「あぁ……、疲れた……」
一樹は自室に戻ってすぐ、ベッドにバタリと倒れた。
俗に言う賢者モードと言うヤツだろうか。パレスから脱出すると
一樹がアリーナで闘いコインを大量に稼いだ事で支配人ルームへの道が続き、オタカラまでの侵入ルートを開くことができた。
道中シャドウ新島の邪魔が入って危うい場面があったが、明智の機転により、事無きを得た。シャドウ新島の妨害を予測して“タナカタロウのメンバーズカード”を取っていたあたりが、流石の探偵と言える。
(──明智にしろ真にしろ、同い年なのに……)
「……いや、どうでもいいな」
久々に下らない思考をしてしまった。一樹はそれを振り払う様に毛布を被る。夕飯もまだだしシャワーも浴びていないが、今日はもう疲れてしまった。俺も、できる事はしている。そう思いながら、一樹の意識は眠気の底に沈んだ。
■
「僕が思うに、予告状を出すのは期限ギリギリまで待つべきじゃないかな」
「何でだ? オタカラを盗むのは早い方がいいだろ?」
「冴さんはリアリストだ。怪盗団の実在は信じるとしても、心を盗む手口なんて、現実にあると考えているかな?」
「つまり、いま予告状を送ってもオタカラが現れるほどには刺さらない…ってこと?」
「可能性の話だけどね。だからせめて、期限ギリギリまで待って、追い込まれた所へ畳み掛けた方がいいと思う」
「オタカラ出現の確実性……。理に適ってるわ。確かに、その方がよさそうね」
新島冴と仲の良い明智がそう言うなら信憑性が高い。結局、予告状を出すのは今日から8日後の18日に決定した。
『じゃ、それまでは各々準備ってことだな』
「ああ、時間があって困る事はない。ミンナ、頼んだぜ」
今日はこれで解散となった。それぞれが席を立ち、帰る準備を始める。他所から携帯を通して匿名として会議に参加していた一樹も拙い手つきで双葉から渡されたデバイスの接続を切る。
そのタイミングで自前の携帯が振るえ、春から連絡が来た事を伝えた。
『一樹君、この後時間ある?』
『家に帰って筋トレでもしよかとでも考えてたぐらいだ』
『昨日、珍しいコーヒーを飲めるお店を見つけたの。一緒にどう?』
『へぇ…いいな。行こうか』
『なら決まりね。それで、えっと…お店はちょっと遠いホテルにあるの。だから…』
『ん、了解。迎えにいく』
■
車で合流した一樹が春に案内されて訪れたのは、奇遇な事に以前一樹が親戚と食べに来たバイキングのあるホテルだった。
「ここ、カフェもあったんだな」
「来たことがあるの?」
「まあ、一回だけな」
適当に会話をしながら、コーヒーを待つ。
「前にコーヒー豆に興味があるって、話したよね?」
「ああ。デ……、神保町に行った時な」
「ふふ。そう、あのデートの時」
わざわざ言い直した春に、一樹は軽く肩をすくめて、あからさまに話を変える。
「あーそれで、何て名前だったっけ? その……、6千円もするコーヒーは。ブラック……?」
「『ブラック・アイボリー』だよ」
「あぁそうだアイボリー、ん……?」
何か、その名前は記憶に引っ掛かる様な、何処かで聞いた事のある気がするが、物覚えの悪い一樹が思い出す前に、洗練された動作のウェイターによってコーヒーが運ばれてきた。
「じゃあ、いただきましょう」
一応イタダキマスと呟いてから、一樹はコーヒーを
「へぇ。見た目通り苦くないな。マイルドって言うのか?」
「ええ。それに、独特の芳ばしい香りね。色が薄い。でもこれ、美味しいっていうか……、コーヒーじゃないみたい」
春の感想に同意しながらもう一口飲み、一樹はふと思い出す。
「ああ、ブラック・アイボリーってアレか、象のフンから取った豆で炒れる……」
「あっ、知ってたのね? ごめんね、先に言わなくて。象を思い浮かべながら飲んだら、ちゃんと味わえないかと思って」
「いや、ちょっとびっくりしたけど、何でも試してみるモンだな。結構面白い味だよ、これ」
怒っていない事を示す様に、また一口飲む。美味いのは確かだが、正直、六千円の価値があるかは微妙な気がする。 当然、口には出さないが。
「確か、猫のフンから集めるコーヒーもあったよな?」
「『コピ・ルアク』ね。シャコウネコのフンから集めるの。よく知ってたね?」
「まあ、ちょっとだけ勉強したんだよ…」
椅子にもたれながら、一樹は恥ずかしそうに自白する。
「春がコーヒーに興味あんのは知ってたからな。少しは話を合わせられるように、勉強した」
法律を覚えるついでだけどな。と一樹が言えば、春は照れたようにはにかみ、そして、頬を赤くしたまま口を開く。
「……今日ね、本当はフィアンセの事とか、会社の事とか、色々と相談しようと思ってたの。でもやっぱり、やめた」
「別に相談してくれて構わないぞ。……大変だろ、まだ」
社長による謝罪会見こそ行われなかったものの、幹部陣による『労働基準法違反』の告白と謝罪は行われた。
