都会という名の闇   作:紫 李鳥

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 結香(ゆか)との出会いはリュックサックがきっかけだった。派遣会社に登録して、倉庫内の作業をしている晶子(あきこ)のリュックには、ユニフォームや軍手、カッターなどの七つ道具が入っていた。

 

 それは、埼京線の池袋で降りた時だった。ラッシュアワーも重なって、改札は混雑していた。なかなか進まない改札口で切符を手にしていると、背中のリュックを押された。同時にブツブツ文句を言っている若い女たちの声がしていた。

 

 ……チッ、ッタク。晶子は後ろを振り向くこともせず舌打ちをすると、それを我慢した。するとまた、押された。と同時に、「邪魔なんだよ」とか、「どけろよ」とか、同じ連中の不平が聞こえてきた。

 

 もうすぐ改札だ。我慢、我慢。そう思っていると、

 

「ちょっとオバサン、これ、ウザいんだけど」

 

 と、リュックを押しながら、晶子の耳元に言った。振り向くと、茶髪に厚化粧の、制服を着た高校生だった。

 

「ウザいんだったら近寄るんじゃねぇよっ!このクソガキがぁ!」

 

 晶子は物凄い形相と共にデカい声で怒鳴り返した。途端、周りが失笑した。仲間らしき三人連れは、一瞬言葉を失い、目を丸くしていた。

 

「……なんだよっ、このババーっ!」

 

 真後ろのリーダー格らしき少女が声を荒立てた。

 

「なんだよっ、このクソガキっ!オシメ()せぇつうのっ!近寄んじゃねぇよっ!このターコっ」

 

 晶子は吐き捨てると改札を抜けた。

 

 

 東武東上線に乗り換えると、隙間を見つけて透かさず腰を下ろした。リュックの肩ベルトに腕を通して腕組みをすると、瞑想(めいそう)でもするかのように目を閉じた。すると、先刻の不愉快なシーンを思い出して眉をひそめた。その瞬間、

 

「ババーっ!死ねっ!」

 

 という声と同時に、左の腕に痛みを感じた。見上げると、喧嘩を売ってきた先刻の高校生だった。晶子は素早く立ち上がると、抱えていたリュックでその少女を押し倒した。キャーッ!という悲鳴と同時に、周りからどよめきが起きた。

 

 倒れた少女の顔面をリュックで押さえつけると、ナイフを持った右手を左足で踏みつけた。腕を見ると、引き裂かれたジャンパーから血が滲んでいた。

 

「てめえ、覚悟はできてんだろな?あー?慰謝料はたっぷり貰うからな」

 

 晶子は少女に馬乗りになると、ジーパンから出したハンカチを傷口に押し当てた。それを見ていた中年の女が、自分のハンカチを重ねてくれた。

 

「あっ、すいません。ありがとうございます」

 

 晶子は女に礼を言うと、七つ道具の一つであるタオルをリュックから出すと、腕に巻きつけた。すると、その様子を見ていた先刻の女が、タオルを強く縛ってくれた。

 

「……ありがとうございます」

 

 晶子が再度、礼を言うと、女は首を横に振った。ついでに出した汚れた軍手でナイフを掴み、それをもう一方の軍手に包むと、リュックに仕舞った。

 

 少女の鞄から生徒手帳と携帯電話を取り出すと、名前や住所、電話番号を自分の携帯に登録した。それには、篠田結香とあった。

 

「あんたがいちゃもんつけた、このリュックで顔を隠してやってんのよ。リュックに感謝しなさい」

 

 結香は観念したのか、無抵抗だった。次の駅に着くと、結香の腕を掴み、手助けしてくれた女に、

 

「ありがとうございました」

 

 と頭を下げて降りた。降りた途端、

 

「ね、どっちがいい?」

 

 結香の耳元に囁いた。

 

「えっ?」

 

 意味の分からない問いに結香が顔を向けた。

 

「警察と示談」

 

「……」

 

 結香が俯いた。

 

「警察がいいなら駅事務室に行くし、示談がいいならお茶に行くし。結香ちゃんが決めて」

 

「……お茶」

 

「よーし、決まり。その前に、薬局で消毒液とか包帯買ってよ」

 

「……あ、はい」

 

 

 

 トイレに一緒に入ると、結香に手当てをさせた。

 

「……ごめんなさい」

 

 結香が小さな声で謝った。

 

「大した傷じゃないし、気にしない、気にしない。手加減した?」

 

 その質問に、結香はゆっくりと頷いた。

 

「サンキュー。お陰で入院しなくて済んだ。明日も仕事だし」

 

「えっ!ケガしてんのに仕事行くの?」

 

「予約入れてるから休めないもん」

 

「無理よ。やめて、治るまで」

 

「そんな悠長なこと言ってられないのよ。生活かかってんだから」

 

「……じゃ、私が代わりに行く」

 

「そんなのできないよ。(めん)バレてんだから。点呼であんたが手、挙げたら、『あら、武藤さん、随分若返ったわね。整形でもしたの?』なんて言われちゃうじゃなーい」

 

「うふっ」

 

 結香が笑った。

 

「予約してんのに休んだら、この先、仕事が来なくなる可能性もあるし」

 

「じゃ、会社に電話して、明日だけ、私が代わりにやってもいいか、問い合わせてみたら?」

 

「それより、学校はどうすんのよ」

 

「仮病使う」

 

「……けど」

 

「お願い、そうさせて。このケガじゃ無理よ」

 

「分かった。じゃ、支店に電話してみる」

 

 晶子は、結香が巻いた包帯の上から切り裂かれたジャンパーを着ると、リュックを背負い、そこを引っ張って肩ベルトで隠した。

 

 二人がトイレから出ると、順番待ちをしていた女たちが一斉に視線を向けた。

 

「あーら、レズってたもんで、ごめんあそばせ。おほほほほ」

 

 晶子はそう言いながら、手を洗った。

 

「おほほほ」

 

 結香も同じような笑い方をした。

 

「どう?よかった?」

 

 晶子は結香の肩を抱くと、そう訊きながら列の横を通りすぎた。

 

「うむ……、まあまあ」

 

 結香も調子を合わせた。

 

「アッハッハ……」

 

 二人は腹を抱えて笑った。

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