アソビガの少女たち   作:鈴本恭一

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第6話:燐香の奉納

 土曜日の休みの昼、(きよ)はアソビガのでいだら区にいた。

 

 動きやすいTシャツとデニムパンツの上に千早を纏い、大通りを手持ち無沙汰に歩く。

 今日は討伐戦がなく、大口の稼ぎ口がなかった。

 別の区域で催されている戦争ごっこに参加してみるべきか、とも思ったが、あれらは人間の兵器同士を戦わせるのが趣旨なので汐は参加できない。区長が開催するイベントは場長主催に比べて賞金が低い場合が多いのも、汐のやる気を削いでいた。

 

 要するに、汐は今することがないのだ。

 

「やだなぁ」

 

 陰鬱とした気分で大通りを歩いていると、

 

「あーっ! 汐! やっほー!」

 

 おもむろに朗らかな声を耳にする。

 汐は大通りの向こうからやってくる、茶髪のポニーテールを目にした。

 

「燐香さん!?」

 

 汐は驚き、駆け足で燐香へ近付く。燐香は大きく手を振り、泣きぼくろのある目を緩め、満面の笑顔で迎えた。

 

「良かったぁ、すぐ会えた」

「こっちに来れたの?」

 

 燐香も私服だ。ガーリーなベレー帽とパーカー、短めのキュロットという都会風のコーディネート。肉付きのいい白い生足が汐には眩しかった。

 

「部屋に変な鍵があって、クローゼットに差し込んだら、あの駅に出られたんだ。ねえ、お昼食べた? 作ってきたんだけど、一緒に食べない?」

 

 燐香はバッグから包み取り出して見せる。汐は再び驚き、

 

「いいの?」

「この間のお礼。一食くらいじゃお礼に全然足りないけど、今はこれで、ね」

「嬉しいなあ。じゃあ見晴らし良いとこ行こっか」

 

 途端に楽しい気持ちになった汐は燐香の隣に並び、黒塗りのタクシーへ手を掲げた。

 

 

 

 汐が燐香を連れてきたのは、闘技街にある瀟洒でクラシックな高層ビル──―クライスラービルディングだった。

 ニューヨークでも屈指の知名度を誇る77階建て高層ビルは、寺院の尖塔を思わせるアールデコ調の最頂部が特徴的で、全長は320メートルある。無論、本物ではない。

 イベントがない期間の闘技街は、他の区域と同様に人界を模倣した市街地である。1920年代のニューヨークをモデルにした区域で、無数の黒い自動車と黒衣の妖者が通りを闊歩していた。

 それらを見下ろすクライスラービルの展望台で、汐と燐香の2人は昼食を摂っていた。

 

「ここ展望台っていうより、普通の会社のオフィスじゃない?」

「ときどき実際のと違ったりするから」

 

 燐香は業務机とソファと木製ベンチがちぐはぐな配列で並ぶ展望台をきょろきょろ見回す。汐は慣れた様子でベンチに座る。汚れどころか塵ひとつない、清潔すぎるベンチ。

 そんなベンチから、摩天楼の建ち並ぶ大都会が見える。2人が出会った、あの巨大な時計塔も。

 バイオリンが展望室に流れる。絶景と美音。

 

「見晴らし良いでしょ。ここでたまにお弁当を買って食べると、味気ないやつでも美味しくなるんだ」

「すごい……ずっと街が続いてる」

「そういえば燐香さん、場長から銀貨もらった?」

「うん、こっちに来たら上着のポケットの中にあった」

 

 燐香はパーカーから模様付きの麻袋を取り出す。

 

「それそれ。最初に配られる遊銀。懐かしい」

「これって、ここに来るたびにもらえるの?」

「ちょっとだけね。でもすぐ使い切っちゃうから、奉納して銀貨を稼いでる人も多いよ」

「奉納?」

 

 汐、バイオリン奏者を指さす。タキシードを着た壮年の男性。人間だ。美しいストリングの音色。

 バイオリン奏者の周囲には黒頭巾の妖者がいる。音もなく銀貨を奏者の足元の帽子に放り投げていた。

 

「歌ってる人もいるし、絵を売ってる人もいる。値段はよく知らない。やったことないから」

「汐は、何かしてるの?」

「合戦とか討伐とかの戦うイベントが多いかなぁ。でいだらは強いし、私はでいだらの区域だったら全部ただで使えるから、結構貯まるんだ」

「ただで遊べるのに、そんなに稼ぐの?」

「景品と交換できるんだ。欲しいのがあって」

「なに?」

「"けらうのす"」

 

 汐は燐香の弁当を広げ、食べる。

 卵焼き、唐揚げ、キュウリとマカロニのサラダ、バジルソースの掛かったミニトマト。ゴマと鮭フレークのおにぎり。

 

「……美味しい」

 

 それらをそっと頬張り、思わず漏らす。

 汐にはやや薄口だが、どのおかずにもしっかりと味が染みており、優しい口当たりだった。

 

「ほんと? 良かった」

 箸を止めずに食べていく汐の様子に、燐香はほっと息をつく。

 

