Act-01
今より少し前、ある人がこう言った事がある。
「世界は狭くなった」、と。
主たる例としてはインターネットだろうか。
家から一歩も出ずに地球の裏側にいる人間と交流が出来、物を売買し、金を稼ぐ事だって出来る。生活の殆どをソレに費やす人間だって少なくないだろう。
又は、移動手段を挙げる人物もいるかもしれない。
海陸空、たとえ“秘境”と呼ばれるどの様な場所に行こうとしても、移動に半年もかかる様な場所が今この地球上にあるだろうか。
寧ろ、今は「危険域」だか「機密」だかで、行く“準備”に時間がかかる様な場所ばかりがあるのかもしれない。ある意味、“窮屈”になったと言えなくもない。
もう一つ挙げるなら、人の「視界」があるだろう。
ある国では少子高齢化だか何だか騒がれているが、世界的に見れば人口は明らかに増加する傾向にある。つまりそれだけ「他者の目」が増える。
それこそ、自宅ですら他人を気にしざるを得ない人達も普通にいるどころか、それを最早「習慣化」して、積極的に他者とプライベートの一角を共有する風潮もあったりする。
だが、何も広がるのは「他者」の物だけではない。
試しに、近くの図書館に足を運んでみようか。そこには、基本的に無料で読める本が大量に並んでいる事だろう。
では、次は近くのショッピングモール。国産は勿論、日本向けの海外ブランド品、果ては外国語のラベルが巻かれた輸入品も並んでいるだろう。
家に帰ってきたら、テレビを点けてソファーにくつろごう。ニュース番組では、名前も聞いた事がない様な国の内戦やら、何処かで開かれている芸能人や大臣の会見やらを特集している事だろう。
勿論ながら、親や祖父母が自分達と同い年の頃に此処までの物が揃っていた訳が無い。
今の人々は、やろうと思いさえすれば膨大な情報を短時間で手に入れられる。幾らでも「世界」を知る事が出来るのだ。
……そんな訳あるか、ごちゃごちゃ下らない事言いやがって。
ここまで根気良く読んだ読者の殆どがそう思ったに違いない。
確かに、一見すれば根拠がある様に見えるのに、実際は「世界は平和でない」事と同じ位の常識で「世界は狭くない」は社会に浸透し、そしてそれは実際に事実である。
……何故だろうか?
生憎、この文章は論証文ではないので早々と答えを言うと、此処までの“下らない”議論にはある一つの「前提」が存在し、それがこの主張の“現実味”を奪っているのだ。
つまりは、「世界が一定ラインより広がらない」という事である。
無論、実際は宛らビッグバンを起こした宇宙が如く人間の“知る”速度を遥かに超えて広がっており、今後暫くの間は人間が「謎」に飢える事態は起きそうもない様子だ。
嘗て、この世界の現状を「情報の氾濫」と表現した人もいる。
人間は処理能力を超えた情報量に押し流され、逆に情報に支配されかけて仕舞っているといった風である。
これだけでもSF小説が二三本書ける気がするが、本題はそこではない。
例えばの話をしよう。
宛ら、「ノアの洪水伝説」の様に「情報の氾濫」が起こるこの世界、人々は自ら作った「船」で必死に荒波に耐えている。
勿論、その船には「神の加護」とやらはなく、「水」が入ったり穴が空いたりする度に必死になって人々は作業に追われている。
然も、タチが悪いことにこの水は「フィルター」を通さない限り、ゆっくりと脳を蝕んで行く「
いつ転覆するのかも分からない、そんな状況に怯えながら、人々は屋根から響く雨音の下で小さくなっているのだ。
中には、小舟を出して少しでも安全な場所を求めて彷徨う勇気ある、又は無知無謀な人もいるかもしれない。
安全さえあれば、この「
