ルイス家が経営するシェラードアイランドの南東に位置する、最高級五つ星ホテルアヴァホテル。クラッシック調の、150階建てのこのホテルの最上階は、所謂VIPしか泊ることのできない価格帯で設定されており、多額の金を出す程の最高の絶景が広がっている。
シェラードアイランドを一望でき、反対側からは、どこまでも続く美しい海が広がっているのだ。まさに「非日常」が味わえるこの場所は、普段仕事や家事などに頑張っている自分へのご褒美として、また、煩雑な日常の中でリフレッシュして英気を養う為に、多くの人がこぞって予約を入れるのだ。
メルとイルミがホテルのフロントへ行こうと足を踏み入れると、「ようこそお越しくださいました」と頭を下げる白髪の男がやって来た。
「セバス!久しぶりですね」
「はい。メルお嬢様、大変お美しくなられて。お連れ様はイルミ様ですね」
「うん。なんで俺のこと知ってるの?ここに来たのは初めてなんだけど」
「私は総支配人のセバスと申します。ルイス家からお電話を頂いておりましたので」
メルはセバスのその言葉で、少し苦笑いをする。
電話を入れたのは父様かエル兄様だろうなぁ。私がここに来るってわかってたのね。流石だな。
「メルお嬢様、最上階のお部屋を用意しております。どうぞこちらへ」
「ありがとうセバス」
案内された150階の部屋は、150平米もの広さで、入ってすぐ目に入る、シェラードアイランドを一望できる絶景にメルは目を輝かせた。
「お食事はお部屋で取られますか?それとも、レストランになさいますか?」
「う~ん、イルミどうする?」
「メルの好きな方でいいよ」
「じゃぁレストランにしてもらっていい?シェフにも挨拶したいし」
「それは大変お喜びになるかと思います。では、準備ができ次第お呼びいたします」
「お願いね」
セバスは丁寧に一礼して、扉を閉めた。
「凄い景色だね」
イルミはコンコンとガラスをたたく。
「しかも防弾ガラスか」
「ここには有名人がよく泊まるから、警備も万全なものになってるの。このガラスはルイス家の特別性でね、銃弾なんか通らない作りになってるの。もちろん、念弾も弾くわ」
「それはすごいね」
「でしょ?」
きゃっきゃっとはしゃぐメルを見てイルミは目を細める。
でも、メルはどこかから元気な様子であった。
やはり、ルイス家を今回襲撃した事件が引っかかっている様だ。
「イルミ、……どう思う?」
「ん?」
「ルイス家を襲撃した犯人のことだよ。父様や兄様は多分検討がついてるみたいだし、私に関わるなって言ったってことは………、母様を殺した人が関わってるってことなんじゃないかって」
「俺もそう思うよ。だからメルを遠ざけたんだろうね」
「私……私だけこんな所にいていいのかな。……だって、……私が、私があの時、母様を殺したあの男の子を仕留めていれば……こんなことにはならなかったのに、……私だけが母様を殺した人の顔を知っているのに……」
「あぁ、黒髪黒目の男って言っていたね。そもそも、それも怪しいよ?姿かたちを俺みたいに変えてたかもしれないし」
「そうだけど……」
「メルは心配しすぎ。メルの父さんやエルに、ラルだっているんだよ?あのメンツで仕留められない相手なんてそういないよ。メルもそう思うだろ?」
「うん……。そうだね。皆なら大丈夫だね」
力なく笑うメルに、イルミの心臓はぎゅっと締め付けられた。
こんな顔なんてさせたくないんだけどな。
……そもそも、今回の事件は何か変だ。
一体何が目的なんだ?
昔は、まだルイス家として幼いメルが標的だった。じゃぁ今回は?なぜ、メルがほとんど足を踏み入れない本社を襲ったんだ?
