◆中藤
「では次の話もそれでお願いします」
「分かりました」
中藤は漫画編集者とのやり取りを終え、PC画面に表示されているウインドウを閉じるとヘッドフォンを外し息を吐く。ネームを見せる時がやはり一番緊張する。アイディアを出し自分が最も面白い内容を描いているが他人はそう思うとは限らない。
編集にとってつまらない内容かもしれない。編集が面白いと思っても読者にとってつまらない内容かもしれない。
中藤は週刊漫画雑誌に漫画を連載している漫画家であり、今連載している「帝都リベンジャーズ」は連載直後から爆発的な人気を博し、単行本3冊で売り上げ1000万部、すでにドラマ化やアニメ化が決定している。
世間では人気作家に分類される中藤だが未だに読者にウケないのではないかという不安を常に抱えていた。
中藤は背もたれに寄りかかりながら体を大きく伸ばした後に立ち上がり、部屋の中央にある作業机に移動しペンを握る。
今日の夜はどうしても外せない用事がある。現時刻は10時、最悪でも21時までにはノルマ分の原稿を描かなければならない。描けなければ明日取り返すという考えはない、少しの気の緩みが作業を遅らせ原稿を落としてしまう。原稿を落とせば会社からの信頼を失い何より読者の楽しみを奪ってしまう。それだけは避けなければならない。
息を大きく吸い込み白紙の原稿に絵を描き始める。
「よし、終わり」
時刻は20時、予定の時間で終わった。仕事道具を片付け意気揚々と仕事場から玄関に向う。予定より速いペースで描き終えた。やはりモチベーションが高いと作業効率も上がるものだ。
玄関を出てガレージに向かうとバイクに乗りエンジンを吹かす。カワサキ・ニンジャ400、中藤が長年乗っている愛車である。
バイクを発進させ大通りを進んでいく。東京であればこの時間帯なら夜でも交通量はそれなりだが、地方のN市であれば疎らだ。
ハンドルやタイヤから伝わる振動に若干の心地悪さを抱きながら走る。交通量が少なければ自然に重要度は下がり公共事業の一環である道路整備も後回しになり、路面はひび割れ荒れている。都心の道路は大概舗装され快適に走れた。改めて地方の片田舎を走っていると実感させられる。
家から20分程バイクを走らせ閉鎖したショッピングセンターに辿り着く。数年前に大企業によって作られ、近くの商店街はシャッター街となった。そしてこのショッピングセンターも別の企業のショッピングセンターとの競争に負け閉鎖した。此処に訪れる度に明日も我が身かもしれないと考えさせられる。
中藤はこの後の楽しみを考え感傷的な気分を拭い去りながら敷地の周りを走る。ショッピングモールの周りは浮浪者対策でフェンスと有刺鉄線で侵入できないようになっている。だが目の前のフェンスはぽっかりと穴が空いていた。そのスペースに躊躇なく入っていく。
敷地内に入るとかつてのショッピングセンター、今では外装は剝がれコンクリートが剝き出しの廃墟と化している。かつての出入り口だった場所から廃墟に入りブルーシート、正確に言えばブルーシートに被せられている何かに向かい剥がす。そこには愛車とは別種のバイク、俗に言う族車と呼ばれるバイクと特攻服が置かれていた。
中藤はニンジャ400にブルーシートを被せ族車のシートに乗りながら特攻服を手に取る。背中には「
あの日あの時から人生は大きく変化した。中藤は感慨に耽りながら袖を通した。
数年前に職業は何かと問われれば答えに窮していた。高校を卒業しバイトをしながら描いていた漫画が大手週刊少年誌の賞を受賞し、そこから何本かの読み切りを描き、ついにその雑誌でデビューを果たし上京した。
ついに念願の漫画家デビューを果たした。だがプロになるよりプロであり続けることが如何に困難かをまざまざと実感させられる。
最初の連載は半年も経たず打ち切られ、2回目の連載も同じように半年も経たず打ち切られた。そして次の連載を得る度にネームを描き会社に提出するがボツを食らい続ける日々が2年続いた。
