金の粉を撒き散らしながら、クラゲめいた侵入者が人工湖へ飛翔していく。
それを爆煙の立ちこめる闘技街で
「燐香さん……」
巨人体はなんとか右腕の鉄拳を放つことが出来たが、それ以上の力は戻っていない。
巫女として契約したときに捧げた力だけでは、この状況を打破できなかった。
だから汐は告げた。
「"でいだら"、吸って」
汐自身の右腕を包む硬質な肉繊維を、汐は左手で掴む。
肉達がさざめく。
「吸って。私の血を――――形態変化」
巨人の肉が蠢く。
汐を取り巻く中心部の肉壁が一斉に波打ち、細い肉繊維をあちこちから投げ打つ。
汐の手足や胴体、頭や首に絡み付き、絞め殺す勢いで鷲掴みにする。
蜘蛛の巣に捉えられた蝶を思わせる眺めだった。
「っ!」
遠慮の無い締め付けがもたらす激痛に、汐は歯軋りしながら耐えた。
そして汐を雁字搦めにした肉繊維は、細い針のようなものを彼女の皮膚に突き刺す。
「ぁっ!!」
鋭い痛みに汐は仰け反る。肉らは一顧だにせず次々と汐の肌へ刺し続けた。
その針は汐の血を吸い始める。
赤い血ではない。
常人では目に出来ない、霊なる血の方だ。
「ぅ、ぁ、ぅあ……!」
凄まじい喪失感と嘔気に汐は呻く。
目に見えない血を吸収した巨人に変化が起きた。
巨人の背中が、破裂。
ばっくりと縦に裂け、肉片を細かく撒き散らす。
その中から現れたのは、螺旋状の貝殻だ。
巻き貝に酷似しているが、巨人の胴体ほども太い。
それが背中から異音を立てながらそそり立ち、縦に背負うように現れた。
貝殻は巨人の腰あたりで始まり、鋭く尖った先端は身長の2倍まで伸びている。
そして腰にある貝殻の根元からは、筋肉質の腕が10本生えていた。うち2本はひときわ長く太く、先端に無数の吸盤を備えた肉腕だった。
古代生物の
「――――"でいだら"第二形態」
蒼白の相貌で激しく息をつきながら、汐は瞳を青く燃やし、湖面を睨み付ける。
クラゲめいた侵入者は巡洋戦艦に落下し、マストや煙突をへし折って取り付いていた。
「翔ぶよ、"でいだら"」
10本の肉腕の根元から、漏斗状の突起が伸びる。
巨人の胸元が裂け、大きく空気を吸い込む。甲高い吸気音と共に、漏斗の中が赤熱化。紅く輝く。
そして音と光の高鳴りが最高潮に達したその時。
弾かれる。巨人が。
見えない足に蹴り飛ばされたような唐突さ。
彗星のような尾を真っ赤に引いて、4000メートル先の巡洋戦艦まで5秒とかからない超高速で突進した。
汐の視界に醜悪な触手に迫られている燐香が見える。
汐はロケットめいた深紅の推進炎光を停止。加速をやめた。
衝突。
「―――――そのひとに触るんじゃない!」
鋭い螺旋状の貝がクラゲもどきの本体に突き刺さる。
「っぅあッ!!」
螺旋貝の先端が赤く輝く。
貝殻全体の3分の2を覆った光は鋭い高音を立て、切り離された。
貝が独自の高速砲弾となってクラゲもどきを吹き飛ばす。
衝突目前で加速をやめたとはいえ、それでも圧倒的な速度とパワーを持つ巨人体に貝砲弾の加速が上乗せされた。深々と穿たれた侵入者は艦橋を飛び越え、艦首方向に放り投げられる。
ニュートンのゆりかご――振り子を隣の振り子へぶつけると、ぶつけられた振り子だけが吹き飛び、ぶつかった振り子はその場で静止する装置――のように自身の運動エネルギーをクラゲもどきへ与えた汐は、その場で停止。侵入者と入れ替わるように巡洋戦艦へ着地する。
傘の無い異形のクラゲは艦前方の海面に落下。
水面に浮かぶそれへ艦首が27ノットで突き刺さる。強い衝撃。露天艦橋から跳ね飛びそうになる燐香を、汐の左腕の触手群が支えた。
ヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰ!!!!!!!!!!!!
