「そういえば今日から助っ人のプロデューサーが来るそうですわ」
「そうなんですか?フレッシュなマンパワーでシナジー効果が生まれそうですね!」
「ふふっ、きちんと挨拶できますかコロちゃん?」
「むっ!コロじゃなくてロコです!それに挨拶はコミュニケーションの基本、イージーです!」
いよいよ今日から公演がスタートする。
通いなれたシアターまでの道のはずなのに歩みを進めるにつれて手が震えてくる。わたくしは自分で思っていたより繊細な心をしているのかもしれないですわね。
踵を返してしまおうかなんて弱い気持ちを紛らわすように駅で合流したコロちゃんに話しかけるといつものように可愛らしいリアクションを取ってくれる。天才肌のコロちゃんには緊張なんて感情は存在しないのかもしれないなんて少しうらやましく思いながら、それでもいつものわたくしを取り繕うようにお姉さんぶってしまう。
「そうでしたわね。わたくしは少し緊張してますので心強いですわ♪」
「んん……。よしっ!オン ザ タイタニックな気持ちで任せてください!」
「お、おんざたいたにっく…?―――あぁ、大船に乗ったつもりのことですのね。………その船、世界一有名な沈没する船ですけど大丈夫ですの?」
「アフターフェスティバルにならないようビーケアフルですっ!」
「それじゃあ後の祭りではなく祭りの後ですわ……」
もしかしたらコロちゃんも緊張しているのかもしれないですわね…
ボケなのか本当に間違っているのか判断がつかない言葉に苦笑がこぼれる。おかげでリラックスできたのでコロちゃんには感謝しないといけませんわ。
シアターに到着するころにはこけら落とし公演に向けて気分も前向きになり、先ほどまでのふわふわとした足取りもようやく地に足がついたという感じだ。
「やっといつものスマイルが戻ってきましたねチヅル」
「……やっぱり気を使ってくれていたのですわね。もう大丈夫ですわ、ありがとうございます。コロちゃん」
「だーかーらー!コロじゃなくてロコです!」
「およ?そこにいるのはいいちこさんではないですか?」
「いいちこではなく二階堂ですわ!……ってあら、常連さんの妹さん?こんなところで会うなんて奇遇ですわね」
年下の彼女に励ましてもらった気恥ずかしさをふわふわの髪を撫でることでごまかしていると、元気な声で声を掛けられ反射的に返事を返してしまった。
振り返るといつもウチに買い物に来てくれる常連さんの妹さんがにこぱっと眩しい笑顔を浮かべていた。
……この子、わたくしが常連さんと話しているとニコニコ隣で聞いてるんですけど目の奥が暗く淀んでいるので怖いんですのよねー。
「んー?あっそうか。かのかさんは知らないんですね…」
「かのかでもなく二階堂ですわ……」
妹さんは少し考えこんだ後、思わせぶりなセリフをつぶやく。
「チヅル?常連ってなんのことですか??」
「えっ?……あ、えーと……。そう!浄蓮の滝ですわ!わたくし天木越えが十八番なんですの!」
「ビヨンド アマギですか?チヅルはヤンデレの方だったんですか?」
「それは絶対違いますわ。あと演歌の愛はだいたい激重ですわ…」
「ふーん。うちの兄にコロッケで熱心に餌付けしてるのはそういうことだったんですねー」
…気が抜けていたからかどんどんと墓穴を掘ってしまいましたわ。
どちらかと言えば地域密着のお店なので地元にいる時はお客様が話しかけてくださることはあるのですが、まさかこんなところで出会うなんて思わずキャラがぶれてしまいましたわ…
だいたい浄蓮の滝ってなんですの?
