ぱちり、と目が覚める。
ベッドから飛び起きた私は、部屋に備え付けられている机に向かった。
机上には、一面いっぱいに広がった真っ白い原稿用紙。インクの入った瓶。そして…愛用のGペン。
「始めますか」……と言う時間すら惜しい。Gペンを手に取った私は、早速インクを吸わせて―――漫画を描き始める。
シュパパパパッ!!
下書き?そんな時間が惜しい。背景とキャラを分けて描く?時間の無駄だ。同時に描いてしまおう。
ドドドドドドドドドッ!
ベタ塗りのために筆に持ち替える時間も、筆の手作業時間も惜しむべきものだ。
故に…
このテクニック、最初は失敗して原稿用紙が駄目になることの方が多かったけど、
修正用のホワイトもあるにはあるが、そもそも失敗しなければほぼ出番はない。
サ―――――――――ッ!!
効果線、フラッシュ、その他諸々の表現は、全コマの墨ベタまでが終わってから筆をまとめて持って一気に描く。これで一ページ終わり。
だが手は止まらない。次のコマも、その次のコマも、同じように一気に描き続ける。
もっとだ―――もっと早く! 私のこの頭が、今見た夢を忘れないうちに!!!
……そうして、一時間とちょっと。筆が止まった。忘れちゃったからではない。…今週分の原稿を、描き終えたからだ。
「―――ふぅ。今週分はおしまい。」
「……あ、終わった?今、朝ご飯が出来たところなんだけどね~」
「あ、りりかちゃん。わざわざありがと~! 今から行くね。」
寮母さんことりりかちゃんに声をかけられて部屋を出て、下に向かう。そこには、既に美味しそうな朝ご飯と先客がいた。
「つばさん、お姫ちん、おはよ~」
「おはよう夢美。また寝起きで原稿描いてたのか?すごい音だったぞ」
「夢美、締め切り近いっけ?」
青髪のボーイッシュな女の子と長い黒髪の女の子らしい清楚な女の子。それぞれ
「いいや〜。今日は良い夢を見れたんだ〜、もう全部忘れちゃったけど」
「相変わらず羨ましい奴だな」
「あっはっはっ。代わりと言っちゃ何だけど、今日明日は好きなだけ手伝えるよ。二人は大丈夫?」
「…なら、私の原稿を手伝ってくれないか?」
「良いよ〜」
ちなみに、つばさんもお姫ちんも漫画家だ。つばさんは少年誌で「暗黒勇者」という連載を執筆している。お姫ちんはお姫ちんで大人向けの週刊誌でエロ漫画を描いている(本人にこう言ったら物凄く嫌がるけど)。
だから、お互いの原稿を手伝ったりしている。……まあほとんど私が二人を手伝う時の方が多いけど。
『テレビアニメ「夢の中のコロコロル」第二期の放送が決定したぞ! ○○テレビにて金曜日夕方5時半から放送開始だ!』
たまたまついていたテレビが、物語の主人公チックな少年ボイスでそんな予告を流した。
三人が三人、朝食の手を止めて見入ってしまう。
「……相変わらず人気だな、夢美。」
「えー、つばさんだって『暗黒勇者』がアニメ化すんじゃん」
「私のはまだ一期だ。二期の放送が決定した夢美もすごいと思うぞ」
「二人とも、私の前でそういう話はどうかと思うの」
あ、そういえばお姫ちんだけ作品がアニメ化してないよね。まぁもっとも……
「……日が出てる時間帯には放送できないでしょ?お姫ちんの漫画」
「ヤメてぇ!!分かってるわよそんな事!!!」
朝食が終わり。私は、描き終えた原稿とお気に入りのバッグ、そしてオシャレな帽子を手にとって漫画家寮を出ていく。
「行ってらっしゃ〜い。打ち合わせかしら?」
「う〜ん! ちょっと行ってくるね〜〜!」
行き先は出版社「文芳社」。
軽い足取りで、桜が咲きそうな坂道を下っていった。
……あ、そうだ。自己紹介を忘れてたね。
私の名前は
…さっきテレビでやってた、『夢の中のコロコロル』も、私が描きました。
所変わって、文芳社のとあるテーブルにて。
私は、完成した原稿を担当の編集者に見せに来ていた。彼女は私の原稿を読み終えるとふぅ、とため息をついた。落胆とか失望とかそっち系のため息じゃないな。
「……流石はバク先生。今月もとても素晴らしい原稿ですわね」
「ありがと〜」
私の担当編集―――
「で、どうだった?今月の『
「
「…ほとんど、かあ」
きょーかちゃんの『ほとんど』は…大して『ほとんど』ではない。100点満点中で言うところの………85点。それはつまり、あと15点落としているという事だ。この私が。
「どっかダメなところあった〜?」
「ダメ……とまでは参りませんが、言葉の使い方が微妙におかしい所がいくつか。そして、作画に質問部分が1箇所」
うわぁ。結構あるなぁ〜。
きょーかちゃんにダメ出しされたのはアレだね、『Starpiece』が連載決定する前ぶりかもしれない。いい夢を見れなかった時期はなかなか案がまとまらないで、自分でも納得いかずに中途半端に描いた原稿を見せた時ぶりかもしれない。いつもは私のセリフ回しや悩みを的確に解決に導くアドバイスをしてくれるいい担当さんなんだ~。本当だよ?
