剪定者ナイン   作:オンドゥル大使

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ACT19「現象の死」

 

『テラー? どこ、どこなの?』

 

 次いで起き上がったのはベルだ。ナインのコートの中に入っていたベルは慌てて飛び出す。ウェンディも目を覚ましたらしい。やぐらを一晩で作った海賊はそこから望遠鏡で位置を示した。

 

「南南西! テラーらしき敵影を発見!」

 

 下っ端の声にフック船長も身支度を整えて上がってきた。ナインと肩を並べ、「来たのだろうか」と声にする。

 

「まだ分からない。それこそ、テラーではないのかもしれない」

 

「今になってピーターの帰還か? それはそれで笑えんな」

 

 フック船長が口元を緩める。左手の鉤爪を取って銃に付け替えていた。昨日の自分との戦いで遠距離戦が有利だと感じたのだろう。

 

「しかしテラーだとすると、まさか真正面から」

 

 来るとは思っていなかった。ナインの予想を裏切るように下っ端の声が弾ける。

 

「テラー! なおも接近!」

 

 どうやらやぐらの下っ端からはよく見えるらしい。テラーは空から来るのか。ナインは影の移動方法を用いて瞬時に断崖絶壁の頂上に至った。このネバーランドで最も高い場所から望んだ風景、朝焼けに染まった海岸線だが水墨なのは相変わらずだ。その水墨の上を僅かに動く黒点がある。ナインはそれこそがテラーだと判じた。

 

『嘘でしょう? 本当に、真正面から……』

 

 息を詰まらせたベルにナインは、「総員、戦闘準備だ」と声にした。影の移動方法で降りて人魚と海賊に号令をかける。

 

「戦闘準備! 遠距離射撃用意」

 

 復唱したのは海賊の副長だった。

 

「遠距離射撃、構えー!」

 

 海賊たちは銃器を、人魚たちは弓を番える。ナインは殿でウェンディを保護するために下がっていた。フック船長は自分たちの前に展開する。

 

「しかし、まさか真正面からとは」

 

「相手の情報は持っていない。だから相手からしてみてもこちらの戦力は予想外のはずだが」

 

 こちらの情報とて昨日の即席である。すぐに対策が練れるはずはない。副長が手を振り翳した。

 

「てーっ!」

 

 その声に銃器の炸裂音が響き渡り、矢が一斉に同じ方向へと放たれた。矢の先端には人魚の魔法による炎が灯っておりそう容易くは消えないはずだ。だがやぐらで戦況を見張っている下っ端は声を荒らげた。

 

「着弾! 全弾命中! しかし相手は怯む様子なし!」

 

 まさか、と全員が息を呑んだ。矢で貫かれれば剪定者とて再生には時間がかかる。銃弾ならばなおさらだ。だが相手はそれでも向かってくるというのか。

 

「霧散! 霧になりました! 濃い、灰色の霧が広がって……」 

 

 昨日見せたのと同じ能力だ。相手は自分の存在を限りなくマイナス値に振ることができるようである。

 

「うろたえるな! 海賊の名折れだぞ!」

 

 フック船長と副長の怒号に折れかけた信念を立て直した海賊たちはめいめいに武器を取り直す。だが一人、また一人と倒れ伏していく。攻撃が成された様子はない。だが深い昏睡に誘われているようだ。

 

「この霧……! 眠りの作用があるのか」

 

 察知した海賊たちが下がろうとするも霧のほうが素早い。眠っていく海賊たちに成す術はなかった。

 

「このままでは……」

 

 全滅の二文字が浮かんだ刹那、歌声が戦場を駆け抜けた。ハッとして目を向ける。人魚たちが天を仰いで歌っている。人魚の声は幻惑の声。相手からしてみれば同じ効力の魔法をぶつけたも同義。たちまち眠りの霧は効果が薄らいだ。

 

「今だ! 撃て!」

 

 眠りの淵に誘われようとしていた海賊たちが持ち直して引き金を引く。だがどれも着弾した手応えはないようだ。今度はやぐらの下っ端も命中とは言わなかった。

 

「相手は。おい! 相手はどこだ!」

 

 副長の怒号に下っ端が困惑する。

 

「探しています! 探していますが……、速くって……」

 

「速い?」

 

「まるで影と影の合間を移動しているみたいな……。動きに連続性がないので予測できません!」

 