漫画家の収入源は漫画を描く原稿料と発売した単行本の売り上げであり、雑誌で連載していない近藤の収入源はなかった。
会社から多少の給与が出るがそれだけではとても生活できず、今までの原稿料と単行本売り上げで生活を賄っていた。
徐々に減っていく預金残高、積み重なるボツネーム、日々が経つごとに漫画家としての自信を失っていき、ある日完全に心が折れ漫画家を辞めて実家のN県N市に帰った。
それからは実家で暮らしハローワークに通い仕事を探す日々を送る。漫画家としての才能は無かった。まだ取り返しがつく時に普通の職に就くべきだ。この判断は正しい。そう自分に言い聞かせ続けていた。
職探しの日々が続くなか中藤にとって唯一の気晴らしがバイクだった。愛車のカワサキ・ニンジャ400は上京した時に買ったものだ。
バイクはマンガと同じぐらい好きだった。首都高をバイクで走るのが密かな夢だったが苛酷な習慣連載とボツを食らい続ける日々でバイクに乗る気は削がれ、アパートの駐輪場でずっと埃被っていた。昼はハローワークに行き、夜はバイクでN市近郊を走り回っていた。
才能の無さ、未来への不安、挫折の苦悩、バイクで走っている時は現実の辛さを忘れさせてくれる。
中藤が漫画家を目指す切っ掛けは中学時代に読んだあるヤンキー漫画だった。登場人物のセリフや生き様が幼き心に深く刻まれていた。不良ものと呼ばれるジャンルの作品の大半は読み、特に暴走族に強く惹かれるようになった。
特攻服とバイクの組み合わせはドストライクだった。そのクールな存在が己の存在を世間に刻み込むように暴走する姿はカッコよさで背中が震えた。冷静に見れば唯の犯罪者集団なのだが、兎に角カッコよく楽しそうだった。
高校は暴走族になりながら漫画の勉強をして、高校卒業後はヤンキー漫画を連載してメジャー作家になる。それが中藤の人生設計だったが、高校に入った際に喧嘩は痛そうで嫌だなとか自分みたいなヒョロガリが入ったら嫌がられそうとか、近場に暴走族が居ないなど様々な言い訳という名の尻込みで暴走族には入らず、漫画のスキルを上げるという意味で美術部に入りそのまま卒業まで所属し続けた。
その日も夜のN市を愛車で走り回っていた。すると後ろから金管楽器のような音と唸るようなエンジン音が聞こえ、それがどんどん大きくなっていく。何事かとミラーで後ろを確認し目を見開く。
特攻服の集団が我が物顔で走っている。暴走族だ、最近は減少傾向で絶滅寸前とニュースで言っていたが地元に実在するとは。暴走族は「邪魔だノロマ」と罵声を浴びせながら法定速度を完全にオーバーした速度を出しながら抜き去っていく。その後ろ姿に唯見惚れていた。
夜の風景に溶け込む白の特攻服とテールランプの輝きは何て神秘的なのだろうか、それに何て楽しそうなんだ。先頭に居たポニーテールの少女とウェーブヘアの少年を中心に皆が笑顔で騒ぎ走り、まるでこの世で最上級の娯楽を楽しんでいると云わんばりの満面の笑みだった。その姿は憧れていた暴走族の姿そのものだった。
気が付けば法定速度を完全に無視した速度で暴走族を追っていた。暴走族は信号を無視しながら走り続ける。それに追いつこうと同じように信号無視する。信号無視に速度オーバーなどの数々の違反行為のオンパレード、警察に見つかれば一発で免許停止だ。
平常時なら間違ってもしない行為だ、そう分かっていながら吸い寄せられるようについていく。頭がどうにかなったのかもしれない。
それから暴走族に後ろを必死についていく。30分が経過しただろうか、明将山の麓あたりで暴走族は止まる。遅れて30秒ぐらいでつくとそこには暴走族が待ち構えていた。その目は殺気立っていた。
「てめえ!何の用だ!?」
「煽ってるつもりか!」
「フクロにすんぞこら!」
暴走族は威嚇するように周囲を取り囲み威圧的な言葉を吐きかける。その迫力に思わず足が震える。それは漫画で見た怖い暴走族そのものだった。
「何の用だ
「喧嘩売ってんのか?」