「まず…こことここ。それと、ここと……あと、こちらも。付箋に書いて貼っておきましたので、すぐに直せるところはすぐにお願い致します。それと、ここの作画ですが……主人公が前に出てくるシーンですわよね?」
「そうだね~。
「ここの構図ですが…ほとんど他のメンバーが見えません。思い切って2ページ使ってしまった方が良いのでは?」
ちなみに『Starpiece』は、私が文芳社で月1で連載してる、アイドル漫画だよ。主人公の
でも、この後めちゃくちゃきょーかちゃんにコマ分けの意義について説教され、萎えに萎えまくる。うぅ、悪くないと思ったんだけどなぁ。
「……とまぁ、こんなところですわ。まぁ、この時点でここまで完成している方がおかしいのですがね……」
「そうなの?」
「締め切りいつだと思っているんですか? 再来週ですよ。基本的にこの時点で原稿が完成している漫画家などいません。少なくともわたくしが担当した漫画家にバク先生ほど早い方はいらっしゃいませんでした。」
「きょーかちゃん進捗確認うるさいもんねー。他の人にもそんな感じだったんでしょ。『漫画家泣かせ』って言われるわけだよ」
「不服ですわ。わたくしはただ仕事をしてるだけですのに、担当した方は揃って『担当がつらい』とお辞めになってしまって………」
「きょーかちゃんがそこまで厳しかったからじゃあないの~?」
「何ですって???」
あ、やばい。きょーかちゃん怒った。
メタル○ライムのごときスピードで逃げ出そうとするも、きょーかちゃんはその上を行く。なんなの、きょーかちゃんメタル○ングなの??
そ、それとも気を察知して瞬間移動でもしたとか―――
「別にわたくしはサ○ヤ人でもメタルキ○グでもありませんですが?」
「ぎゃあああああああああ痛いいいいいいいぁぁぁぁぁぁぁ!!! な、なんで心の中を読めるの――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?!?!?」
「やっぱり失礼なことを考えてらしたのね!!?」
きょーかちゃんのグリグリが頭に響く!
というか、さっきのカマかけだったな!?卑怯だぞ―――痛だだだだだだだだだ!!?の、脳が……脳が震える……
「ま…まんがの女神様に……なりた、かっ、た……ぐふっ」
「馬鹿な事を言ってないで、早く席に戻ってください」
「きょ…きょーかちゃんの、お、鬼………」
「なんとでも言いなさい」
そんなこと言っちゃったらほんとに好きなだけ言うぞ。まぁガチギレきょーかちゃん怖いし言わないけど。
そんな仕事の打ち合わせが終われば、私ときょーかちゃんは二人でショッピング。今日は珍しく、打ち合わせ以外は何もない日だからねー。いつもはアニメの現場に顔出したり少年誌の出版社の方へ行ったりとしているので予定ビッシリなのだ。
「相変わらずいいファッションセンスしてるよね、きょーかちゃん」
「夢美さんこそ、この手の話題には疎いとばかり思っておりました。漫画家の方にしては珍しい部類かと」
「まーね~。こういう知識って、『夢コロ』の服のデザインに役立つんだ~!」
「……はぁ、貴女はそういう方でしたね」
何さ~、私がファッションに詳しくて何が悪いの?