排水量2万6000トンの巡洋戦艦の突進がタコ足の大部分を押し潰す。
しかしクラゲもどきは潰されなかった部分を軟体の動きで艦首に取り付かせ、甲板へよじ登る。
「燐香さん!」
汐の叫びに、燐香は我に返る。
艦首には2基の主砲がある。照準は既に甲板を這い上がる侵入者へ向けられていた。
燐香は歯を食いしばる。
手足の感覚がない寒さと震えの中、彼女は叫んだ。
「撃って!!」
4門の14インチ砲が火を噴く。
強烈な発砲炎と衝撃波。爆音と共に船体全体が大きく揺さぶられ、音速の2倍以上の初速で放たれた673kgの徹甲弾が触手の大塊に直撃した。
ゑゑヰヱヰゑヰゑゑヱゑヰヰヱゑゑヰヱゑヱゑゑゑヱゑゑヱゑヱゑヱヱヱヰヰヰヰヱヱッ!!!!!!!!!
絶叫と共にクラゲもどきの体が空中へ吹き飛ぶ。
着弾の衝撃で触手の塊である本体がバラバラになった。人工湖の上に触手の破片が花火のように散る。
「あ」
が、燐香は気付く。
その触手たちが空中で細く薄く広がり、再結合を果たそうとしていた。
着弾の瞬間クラゲもどきは意図的に体の強度を下げ、徹甲弾の信管が動作しないようにしたのだ。
それでも巡洋戦艦の主砲は運動エネルギーのみで触手の群れをバラバラにする力があった。だが再結合が不可能になるまで引き千切られたわけではない。
汐に初めて敗れたときもそうして再結合し、復活を果たしたのだ。
燐香の攻撃を侵入者は凌ぐ。
「……逃がさない」
汐、双眸をさらに青く輝かせる。
汐の髪が白く光り始める。ヘアゴムが切れ、ふたつ結びにしていた髪が帯電しながら浮遊。茶色の髪の毛は異様な速度で伸び、色素を落として白く白く煌めいていく。
その白い輝きは汐を縛り上げる肉繊維を通し、背部の長大な肉腕へ注ぎ込まれる。
肉腕の先端に密集した吸盤状の突起から強烈な放電が起こり、2つの先端を網目状に広がる異形の侵入者へ向けた。
2本の肉腕の間で光と火花が激しく飛び散り、空気が異臭を放つ。
左腕の触手群が燐香の周囲を完全に覆い尽くし、その火花から彼女を守った。
光はさらに強力になり、2本の肉腕はひとかたまりの煌めきへ変わる。
人工湖の湖面がその光度を反射し、闘技街を含めた周囲一帯を光で塗り潰す。
輝きの巨砲。
「――――"あいがいおん"」
閃光の塊が迸る。
発射の反動で巨人体が後方へ吹き飛ぶ。
第3煙突と後部マストを叩き壊し、艦のずっと後方の湖面へ水柱をあげて着水。
そして真横に走った光の火球は、水面と空間を叩き割りながらクラゲの触手を呑み込む。集結中だった触手は火球本体に触れる前に蒸発。火球が通り過ぎたときには一つ残らず灼き尽くされていた。
特大の流星は人工湖を飛び越え、遊技場の街の遙か彼方まで走り、天井画へ見事に突き刺さった。
たゆたう雲と龍が描かれた天井画は焼け焦げて炭化し、破片が市街地へ落下。雷鳴のような轟きと衝撃が遊技場の街に響き渡る。
「………やった、の?」
ごうごうと唸る人工湖で、燐香は舳先を見やる。
空中に残るものは何もない。主砲と光熱に蹂躙された水面が激しく揺れ動くが、巡洋戦艦はそれに耐えている。
船体は全ての煙突とマストを破壊され、濛々と黒煙を上げている。
「あ、汐は!?」
燐香は黒煙で視界が悪い中、艦の後方へ吹き飛んだ汐を探す。分からない。湖面は広く、艦は動き続けている。
焦る燐香の周りに、黒衣の船員達が集まった。そのうちの一人が、ある方向を指さす。
そちらへ眇める燐香。しかし遠くよく見えない。双眼鏡を手渡された。ありがとう、と微笑む。
「いた!」
借りた双眼鏡で、燐香は汐を見付ける。
巨人体はほとんど崩壊していた。彼女の体の周囲にまるで救命ボートのように一部が残り、湖面になんとか浮いている。
「この船まだ動ける? 汐を助けて、さっきの港まで戻――――」
ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ!!!!!!