「燐香さん料理うまいんだね」

「えへへ」

「でももうちょっと濃い味が好みかな」

「あ、ごめん。薄かった?」

「ううん、私、味覚が鈍いの。普通はこれでいいんじゃないかな」

「良かった。うちに来た人にもけっこう人気なんだ」

「燐香さんの家、お店やってるの?」

「ちょっと違くて……私はね、元気のない人を元気付けるのが趣味なの」

「?」

「町に行ってね、元気のない人がいると、なんとなく分かるんだ」

 

 燐香も自分の膝で弁当を開け、小さくおかずを捌き始める。

 

「でね、その人とファミレスとかでご飯を一緒に食べたりして、それでもまだ深刻だったら、うちに誘って一晩一緒に遊ぶの。あ、いやらしい意味じゃなくてね」

 

 言ってから、燐香は慌てて修正する。

 

「ゲームしたりDVD見たりするんだ。お菓子食べたり茶飲んだりしながら。朝になったらご飯を作って一緒に食べて、少しだけお喋りして、それでお別れ」

 

 一口サイズにした卵焼きを頬張り、しっかりと噛んで食べる燐香。

 

「元気のなかった人がね、そんなことでもちょっとだけ元気になってくれてたりするから、とても嬉しくなるの」

 

 鮭フレークがまんべんなく混ざった握り飯を食べ尽くすと、汐は燐香の言ったことへ返すべき言葉を探す。が、何も思いつかなかった。

 

「……想像つかない。燐香さんはすごいことしてるんだね」

「そうかな。変なことしてる自覚はあるけど」

「危なくない?」

「友達にもよく言われるけど、これでも危険がないようにやってるつもりなんだ。誘うのは女の人だけだし。でもこの間そうやって町を歩いてたら、あれが来て────ん?」

 

 ふと気付くと、背の低い妖者が1人、彼女らに近づいてきた。ハンチング帽を被った子供服の妖者だ。

 

「なあに?」

 

 と燐香が状態をかがめると、その妖者は彼女の弁当を指さす。

 そしてもう片方の手で、遊銀貨を差し出した。

 

「遊銀と交換してほしいって、お弁当を」

 

 汐は燐香に妖者の意思を伝える。

 燐香は申し訳なさそうにし、

 

「……ごめんね。これは汐にあげたやつなんだ。私のも食べかけだから、もう駄目だし」

 

 燐香の応えに、妖者は力なくうなだれる。

 燐香はしばし考え、

 

「明日だったら、作って持ってこれるよ?」

 

 妖者は弾かれたように黒頭巾の顔を上げて、大きく頷く。その反応の良さに燐香は思わず微笑む。

 

「じゃあ明日のお昼、汐の、でいだらのホテルの前で待ってて」

 

 妖者は再び大きく頷いて去っていった。

 それを見送った燐香が、汐へ嬉しさを隠せない表情を向ける。

 

「欲しいなんて言われたの初めて」

「いいの?」

「大丈夫大丈夫。汐と遊べる口実ができたもの」

 

 あどけない微笑みで言われ、汐は頬が熱くなる。赤くなった汐の顔を見て、燐香はさらに深く微笑んだ。

 

 

 

 

 

 次の日、でいだらホテル前。

 汐と燐香は驚きに言葉を失ってた。

 

「わぁ」

「すごいことになってる」

 

 妖者らが、行列を作って待っていたからだ。

 

「解散させようか?」

「……お弁当を作って持ってくるのじゃ間に合わないから、こっちで作れないかな」

「作る? アソビガで?」

「駄目かな……?」

「ううん、大丈夫。ここはアソビガだもん」

 

 そう決まると、燐香は急いで食材を買いに人界へ戻り、汐は区域を駆け回って調理用ガスコンロや鍋、フライパンなどの道具を取り揃えた。

 

 

 こうしてホテル前に、燐香の屋台が出来たのだった。

 

 

 

 燐香はアソビガに来るたびに店を開き、妖者たちに料理を売った。

 妖者は大した量を食べないので、燐香1人でも店を回せた。多くの妖者が彼女の店に並んだ。

 

 人間たちも時々やってきた。みな肉の味が恋しいのだ。

 汐も憩いの場として利用し、手伝いもした。閉店後には、燐香は汐へ特別な一皿を振る舞ってくれる。汐はそれが楽しみだった。

 

 

 燐香の遊銀貨が貯まると、汐と2人で様々なところへ遊びに行った。

 浅草と大阪の凌雲閣、

 帝国ホテル、

 ラスベガスのリゾートカジノ、

 シドニー・オペラハウス、

 新世界ルナパーク、

 ムーランルージュ、

 ボリショイサーカス……

 

 

 汐は燐香と一緒にいるのが楽しかった。

 誰かと気兼ねなく遊ぶのはどれくらいぶりだろう。

 きっとあの夏以来。

 

 

 楽しかった。

 

 

 

 そんなある日。

 

 

 

 

 

 燐香が、妖者に襲われた。

 

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