そう訊けば、「そうではありませんが……」と言葉を濁す。言いたいことは言わんと伝わらんぞ~?『夢コロ』のルルーナも口癖のようにセシリィに言ってるぞ。私が生み出した子だからよく分かる。
仕事以外のきょーかちゃんは、仕事の時よりも態度が柔らかくって、面倒見がとても良い。私を色んなところへ連れてってくれた。最初は私も「時間の無駄だ」と断っていたけれど、「取材も兼ねれば良い」と言われてからは、本当に色々な場所に行った。
今では、私の方からきょーかちゃんを誘うことも多くなったし。我ながらチョロいと思ったけど、漫画の為なら仕方ない。
「漫画のネタ探しも兼ねてるんだから、当然でしょ~~?
だから、こういうものに惹かれても仕方ない~」
「こ、コラ!非常ボタンを押そうとしない!」
「ケチー」
「ケチで結構!大体、非常ボタンは非常時に押すボタンだから非常ボタンなのです!!」
きょーかちゃんと一緒だと満足にネタ探しもできやしない……きょーかちゃんは「常識を弁えてくださいまし!」とか言ってたけど、そんな足枷にしかならんモンとっくのとーに放り投げてやったわ。口にはしないけどね。
この後、二人で可愛い服やら何やらをいくつか勝って、寮に引き上げることにした。
帰ってきたら、りりかちゃんがとても嬉しそうだった。
「あ、わかる? 今日ね、新しい子たちが入ってきたのよ~!」
りりかちゃんにその事を訊けば、そんな答えが返ってくる。それぞれかおすちゃんと小夢ちゃんと言うのだそう。あいさつくらいしてってねと言われたので、予め部屋の場所を聞き出した私は、さっそくその子たちの部屋に行ってみた。
部屋の戸を開けてみるとそこにいたのは、女子高生らしい体つきをしたブロンドの少女と赤毛の小学生だった。
「こんにちは~」
「ぴぎゃあああああああああああああああ!!!?」
挨拶しただけで面白すぎるリアクションの小学生だ。スケッチしたい。
「二人がかおすちゃんと小夢ちゃんだね?」
「はい…そうですけど、あなたは……?」
「白沢夢美。ここの寮生だよ~。つばさんとお姫ちんと同期なんだ~」
「…???」
「……あ、コレじゃ伝わらないか~。翼と琉姫って言えば分かる?」
「…あ! あなたが夢美さん!?」
おっきい方の女の子がポンと手を打ち、立ち上がって自己紹介をした。
「
「も…
「卑下しなくていーよ~、小学生なのにここにいるなんて凄いもん! 何かあったらおねーさんに聞いてね~」
「………あの、わたしっ、高1です…」
「…え?」
説明してくれた小夢ちゃんによると、なんとかおすちゃんは本当に高1なのだという。
思いっきり見た目が若い(というか幼い)かおすちゃんにこの後謝り倒すことになったのだが、彼女自身が私以上に動揺しながら「私なんかのために謝らないでください~!!あばばばばばば…!」とか言っている。本当に大丈夫かなこの子。
「ところで、夢美さんはどんなまんがを描いているんですか?」
「…うーん、同業なら教えてもいいか。つばさんと同じ少年漫画を描いてるよ~。
『夢の中のコロコロル』っていうんだけど」
「えっと、どこかで聞いたことが―――」
「夢の中のコロコロルっ!!!!?」
「「!!?」」
小夢ちゃんが私にした質問への答えに出てきた、代表作に何か引っかかっていると、突然かおすちゃんがすさまじいリアクションをとった。
まるで、偉大な人の名前を身近に聞いたようなリアクションである。もしかしなくても、私のファンかな?
「あのっっ、すっごく不躾な事を聞きますが……皇獏ノ進先生ですかッ!!? あの『夢コロ』の作者の!!」
「そうだよ~」
「あ、あばばばばばばばば………あの神作品の作者様が、私と同年代…!?」
涙を目いっぱいに溜めて震えながらそんなことを言うかおすちゃん。
小夢ちゃんも困ったように笑う。私としては、ファンがいる事には悪い気分じゃないんだけど……少し落ち着いて話がしたいかな。
「そんなに崇められてもサインしか出ないよ~~」
「神作者様のサイン!!!?家宝にします!!!!!」
「…およよよ??」
落ち着いてほしいからサイン渡したんだけど、逆効果だった???
