ㅤ魔法という奇跡の代名詞のようなその単語は、21世紀後半においては単なる科学の産物でしかない。魔法使いが、お伽話の中にのみ存在するフィクションと信じられていた頃とは時代が違う。現代の魔法使い――魔法師は、魔法演算領域によって世界を認識し、事象を任意に書き換えるスキルを持つ者に過ぎないのだ。
ㅤ私もとい
ㅤそもそも、実はこの「矢作」という名字は当て字なのだ。元々の名字は「
ㅤエクストラ、あるいはエクストラ・ナンバー。その言葉を説明するには、魔法研究が活発に行われていた時期――魔法技能師開発研究所の稼働がスタートし始めた時まで話を遡らなければならない。
ㅤ当時十ヶ所あった研究所の全てで、有望な個体には漢数字を冠した名字を付けることが慣例となっていた。それらは研究者のお遊びみたいなもので、単なる洒落でしかなかっただろう。しかし、それこそが現在の十師族および師補十八家のルーツでもある。けれども、研究所のモルモットでしかなかった過去を隠さずにいられるのは、彼らが強大な魔法力を持ち合わせているから。人々の畏れが、二十八家に安寧を与えた。
ㅤ対して、開発中に零れ落ちてしまった多くの失敗作は、「人間もどき」という看板を背負って生きることを運命付けられたのである。魔法力の有無に限らずナチュラルな人間達は、「数字落ち」をコミュニティ内で徹底的に差別した。理屈を伴わない感情的な排斥によって、「数字落ち」は出自を隠すことを余儀なくされたのだ。
ㅤそれでも。どれほど息を潜めて暮らしていても。生まれが露見するリスクを完全には回避できない。ひょんなことから、いきなり職を失うこともある。婚約が解消されることもある。一寸先は闇、を地でいく生き方しかできないのだ。
ㅤ故に、「数字落ち」は最初から非合法な裏のコミュニティに入ってしまう場合が多い。そして、私の一家も同じであった。
ㅤ十師族の一つ、四葉。
ㅤ本拠地、家族構成、魔法技能の詳細……その多くがヴェールに包まれ、実態が不透明。そんな四葉家には、諜報を担当する「黒羽」という分家が存在する。
ㅤその黒羽家の御息女である、黒羽亜夜子。自分と同い年の彼女の身辺を自らの命を賭して守るという仕事――ガーディアンこそが私、矢作瑞穂に課せられた使命であった。
◆
ㅤガーディアンなどという大層な名前を付けられてこそいるけれども、私の仕事の多くは主人の身の回りの世話をすることで占められる。
ㅤ今日も亜夜子の部屋に押し入って、カーテンを開けることから始まった。
「亜夜子さま、早く起きてください! 朝ですよ!」
ㅤ部屋が明るくなろうが。大きな声を掛けようが。彼女は布団を頭から被り、徹底抗戦の様子を隠さない。仕方なく私は、ベッド脇のサウンドシステムを操作して爆音を流す。「アウェイカー」と呼ばれる、覚醒を促す音が入った目覚ましを鳴らしたのだ。
「うぅ……うるさいわねぇ」
ㅤ不満気な唸り声が、ベッドの上の塊から聞こえてくる。
「ほら、起きなさい! もう文弥さまは、とっくに朝食を召し上がられていますよ!」
ㅤ朝の攻防は日常茶飯事であり、私も最早遠慮などない。布団を無理やり剥がして、ベッドから亜夜子を引き摺り下ろす。そのまま、食堂までパジャマ姿の彼女を連れて行く。
ㅤ食堂では既に、二人の人間が食事を摂っていた。黒羽家当主である貢と、その息子の文弥。亜夜子が来たことで、家族全員がこの場に揃ったことになる。貢の妻はかなり前に他界しており、今の黒羽家は三人家族だった。
「瑞穂ちゃん、悪いね。いつも亜夜子を起こしてくれて」
ㅤ貢の労いに丁寧に頭を下げ、「これが私の仕事ですから」と答えた。まぁ、これも毎日同じやりとりである。
「姉さんはいっつも寝起きが最悪なんだから……」
「うるさいわね」
ㅤ文弥の指摘にツンと顎を上げる亜夜子。
ㅤそんな彼女の為に椅子を引いてやる。そして、少し後ろで待機しておく。何か物などを取るときには、即座に対応せねばならないからだ。
「……そろそろ、二人とも夏休みだな」
「そうね。ねぇ、お父様? 今年はどこに旅行しましょう? 島の別荘? それとも避暑目的で北海道?」
「国外もいいよね。偽装パスポート作ってさ」
ㅤ双子たちは微笑ましい要望を父親にぶつける。ただ、私は内心不安でしかなかった。あまり面倒な場所はやめてほしい、というのが本音だ。大掛かりな警備計画を遂行する為に、使用人は皆最悪の夏を過ごさなくてはならなくなるからだ。どうなることやら、と会話の推移を見守る。
