がぶつかり合った瞬間。
スコーピオンの刃に亀裂が入る感覚を覚える。
それ故、受け止めた前腕を体軸ごと斜めに移行させ、太刀川の斬撃の軌道を変える。
「おっと」
斬撃を防がれ、いなされた形となった太刀川は体勢を崩す。
いなした形となった八重木は──右腕に持つ小ぶりの刃を、太刀川の懐に入る動作と同時に右肩に突き刺す。
突き刺した瞬間に、小ぶりだった刃が
肩を突き刺しただけだったその刃が、既に太刀川の肩を貫いていた。
その瞬間。
八重木は──太刀川の心臓部に刃を走らせんと、右腕を斜めの方向に力を籠める。
が。
太刀川の下方からの斬撃が自らの右腕に走っているのを見咎め、スコーピオンを収め背後へと飛び去る。
「ぐゥ!」
そして。
飛び去りつつも避けきれなかった斬撃を、肩口に喰らい。
彼女は──
「....お前さあ。戦いに有利になるのは解るんだけど。訓練の時くらい痛覚を抑えないの?」
現在太刀川と八重木の肉体は、トリオン体である。
トリオン体というのは、言うなれば生身の肉体からトリオンというエネルギーで構成された肉体へと換装した姿である。
この姿に変わる事によって身体機能の向上、物理攻撃や衝撃によるダメージのシャットダウン、そして──痛覚を抑える機能もそこに存在している。
しかし。
八重木阿斗里は──斬られた痛みに、思わず苦悶を上げた。
「いいえ。──訓練の時から痛みに慣れておかないと、本番で痛みに委縮することになりますから」
八重木阿斗里は。
痛覚設定を──通常の肉体が味わう苦痛と同等に痛みを感じるよう設定している。
それは彼女が修行僧でもマゾヒストであるが故ではない。
こうすることで──自らにかかる恩恵があるのを知っているから。
「──これこそが、私の
痛みに苦しみながらも。
それでも──その目に宿す光も、口元の笑みも変わらない。
苦しみながら笑う──まさに凄絶な笑みであった。
八重木阿斗里には。
多量のトリオンを持つが故に発生する特殊機能を持っている。
ボーダー本部の解析班により解明され、名付けられたその副作用の名は。
──中枢神経興奮作用誘起、というものであった。
※
八重木阿斗里は、子供の頃より非常に優れた集中力と忍耐力を持っていた。
小学校の時。
シャトルランによる体力測定が行われていた際に──その異常性が判明した。
彼女は──女子が全員ギブアップし、男子全員が脱落した後も、延々と走り続けていた。
たった一人で十本、二十本と走り続け──五十を超えた頃に教師に止められるまで、ずっと走り続けていた。
止められ、緊張の糸が途切れた時──彼女はあまりの両足の痛みに悶絶し、そのまま病院へ直行することになる。
彼女の両足はもう既にパンパンに膨れ上がっていた。
足はとうに筋肉の疲労でつっている状態で、筋肉痛もひどいものであった。
それでも──彼女は一度集中状態に陥ると、痛みも苦しみも忘れて、身体を動かす事が可能となっていた。
その後。
彼女はボーダーに入隊した後に、自らの性質を知る事となる。
──中枢神経興奮作用誘起。
彼女の心身に強いストレスが与えられると。
彼女の中枢神経に多くの神経物質の伝達量が増加し、中枢神経を興奮状態にさせ、五感の鋭敏化並びに集中力の増加、認識機能の拡張と痛覚の麻痺といった様々な恩恵を彼女に与える。
要は、セルフドーピングである。
それは日常生活においても非常に有用なものであった。
課題をこなす時。習い事で退屈な反復行為をする時。そういう軽度のストレスを与えるだけでも、彼女の脳はそれに応じた集中力と忍耐力をくれる。
しかし。
当然この副作用は──八重木が強いストレスを与えられれば与えられる程に、その恩恵を彼女に与える。
強い苦痛が。
強力な恩恵として返ってくる。
それ故に。
彼女は──トリオン体であろうとも痛覚を生身と同じだけの設定にする事を決めた。
斬られ、撃たれる痛みを味わえば味わうだけ。
彼女の中の感覚が鋭敏化する。
なにせ、トリオン体という換装体が非常に相性がよかった。何せ斬られる撃たれるだけでは死ぬことなど絶対にないから。
生身であれば死ぬような痛みを受けた所で
どれだけの苦痛を受けた所で、その苦痛の受け皿の量は死による限界が取っ払われて青天井。
苦痛を与えれば与えるだけ。
要は──追い詰めれば追い詰めるだけ。
彼女の能力は上がっていく。
それ故に。
彼女は──苦痛を排除するトリオン体の機能を、自らの意思で取っ払ったのだ。
──右から、袈裟斬り。
肩に受けたダメージ。
それによって発生する苦痛と恐怖。
──次もこの痛みが来るかもしれないという恐怖が、彼女の集中力を増大させる。
先程よりも、太刀川の動きがよく見える。
袈裟斬りが行使された瞬間、斬撃の内側に身体を潜り込ませて掌底を首に突きつける。
掌底の動きと共に──飛び出るスコーピオンが、太刀川の首に向かう。
太刀川は首だけを動かし回避すると。
斬撃の軌道を斜めから横に変化させ八重木の身体に走らせる。
八重木は。
それをスコーピオンを纏わせた左で防ぎ。