かおすちゃんが落ち着いた後で、小夢ちゃんに私のことをちょっと話すと、『夢の中のコロコロル』を見せてほしいと頼んできた。部屋から単行本1巻を取ってきて貸して見せれば、小夢ちゃんはあっという間に私の世界観の虜になっていった。
『夢の中のコロコロル』。
私がいま少年誌で連載中の漫画で、夢魔の力を得た少年コロルと自称・夢の中の支配者ルルーナ、コロルを密かに想う少女セシリィの三人が、ファンタジックに進化した現代社会を旅しながら世界の謎を探るバトル系の物語だ。
幻想的な世界観と魅力的なキャラクター、感動的かつ先の読めないストーリーが人気を呼び、日本に留まらず世界中で増販、アニメが2期(ひのもと編、あろはの島編)まで制作されて、もうじき放送されるのだ。
かおすちゃんが我を忘れて熱弁した時は私も驚いたけど、私の作品を好いてくれて何よりだ。
「―――すごい」
1巻を読み終えた小夢ちゃんは多くを語っていたフレンドリーさが嘘のように静かになっていった。
まるでそれは、映画館で最高傑作を見終わった直後、内容を反芻しながらも口からはため息しか出なくなるような感覚の人間に近い。
「そうでしょう小夢さん!すごいんです!!皇先生は!!
私のようなへっぽこ漫画家でも、いつか皇先生のような立派な……あ、いえ、何でもないです……
差し出がましいですよね……こんなへっぽこが」
「そこは言い切ろうよ~」
かおすちゃんは、私が見る限り、どうにも自分に自信がないみたい。
それが絵柄に出てしまっていて、ただでさえ高くない画力やらストーリーやらキャラ性やらに悪影響が出ている(さっきほぼ強制的に原稿を見せてもらった。本人はあばばってたけど関係ない)。
しかも……センスが独特なのだ。それ自体はとても良い事なんだけど、それを生かす工夫――もとい、努力が足りていない。更に、独特なセンスを磨き上げる方法が本人にも分かっていない。
小夢ちゃんの方は……悪くないけど、やっぱり男の人の顔が課題だね。
あと、ストーリーにリアリティがなさすぎる…さては小夢ちゃん、恋したことないな??
恋をしていけば、そこから派生してオリジナリティが生まれるはずなんだけど……
こればっかりは本人たちが模索していくしかないんだけど……それでも、アドバイスくらいしとこっか。
「ねぇねぇかおすちゃん、小夢ちゃん」
「「??」」
「私が漫画を描く時のこだわり、聞きたくない?」
二人の顔が上下に揺れる。ま、ここで頷かなきゃ、何のために漫画家寮に来たのか分からないか。
「私はね、リアリティを追及してるの。私は基本、夢で見たことをマンガにしてるんだけど……その夢さえも、経験とリアリティの積み重ねがモノを言うの。自分の見たこと・体験したこと・感動したこと……そーいうのを描いてこそ面白くなる!!……と信じているんだ。
たとえば―――」
そこで言葉を切って、部屋の隅に蠢いていたヤツを手でとっ捕まえる。
……そいつはヤスデだった。私は驚いて丸まったヤスデを、潰さないように掌の上に乗っけて二人に見せた。
「ひぃぃぃっ!!む、ムカデ…!?」
「い、いえ…や、ヤスデ、かと……あばばばばば…」
「そう!このヤスデね。普通の人なら『気持ち悪い』って言ってぶっ殺すだけの虫なんだけど……どんな風にに移動するのかとか、足の付き方はどうかとか、目がどこにどんなものがあるとか、雄と雌の違いだとか……ヤスデやそれを元にした何かを描く場合、漫画家は知っていなくちゃあいけないの。」
言葉を失ってしまうかおすちゃんと小夢ちゃん。
二人の漫画の作風から見てもこの手の虫の絵とかとは無縁かもしれないけど、それでも無駄じゃないはず。
「人だって同じ。リアリティがないとあっという間にウソ臭くなる。小夢ちゃん、私の漫画のコロルとセシリィのシーンさ、正直どうだった?ウソ臭かった?」
「……ううん。セシリィの気持ちに共感できた。すごくドキドキした」
「でしょ?ここだけの話、アレって私の昔の担当さんの恋バナを元にしてるんだよね~」
「そうだったんですか!?」
「で、でも…そういうのって、その人の許可とか、必要なんじゃ……」
「そんな時間の無駄なんて省くに決まってるでしょ」
「「時間の無駄扱い!!!?」」
人の話をモデルに恋愛描写するのに許可を取りに行くほど時間を浪費する行為はない。そもそもその話をそのまま使うとかして本人達に気づかれなければなんの問題もない。アレンジしていれば、たとえアレンジ元の本人が「これ私の話を元にしてない?」って言ってきても「何のこと?気のせいじゃない?」と返せば大体納得してくれる。
それに…私の漫画として永遠に生きられるんだから、過ぎたことの一つや二つ、ネタになってもいいと思うんだ。私からすれば、モデルにされる事を嫌う人種の考えてる事がわからないや。
「夢美、何してるの?」
「あ、お姫ちん」
そんな事を考えてると、部屋にお姫ちんがやってくる。ちょっと怪訝な顔だ。
どしたの、新人の子たちと何かあった?