だが、大半の人々は大船で集まって過ごす。そうした方が安全だし、仕事も危険も減るからだ。
でも、心の底では不安と不信が募っている。船は沈むかもしれないし、
だからこそ、彼等は夜な夜なこう願う。
安全な、揺るがない「大地」が欲しい。
「
自分達の代わりに、「
毒にやられた他者を見分け、引きずり出す「憲兵」が欲しい。
そして、彼らは夢想する。中世のヴェネツィアの様に強大な、「
BIOHAZARD CODE:M.A.G.I.C.A. Revised Edition
~UNSUNG EVOLUTIONS~
Prologue:「
先ずは、安息を求めて戦う者の話をしよう。
然もただ安全な地を求める訳でなく、
2011年 東スラブ共和国首都
其処に広がるのは当に地獄絵図だ。
市街地の彼方此方で火の手が上がり、軍用車や戦車がひっくり返り、噎せ返る様な血の匂いの中を民兵らしい濃い緑色の服装に、ライフルなどの銃器を下げた人間が必死に走っている。
いや、走ると言うよりは逃げ惑っていると言うのが正しいか。
息を切らせながら逃げるその兵士の前に、突然大型犬程の大きさの赤黒い何かが降ってきた。
どうやら横転した戦車の上から飛び降りたようだが、その姿はシェパードやドーベルマンとは似てもつかない。
全体的にはカエルに近い体型だが、先ず全ての皮膚が存在していない。
代わりにあるのはギラギラと光る、まるで防弾繊維の様に絡み合った筋肉の束である。
黄ばんだ胆汁の様な色の脳が剥き出しになったずんぐりとした頭に目のような器官は存在していない。
あるのはナイフのような牙が生えた大口だけである。
クトゥルーの水魔の様な“ソレ”は大口からヨダレを垂らし低く唸りながら、兵士の方へバナナの房の様な爪の生えた前足を踏み出す。
銃を向けて戦闘か、と思いきや、民兵は何故か銃を向けずにそのまま脇を走り去ろうとする。
“ソレ”も自らの代名詞である槍の様に劣った長い舌―故に“ソレ”は
……いや、寧ろ其処にあるのは「恭順」だ。このリッカーは犬の様に兵士に平伏している。
宛ら、人間が使役した「使い魔」の様だ。
そこへ走る兵士から見て左には横転した戦車があり、中央にリッカー、右には民家の壁が真っ直ぐ前に伸びている。
どうやら、壁とリッカーの間になら走り抜けられる隙間があるようだ。
兵士が立ち止まったリッカーを避けるように右にずれる。
直後、いきなり壁が吹き飛び、兵士がノーバウンドで戦車に叩きつけられた。
哀れな兵士を3次元から2次元の住民へジョブチェンジさせた“ソレ”は、一見すれば人間に見えなくもないフォルムをしていた。
直立二足歩行をする体には、布の濃い緑色と金属の銀色とで彩られた奇妙な拘束具を纏い、青灰色の頭部には毛の一本も生えてない。
成人男性の様な顔には、愉悦に浸る様な表情を僅かに浮かべている。
ただ、身長が突き破ってきた壁よりも大きい。5メートルは優にあるだろう。
その“巨人”は、血肉がへばり付く目の前の戦車を右腕で“払って”退かす。
軽戦車と言えど重さは数トンはあるだろうのに、だ。
信じられない腕力だった。
そのまま歩きだそうとして、そこで漸く“踏み潰していた”リッカーに気づき、その胴体をズタ袋の様に掴んで持ち上げる。
その時、そのすぐ前を「誰か」が走り抜けていった。
―気に入らない―
見やった“巨人”はそう思う。
今、この戦場を支配しているのは間違いなく彼だ。少なくとも彼はそう思っている。
六歳児程度の知能しかないとは言え、強者弱者の違い位は彼にも分かる。
何方も共通するのは、生気を全く感じられない絶望に満ちたその表情だ。
それが彼の愉悦の源だった。
