柴猫侍氏主催のペルソナ杯への投稿作品です。『おいコーヒー飲まねぇか』の匿名投稿でした。
嵐のような一年間だった、と雨宮蓮は振り返る。
善意でもって助けた被害者に裏切られた上に、加害者の政治家に罪をなすりつけられ、周囲の白眼視に追いやられるようにして上京したのが懐かしい。東京へと降り立ったその日の内に偽神に魅入られ、ペルソナという異能に目覚めてからは、今までの日常が嘘のように感じるほど濃密な日々を過ごしてきた。
かけがえのない仲間を得た。
年齢も性別も関係ない、愛すべき人々と出会った。
命の危険すらともなうスリルを味わった。
ひたすらに駆け抜けた一年間。自分から平穏を奪い、踏みにじった男にケジメをつけた。運命を弄ぼうとした偽神にも引導を渡した。自分に関わってくれた人々が新たな道へ踏み出せるよう、ともに悩み、励んで、時には非現実の力を用いながら、精一杯の努力を惜しまなかった。
出会いと別れ。その果てに、少年が得たものは―――――。
「マスタァくーん、駆け付け一杯!」
「念のため聞くけど、コーヒーだよな?」
時刻は夕方。陽も落ちかけたオフィス街と繁華街の境目にポツンと建った雑居ビルのスペースに、一台のワゴン車が停められている。ポップな色調で店名が描かれたロゴに、イタズラが好きそうな黒猫のイラストを添えた看板がひとつだけ。
メニューはテイクアウトのみで、それもコーヒーのアイスとホットだけ。銘柄は店長の気分次第。いまどき珍しいほどシンプルで、それだけに味へのこだわりを感じさせる。
移動型喫茶『アルセイヌ』。
それがこのワゴン車の名前であり、晴れて成人となった雨宮蓮の城である。
「いつものブラックで?」
「そうだよーう。これから張り込みだから、目を覚まさないといけないのよね。とびきり濃いのにして」
「はい、はい」
キッチンカーに改造された車内の側面から顔を出した蓮が、雑誌記者と聞いて想像するまんまの恰好をした大宅一子の注文を受けて引っ込む。やがて香ばしい匂いが鼻先をくすぐり、ここ最近ですっかり虜にされてしまった味に思いを寄せる。
彼がバリスタになったきっかけだという四軒茶屋の喫茶ルブランも贔屓だが、個人的にはアルセイヌの方が好みだった。あちらはじっくりと腰を据えて時間を過ごす場所であり、一方のこちらは仕事の最中、ほんの一時だけ心を落ち着かせる場所になってくれる。ネタを探して連日飛び回るルポライターには、これぐらいの休息がちょうどいい。
お待ちかねの一杯を携えた蓮が再び顔を出して、小皿とともに彼女へ差し出した。
「クッキー?」
「家で焼いたんだ。評判が良かったら新メニューにする」
「見た目はいいわね。でも、今すぐって気分じゃないなぁ」
す、と無地の紙袋が添えられる。
「張り込みに疲れたらどうぞ」
「……ほんっとに気がきくわよね、キミ。助手にならない? アルバイト代も出すから」
「考えておく」
きっぱりと断らないあたり、屋台の稼ぎはなかなか厳しいのかもしれない。目はあるな、と内心でほくそ笑みながら、大宅一子は淹れたてのコーヒーに口をつける。思ったとおりの苦味と、じんわり広がっていくコクが眠気覚ましに最適だった。この一杯を手軽に飲めるのは自分だけの特権のようで、少しだけ嬉しくなる。
しばらく無言で味わっていたが、ぽつりと言葉が口に出た。
「意外だなぁ」
「何が?」
「キミ、勉強できるでしょ? 頭の回転も悪くないし。アタシはてっきり国立大でも志望するのかって思ったのに、まさか移動屋台の道に行くとはねぇ」
「やってみたかったからな」
「……迷いが無さすぎるのもアレね……おかげでこうして飲めるんだから、アタシは嬉しいけどさ」
あまりにもサッパリというものだから、ちゃらんぽらんの気のある一子もさすがに彼の人生を心配してしまう。果たして親を説得したのだろうか? 目の前の青年のことだから、そのあたりは抜かりなくこなすだろうが。
「あと、課題みたいなものだから」
「かだいぃ?」
「『ルブランを継ぐなら、まず自分の城を持ってみろ』って。地元に戻る前、佐倉さんにそういわれたんだ。でも、いきなり店を持つなんて無理だろ? 自分ひとりじゃどうしようもなくなって、岩井さんに相談したら『それなら移動屋台がいい』って、見積もりまで付き合ってもらった」