「かおすちゃんと小夢ちゃんに何吹き込んでるの?」
「吹き込むなんて人聞きが悪いな~。ちょっと私なりの漫画の描き方を教えてただけじゃん?」
「じゃあその手に乗っけてるものは何?」
「ヤスデだよ~」
「捨てなさい」
え~、良いじゃん別に………って言おうとしたけど、お姫ちんを嫌がらせると、後でつばさんが怖いから言う事に従うことにした。
窓を開けて、ヤスデを投げ捨ててから、かおすちゃんと小夢ちゃんの部屋から笑顔で退出する。かおすちゃんは私のサインを持ちながら土下座して頭を下げまくっていた。そんなことしなくたって良いって言ったのに……しまいには埋まるんじゃないの?あの子。
「……正直、肝が冷えたわ。あんな初々しい子たちに夢美の描き方なんて教えたらと思うと」
「なにか問題あった~? 流石にヤスデを潰してないよ~」
「初対面の私達の前でやらかしたあんたが言えたことじゃないでしょ」
「あっはっはっ、…あの時はゴメンて~」
部屋を出た後で、お姫ちんからそんなお小言を貰う。翼と琉姫との初対面の件はもう反省してるんだよ?なんてったって、あの後りりかちゃんときょーかちゃんに死ぬほど怒られたんだから。でも、私の描き方を教えるのに意見するとは思わなかったな。
お姫ちんは、いわば努力の人だもん。つばさんからちょっと聞いたんだけど、彼女、最初からエロ漫画家を目指してた訳じゃないみたい。子供向けに描いた漫画が、大人向けの出版社さんに大いにウケ、今に至るのだという。自分の描きたいものを描けない苦悩みたいなものはちょっと理解があるつもりだ。漫画家でい続けるために色んな努力をしたんじゃない?って思うし、上手くなる為の努力を惜しむとは思えないから。
―――まぁ、私が言えた口じゃないし、マジで私にこんなこと言う資格ないけど。
「じゃ、私は部屋に戻るよ~。きょーかちゃんから指摘されたトコ直さなきゃ」
「あ、あら?珍しいわね、夢美にしては」
「きょーかちゃんは一層厳しいからね~」
そうして、足早に自分の部屋に戻る。
他の人たちと違って、私は相部屋している人がいないけど、それはそれで助かる。執筆中は集中したいから邪魔は減らしたいんだよね~。
……指摘箇所の修正は1時間足らずで終わっちゃった。
勝木翼や色川琉姫よりちょっと前に入ってくると聞く白沢夢美という少女も自分にとってそうなると思っていたのだ。
だが―――旧知の親友・和泉梗香から連絡が入ってきた時――つまり、夢美の事を初めて知った時である――彼女の助けを求めるような声を聞いた時、莉々香の中で疑念が芽生えたのだ。
『申し訳ありませんが…莉々香さんのお力を貸してくださいっ……あのままでは彼女は、怪物になってしまうっ……!』
最初、なぜ梗香がここまで参っているのかが分からなかった。
莉々香の記憶の中の梗香は、凛として人前で弱音は吐かない性質であることを知っていたからだ。
何があったのかを尋ねれば、耳を疑う回答が返ってきた。
白沢夢美という少女は漫画家としては天才中の天才だ。だが、その人格に問題がありすぎる。
虫や動物を「取材」と称して痛めつけたり、人を人とも思わず、法に触れないものの倫理的に問題がある行動を連発する。
極めつけは、目の前で交通事故が起こった際の夢美の行動である。
『彼女は…119番に通報したかと思うと…やるべき事は終わったと言わんばかりにスケッチブックと鉛筆を取り出して………っ!!』
「…もういいわ、梗香ちゃん。辛いことを思い出させて悪かったわね」
当然、梗香はその行動をした夢美を全力で諫めた。