メルの母さんを殺した犯人が、まだメルに執着しているのなら、なぜ今なのかその理由も気になるし。
今は情報が足りなすぎる。
エルからの連絡を待つしかないね。
とりあえず、今はメルから目を離さないようにするのが一番。
するとタイミングよくセバスがやって来た。
メル達は案内されたレストランの一席へと腰を下ろした。
このレストランも、VIP部屋と同様に防弾ガラスで作られた、端から端までの大きなガラス窓がはめ込まれており、その間には鮮やかな魚が泳ぐ水槽になっている。まるで、夜空を魚が泳いでいる様な幻想的な空間になっていた。
運ばれてくる料理はどれも絶品で、メルとイルミの好物ばかりがずらりと並んだ。
「なんで俺の好きな料理がさっきから運ばれてくるの?何も言ってないのに」
「ルイス家の情報網を甘く見ちゃだめだよ。イルミの情報は既に調査済みってことだよ」
「へぇ~、やるじゃない」
イルミは完璧なテーブルマナーで、上品に美しく柔らかいステーキ肉を頬張る。
その姿はまるでどこかの貴族の様だ。
「ん~、美味しいねぇ!」
と、イルミを見た時だ。一瞬、イルミの表情が強張ったような気がした。
いつも表情を何一つ変えないイルミだが、付き合いの長いメルだからこそ気付いたほんの些細な変化。
イルミが何を見たのか。
それが気になって振り向こうとする気持ちを、メルは必死に抑えた。
“見てはいけない”
イルミは相変わらずポーカーフェイスを崩しておらず、イルミが見たモノを、私には気づかれたくないような、そんな気がしたのだ。
メルはいつも通りに振舞って、後ろを振り向きたい気持ちをなんとか押し殺した。ゴクッとラム肉を飲み込む時、動揺していたせいかソースが気管に入ってしまい、激しくせき込むという失態を犯してしまった。
「ちょっとメル大丈夫?」
イルミはウエイターに水をもらい、メルに渡した。
「ゴホッゴホッ、あ、ありがとう」
「もー、落ち着いて食べなきゃだめだよ?またいつもみたいにかきこんだんじゃないだろうね」
「そ、そんなことないよっ、ゴホゴホッ」
ジト目で見てくるイルミを見て少し安心した。
いつものイルミだ。
高級レストランで激しくせき込んだ私に、周りの客からの視線が集まっていることに気付き、体が段々と熱くなってきた。
その時だ。
「…!」
どこからか、鋭い殺気を感じた。
それはあまりにも一瞬で、本当に殺気だったかどうか怪しいレベルのモノだった。
辺りを見渡してもそれらしい人物はおらず、首を傾げるメルを見てイルミは目を細める。
「メル、次デザートだよね?どんなのがくるの?」
「あぁ、ここのデザートはその時期旬のフルーツを使ったものが出てくるんだけど、毎月新しい新デザートを作っているから私も何が出てくるかは知らないんだ~」
「へぇ、毎月新作を?それは凄いね」
イルミがこんなに素直に誉めることは珍しく、それが嬉しくてメルはにこにこと微笑んだ。
運ばれてきたのは何とも見目美しい杏子のタルトだった。絶妙な甘さのカスタードクリームが敷き摘まれており、口に頬張ると杏子の甘さと、カスタードの中に入っていたバニラが何とも良い塩梅で、メルとイルミの下を唸らせた。
「美味しい~!!シェフ呼ぶけど、イルミも挨拶するよね?」
「そうだね。一言言わせてもらおうかな。うちに引き抜きたいくらいなんだけどって」
「え!!だめだめ!!引き抜きなんて許さないよ!」
セバスに連れられてやって来たのは、まだ若い男のシェフである。
「メルお嬢様お久しぶりでございます。ご堪能いただけましたでしょうか?」
「勿論!!本当に美味しかったわぁ。ねぇ、イルミ!」
「うん。君、名前は?ゾルディック家で働く気ない?」
「え?え?ゾ、ゾルディック家で!?」
「あぁ、無視していいよ。それでね、あのラム肉のあの柔らかさがなんとも絶妙で~、そうそう!あの野菜はー……
メルがシェフと話し込んでいる様子を見てイルミは「ちょっと席を外すね」と言って立ち上がった。
セバスはお手洗いだと思い、「あ、場所はー…」と、案内しようとするも「大丈夫。入ったときに把握したから」と、一人でスタスタと行ってしまった。
イルミはトイレには行かず、レストランから少し離れた休憩スペースに腰を掛けている女に声をかけた。
美しい白銀の髪に、大きなブルーの瞳をした女は、メルを連想させる出で立ちである。体のラインがくっきりと分かるドレスは大胆にも胸元が開いており、周囲の男の視線を独占していた。
「久しぶり。こんな所で何してるの、イザベラ」
イザベラはイルミを見るなり、上目遣いでクスリと笑みを浮かべる。
「久しぶりねぇ、イルミ。最近全く連絡がないから何してるかと思えば、あのお人形ちゃんとまだ一緒にいるなんてね」
お人形とはつまり、メルのことだ。その言葉に少し腹が立つが、こちらの感情を悟られないようにポーカーフェイスは崩さない。
彼女の名前は、イザベラ・テイラー。
テイラー家と言えば、ルイス家やゾルディック家には劣るが歴史ある暗殺一家の1つ。テイラー家は、毒を使った暗殺が得意で、一人娘のイザベラも、念能力は毒に関するものだ。暗殺もこなすが、裏では死体処理や表の病院では見せられない人間の傷を手当する医者としても、暗殺界では有名だ。