体軸の変更でいなし。
いなした体勢から──太刀川の脛に向けて蹴りを走らせる。
ブーツの先には、当然スコーピオンの刃がある。
「あぶね」
それを、もう一刀にて受けつつ。
太刀川は八重木と距離を取る。
これが──八重木阿斗里というスコーピオン使いの弧月使いに対する基本的な戦い方。
常にスコーピオンを刃の形で形作るのではなく、自身の体術と合わせ適時身体に生やして攻撃を形成する。
対弧月使いの戦い方として。
斬撃を振るう相手に対して、前腕による円形動作とスコーピオンの組み合わせで相手の初撃を防ぎ、円状に動かした腕の動きと自らの体軸の変更で刃の向きを変え、いなす。
いなし、崩された相手の懐に瞬時に踏み込み、そこで自らの攻撃を通す。
受ける。
崩す。
攻撃。
これらが全て、一連の動作。
一つの動作が終わったころには、次の動作へ至る予備動作も終わっている。
太刀川は袈裟を中心とした斬撃の構成から、縦に振り上げての斬撃へと変化をつける。
横薙ぎの斬撃は、縦のそれと比べ相手に斬撃を当てやすいが受けられやすい。
受けから崩しへとシームレスに行動できる八重木の戦い方に引っ掛かりやすい。
「──レイガスト」
縦振りの斬撃に対して。
八重木は──トリガーの変更によって対応を図る。
彼女の左手には、重厚な黒い縦のようなトリガーが握られていた。
縦に振られた斬撃を、それにて防ぐ。
スコーピオンで受けた際は、一撃にて刃こぼれしていた弧月の斬撃。
しかし──この盾は受けた所で亀裂一つ走らない。
「──スラスター」
盾の持ち手側にある噴出口からトリオンが吹き出し、盾は太刀川側に加速し、押し込められる。
押し込められた衝撃で太刀川は背後へと吹き飛ぶ。
──ここだ、と八重木は勝負をかける。
八重木はレイガストの加速装置──スラスターを発動させたまま、腰先の動きと共に腕をサイドから走らせ吹き飛ぶ太刀川へ向け、それを投げる。
投げると同時。
片手に残ったスコーピオンも、円輪刃のような形で生成し、レイガストと時間差を空けて投げ込む。
背後に吹き飛ぶ太刀川。
それを追うレイガストとスコーピオン。
その光景を見て──太刀川の口元が、笑みの形を浮かべる。
「──旋空」
背後へと飛ばされながらも。
太刀川は変わらず──弧月を振るった。
旋空、という言葉と共に放たれたその斬撃は──刃が、伸び上がる。
トリオンの光を纏い、拡張されたブレードの二振り。
それは──レイガストを弾き飛ばし。スコーピオンによる円輪刃を撃ち砕き。
そして。
その先にいた──八重木阿斗里の肉体もまた、斬り裂いていた。
太刀川慶VS八重木阿斗里。
一本目は──太刀川の勝利で終わる形となる。
※
その後。
10本を終え、八重木の勝利は3本のみであった。
「いつもこうですね。決め手がないのです私には」
「だな。──追い込むまでの戦い方はかなりいいのに。あと一手がお前には足りん」
「うう....。中途半端です私は。辛い。お家に帰って推しの配信者に投げ銭してこの辛さを乗り越えます...」
「おう。頑張れ」
しかし、と太刀川は言う。
「お前、毎度毎度痛い思いしながら個人戦して楽しいか? 楽しい、ってより痛い辛いって気分の方が多いんじゃねぇの?」
八重木阿斗里は。
一つ戦うごとに、一つ負けるたびに──比喩なしに『死ぬほど』の痛みを味わっているのだ。
本来であるならば死と同時にしか味わえない痛み。
それを味わいながら戦っているこの女には──それでも楽しいという感情が芽生えているのだろうか。
「やだなあ太刀川さん」
そして
「楽しいに決まっているじゃないですか。だって──こんなに、痛くて苦しくて辛いんですから」
言う。
「私は──私が成長する実感を得る瞬間が一番楽しいんです。自分が知らない事を知ったり。自分が知らない価値観と出会ったり。自分とは違う個性や考えを持っている人と交流したり。そして、痛みの中で自分の中で新たな扉が開いていく感覚。それが、とても楽しくて仕方がない」
彼女にとって。
因果が逆なのだ。
「だから。この痛みや苦しさというのは──私にとって喜びと出会うきっかけを与えてくれる、素晴らしい代物なんです」
痛いから辛いのではない。
痛いからこそ──楽しいのだ。
そう言うと。
彼女は──いつもと変わらぬ笑みを浮かべて、太刀川に笑いかけた。
八重木阿斗里
トリオン:8
攻撃:9
防御・援護:6
機動:8
技術:10
射程:1
指揮:7
特殊戦術:3
TOTAL 52
副作用 中枢神経興奮誘起
心身に強いストレスを感じた際に、中枢神経を興奮状態にさせる副作用。要はセルフドーピング。集中力の増加によって五感の鋭敏化と認識能力の向上、痛覚の麻痺が見込まれる。ただし心身のストレスのかかり具合により強弱が付けられる特性があり、その為八重木はトリオン体の痛覚を常に常人と同じ程度の設定にしている。
メイン:スコーピオン シールド スパイダー バッグワーム
サブ:スコーピオン シールド レイガスト スラスター