「なるほど……。 ローストには八種類あるのね。ライトローストのほうが酸味が強い、と」
「へぇ。コーヒーの淹れ方って、そんなにあるのか。一つしか無いもんだと思ってた」
「うふふ。今度淹れてあげるね」
ニイジマパレスに潜入した次の日、一樹は春と共に神保町を訪れていた。いつぞやの学園祭で約束した、
「あっ、ごめんね一樹君。私にばっかり付き合ってもらっちゃって。一樹君も見たい本があったよね……」
「別にいいって。この辺りじゃ、あんまりラノベを置いてる店は無さそうだしな」
行き先に神保町を提案したのは一樹だが、そもそも春の為のデートだ。春の行きたい所に付き合うのは当然だ、と一樹は考えている。
「にしてもコーヒー関係の本ばっかだな。他のは見なくていいのか?」
いくつか店を回ったが、春が手に取るのはコーヒーに関する本ばかりだった。
最近コーヒーにハマっているのは知っているが、もっとガーデニングなり手芸なりの本も読むのが目的なのだと一樹は思っていた。
「うん。実は、コーヒーには思い入れがあって……」
春の語る事によると、春が幼稚園にいた頃に潰れてしまったらしいが、春の祖父は小さな純喫茶を何店舗か経営していたらしい。
「だから、オクムラフーズの根っこって、実はバーガーじゃなくてコーヒーなのよ」
「へぇ。知らなかったな、それも」
「チェーンになる前の話だから、私も、お父様から聞いたの」
そこから、春は悲しそうに続ける。
「喫茶店は、赤字続きだったの。だから、お爺様が亡くなってすぐに閉店。食品の提供も『お客様の笑顔のため』って方針で、お爺様、採算を考えてなかったみたい」
「それは……」
「うん。経営者としては間違ってると思う。だけど、閉店する日は沢山お花が届いて、行列ができるくらい愛されてたの……」
今のビックバン・バーガーが潰れても泣いてくれる人なんているのかな……と春は悲しそうに呟いた。
「まあ、少なくとも俺は悲しむぞ? ビックバンチャレンジの制覇が済んでないからな」
コメットまではイケたんだがグラビティがキツくてな……と、春が求めている答えと違う事は分かっていても、一樹はそう
不器用で知識も無い一樹では、冗談を言う程度しかできない。一樹はそれが何となく悔しくて、春に見えないよう歯噛みした。
「……ふふふ。そう」
一樹の葛藤に気づいてか、春はそう答えた。やはり、優しいヤツだと、一樹は思う。
「にしても、採算度外視でコーヒーが売り……? んで春が幼稚園にいた頃に潰れたって……。なあ春、その店って」
「うん?」
「もしかしてその爺さんがやってた店ってさ、浅草に有ったか?」
春の目に、驚愕の色が映る。
「ええっ!? なんで知っているの?!」
「やっぱりか……。その店、俺の父さんが常連だった店だ」
一樹の一家は、浅草付近のマンションに住んでいる。
最近部署が変わった父親は出張ばかりで家にいないが、一樹が幼かった頃は、一樹を連れてよくその喫茶店に行っていた記憶がある。
思い返せば、一樹がコーヒーを好むようになったのも、あの喫茶店で少し苦めなコーヒー牛乳を飲んだのが切っ掛けだった気がする。
「ミルクとガムシロ入れても大量に入れても苦くて飲めないってギャン泣きした時、その店のマスターに特別だぞってケーキ食わして貰ったな……」
「そうなんだ……。私も浅草のお店にはお父様と良く遊びに行ってたから、私たち、もしかしたら幼い頃に会ってるかもね」
懐かしそうに、春が笑う。経営に関わるようになって思う事が有っても、やはり春はその祖父の事が好きだったのだろう。
「春?」
「────!?」
春と一樹、二人の間に穏やかな空気が流れた時、不意に嫌みったらしいねっとりとした声が春にかけられる。
声のする方を向けば、ネズミ色のスーツを着た、これまた声色にぴったりな嫌みったらしい顔をした男が偉そうに立っていた。