すると取り囲んでいた暴走族が2人に道を空ける。その2人は先頭を走っていた男女だ。周りの反応と雰囲気から彼らがこの暴走族のトップだろう。そして何て威圧感だ、漫画のシーンで下っ端が頭に迫られてちびった場面があったが、その気持ちが痛いほど分かる。
「俺を!チームに入れてください!」
頭を思いっきり下げて心から湧き出た衝動をそのまま口にして言葉にする。楽しそうに走る彼らの姿は理想の暴走族だった。それと同時に後悔が押し寄せる。もし高校時代に言い訳を並べず暴走族になっていれば、黄金時代と呼べるような楽しい時間を過ごせたのかもしれない。自分も一緒に走りたい。
それと同時に様々な言い訳が過去と同じように体を縛る。世間体、常識、周囲の視線、だが今回は言い訳を衝動がねじ伏せる。漫画家としての夢が破れ暴走族になっていれば良かったと後悔を抱え生命活動が終わるまで心が死ぬ。そんな虚無な人生は嫌だ。自分だって幸せになったっていいはずだ。
周りからは嘲笑が漏れる。当然だ暴走族のメンバーは全員10代だ、20代後半の男がやるものではない。そんな者は世間から爪弾きにされる異常者に過ぎない。
「何笑ってんだ!」
すると少女から怒号と呼べるような大声が発せられ、メンバーは思わず黙り、リーダー格のウェーブの少年も驚きで目を見開いている。少女はこちらに近づき座り込み見上げる
「よう、あんた。暴走してえんだよな?」
「はい!走りたいです!」
「ならよし!
少女は振り返りメンバーにルールを認知させるかのように大声で伝える。メンバーも少女の気迫に吞まれたのか笑い声はピタリと止み沈黙が無言の肯定となっていた。
「あんた名前は?」
「中藤です」
「中藤か、アタシは皆から
少女は先程までとは一転し年相応、いや外見より幼い笑顔を見せながら拳を突き出す。その拳に自分の拳を合わせた。
こうして覇威燕無礼棲に入団した後は定期的にチームのメンバーと走った。皆と走るのは1人で走るより遥かに楽しかった。同じ目的や快楽を共有する仲間が居るだけでここまで違うとは思わなかった。
最初は年齢の違いもあり周囲と馴染めなかったが、暴走族女神が積極的に話しかけてくれ、そのせいかチームのメンバーとも打ち解けていく。学生時代も楽しかったが、人生においての黄金時代は今まさにこの瞬間だった。
そして黄金時代を満喫するなか、ハローワークに通う代わりに漫画を描き始めた。最初はヤンキー漫画を描くのが夢だった。
だが今の時代には流行しないとボツを食らい。時が経ちヤンキー漫画を描きたいという夢は無くなり、漫画家として成功したいという想いが強まり、今の流行を研究し描きたくもないジャンルのネームを描き続けていた。
覇威燕無礼棲での暴走を通して初心を思い出す。あの時は本当の暴走族を知らなかった。だが今は最高の暴走族を取材できている。これならば最高のヤンキー漫画を描けるはずだという理由なき確信があった。
そして描いたヤンキー漫画を出版社に送ると絶賛され瞬く間に週刊少年誌の連載が決定し、連載直後に爆発的な人気を博している。
週刊連載はキツイ、短期打ち切りで終わった時とは違い取材など原稿を描く以外の仕事が増え多忙だ、それでも覇威燕無礼棲の活動には出来るだけ参加している。それは取材という意味もあるが、単純に楽しく原稿を描く活力になっていた。もし覇威燕無礼棲が無くなれば即座に休載する。それ程までに拠り所になっていた。
「おう中藤、今日はきたか」
集合場所に着くと暴走族女神が屈託のない笑顔を浮かべながら肩に手を回す。
「すみません。本当は毎回行きたかったんですが、仕事がありまして……」
「かあ~、大人は仕事とか大変だな。アタシは高校生だから仕事も何にもねえからいつでも走れるぜ。どうだ羨ましいだろ?」
「はい、マジで羨ましいです」
「そうだろそうだろ」
暴走族女神は自慢げに胸を張りながら背中を叩き、他のメンバーに声をかけに行く。確かに高校時代に出会っていれば毎日走れた。本当に羨ましい。だがこうして出会えて黄金時代を体験している。それだけで充分であり心の底から感謝している。
「よし!
暴走族女神の掛け声に喉が張り裂けんばかりの声で応えた。