「……けど、やっぱり昔みたいにのんびりするのはもうできないや。姉さんも僕も、本家からの仕事が本格的に入り始めたし」
「そうね、わたしも数日後には神戸行きよ……」
ㅤ亜夜子は唇を少し尖らせ、小さくため息をついた。
ㅤ本家から彼女に下された指令は「一般人を現地工作員に仕立て上げている、無国籍犯罪組織"ムグンファ"を調査せよ」というものだった。どうやら、内調から回ってきた仕事らしい。
ㅤその為に、亜夜子は神戸にある泊まりがけの「お嬢様向けマナー講座」に潜入することになっていた。勿論、ガーディアンの私も友達役として同行することになる。
「……けど、やるしかないわね。――瑞穂ちゃん、一緒に頑張りましょうね」
ㅤフワリと優しい微笑みを浮かべる亜夜子。私は自分の主人から向けられる、そのチャーミングな笑顔がとても好きだった。それを見るたびに、彼女に仕える今の日々を肯定できる。
「もちろんでございます! 命に代えても、亜夜子さまの身辺をお守り致します」
ㅤ自分の人生すべてを、一人の少女に捧げたって構わない。
ㅤ側からみれば、その思想は狂気なのかもしれない。間違っているのかもしれない。けれども、彼女の隣だけが私の居場所だ。
*
ㅤ朝食後、潜入捜査に向けたミーティングが開かれた。
ㅤこの場を仕切るのは、私である。というのも、バックアップを担当する黒服――黒羽の実働部隊の通称だ――に直接指示を出すのは私の仕事だからだ。もちろん、チームとしてのトップは亜夜子。これは単に、彼女に通信機を持たせるリスクを避けたに過ぎない。
「今回の『無国籍犯罪組織"ムグンファ"への潜入調査及び、ムグンファ首領捕縛作戦』、以後『ネヴァン作戦』と呼称しますが……」
ㅤふざけているとしか思えない、作戦コードネーム。この慣例は、黒羽家特有のもの――要は貢の趣味だ。
ㅤ良い歳して前世紀のジュブナイル小説を愛読する彼は、仕事にも妙なルールをどんどん適用させる。黒羽の実働部隊の服装規定が、黒スーツにサングラスなのもそれが理由だ。幸いガーディアンである私は、不自然さを極力排除するという名目で私服の着用が許可されているのだが。
「ネヴァン作戦は二段階作戦です。まずは、ムグンファのフロント組織が運営するマナー講座へと潜入。私と亜夜子さまが受講生を装い、内部から調査を実施します。バックアップチームは周辺で待機。そして、どのような些細なことでも、逐一報告して全体で共有すること」
ㅤ魔法なのか、科学技術なのか。手段については未だ不明なものの、講座参加者を洗脳して工作員に仕立て上げている疑惑が上がっているのだ。念には念を入れるに越したことはない。些細なミスで、亜夜子の身に危険が及ぶかもしれないからだ。
「実態を掴んで証拠を得ることができれば、交渉の為に書類上はトップについている『
ㅤ安明姫は大亜細亜連合高麗自治区の生まれで、8歳の時に知人の伝を借りて家族で日本に亡命した女性だ。14歳の時、彼女は歌の才能を見出されて芸能界デビューを果たした。
ㅤアイドルといえば、今や殆どがバーチャルアイドルに席巻されている。生身のアイドルは接触中心の地下アイドルばかりの時代に、「ミョンヒちゃん」は高い歌唱力と可憐な容姿で国民的アイドル的立ち位置まで駆け上ったのであった。
ㅤそんな明姫は、可愛いだけの女性ではなかった。芸能活動のほか「女権拡張運動」にも精力的に活動しているのだ。
ㅤ第三次世界大戦を経て、政情の不安定さから安定志向を求める人々は増加している。「女性は結婚し、男性の庇護下に入った方が良い」という考えが、世間には広く浸透していた。彼女は、それらを痛烈に批判している。特に槍玉に挙げられるのは、十師族を始めとする魔法師の「家制度」。それを封建制の再来などと説き、「女性だってもっと自由に生きていい」と唱えていた。
「安明姫をバックアップしてるのは、同じ高麗自治区出身の華僑だというのに……しかも、大亜連合の現政権と密接に繋がってる。でも、マスコミはそういうことは報道しないんだから」
ㅤ亜夜子が吐き捨てるように言う。彼女は大のマスコミ嫌いなのだ。思想が強すぎやしないか、と私は少し心配している。
「まぁ、彼女の言うことは決して全てが間違いという訳ではありませんから……。戦前に比べて、どこか女性が軽んじられがちなのは確かです。もちろん、我々にしてみれば大迷惑なのですけれども……高い魔法力を持つ魔法師をコンスタントに輩出できなければ、日本の軍事力は一気に下がってしまいますものね」