「あー……そういう人脈かぁ。渋谷のあの店なら、キッチンカーも改造しそうよね、確かに」
裏社会の危険人物として一部で知られた男については、一子も職業柄のツテで聞いたことがある。すでに現役から引退したとはいえ、そんな相手とのコネクションまで蓮が持っていると知ったときは仰天するしかなかった。やはり肝が太過ぎではないだろうか、この元少年。
(これから苦労もするでしょうけど)
客商売にはトラブルが付き物である。特に移動屋台などという業種には、それこそ付きまとって離れない。収入にしてもムラがあり、稼ぎよりもガソリン代の方が高くつくことも珍しくない。始めるための敷居は低いが、続けることが何より難しい業界なのだと、グルメレポートの取材で一子も何度か聞いている。
(この子なら、それも乗り越えるんだろうね)
一部の界隈から“人たらし”として知られる蓮には、これまでに培った人脈がある。自分を含め、困った時には手を差し伸べる存在がいるのだ。よくよく考えてみれば、一子をしてコミュニケーションの化け物と恐れさせる彼の手腕なら、常連客をつかんで離さないだけのことはやってのけるだろう。
「ガンバれ、ワカゾー」
「あんたがいうのはまだ早いだろ」
「ワカコって返したらチップあげてたのになー」
それから世間話に花を咲かせつつ、ちびり、ちびり、とブラックのコーヒーを舐めていたが、やがてコップの底の一滴まで飲み干したところで、一子は意識を切り替えた。
このワゴン車を一歩でも離れたら、自分はルポライターに戻る。追い続けた事件の火種を割ることができれば、それが自分の、ひいては会社の飯の種になるのだ。
「ごちそう様。そろそろ行くわ」
「ああ、行ってらっしゃい」
「ん。じゃね!」
コンディションは万全だ。疲れはカフェインで吹っ飛んだし、エネルギーもちょうど良く摂れるものが手に入った。なにより、かつて少年だった友人が大人になりつつある姿を確かめられたのだから、これに勝るものはない。
代金ぴったりの硬貨を置いて、大宅一子は颯爽と夜の街へと去っていった。
社会人の先輩の背中が見えなくなるまで見送ってから、雨宮蓮は空になったコップを回収した。今日の天気は曇りのち晴れ。客足はまばらだった。ビルのオーナーと契約した終業時刻が迫っているのを確認して、片付けの準備に取り掛かる。
キッチンカーに改造されたワゴン車内の間取りは快適そのもので、水回りから配線、動きやすさと設置スペースの拡充を両立させた岩井のDIY技術は、見ているだけでも惚れ惚れするほどに冴え渡っていた。自分ひとりでは到底ここまでは仕上げられなかっただろう。感謝してもし切れない恩が出来てしまった。本人には「気にするな」と返されたが。
看板を畳んで車内にしまい込む。塗装の剥がれ落ちかけた箇所が目について、帰ったら塗ってやろうと決めた。岩井に触発されたのもあって、備品はできるだけ手作りで済ませている。経費削減にもなるし、店売りの商品では生産終了してしまった時に困ることになる。最近では、ようやく納得のいく仕上がりになってきた。
サイフォン式のコーヒーのために厳選した容器を洗いながら、大宅との会話を思い出す。
『アタシはてっきり国立大でも志望するかなって思ったのに、まさか移動屋台の道に行くとはねぇ』
社会人として、何よりもルポライターとして世間の汚い部分を見てきた大宅なりの、心配してくれた言葉だったのだろう。彼女の言う通り、自分の学力は落ちこぼれというわけではない。やたらに専門的な問題ばかりぶつけてくる秀尽の教師達にも応えられる力量はあったし、地元に帰ってから受けたセンター試験の手ごたえは文句無しだった。
なのに、どうして進学しないのか。
大宅に聞かれる前。両親から何度も何度も、毎日のように問いかけられた言葉だった。最初の内はこちらに聞く耳も持たず、途中からは考えを改めてくれと懇願され、最後には諦めたように首を振って、何もいわなくなった。子供を東京に放り出した過去の負い目もあったのかもしれない。
『安定した将来』のためなら進学するのが普通だと、蓮も理解している。かつて友人だった地元のクラスメイト達のほとんどがそうしたし、秀尽の生徒達も同じだろう。数年前の自分なら、流されるようにして選んだ道のはずだった。
だが、もう違うのだ。