 その悲鳴にナインだけは状況を俯瞰していた。影の移動方法。それは剪定者が持つものだ。

 

 ――合わせ鏡でない可能性もまた存在しない。

 

 夢の中での会話が思い起こされナインは肌を粟立たせる。海賊たちは無鉄砲に突っ込んだ。もう射程に入っているのは間違いない。だがどこにいるのかまるで分からない敵を倒せるのだろうか。ナインの懸念を読み取ったように戦局は一気に黒くなっていく。

 

 一人、また一人と短く悲鳴が発せられた。森の中で無茶苦茶に銃を撃つ音が木霊したと思えばしんと水を打ったように静まり返る。

 

「前衛部隊は……」

 

 副長の声に、「全滅です」とやぐらから声が返ってきた。

 

「前衛、全滅……」

 

 信じられないのはフック船長も同じのようだ。ごろつきばかりとはいえ、それでも海賊として今までピーターパンと戦ってきた矜持があったのだろう。それが粉々に砕かれていた。

 

「後衛部隊! 装備を近接武器に変え、接近に留意! 仕留めろよ」

 

 副長の命令に銃を捨て海賊たちは鞘から銀色に輝く剣を抜き放つ。だが結果は同じであろうとナインは予想していた。恐らく近い遠いの問題ではないのだ。

 

「突っ込めー!」

 

 副長の号令で海賊たちは一斉に雪崩れ込む。その背中が見えなくなった途端、そこらかしこで呻き声が聞こえてきた。テラーが一人ずつ仕留めている。しかも相手の戦法に合わせて近接戦で。そのようなことがあり得るのか。ナインですら疑った事象をフック船長は即座に察したらしい。

 

「……恐らく後続も全滅。殺されたか、あるいは昏倒させられたか。どちらにせよ、相手が来ることに変わりはない」

 

「どうなさいます? 船長」

 

 副長の声にフック船長は後ろで待機している人魚たちへと声を響かせた。

 

「人魚の、幻惑の魔法で奴を止められる可能性は?」

 

「恐らく数秒、いいえ、もっと言うのならばコンマの世界……」

 

 赤髪の長の人魚は希望的観測をすぐさま捨て去った。何故ならばフック船長は徹底抗戦の構えでレイピアを抜いたからだ。

 

「船長? いけません!」

 

 副長が止めに入るがフック船長はそれを振り解いた。

 

「退け。我輩がゆく」

 

「ですが! 大将がいなくなれば戦局が持たないのは長年の勘で分かっていらっしゃるはずでは……」

 

「この戦、長は我輩ではない」

 

 フック船長は振り返りナインへと目配せした。この戦い、長は自分だ。だからフック船長は死ににいく覚悟なのだと目を見れば了承が取れた。

 

「来い! 全ての因果を連れて、この我輩、ジェームズ・フック船長が!」

 

 フック船長は名乗ってからレイピアを流麗にさばいて銀色の剣閃を描く。

 

「御自ら、相手をしよう!」

 

 構えたフック船長は息を詰め相手の出現に集中する。その時、森の木陰から霧が集まってきた。その霧はやがて一つの形状を伴う。少年の姿であったかと思えば、今度は壮年の男性のように杖を伸ばして会釈し、今度は騎士の姿を取る。共通しているのはどれも灰色の影だということだ。

 

「正体を現せ。この物の怪め」

 

 フック船長の声に影が一気に降り立ち、瘴気を棚引かせながら一つの形状を取った。

 

 皮肉なことにそれは紛れもなくフック船長の鏡像だった。

 

「……戯れを」

 

 フック船長は気圧されないようにか、口元に笑みを浮かべる。だがその指先が震えているのをナインは見逃さなかった。恐怖している。無理もない。自分と同じ姿を取った全く素性の掴めない相手だ。

 

「我輩と剣を交えること、光栄に思うのだな」

 

 フック船長は強がってレイピアを突き出す。テラーはレイピアを取り出すと自分の身体を突いたり切ったりした。だがその部分が突かれても血も出なければ切り離されてもすぐに吸着する。暗に物理攻撃は意味がないと告げているようだった。

 

「不死の魔物などおらんよ。どこかに弱点があるのだ」

 