それにより多くの社員が救われたのは、“改心”させた怪盗団としては良かったのだろう。だが、奥村社長が事故に遭い、意識不明の重傷となってしまった事で、社長令嬢である春の身に降りかかる話が面倒になってしまった。
元より奥村社長が責任を取って退職するのは会見前から決まっており、被害者との裁判は兎も角、経営については大きな問題は無い。 問題なのは、仮に奥村社長がこのまま亡くなった場合、奥村社長の持つ全ての株が春が相続する事になる点だ。
それにより、今まで社長に媚びを売っていた連中が春に取り入ろうとしたり、いずれ春が持つであろう権利を甘言を弄して掠め取ろうとする輩が現れてしまったのだ。純粋に春を心配する人もおり、親がいない中、春は一人で敵と味方を見分けなければならない。それが原因で春が一時期人間不信に陥りかけた事を、一樹は知っている。
「俺には悩みを聞くくらいの事しかできねぇけど、それでよけりゃ全然相談に乗るぞ」
「……ううん」
春は少し考えてから、首を振った。
「私ね、一樹君に甘え過ぎだって、今気付いたの」
「甘え……?」
「うん、甘え。一樹君は私をいつも助けてくれるでしょう? どんな些細な事でも」
「……そこまでできた奴じゃないけどな、俺は」
「そんな筈ないよ。だって、お父様の時も、その後も、一樹君は私を助けてくれたじゃない。それに今日だって、私に合わせようとしてくれた」
思いも寄らない春からの評価に、一樹は恥ずかしくなってついそっぽを向く。
「でも、私は頼りきりになりたくない。ただ助けられるだけなのは嫌なの。だから私は、一樹君が困った時に頼って貰えるになりたい」
「それは……、まあ、分かるけどよ……」
一樹と春は“仲間”だ。助け合い、戦闘の時はお互いの背中を守る、平等な関係だ。
ただ助けられるだけでは、“仲間”とは言えない。少なくても、一樹はそう考えている。
「その為にも、自分で出来そうな事は一人で頑張ってみるわ」
「……そうかい」
春の決心は固そうで、一樹としても反対する気はない。
「なら俺は口出ししないさ。ただ、本当に困った時は呼んでくれ。絶対力になるから」
「──ええ。ありがとう」
春は、嬉しそうに微笑んだ。
■
「おや? 君は……」
コーヒーを飲み終わり、今日は送らなくていいと言った春と別れ、一人で車を取りに駐車場へ向かう道中、一樹は恰幅のいい男に声をかけられた。 四、五十代であろうその男の顔を、一樹は何処かで見た気がするが、パッと思い出す事ができない。
「えっと……」
「ハッハッハッ、思い出せなくても仕方ない。君とは一度会っただけだからね。君は、春ちゃんのお友達だろう?」
「……あっ、次期社長の……高橋さん?」
「おしい。私の名前は高蔵だ」
一樹に声をかけてきたのは、元奥村フーズの専務(つまりあの巨大ロボ)であり、奥村社長が事故以前次の社長に指名していた高蔵さんであった。
「奥村社長の……、事故以来だね」
「あ、ハイ。あの時は世話になりました」
あの事故の日、春を連れてきた一樹を礼も言わずに追い返そうとした他の幹部と異なり、焦燥した春に付き添う事を許してくれたのが高蔵さんだった。その為、一樹は彼にそこそこいい印象を抱いているのだが、春曰く
「それにしても、私はよくこのホテルのカフェを利用してるんだが、君はどうしたんだい?」
一瞬嫌味かと思ったが、今の一樹は制服を着ている。確かに学生が高校帰りに寄るにはハードルが高い店だろう。
「あー、春に誘われまして。ここのカフェでコーヒー飲んでました」
「おや、そうだったのか。彼女にも、学校帰りに遊べる友人がいて良かったよ。以前まで、彼女が友人を作ったという話を聞かなかったから」
春は社長令嬢として見られるのが嫌で、クラスメイトとは距離を取っていた。ちなみに最近は教室でも一樹に話しかけてくるので、もう少し他のクラスメイトと仲良くしてほしいと一樹は思っている。
「それで、一緒にお茶をするということは、君はかなり春ちゃんと仲が良いのだろう?」
「……まあ、はい」
まさか春にはフィアンセがいるのだから距離を取れ、とでも言ってくるのだろうか、と一樹は警戒する。
「彼女の事を学校で気にかけてあげてほしい。明るく
想定外の言葉に、一樹は肩透かしをを食らった気分になった。自分を懐柔しようとしているのかとも疑ったが、そんなことをする意味はないし、高蔵さんの声色は本気で心配している様に感じれた。
「まあ……。はい、そうします」
「ありがとう。では、また」
そう挨拶して、高蔵さんはカフェへと歩いていった。一樹は狐につままれた様な気持ちで、その背中を見送る。
「……しまった。フィアンセの事、聞いときゃ良かったか」
少なくとも、春が警戒している程の悪人ではないように、一樹には思えた。
3日に一度投稿できたらな、と思います