「ほう、存外簡単に負けを認めるんだな。お前のような小娘は大抵自分が大けがをするまで矛を収めないものなのだが…過去に何かあったのか?」
私の過去に何かあったか、か。それは勿論あった。だけど今回の負けはそのせいではない。
「つまらない事を聞く。私が引くのは過去ではなく未来のためよ。大切な家族、それ以外に優先すべきことなど何処にあろうか。私は唯一の肉親に無事に帰ると約束した。そして悪魔の約束の拘束力は非常に強い。
だからこそ私は早々に負けを認めさせてもらった。お前の思ったような妖怪では無くて悪かったな。私たちは大人しく帰るとするよ」
交易路の一つが使えなくなってしまった。これによって大幅に支配範囲が狭まったことになる。この妖怪に目をつけられたのが運の尽きだったというわけだ。
「何を言っているんだ。別に私はお前を帰らせようと思って戦ったわけではない。お前が信用するに足る妖怪かどうかを確かめたかっただけだ。蹴りを受けてみて分かった。一先ず私はお前を信用することにしよう」
という事は……
「ここを交易の拠点にしてもいいという事か。それにしてもなんだか腑に落ちないな。初めの蹴りで判断ができたのならどうしてその後も続けたんだ?」
ここを拠点にできるのはかなりありがたいが、それだけは本当に腑に落ちない。あそこでやめていれば私が負けることも無かったのに。
「お前の実力をしっかりはかるためさ。もし途中で人間を襲っても私が止められるかどうか知っておかないといけなかったからね」
これは嘘……いや、嘘ではないが本当でもないといったところか。とにかく本音は言っていないようだ。
「こちらはきちんと本音で話したんだ。お前の方も本音で話すのが筋ではないと思わないか?」
「おや、気づいていたのか。なら仕方がない。本当のところはお前の攻撃をもう少し受けてみたかったのだ。生まれてまだ二十年といったところだろう? その歳に似つかわしくない実力。それを見ておきたかったのさ」
強者の余裕というやつか。褒められているようなそうでもないような微妙な気持ちになる。確かに私はまだ十五を数えたばかりだが実力に自信はあった。だがそれも所謂強者と呼ばれる者と手合わせしたことが無かったからかもしれない。
目の前の妖怪が絶対強者と呼ばれるほど強いのかどうかは私の眼ではまだ判断できない。
「まるで今生の別れのような言い方をする。お前は人間の護衛をしているんだろう? ならばどうせ途中までは同じ道だと思っているんだがな」
当初はすぐインドの方に向かう予定であったが、この妖怪がいるのなら途中まではソグディアナ方面の道を行ってもいいと思っている。人間との交渉に私も出た時点で予定は既に狂っている。無事に帰ることさえできればもう予定など無かったことにしても構わない。
「今生の別れのつもりで言ったからね。私はもう人間の護衛をやめようと思っているんだよ。小娘にはわからないだろうが人間は変わってきた。もはや今まで通りに護衛が続けられるとは思えないのさ。だから私はここではない別の場所で生きて行くつもりだ」
「お前は……人間が好きなんだろう? その決断は本当に後悔しないのか?」
私を試すまでして人間を護りたがった妖怪のくせにこうも簡単に人間から離れるというのか? ……いや、そうではないか。人間が彼女から離れて行っているのだ。切り捨てたのではなく切り捨てられた、が正しいのか。
「随分と感動的なことを言ってくれる。私の自分で下した決断さ。後悔など無いよ。今回が私の最後の護衛になる。くれぐれも面倒を起こさないでくれよ」
「ふん、誰に言っていると思っているんだ? ……それにしてもお前の次に行く場所は決まっていないんだったな。どうだ、私の館に来てみないか?」
この妖怪が館に来てくれればかなりの戦力アップが期待できる。それだけではない。上手くやれば近隣の町との関りにも役立ってくれるかもしれない。