だが…夢美はスケッチの手を全く緩めず、至って冷静にこう返したのだという。
『あのね、きょーかちゃん。私だって助けられる人を見捨ててる訳じゃないの。
見て分からない?あの人……かなり酷いよ。たとえ、救急隊があと1分でやってきたとしても十中八九助からない。だったら、今にも死にそうな人がどこにどんなケガをしているのか、どんな表情をするのか、なにを言うのか。全部記録した方がいい。』
莉々香は、これほどまでにおぞましい気分になったのは初めてだった。
誰だって、目の前で人身事故があったら動揺するだろう。事故に遭った人間はその後救急搬送されたのだが、やっぱり助からなかったらしい。だが………助からないからといって人を積極的に見捨てるどころか、人の死を弄ぶに等しい真似を平然とできる人間を、果たして自分と同じ人間と見ることができるだろうか?
当時の梗香も、そう言う夢美に対して猛反発した。「不謹慎すぎる」「貴女に人間の心はないのか」「事故に遭った人に失礼すぎる」と。だが……夢美は強かだった。
『……きょーかちゃん。さっきから色々言ってるけどさ。
その人間の心とか不謹慎さとかのせいでネタが集まらなくなって、私の漫画がつまらなくなるなんて真っ平ごめんなんだよね。
そんなモノで私の作品が誰にも読まれなくなるっていうんなら、私は怪物でいいよ。
………あ、担当やめたいなら言ってね。文芳社がダメになったら、別のトコ行けばいいし』
そんなことを、まるで世界の物理法則を小学生に説明してるかのように言う夢美に、梗香は反論できなかった。
あまりにも当然のように言うので、圧倒されて言葉が出なかったからだ。
だが、梗香は決意した。絶対に彼女の担当を辞めてたまるかと。
そして彼女を―――夢美を、人間にしてみせようと。
彼女の実力は本物なのだ。それこそ……
だが…夢美は人間性が致命的に欠けているだけなのだ。それも、どこかに捨ててきたんじゃないかと疑うレベルで。
だから、梗香は考えた。「面白い作品を描けてるのに、人間性一つで作品が正しく評価されなくなるかもしれないなんて、もったいなさすぎる」……と。
しかし、梗香ひとりでは限界がある。そこで友人の莉々香に協力を依頼したのだという。その時に、張り詰めた糸が切れて弱音のような協力依頼になった。
『ですので……本題に戻りますが…莉々香さんに負担をかける形になってしまうのですが……』
「……もちろんよ。ウチの寮生たちの成長は、なにも漫画の画力だけじゃない。歓迎するわ、夢美ちゃんを」
全てを聞いた莉々香が要請を断るはずもなく。
また、夢美も『漫画のネタ』を餌にしたら簡単に寮への引っ越しを了承した。この天才漫画家、チョロすぎである。
……そして、寮にやってきた天才漫画家・白沢夢美は今どうしてるかというと……
「もっきゅもっきゅ…」
おいしそうに、かつ幸せそうに莉々香の作った朝食を食べていた。
「うふふ…」
「? どーしたの~りりかちゃん~?」
「え? 翼ちゃんや琉姫ちゃんと出会ったばかりとはまるで違うって思ってね~」
「まぁね~……ここに来てから、色んなことを学んだし。何をしたら怒られるか、とか何をしたらネタが集まりにくくなるか、とか」
夢美は、確かにここに来てから色々学んだ。人に怒られないようにネタを集めまくる方法とか、人との合理的な付き合い方とか。より人間性が悪化したとか言ってはいけない。
「それでいいのよ。かおすちゃんや小夢ちゃんをイジメてない分、成長したわ、夢美ちゃん」
「も~、りりかちゃんったら、私を子供扱いして~!
