今日は天気が良かった。
朝から快晴で、雲一つない、澄み渡る空を見上げることが出来たから。
なんとなく、きっと良い日になるんだろうなと、アタシは一人思っていた。
◇
お昼休み、十咎さんを待たせないように、私は購買まで走っていた。
弁当組の私が、何故購買まで走ってるかと言うと、理由は単純。
母さんが手に怪我をしたから。
尤も、怪我をしたのではなく、させられたんだろう。
朝になって、私に青アザを見られるまで普通に料理して、普通にパートに行こうとしていたのだから、隠すつもりだったのかもしれない。
本当に今更な話だが、私に対するイジメはなくなっても、両親に対するイジメはなくならない。
いつか、なんとかしないと。
そう、走りながら考えていると、体中を寒気が襲った。
第六感にも等しい直感が、今すぐに逃げろと警鐘を鳴らす。
近くに居る誰かが、猛烈な敵意を私に向けている。
階段の踊り場でキョロキョロと辺りを見渡す私は、完全に不審者だが、なりふり構っていられない。
こんなことなら……十咎さんに付いてきてもらえば良かった。
まぁでも、後悔しても遅い。
一先ず、見知った顔が居ないことを確認してから、慎重に一歩踏み出す……はずだった。
一段下の階段に足を伸ばそうとした瞬間、誰かに背中を押され、体が宙に浮いた──浮いてしまった。
反射的に振り返って見えたのは、知らない顔の女子生徒。
彼女は、真っ青な顔色で小さく「ごめんなさい」と、呟いていた。
ああ、この子が私の代わりか。
脅されて仕方なくやったんだろう。
じゃなきゃ、そんな顔しない。
「私の方こそ──」
ごめんなさい。
◇
油断していた。
きっと大丈夫だろうと、タカをくくっていた。
「きっと」や「多分」なんて、信じられないと思い知ったはずなのに。
アタシはバカだ。
何度も同じポカを繰り返す。
一歩間違えれば、また一人、友達を失うところだった。
「ごめんな、桜」
保健室のベットで眠る桜は、頭に包帯を巻いていて、そこには少しだけ血が滲んでいる。
出血は微量なものらしいが、現場に行った時は彼女が死んでしまうんじゃないかと、気が気ではなかった。
だって、しょうがないじゃないか。
人間が簡単に死ぬことを、アタシは知っているんだから。
悲しいくらい、人間の体は脆い。
呆気ない人生の幕引きなんて、歴史の中に数えられない程ある。
死ぬ時は死ぬんだ、本当にあっさりと。
「本当に、ごめんな」
罪悪感が言葉を口にして、燃え盛るような憤怒が心を燃やし、憎しみとも言える感情が腹の中で煮えくり返っている。
ソウルジェムがゆっくりと濁っていくのが分かるが、どうでもよかった。
グリーフシードの予備はあるし、レナやかえでも、まだ学校にいるから、もしもの場合は呼べば来てくれる。
取り敢えず、先に怪我を治す。
そうと決めたら即行動。
包帯にかかる髪の毛を優しくはらい、血が滲む傷口部分を露わにする。
少しづつ体を前に倒し、包帯越しの傷口に唇を重ねた。
消毒のために使った薬品の味と血の味が混ざり合い気持ち悪いが──それ以上に、少しだけ美味しいと思ってしまった自分が気持ち悪かった。
「今はまだ痛いだろうけど、時間が経てば楽になるから……もうちょっと我慢してくれ」
いつかの時と同じように、優しく頭を撫でたあと、アタシは保健室を出た。
イジメの主犯格には見当がついてる。
問題になってもいい。
今からそいつをぶん殴る。
桜に手を出したことを、絶対に後悔させてやる。
◇
目が覚めて、最初に視界に入ったのは、見慣れた保健室の天井。
なんだろう……夢を、見た気がする。
凄く恥ずかしいけど、とても温かい。
心の芯からポカポカして、包み込まれるような夢。
まさか、おでことはいえ、と……十咎さんにキスされる夢を見るなんて、思いもしなかった。
もしかして、私は彼女とそういう関係を望んでいるんだろうか?
いや……ないな。
友達かすらも怪しいのに、そこまでの関係を望むなんて、本当に夢の見過ぎだ。
少なくとも、今の守られるだけの関係から、対等な守り守られる関係に変わらなければ、夢見た未来には辿り着けない。
「頑張ろう……かな」
「何を頑張るんだ? ズッコケ女王?」
「と、十咎さん! なんでここに……て言うか、ズッコケ女王ってなに!?」
「階段から盛大に転げ落ちた桜に付いた、新しいあだ名だよ、おめでとう」
「……全然嬉しくない」
まったくもって心臓に悪い。
隣に居るなら、起きた時に声でもかけてくれれば良いのに。
ま、まぁ、気付かなかった私も私だけど……うぅ。
ヤバイ、ヤバイよ。
誤魔化せたとは思うけど、顔、上手く合わせられないし、ドキドキがうるさい。
兎に角、落ち着くまで深呼吸しよう。
吸ってー、吐いてー。
吸ってー、吐いてー。
うん……うん……多分、大丈夫。
顔は熱くないし、ドキドキも静かになった。
今なら問題ない、はず。
変だと思われる前に、被っていた布団を取って顔を──
「……十咎さん? なにが、あったの?」
「なにがって……別に、なんでもないよ」
「嘘、下手なんじゃない? 証拠はキッチリ隠さないとバレちゃうよ? ……喧嘩したんでしょ?」
「喧嘩じゃない、じゃれあってただけさ」
先程までの緩かった空気はどこかに消えて、冷たい雰囲気が場を覆う。
とぼけたように言葉を濁す彼女の姿は、酷いものだった。
丁寧に纏められていたポニーテールの髪の毛は乱れ、顔には殴られたようにしか見えない赤い跡、トドメに掴み合いをしたのが丸分かりなほつれた制服。
これでじゃれあってただけは些か無理がある
もっと問い詰めることもできたが、私はしなかった。
だって、止める権利は私にないから。
彼女が──十咎さんが勝手にやってる事を止める権利は、私にないから。
だから、これ以上何も言えない。
いつもなら心地よく感じる沈黙が、今はただ……痛かった。
「時間を遅いし、今日は帰ろうぜ。歩けなさそうならおぶって行くから」
「うん……ありがと」
「どういたしまして」
そうして、曖昧な空気のまま、私たちは学校を出て帰路につく。
フラフラしてまともに歩けない私を、十咎さんがおぶってくれて嬉しかったけど……もどかしい。
ポツリポツリと会話を交わしても、イマイチ前までの距離感に戻れていない感覚があって寂しい。
どうにかしなきゃ、何かやらなきゃ、頑張ろうって思ったんだから。
決意した時には玄関の前だったけど、問題ない。
「傷の消毒と包帯の交換忘れんなよ?」
「わかってるよ、それくらい」
「ならいいよ。じゃ、また明日な」
「……ちょっと待って」
「どうかしたか?」
「もし呼ばれたら、私も一緒に行くから。……それだけ」
「ふふっ。そっか」
クスッと笑った彼女は、私の頭の傷を避けるように優しく撫でたあと、自宅に帰っていった。
ありがとうとは言われなかったけど、これで良い。
さーて、明日はなにを、話そうかな?