だが、「あれ」は違う。
今目の前を走り抜け、此方に振り向いた人物にそのような表情はない。
代わりに浮かぶのは、「生き残る」と言う強い願い。
圧倒的な理不尽を前に決して折れぬ、だが静かに燃える怒り。
あの人物は
身体の奥から憤怒が湧き上がる。
“巨人”の表情が固く締まる。
手に持っていた死体を横に投げ捨てる。
そして、走ってゆくその人物の後を追って歩み出す。
一歩踏み出す度に、アスファルトの地面に小さく亀裂が走る。
だが決して走りはしない、彼の優位は揺らいでいない。
だから王者の如く、彼は余裕を持って追跡する。
彼は知らない、それが既に慢心であるという事を。
既に彼は、その人物の策に嵌っているという事を。
その人物は、10年以上も彼の同類と相対しているという事を。
そして何より、諦めの悪いタチであるという事を。
結果を言えば、
そしてこの彼等の話は秘密裏に処理され、「東スラブ共和国の内戦に違法な生物兵器が使われた可能性がある」という最低限で面白みもない「
今後は米露、EUが総ぐるみで国を“支援”し、全ての証拠を隠蔽する事だろう。
命を賭けて
だが、それでも彼は止まらない。止まる事はできない。
B.O.W.を世界から消す、その為に散っていった仲間達の死を無駄には出来ないからだ。
最早、妄執と言っても過言ではない。
果てしなく遠い“理想”を追う彼の苦難は、“終わらせない”限りは終わらないだろう。
勿論、此処で話すのは彼の話ではない。
彼と同じ場所で戦う者の話である。
彼が決して認める訳にはいかない者の話である。
具体的には、“終わらせる”事も出来ない者の話である。
・数日後、中東某国、米大使館。
首都近辺に存在する此処は、周りから見てもかなり浮いた場所となっている。
3階建ての大きな建物の前には噴水のある敷地、そしてそれらを囲む厳重な正門と壁。
近くに銃を持った警備員が見える辺り、この近辺は治安が余り良くないのだろう。
そして、物語の中心となる人物は、この建物の2階の一室にいる。
「……Zzz」
そう、部屋の豪勢なソファーではなく何故か床で丸まって雑魚寝をしている男が、今回の話の主人公とも言える人物である。
……多分、ソファーから落ちたのだろう。
カーゴタイプのパンツに、丈夫そうなシャツ、それに袖にやたらとジッパーのついた奇妙なコートを着たまま、その男は猫の様に丸まって眠っている。
身長からして恐らく成人だろうが、眠ったその顔は子供の様に幼い。
それなりに豪華な内装の部屋に比べて、何処か不釣合いな雰囲気があった。
と、
―rrrrrrrrrrrrrr!!!―
耳障りな信号音が、部屋の机から響いてくる。
眠りを妨げられ、「……ぬァぁ……」と呻き声を上げて立ち上がったその男は、ボサボサになった黒髪を掻きながら同じく黒の瞳を薄く開いて机を睨む。
そして、そこに置いてあった
直ぐに、小さな液晶画面にヘッドセットを付けた金髪碧眼の男性が映し出される。
『おはようボーイ。よく眠れたかい?』
「……2時間が十分な睡眠時間ならな、ジョージ」
『そんだけ返事が出来るなら十分だ』
今の時刻は現地時間で8時、ワシントンとの時差は凡そ半日だから恐らく向こうは夜の8時だ。
「んで、本題は? と言っても“昨日の事”だろうが」
『ああ、その通りだ。だが今回はサプライズがあるぞ』
「……嫌な予感しかしないのだが。具体的にはゴシップに抜かれたとか」
『驚け、次の赴任先が決まった』
「わーい、これでむさ苦しい砂漠ともオサラバだーい。やったー」
オーバー気味に手を突き上げて、男は全く心の篭ってない叫びを上げる。