濃密過ぎる一年間の経験は、雨宮蓮という人格を劇的なまでに変化させた。周囲から見える自分の姿、周囲が求める自分という存在――――『認知上の雨宮蓮』と、自分だけが理解する『雨宮蓮』は違うのだと、はっきりと理解してしまった。
自分が何を求めているのか。
手に入れるためには、何が必要か。
社会的な地位や名声を得ようという欲望が、青年の中には生まれつき希薄だった。むしろ退屈と怠惰を嫌い、スリルがもたらすひりついた緊張と高揚を求める気質が顕著になりつつある。雨宮蓮にとって、リスクとスリルこそが彼の精神の天秤にかけられるはかりであり、人生の選択とイコールなのだ。
移動屋台というトラブルの絶えない業界は、雨宮蓮にうってつけの環境だった。車で行ける範囲ならどこへでも行く。毎日別の場所に現れては、まったく違う客を相手にする。中にはいちゃもんをふっかけてくるクレーマーはもちろん、契約外の難題を突き付けてくるオーナーに出くわす不運もある。反対に、ひたすら純粋にメニューを気に入ってくれる客もいるし、時には会社勤めでは絶対に出会えないような愉快極まりない人間と知り合ったりもする。まさしくカオスである。
それが、何よりも楽しい。
一杯のコーヒーを受け渡す瞬間、自分は世界とリンクする。客商売とはすなわち人間観察だ。そこに暮らす人々、ひとりひとりに生活があり、過去があり、繋がりがある。この小さなワゴンを通して垣間見る社会は小さいようでありながら、人生の縮図そのものだった。
ほんのわずかな瞬間だけ、訪れた先のコミュニティの一員になる。その内の何百分、何千分の一の確率で、より深いコープを築く相手と出会う。みんな一筋縄ではいかないが、だからこそ面白い。彼らとの繋がりが自分の知らない世界を開き、さらに新しい世界へと通じていく。すべては自分の行動ひとつなのだ。無限に人と出会える限り、自分とこの相棒の道は続いている。
……いつか、この生活を止める日が来るだろう。キッチンカーを処分して、あの親子の待つルブランに帰る日が。それはそれで嬉しいし、心のどこかでその日を待ち望んでいる自分がいるのにも気付いている。
だが、まだその時ではない。誰かに作ってもらった、けれど自分だけの城が動く内は、存分に走らせてやりたい。もう十分だと、自分の心が満足する時までは、この生活を続けたい。
それが雨宮蓮の望みであり、誰に否定されようと貫き通すと決めた、ささやかな誓いだった。
銀色に光るピアスが特徴的な、世界を旅する青年に出会った。彼の語る旅先の思い出は、ますます自分の選択が間違ってはいなかったのだと、自信を持つきっかけになった。
駐車違反の切符を切られたことがきっかけで知り合った警官とは、仕事の愚痴を話し合うようになった。今度、お兄さんの作るケーキを持ってきてくれるらしい。
大宅一子に紹介された雑誌記者の女性は、自分のコーヒーを誰よりも気に入ってくれたお得意様だ。彼女が記事にしてくれたおかげで、イベント会場での営業がスムーズに進むようになった。「こんなのどう?」と提案してくれた回数券サービスも、ゆくゆくは考慮すべきかもしれない。
週に何度か、いつも眠たそうな顔の学生が来るようになった。どうでもいい、と呟くのが癖の無気力少年だが、コーヒーの好みには妥協しない。彼のお眼鏡にかなう味を淹れることが当面の目標である。
地方の営業先で仲良くなった家族とは、個人的に連絡を取り合うようになった。刑事だという父親に頼まれて、とびきりの眠気覚ましになるよう仕立てたブラックの無糖が、抜群の効き目をもたらしたらしい。甥っ子の青年とは年が近いのもあって、怪盗団のメンバー達のようなシンパシーを感じたのは内緒だ。
今日も、明日も、出会いは続く。
いつか足を止める日まで。
キイ、キイ、と車椅子の軋む音が聞こえる。
ひと気のない、寂れた裏路地のどこか。白髪の老人が銀縁眼鏡を光らせながら、抑揚のない声で語りかける。
「あぁ、そこの君。
君はもしかして、雨宮蓮というんじゃないか?
やはりそうか。
君がペルソナと呼ばれる異能を使い、この世界を救ったのは知っているとも。
実は、君に折り入って話があるんだが――――――聞いてくれるかね?」
スリルは終わらない。
日常の裏側で、誰かを引きずり込もうと、常に蜘蛛の巣を張り巡らせている。