「えぇ。それに体制側としても、十師族のシステムは都合が良いものだったのだから。そうでなければ、私も瑞穂ちゃんも存在することすらなかったわ」
ㅤ魔法師は世代を経るごとに、魔法力が増す傾向にある。俗に言う「魔法力が遺伝子に馴染む」こと――理論的には実証されてはいないものの、統計がその事実を明確に示している。それ故に、当時の政府は「強力魔法師の家系」を作り上げる事で、安定した魔法師生産のシステムを構築したのだ。
ㅤこれが崩れてしまえば、国内の魔法師の比率は「第一世代」が占めてしまう。そうなれば、魔法評価値の平均が数世代前レベルにまで低下する。
「――魔法師の戦力的価値を削ごうとする陰謀を止めなくてはなりません。みなさん、この作戦……必ず成功させましょう」
ㅤ亜夜子は少し目を瞑ったあと、部下全員を見回して力強くそう言った。
◆
ㅤ夏休みに突入すればすぐ、本家からの任務に対応せねばならない。
ㅤ本拠地である豊橋から神戸までは、トレーラーを使って移動することになった。トレーラーは、キャビネットを収容して高速軌道レーンで遠距離まで移動する交通システムだ。「乗り換えを無くす」というコンセプトで導入されており、最寄り駅からキャビネットに乗り込んだ後、一度も電車を変える必要はない。
ㅤ物騒な仕事の内容とは裏腹に、我々の出で立ちは至って普通の旅行客のようだった。亜夜子は、柄物のワンピースを着ている。そして、私の服装はシンプルなブルーのセットアップで、手には大きなトランクケース。何も知らない人が見れば、夏休みに浮かれている少女たちだと思うに違いない。
「――亜夜子さま、何かお飲みになられますか?」
ㅤ狭いキャビネットからトレーラー内のラウンジに移り、窓の外の景色にも目を向ける余裕が出てきた頃。私は座席に備え付けられた注文パネルを亜夜子に見せる。彼女は静かに首を横に振った。
「いいえ、いらないわ」
ㅤその答えを聞き、パネルを座席の横に仕舞う。すると、亜夜子が私の耳元でこう囁いた。
「……そうだ。ターゲットの懐に潜った後は、私の呼び名を変えなくてはダメよ?」
「承知しております。そうでしょ、『よるちゃん』?」
ㅤ特に失うものが無い私は本名のままで潜入するが、亜夜子は流石にそういう訳にもいかない。彼女のコードネーム「ヨル」と、彼女の母の旧姓「
「ふふふ。そう呼ばれたら、本当にお友達みたいだわ」
「実際、友達役ですから」
ㅤいくら潜入捜査に必要とはいえ、主人へ砕けた言葉遣いをせねばならないのは私としても、どこか心苦しい。
「瑞穂ちゃんは、どうも固くていけないわ。もっと気軽な感じでいいのよ?」
ㅤ私を起こすときみたいにね、とも続ける亜夜子。
「それは……寝坊をさせる訳にいきませんもの。旦那様も『遠慮なくやってくれ』と仰っております」
「お父様も勝手なこと言っちゃって。まったく」
ㅤ黒羽の当主であり、私含めた使用人達の雇い主である貢は結構話が分かる人だ。なので、亜夜子や文弥の行動に問題があれば、厳しく叱っても構わないとまで我々に言い切っている。自分が親バカなのを自覚しているからだそうだ。
「――任務が始まってしまえば……私と貴女だけで協力して、事を運んでいかなくちゃいけないわ」
ㅤ亜夜子は掠れるような声でポツリと呟く。
ㅤ先遣隊として先に神戸入りしている数人の黒服が、私達のバックアップには付くが、中枢に直接突入するのは私と亜夜子だけ。
ㅤまた、この任務は『黒羽亜夜子』が四葉の魔法師として本当に相応しいかのテストも兼ねている。故に、余程のことがない限りは黒羽や本家からの手助けはこない――彼女を支えられるのは私だけだ。
「はい……」
ㅤ絶対に失敗できない作戦。
ㅤ亜夜子の身に何かあれば、私は死んでも詫びることはできない。改めてその事実を実感し、武者震いが身体を走る。
「……大丈夫よ。貴女が居れば……私、何でも出来る気がしてるの」
ㅤ自分の座席から少し身を乗り出し、亜夜子が私をそっと抱きしめてくれた。おずおずと、私も彼女の身体に腕を回す。
「亜夜子さま……」
「いつもありがとう、大好きよ」
ㅤしばらくの間、私たちはそのままでいた。
ㅤ不安も分かち合えば、砂糖菓子のように溶けていく気がした。死の匂いと隣り合わせの日常さえも怖くない。