燐香の指示は、異形の雄叫びにかき消された。
息を呑む燐香。叫びの源は、艦首の下だ。
そこから這い上がってくる1本のタコ足を、燐香は目にした。
艦の突進で押し潰され、底面に押しやられていた残骸だ。
その部分だけが大蛇のようにのたうちながら、甲板を昇り、艦橋へ走る。
主砲の照準は間に合わない。牙のついた吸盤が一直線に燐香へ襲い掛かる。
「っ!!」
が、その魔手が燐香を貶めることはなかった。
タコ足が肉薄する直前。
燐香の目の前の空間に、
―――――水色の亀裂が走ったのだ。
「……あ」
その罅割れた裂け目の向こうから、飛び出てくる。
黒い剣が。
何本も。
高速で放たれた漆黒の刀剣はタコ足を容赦なく串刺しにし、固定。艦の上空へ持ち上げる。
水色の空間断層から伸びているのは、黒いつる草だった。その先端の刀剣めいた硬質の突起が、タコ足を刺し貫いている。
ゐヰゐヰヰゐ!!! ヰヰヰゑゑゑヰヰゑゑゑゑゑゑ!!!!!!
悲鳴をあげるタコ足。
恐怖と戦慄のそれ。
知っているのだ。タコ足は。自身を貫いているのが何なのか。
そして水色をした空間の裂け目から、新たなものが伸びてくる。
…………腕だ。
処女雪の上に月光を淡く塗したような、優美でしなやかな繊手。幽玄の白さ。
この世のものとは思えない美しい手を見て、
タコ足は恐怖し、
燐香は恐怖を吹き飛ばして破顔する。
「――――――ミッカ!」
空間の向こうから伸ばされた白い腕から、何かが生える。
樹。
枝葉を備える、ナンテンめいた一振りの枝だ。真っ赤な実をしならせている。
その赤い実が、激烈に輝く。
ゑゑ!!!! ゐヰゐ!!! ヰヰゑゑゑゑゑゑヰゑヰヰゐヰヰゐヰヰゐゑゑヰヰゐヰヰゐゑゑヰヰゐヰヰゐゑゑヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰヰ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
半狂乱。
黒剣に貫かれたタコ足が肉を抉り取られるのも構わず足掻き、そこから逃れようとする。
黒い剣と赤い実を、タコ足は知っていた。
それらを従える白い腕が、燐香との蜜月を終わらせたのだから。
ヰヰヰ!!! ゑゑ!!!! ゐヰゐ!!!!!!
タコ足がぶくぶくに膨張し、その肉の密度を下げる。
半液体のようになった肉は黒剣による固定から逃れ、再結合を図ろうとする。先の14インチ砲を回避したのと同じ方法で。
だがその前に。
白い繊手が翻る。
スライム状になったタコ足に、青い
Y字をした
クラゲもどきの侵入者が肉体の密度を下げようとするものの、青く光る飛礫が刺さった肉には密度操作が上手く働かない。形質変化を妨げられ中途半端に膨れ上がったタコ足を、黒剣が改めて串刺しにした。
そして。
赤い実が、弾ける。
――――深紅の火柱。
中空で炸裂した猩々色の波動は、人工湖の湖底と天井画を一直線に繋いだ。
湖の水は水蒸気爆発を起こし、分厚い天井が粉々に破砕され巨大な爆発を起こす。天からの黒い爆裂と湖上からの白い烈波が激突。人工湖を中心に膨大な衝撃波が辺り一面に撒き散らされ、爆発で発生した津波が岸辺のあらゆるものを薙ぎ払った。
……しばらくして、その大爆発が収まる。
爆心地にいた巡洋戦艦は、しかしほとんど無傷であった。
船体の全てを薄く細かい糸が覆っている。
その糸の表面には、半透明の被膜があった。
被膜は大爆発の直撃を受けても無傷であり、いかなる熱も衝撃も巡洋戦艦にもたらせはしなかった。
無論、燐香も無事である。
「……ミッカ」
割れた空間から伸びる白い腕へ、燐香が手を伸ばそうとする。
が、それよりも先に、黒いつる草、半透明の皮膜、ナンテンめいた樹もろとも、白い腕が空間の裂け目の向こうへ消えていく。水色にひび割れた空間も瞬く間に健常に戻る。
闖入者が消えた。
「………さ」
湖面で気を失ったまま、汐の唇が呟く。
「"さんがむりや"……」
涙が一筋だけ零れ落ちた。