「残念だがその願いを聞き入れるわけにはいかないな。私はまた別の形で人間と共存していこうと… 「館では近所の町の復興や経済活動なんかの支援も行っている。お前も十分貢献できるのではないか?」 なんだと?」
やはり食いついたか。根は素直なのだろう。経験的な話だがそのような者はこういう話を聞き入れてくれやすい傾向にある。この妖怪にもその法則が成り立つかどうかはわからなかったが、どうやら成り立つみたいだ。
「…………気が変わった。お前の館に行ってやろう。となるとお前が私の雇用主になるわけか。そうなると流石にお前とは呼べないな」
やったぜ。この妖怪がいれば館はより安泰になる上にフランにも良い影響が出るかもしれない。長く生きているというならば戦闘面以外でも何かしらの特技は持っているだろう。私を信用しているというのだから裏切られる心配も皆無と考えて良い。前例があるので警戒するに越したことは無いのだが。
「ならば名で呼ぶと良い。私はレミリア・スカーレット。レミリアと呼んでくれて構わない。して、お前の名は何という」
使用人たちは私の事をお嬢様、またはレミリア様で呼ぶがこの妖怪に関してはそう呼ばれると違和感しかない。実力も歳もはるかに劣っているのに丁寧に呼ばれるのは気持ち悪く感じてしまう。
「私に名はない。今までも必要だと感じたことは無かったからな」
なんと名無しだったのか。となると親もいない自然発生型の妖怪なのだろうか。となると先ほどの家族の話は何一つ理解できない事だったかもしれない。なんだか申し訳ない事をしてしまった気分だ。そうとわかっていればまた別の話を…特に話せそうな事も無いか。
「だからレミリアが決めてくれ。私にとっては今、名前が必要になった」
名前か。私はまだ名前と言う物を付けたことが無い。先ほど使った紅い槍ですら名前はまだ付けていないのだ。生まれて初めて付ける名が妖怪の名だとは思ってもみなかった。
しかしそうなると安直すぎる名前は付けられない。それは私の誇りに傷が付くし、何より目の前の妖怪が可哀そうである。
服装から見てもこの妖怪は中国で生まれた妖怪だろう。ならば私やフランのようなヨーロッパ式の名前は付けたくない。かと言って私はこの地の言葉を最低限しか知らない。今だって相手がこちらの使う言語に合わせてくれているだけだ。
様々な地域を行く商人の護衛を長くやってきたおかげで通訳もできるようになったらしい。もはや何ができないのかが気になってくる程である。
そんなことはともかくとしてこの地域の言葉など書けても読めないのが現状だ。図書館の本は発音を教えてくれない。ならば書くしかないのである。
「そうねぇ。ならこれでどうかしら?」
紙とペンとインクなど当然持っていないので地面に書くしかない。手が汚れるなど今更である。
「红美铃か。なるほど、悪くはないね。それにしても私が翻訳する必要はなかったのではないか?」
「私は書けて意味が分かるだけ。話すことはできないんだよ」
話せたら直接口で伝えていたと思う。字の説明はしなければならなかったからどのみち書くはめになっていたかもしれないけど。
「ちなみにこの名前の意味だが紅はお前の紅い髪と我が館のイメージからつけている。美鈴と言う名前に関してはお前に頼もうと思っている仕事に関係している。
ヨーロッパでは玄関に鈴を付けて人を呼び出すことがある。お前に任せようと思っているのは館の門番だ。館の顔となり門を護ってくれ」
何とも難しい発音だ。一度聞いただけで真似をするのはなかなかに難しかった。これに関しては耳の良さが幸いした感じだ。それでも完璧に発音できたわけではないのだが。
とにかく美鈴が館を護ってくれるようになるのは非常にありがたい。そろそろ両親の死を嗅ぎつけた質の悪い妖怪が攻めてきてもおかしくなかったからだ。
美鈴ならそのような奴らを相手にしても余裕を持って立ち回れるだろう。数で押してきた場合は流石にどうにもならないと思うが、それ以外の場合なら安心である。
私が覚えていたら美鈴自身が名乗る時だけ红美铃表記にするかもしれません。忘れてたら普通に紅美鈴表記になっていると思います