そのせいでまた妹さんの目の奥からどろりとダークマターが滲み出ていますわ。
「まあいっか。それじゃ小町、臨時収入が入ったんでお買い物してきますっ!ではでは、またレンタルしますね、千鶴さん」
「水原ではなく二階堂ですわ!それからウチはレンカノではなく精肉店ですわ!」
買い物してストレス発散するらしい妹さんはコロちゃんと少し挨拶を交わしデパートの方へと歩いて行ってしまった。
……さて、コロちゃんになんて言ってごまかしましょうか。
なんてお気楽なことを考えていられるのは助っ人の方がみんなの前で挨拶をするまでの間だけでした。
「じ、常連さん…?」
ーーーーーー
助っ人として働き始めてから一週間。
とあるアイドルからの差し入れであるコロッケの最後の一口を飲み込み、デスクの対面に腰掛け先ほどからチラチラとこちらの様子を窺う二つの視線へと目を向ける。
「こうしてディスカッションするのは初めてですね。ぜひロコナイズでシナジー効果を生み出していきましょう!」
「……なぁコロちゃん、これ合わせてあげた方がいいのか?」
「なっ!コロじゃなくてロコです!まさかチヅルから聞いたのですか!?」
「あ、いや。コロちゃんってのはコロちゃんのことではないのですわ……」
「むむっ、それはロコのアイデンティティーについてディスカッションするということですか?」
「そういうことでもなくて……」
「―――チヅルがずっと八幡pを避けてるように感じたので恥ずかしがりなチヅルに代わってロコがチームワークを高めようと思ったのですが……」
との事らしい。
しゅんと眉根を下げてぽつりとこぼされた言葉は散りばめられたロコ語に覆い隠されて少々難解だがそこには優しいぬくもりがあった。
たしかに心当たりはある。髪型からファッションから化粧に至るまで、普段お店で見ている姿とは違い過ぎてこちらからは話しかけにくかったのもあり一週間たった今でも会話らしい会話をできていなかった。いつもは素朴で商店街のアイドルって感じだがシアターで見かけるコロちゃんは正真正銘のアイドルだった。
……これがギャップ萌えか。
「どうして見つめ合ってるんですか…?もしかしてロコお邪魔ですか…?」
「い、いえっ、いつもお店で見かけるジャージ姿と違ってスーツが新鮮でつい見蕩れてしまいなんでもないですわ!!」
「ほとんど隠せてないですよチヅル……。ところで八幡p、コロちゃんとはロコのことではないのですか?」
「あー。買い物したらサービスでコロッケつけてく――」
「―――あーあーあー!!!なんでもないですわ!!わたくし口癖が『殺して差し上げます』ですの!なので一部界隈ではコロちゃんと呼ばれてるんですの!!」
いつもは揚げ物のおいしそうな匂いなのに、今日は女の子みたいな香りがする。
いや、出会った当初からずっと女の子ではあるのだが、言うなればクラスで高嶺の花の美人が実は家庭的だったの反対で、家庭的で親しみやすい幼なじみが実は風俗嬢だったみたいな。……やっぱ今のなし。意味も全然分からんし。
「前から思ってましたけどチヅルって……。いや、やっぱいいです」
「そ、そうですわ!なのでわたくしがコロちゃんと呼ばれていてもなんの問題もないのですわ!」
とにもかくにも。
もはや悪癖とでも言うべきか、またしても俺は知ったつもりになっていたらしい。
人は中身なんて言うが仮にそれが耳触りの良い真理なのだとしても、一目見ただけでこれほど引き付ける魅力があるのだから外側を取り繕う努力だってないがしろにしてはいけないのではないだろうか。
「プロブレムだらけですよ…」
「うっ…。ど、ドSアイドルと言うやつですわ」
どうせ見たいものしか見ないのだから、こちらが見せたいものしか見せないことも許されてしかるべきだろう。
覗き見たつもりのそれすら計算され尽くしたものだとどうして考えないのか。
「……まあそういうことにしておいてあげます」
「ふぅ、助かりましたわ。―――というか常連さん!さっきから黙ってますけど、どうして助けてくれないんですの!」
「え?あ、すまん。見蕩れてたわ…」
「見蕩れ!?ん、んん゛ッ。と、ととと、当然ですわ!これがセレブの魅力ですわねっ!!」
「あぁ、きっとそうなんだろうな」
いつも商店街で見かける彼女の姿とのあまりのギャップについ笑みがこぼれてしまう。
