──ウィリアム・シェイクスピア
──此処に、知られざる一つの宝石があるとしよう。
その宝石は原石とは言え間違いなく魅力的な宝石だ。
現在高額で取引されるどんな宝石にも勝り。
目利きが見れば、間違いなく慮外の値段で取引されるだろうその宝石。
これに価値を付けるとなると……果たして幾らになるだろうか?
答えは簡単だ──無価値である。
何故ならば……その宝石は誰も知らないからだ。
そして知らない以上、人目に付かない以上。
如何に優れた宝石だろうと、ただの石ころに過ぎない。
いいや、これは宝石に限った話では無いだろう。
歴史に埋もれた名作。
発見されない古代彫刻。
人目に付かない美術品。
紛れもない超一級と評されるだろう、しかして誰も知らないモノ。
そんなモノに“価値”はない。
価値とは、人々が決定するモノの尺度だ。
例え歴史に残る遺産、最美の絵画が存在するとしても。
それらは人々に周知されることでその時初めて価値を得るのだ。
保証人の居ないお金を、商人が使わないように。
評価者の居ない作品を、読者が気づかないように。
『無銘』や『無冠』の虚飾さえ無い真なる無銘には、何の価値も無い。
そしてそれは何もモノに限った話では無いだろう。
例えば此処に一人の天才がいるとして。
成績も、能力も、性格も、特徴も。
何一つとして周知されること無く、ただただ間違いなく能力は優れていると。
言われて信じられる人間は果たしてどれだけ居るという。
学歴は普通。
成績は平均。
運動能力も平均。
受賞記録はなし。
印象に残らない性格に、醜くも無ければ美しくも無い容姿。
おおよそ誰の目にも凡夫として映る少年が。
一切の誇張無しに優れた能力を持つ天才だとして。
果たして──一体何の意味があるというのだろうか。
そんな
──思い、考え、これまでを生きてきた俺の十数年。
季節は秋を迎え、時期は人生の分岐点となる大一番。
自宅に届いた未来を告げる評価用紙に書かれているのは「合格」の二文字だ。
それは自分が望んだ場所へ至るための入場チケット。
何百人、何千人の同級生たちと競い合った果てに手に入れられる権利。
だが、その事実を前にして俺は細やかな疑問を覚えるだけだ。
何故、己は「合格」なのか。己に一体何の“価値”があるのか。
ああ──しかし、これで学生生活に一つだけ初めて目的が出来た。
高校を卒業するという基本的な学歴を得たいが為、選んだ進路。
人真似で少々、上を選んだが。
選ばれたのなら僥倖だ程度の思いだったが。
記録だけを手に入れられれば満足だったが……。
初めて、その過程に意義を覚える。
“無価値”な俺に見いだした“価値”とやらを知ること。
少なくともこの段階、入学を決めた
名門・高度育成高等学校での学生生活とやらに馳せた思いは、真実その程度の“価値”しかなかったのだ。
気分転換に投稿。ゆるーくやります。