「杉本さん! ど、どうしてここに……?」
「近くの料亭で会食の帰りさ。車から君たち二人が見えたんでね」
さて、と鼻につく態度で
「夫を置いて他の男とデートとは、随分な尻軽ぶりだな、春?」
「夫じゃ……、ないです。婚約はお断りしたはずです……」
何時ならキッパリと言える筈の事を、この男の前では言えなくなっている。春にとって、この男はトラウマ的な生き物らしい。
「はあ? 言ったよな? 君のお父上と交わした『契約書』が有るって。この契約を破れば、君はオクムラフーズから豪邸まですべて手放す事になる。被害は多くの従業員にも及ぶだろうなぁ?」
「……ッ!」
君のせいで従業員を路頭に迷わせていいのか?と元フィアンセは春に畳み掛ける。ここで心を折り、春を従順にさせる気だろう。
当然、一樹がそんな事はさせないが。
「『刑法第222条 脅迫罪』!自由、財産等に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役または30万円以下の罰金に処する!」
「──っ! 貴様、何だいきなり!」
唐突に一樹が叫んだのは、日本の法律だ。春も元フィアンセも一樹の行動に驚き目を白黒させる。
「いやぁ、自分、法律の勉強している者でして。ええ、今のアンタの言葉が、春への脅迫罪に当たんじゃねーかと、心配した訳ですよ」
心にも無い事をペラペラと口にする。言っている内容は適当だが、最近一樹が法律を勉強しているのは本当だ。
怪盗団の保険として、一樹はもしもの際に迅速な行動ができるよう日々色々と勉強している。最も、記憶力の悪い一樹が法律の暗唱など出来るはずもなく、今吠えた法律は検索サイトに書かれた文章をそのまま読んだだけだが。
「クッ。法律だと……?」
(──明らかに、元フィアンセ殿の警戒度が上がったな。となると……)
「そもそも、『結婚は両者の合意の元に行われる』って憲法の二十何条だかにもしっかり書かれてまして。無理矢理な結婚は、利口な方法じゃないと思うんですがねぇ?」
「う……」
慇懃無礼な態度で法律を盾にして迫れば、元フィアンセが一歩後退った。恐らく、この元フィアンセはその契約書とやらに細工をしている。あまり探られたくない筈だ。
(──これで退かないってなら、詐欺だ人身売買だと責め立ててみようかね。)
「きょ、今日の所は妻のプライベートを優先してやる! せいぜい身の程を弁えた行動をするんだな!」
そう言い残して、元フィアンセは逃げる様に去っていった。
「よくあんな三下らしいセリフがはけるもんだな…… 。と、もういなくなったぞ。大丈夫か春?」
「う、うん。ありがとう、一樹君……」
元フィアンセがいなくなっても、まだ春は青い顔をしていた。まあ、あんな男と結婚させられそうになっているのなら、それも仕方あるまい。
「はぁ… …。私、一樹君や怪盗団のみんなに甘えてばっかり」
「信用できない会社の奴等とやり合ったり、あんな男と結婚どうこうで揉めてるんだろ? なら少しくらい甘えてたって仕方ねーよ」
「ううん。最近考えるの。人を信じるとか、信じないとかの前に、自分を信じてもらわなきゃって。だから、皆に認められるような意思を持ちたいの」
「……少なくても、俺は信頼してるぜ。『奥村春』って人間が、人を信じて託せる奴だってな」
「一樹君……。うん、ありがとう」
ようやく、春の頬に血の色が戻ってきた。何か恥ずかしい事を口にした気もするが、春の機嫌が良くなったならそれでいい、と一樹は気にしない事にした。
「本屋巡りも空気の読めない奴のせいで白けちまったし、何処か別の所行くか?」
「うん。それじゃあ……またお父様のお見舞いに付き合ってくれる?」
「了解。じゃ、駐車場まで戻るか」
一樹と春は、古本屋の店先を後にした。
50話突破SSは明日か明後日あたりに投稿します。