 フック船長は踏み込んだ。レイピアでの突き。まさしく神業としか言いようのないほどに正確な一撃。テラーの心臓を貫こうとした一撃はしかしテラーのレイピアによって防がれた。テラーはわざとなのかギリギリでフック船長の渾身の一撃を受け止めている。

 

「遊んでいるのか!」

 

 返す刀で首を落とそうとする。だがまたしても受け止められ今度はカウンターを食らった。フック船長が後ずさる。肩を貫かれていた。息もつかせぬ攻防だったが、フック船長とテラーが違うのはその速度だ。

 

 ほとんど時間を無視したような、予備動作のないテラーの攻撃に対してフック船長は人間ならば逃れられない一撃の前の予備動作がある。恐らくはそれを突いているのだ、とナインは察知したがそれを戦闘中のフック船長に告げて何となろう。絶望を深めるだけだ。

 

 テラーが攻撃を仕掛ける。レイピアだが予備動作のない攻撃はフック船長ほどの熟練者でもさばけないのだろう。すぐさま傷を身体中に作ったフック船長がよろめく。

 

 だが倒れはしない。フック船長は背中を見せなかった。後退もせずフック船長はレイピアを突き出す。

 

「……どうした。攻撃の手が緩んだぞ」

 

 その挑発をテラーはどう受け取ったのか、さらにレイピアの攻撃を鋭くさせた。ほとんど暴風に近いレイピアの剣閃を受けてフック船長の身体が何度も打たれた。テラーがレイピアを掲げる。フック船長は膝をついた。副長が悲鳴を上げる。

 

「船長!」

 

 テラーはもうフック船長に頓着せずこちらへと向かってくる。ナインはウェンディを下がらせて前に踏み出そうとした。その時である。

 

 テラーの腹腔に穴が開いた。突然のことに誰もが戸惑う。フック船長が左手の銃を突き出してはっはっと笑っていた。

 

「命中したぞ! 我輩の勝利――」

 

 その声が響く前にテラーはレイピアを掲げフック船長の背中を何度も突いた。何度も何度も、それこそボロ雑巾のようになるまで。テラーの攻撃が止んだ頃にはフック船長の赤い服飾は血で濁っていた。テラーはナインと相対する。副長は声も出ないようだった。ナインは歩み出て呟く。

 

「今、お前は怒ったな。何故だ?」

 

 淀みのない歩調に併せてテラーも歩き出した。お互いに同心円状に相手へと歩み寄っていく。

 

「テラーとは現象なのだと聞いた。だから怒りもしないし、悲しみもない。感情がないんだ。俺たちと同じように」

 

 テラーが姿を瞬時に変える。今度はナインと同じような旅人帽にコート姿だった。違うのは灰色であること。そして顔が塗り潰されたように見えないことだった。

 

「だが俺の中に今あるのは、お前を許さない、という感情だ。こんなものが芽生えるとは思いもしなかった。お前も感じたのだろう。自分に不意打ちでも一撃を与えた物語の登場人物に対する、憤怒を」

 

 テラーは答えもしない。ナインもこの問答が意味を成すとは思っていなかった。右手の手袋を外す。テラーはナインに併せて左手を掲げる。お互いに鏡像だ。ナインは手刀の形にしてテラーを見据えた。テラーの視線は感じられないがこちらを睨んでいるのだろう。確かな殺気がある。

 

「どういうつもりで、世界を無茶苦茶にする? お前は、何なんだ」

 

 その問いはかねてよりあったものだった。テラー、語り部。何の意味があって存在しているのか。

 

 テラーは答えの代わりに跳躍した。わざわざ影の移動方法ではなく地を蹴ってナインへと距離を詰める。飛び膝蹴り、それも肉弾戦。全くの予想外の攻撃にナインは面食らった。しかし対応できないわけではない。腕で防御しすかさず右手を叩き込もうとする。テラーは心得ているようにナインの関節を手刀で薙ぎ払い攻防一体の動きを見せた。ナインの手刀はテラーの顔のすぐ脇を掠める。緑色の電流が棚引いた。

 

「滅殺の右手は許しはしない。お前を、物語の可能性の枝葉を伸ばす存在として殺さなくってはならない」

 