イザベラ、通称ベラは、俺よりも4つ年上で昔はよく組手をしていた。親同士が勝手に決めた許嫁でもあるし、よく顔を合わせていた。彼女本来の姿は、栗色の毛に翡翠の瞳だが、俺がメルに興味を持っているとバレてからは、何かとメルを意識して今じゃ白銀の髪にブルーの瞳へと変えている。昔は釣り目だったのに、整形したのかクリっとした大きな瞳になっていて、遠目で見ればメルと見間違える程その完成度は高い。
いくら姿形を似せようとも、メルではない人間に俺は興味を持てなかった。
でも、ベラの執着心は異常なものがあり、いくらそっけない態度を示しても、ベラだけは離れようとはしなかった。
俺はそんなベラを利用して、呼びつけては欲望をぶつける都合の良い相手として割り切っていた。
それは彼女も同意していたからやっていたことだ。
でも、こうしてメルと一緒にいる場に姿を現すのは初めてのことで、さっきはメルの前で少し動揺してしまったけれど……。
さて、どうしたものか。
面倒になる前に殺してしまってもいいんだけど。
「貴方に話があって来たのよ。キキョウさんからお手紙を頂いてね。私とあなたの結婚のこと、もういい年なんだからそろそろどうかって」
「はぁ?」
流石に怒りを覚えるよ母さん。
勝手にやるなって言ってるのに、こうして手紙を送りつけて話を進めて。
それにベラとの婚約は絶対にしないってあれだけ言ってるのに。
「それ、本気にしてるの?」
「だって、ゾルディック家を取り仕切るシルバさんの奥さんからの手紙よ?効力はあるに決まっているでしょう」
「母さんが勝手にしてるだけだから。俺はベラと婚約なんかしないって昔から言ってるよね。関係を持つのも、お互い都合の良い相手として割り切るって。あれ、嘘だったってこと?条件を守らないなら殺すって、前に言わなかったっけ?」
イルミは懐から鋭く尖った針を取り出す。
そんなイルミを前にしても、ベラは余裕の笑みを浮かべており、なんとも肝の据わった女であった。
「フフフ、相変わらずせっかちなんだから。まぁ、今回貴方にわざわざ会いに来たのも、他に理由があるからなんだけど。それも、あのお人形ちゃんが関わることなのよね」
その言葉にピクリと反応するイルミ。
「どういう事?」
その反応が気に入らなかったのか、ベラは怪訝な顔をしてイルミを見ていた。
なに?あの人形のことならそんな顔もするの?美しくない。貴方は死体の様に美しい冷たいままが一番なのよ。
「ベラ、早く言わないと針をぶち込むよ。操ってもいいんだからね」
「はいはい。まぁ、ここは場所が悪いわ。今夜23時に私の部屋125に来てくれる?ここは最新の設備が整っているし、盗み聞きなんてされる心配なんてないしね」
「……分かった」
イルミはクルッと踵を返して、メルの待つレストランへと戻っていった。
メルは相変わらずいかに料理が美味しかったのかをシェフと語っており、誉められたシェフも気分を良くして饒舌になっている所だった。
「まだ話してたの?」
イルミのその言葉でハッと我に返ったシェフは、シェフ不在になったことにより戦場と化している厨房からの痛い視線に気づき、慌ててメルとイルミに一礼して戻っていった。
「あ、悪いことしちゃったなぁ。ついつい話こんじゃった」
「まぁメルらしいよね。そろそろ戻る?」
「そうだね」
するとセバスが絶妙なタイミングでやって来て、温泉の案内をし始めた。
「メルお嬢様、イルミ様。お部屋の露天風呂も格別ですが、当ホテル自慢の温泉へ行かれてはいかがでしょうか?海を一望できるようになっており、それはもう大変美しいと評判なのです」
すると話を遮ったのはイルミだった。
「だめ。大浴場は俺がメルと一緒にいれないし、その間に何かあったら……」
さっきの、イザベラのこともあるし今メルを1人にするのは危険だ。
彼女はメルに対して悪意を持っている。
メルがせき込んだ時、一瞬殺気を込めたのも彼女だ。
メルは気のせいだと思っているみたいだけど、ベラがメルに干渉することがあれば、何をされるか……。
それに、メルに関する話があるって言ってたし、2人を引き合わせるのは危険だ。
「イルミ。流石にお風呂までは一緒に入らないよ?は、恥ずかしいし……、それに何かあっても私は大丈夫だよ。ルイス家が今大変な状態なんだから、私も嫌でも警戒してるから」
「だめ」
「?」
可笑しいな。なんでこんなに頑ななんだろうか。心配性な所はたまにあったけど今回は何だかいつもと違う様な……。
すると、コホンとセバスが咳払いをする。
「イルミ様。僭越ながらこの年寄りから一言助言をさせて下さいませ。メルお嬢様はルイス家を代表する最高の暗殺者にございます。それに、当ホテルの支配人はこの私めにございます。ルイス家に忠誠を誓って早60年が経ちます。老いぼれではありますが、ルイス家の皆様に認められているこの私の目はまだ曇ってはございません。現在当ホテルに滞在している607名のお客様の中にメル様を攻撃しようとする人間はおりません。もし、上手く隠していていたとしても、メル様に怪我をさせる様なことは決してございません」
「セバスの念能力は、このホテルでの異常を全てキャンセルすることができるというものなの。つまり、このホテルに居ればひとまず安全ってこと。どう?これでも心配?」
心配には変わりないけど、この支配人の念能力はかなり強力な様だ。このホテル限定だけど、異常の排除なんて能力はチート級だよ。ここでメルに不信感を持たせる訳にもいかないし、仕方ないか。
「まぁ、それならいいんじゃない?」
そう言うと、メルは満面の笑みを浮かべた。