私はもう大人ですよ~?高校生はもう大人ですぅ~!」
「そんなことを言ってる内はまだ子供よ。……ところで、ほかの子たちは?」
「つばさんとお姫ちんの部屋で寝てるよ~。つばさんの締め切りで徹夜しててね。みんな寝落ちしちゃったんだ~」
「あらあら……なら、ほかの子の分は取っておいた方がいいわね……それにしても、夢美ちゃんだけ早起きね。もっと寝てても良かったのに」
穏やかな口調で心配する莉々香の言葉を、「朝は早起きが習慣になってるんだ~、これでもいつもよりは遅いんだよ~?」と言いながら、バターロールを口に運ぶ夢美。今日の夢は、漫画のネタになるような良いものではなかったが、そんな日もあっても良いかとも思うのであった。
登場人物
PENNAME:
代表作:『夢の中のコロコロル』『
概要:翼・琉姫と同期の漫画家……なのだが、漫画の実力は二人のはるか先を行っており、小学5年生にしてメジャーな少年週刊誌で2年間の連載を勝ち取ったほど。デビュー作『遥かなる
そんな彼女が文芳社女子まんが家寮に住み始めた理由は、「壊滅的な対人関係を修正して欲しいから」。彼女は法にこそ触れないものの、道徳的・倫理的な常識を疑う行動を何の躊躇いもなく行える。また超人的な才能ゆえに所謂凡人の苦悩に気づきにくく、かつて漫画家志望仲間だった小学校の同級生を挫折させるきっかけをつくったこともある。
外見の特徴は深緑色のボブカットヘアーと小夢以上の巨乳。つまり巨の者であり、琉姫の嫉妬の対象でもある。
性格:おっとりしていて温厚な癒し系。だが漫画のことになると狂的に真摯になり、常人ではあり得ない言動を連発することも。卓越した才能を鼻にかけることはないが、突出した天才型ゆえに努力型や凡人といわれる人の悩み等に非常に疎い。深く知れば知るほどとっつきにくい人であるが、漫画への情熱だけは本物だ。
概要:文芳社に所属する、夢美の担当編集。漫画家の原稿に対して辛口で、台詞の一つ一つから厳しく精査する『漫画家泣かせ』の編集者。だが凄まじい才能を持つ夢美と馬が合い、「夢美さん(仕事時は“バク先生”)」「きょーかちゃん」と呼び合うなどそれなりに良い付き合いをしている。また人情家でもあり、人倫を無視する夢美を厳しく諌めたり、彼女の将来を心配する一心でまんが家寮に連絡する一面も。
性格:仕事には真面目だが、人情に厚くお節介焼き。編沢まゆ(かおすの担当編集)と仕事の厳しさにおいて共通する点はあるが、彼女の方がポジティブかつ情深い。
『夢の中のコロコロル』
皇獏ノ進が少年誌で連載中の漫画。夢魔の力を得た少年コロルと自称・夢の中の支配者ルルーナ、コロルを密かに想う少女セシリィの三人が、ファンタジックに進化した現代社会を旅しながら世界の謎を探るバトル系の物語。幻想的な世界観と魅力的なキャラクター、感動的かつ先の読めないストーリーが人気を呼び、日本に留まらず世界中で増販、アニメが2期(ひのもと編、あろはの島編)まで制作された。主演声優はデーク矢麻下と瀬川由紀(ともに架空の声優)。
『
皇獏ノ進が文芳社の月刊誌で連載中の漫画。アイドルになって「輝く」事に憧れる中学2年生・
『遥かなる
皇獏ノ進が少年誌で連載していたデビュー作にしてミリオンセラーの漫画。興縄県の学校を舞台に、生粋の興縄男児と棟京都から越してきた格式高い令嬢の二人が織りなす、甘く切ないラブストーリー。アニメ化・ドラマ化が共に放送され、ドラマ版の最高視聴率が65%を越えるほどの大作となった。
誰が好きですか?
-
かおす先生
-
小夢先生
-
姫子先生
-
ウイング・V先生
-
バク先生