どの表情もきっと彼女そのものなのだろう。
誰かから借りてきて固めて作った仮面ではなく、一瞬一瞬を全力で走るその姿が俺には眩しく見える。
素直に誉め言葉が出たのもきっとそんな姿にあてられたからだと思いたい。
「ま、またそんな屈託のない笑顔を浮かべてッ」
コロちゃんは口の中で何かつぶやくと用事ができたと席を立ちドアノブに手をかけた。
「コロッケいつもありがとな。今日も最高においしかったわ」
「もうやめてください!恥ずかしくて死んでしまいますわ!!!」
「殺して差し上げます」
「くっ!ボーっとしてたから聞いていないと思っていましたのに!忘れてくださいまし!」
最後にキッとこちらを睨んで出て行ったと思っていたらドアの隙間から顔をのぞかせ、ほんとにほんとに忘れないと殺して差し上げますからね!なんて捨て台詞を残し今度こそ本当にどこかへ行ってしまった。
まあなんだ、久しぶりに話せてよかったわ。
ーーーーーー
ロコ「……あんまりチヅルをイジメないでくださいね?」
八幡「―――いつから気付いてたんだ…?」
ロコ「実は一週間ほど前にシアターの前で話しかけられたんです。話の中で彼女はチヅルは知らないけれど自分は知っているある情報について言及しようとしていました」
八幡「…それが?」
ロコ「結果論になりますが、その情報は八幡pが助っ人に来てくれるということだったんだと思います」
八幡「…なるほどな」
ロコ「それを踏まえてもう一度先週の会話について考えると、彼女は途中から会話に入ってきたはずなのになぜかロコとチヅルがアイドルをしていると確信していたということになります。おそらく彼女は話しかけるもっと前からロコたちに気付いていたんだと思います」
八幡「それがどうして俺が知っていたということにつながるんだ?」
ロコ「先ほどのあなたのチヅルに対する反応は大げさではありましたが、そこに嘘はなかったように思えます。――普段の八幡pの知っているチヅルの姿はロコの知っているそれと大きく違うのではありませんか?それこそ確信するまでに一週間の時間を費やすほどに」
八幡「……」
ロコ「沈黙は肯定とみなします。――しかし彼女は一瞬でチヅルだと看破しました。さらにチヅルの隠しているつもりの正体については誘導していましたけど、彼女自身があそこで何をしていたのかは隠しきっていました。“お兄ちゃんが新しい女に囲まれるから監視に来た”と言えば一言で済んだはずなのに。……八幡pに対する感情が家族愛なのか何なのかまで探るつもりはありませんが、少なからずそれは八幡pの周囲にいる女性を妬ましく思う程度には強かったのでしょう。結果的にチヅルは何の心の準備もないまま八幡pに会ってしまいアイドルとしての姿を見られたのが恥ずかしいのか、取り繕うようにあなたから距離を置きました」
八幡「その推測だと小町は俺にその日のことを何も教えないんじゃないのか?」
ロコ「ええ、教えれば八幡Pからチヅルに話しかけるきっかけを作ることになりますからね。だからここまではすべてブラフです。―――あなたならもう分かりますよね?ロコは話しかけられたのが小町さんだったなんて一言も言ってないはずですよ?」
八幡「ぐっ」
ロコ「つまりあなたは初めからロコたちが話しているのを見て気付いていたんです。だってそうですよね。自他ともに認めるシスコンのあなたが妹を見送って最後まで見守らないはずがないですから。……過保護すぎるってよく言われません?」
八幡「……」
ロコ「―――だからこそロコも安心してあなたを信じることができます。………1週間もチヅルの決心を見守ってくれてありがとうございました。人が見たいものしか見ないように、チヅルにも見せたいものがあったんだと思います。でも幸運なことに、不運なことに、あなたという見せないことが許されない存在と出会ってしまいました。そして今日はそんな自分と向き合うきっかけになったと思います。……だから、ありがとうございました」
八幡「ふん、徹頭徹尾何のことだか分からんがお前がそう思うならそうなんじゃねえの?」
ロコ「はい。そう思うことにします」
八幡「……お前もたいがい過保護だと思うがな」
ロコ「好きなんだから仕方ないじゃないですか」
八幡「えっ」