 返す刀だ。そのまま手刀でテラーの首筋を掻っ切ろうとするがテラーはその段になって霧状に姿を変えた。瞬時に包囲してきたのは昨日と同じく短剣。一瞬にして攻守が入れ替わる形となった。一撃でも受ければ昏倒。即座に影の移動方法で距離を取る。先ほどまで身体があった空間を無数の短剣が引き裂いた。

 

「お前は、どこまで物語を壊す」

 

 ナインは責め立てる口調を伴って短剣の集合体を目にする。再び肉体を得たテラーはコートを纏った初老の男性だった。動きに適しているとは思えない。その口元が声を伴わずに動く。

 

 ――剪定者、だと確かに紡いだ。

 

 その動きに目を奪われた直後、テラーはナインの真横へと移動してきた。影の移動方法だがナインよりも素早い。これは剪定者のロジックではない。

 

 即座に右手を払ったが距離は心得ているらしい。右手の触らぬギリギリの距離からテラーが杖を突き出す。つん、と空間を突かれた。

 

 それだけでナインは吹き飛ばされる。これは時間震だ。空間そのものが鳴動しナインをその場から引き剥がした。問答無用の攻撃にこちらは右手を地面に突き立てた。制動をかけ体勢を整える。

 

「テラー!」

 

 副長が銃を握り締めて照準を向ける。テラーは自分との戦いに夢中になっている不意を突こうとしたのだろう。だが、その瞬間、時間が凍りついた。

 

 何か大したことをしたわけではない。テラーが指を鳴らした。それだけでナインとテラー以外の時間が止まる。放たれた銃弾が空間に居残っている。ナインは突然の出来事に狼狽する。

 

「これは、時間停止……?」

 

 だがそのようなことは剪定者でさえもできないはずだ。時間停止能力など高次の命令権限があっても行使できない。しかしテラーは単体でやってのける。静止した時間の中をテラーは歩み出て銃弾をそっくりそのまま副長のほうへと弾き返した。再び指を鳴らす。

 

「やめろ!」

 

 ナインの声が放たれた瞬間、返った銃弾が副長の胸に吸い込まれた。副長がよろめく。

 

「何を……」

 

 状況が理解できないのだろう。他の登場人物たちも同様だ。ナインだけ時間停止が行使されたことを理解している。

 

「今、確かに撃ったはずじゃ……」

 

 人魚たちは完全に呆気に取られていた。歌うことさえも儘ならないようだ。テラーの恐怖に全体が支配されている。ナインは副長へと影の移動方法で接近し抱き留めた。復調は今にも息絶える寸前である。ナインは左手の記憶操作を使い副長の頭部を掴む。赤い電流が走り副長は失神する。

 

「登場人物は、死んだと思い込まなければ死なない。記憶操作で擬似的に失神させた。これで傷は進行しない」

 

 元々、亡者はいても死人がいないとされているこのネバーランドでの殺人はまた物語を歪めかねない。だがテラーはお構いなしだ。相手からしてみれば物語破壊の行為は息をするよりも容易いのだろう。

 

「物語の破壊、及びそれ以上の権限を有している。何者なんだ、お前は」

 

 ナインの声にもテラーは応じず指を鳴らす。直後、ナインの眼前にテラーの姿があった。影の移動方法かと感じたが違う。ナインは左手首につけた時計の秒針と分針が不当に歪んでいるのを目にする。これは時間加速だ。

 

「時を加速させて、俺に接近した?」

 

 右手を薙ぎ払うが今度はいつまで経ってもナインの攻撃はテラーに届かない。距離か、と判じたが距離は同じだ。いつまで経っても動かないのは自分のほうである。

 

「これは、時間の伸縮……。こんな高次の命令権がある存在などいないはずだ」

 

 いたとしてもそれは人造天使レベルである。テラーはナインの心臓へと左手を構える。まさか、と思う間にテラーの手刀がナインの左胸に吸い込まれた。

 

 息を止める。ベルもウェンディも、人魚たちも唖然としていた。

 

 剪定者の心臓は新聞紙の模様が入ったものだった。自分でも見るのは初めてだ。テラーはナインの心臓を手に取っている。通常、自分の心臓を見ることなどありえない。あるとすれば、それはただ一つ。死に際だけだ。

 

「俺の……」

 

 テラーが心臓を握り潰す。墨のような血飛沫が飛び、ナインの意識は消失点の向こう側へと追いやられた。

 

 


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