寝不足恒例のハイテンションという奴である。又はヤケ糞とも言う。
「……さて、真面目な話を頼む」
『オーケー。それじゃあ、昨日君が潰してくれた“組織”だが、やはりB.O.W.での無差別テロを企画していた様だ。奴らのアジトの資料から具体的な日時の書かれた作戦書が出てきた』
「やはりも何も、そのB.O.W.と戦ったのは俺なんだがな」
『流した先はヤコブレフ・セキュリティー社と言う
「……東スラブって確か、アイツが関わった奴だよな。何でまたこんな辺鄙な場所に流れ着く?」
『さあ? 強面の女教師の目を盗んでヌード雑誌でも覗いていた馬鹿が居たんじゃないのか? ……と言いたかったのだが、これが少々厄介でな』
「……まさか赴任先と関係が」
『当たりだ』
面倒な事になってきた。
それなりに多くの荒事を経てきた彼の直感が、警鐘を鳴らし始める。
『奴らもひょっとしたらキナ臭さを感じていたのかもしれん。リーダー格の手帳に、連中へ色々と探りを入れていた節の痕跡が残っていた。どうも、ヤコブレフから流れたのは事実のようだが、それを指導した黒幕さんがいるらしい』
「ヌード雑誌を流した副担任が居るって訳か」
『まあ、確定的ではないがな。「グラン・フォート」は知っているだろう?』
「……まじか。トライセルの倒産後に製薬企業連盟を牛耳ったっつう、“総合科学産業”だろ? トライセル時代には他分野に力を入れて生き残った……」
『反生物兵器を掲げる、BSAAの技術支援の第一人者だ』
どうも、学園長のスキャンダルを引っ張り上げてしまったらしい。
当に最悪の展開だ。
ふん、と息を吐いて男は顎に軽く手を宛てがう。
「表向きは正義の味方で、裏ではヤクザから資金集めしてたってか。有りがちな話だな」
『単なる資金集めって訳でもなさそうだ。“組織”がテロを起こすのにタイミングを合わせて、何か大事をやろうと画策しているらしい。此方のテロは陽動って訳だ』
「なるほどねぇ……」
一旦話を区切った男は、机の傍にあるソファーに腰を下ろす。
「……本当にそうか?」
『まあ、違うだろうな』
男の問いに、割とあっさり答えるジョージ。
『仮に本当に陽動なら、「グラン・フォート」クラスの連中がたかが一地方のテロ組織にここまで情報漏らすとは思えん。ヤコブレフという隠れ蓑を用意してまでの事なのに、余りにズボラ過ぎる』
「つまり、漏れてくれる事に意味があったってか。自分達の思惑通りに「誰か」を動かすために」
『……ああクソ。ひょっとして、ここ数件の“テロ未遂”全部そうだったのか? 妙に頻繁だと思ってはいたが』
「流石に考え過ぎだろう。連中なら「俺」を知っててもおかしくないとは言え」
座ったまま、男はチラリと視線を横に向ける。
ソファーの上にドカリと置かれた黒いボストンバッグを確認して、彼は続ける。
「とは言え、結局やる事に変わりはないんだよなぁ。下手に動けば勘付かれるし、寧ろ織り込み済みで網張ってるだろうし」
『かかった網を食い破って、連中の顔に喰いついてやる事は出来るがな』
「場所は?」
『北緯36度、東経139度』
少し溜めるように様にして、ジョージは続ける。
『日本、群馬県、見滝原市』
「噂の近未来研究都市じゃないか。こんな機会じゃなかったら里帰りの次いでに観光したのに。……てか今更だが、良くゴーサイン出たな」
『連中からのご指名だし、下手に動くと何が起こるか分からん。それに“扱いが難しい”とは言え、最悪の事態に即興で用意できる“大戦力”ってのもあるからな』
「お上からの期待が重すぎて泣けてくるよ、ホント」
『言うと思ったから、一応BSAAにも極秘で連絡を取ってる。鎮圧部隊の一隊を派兵して、他もいつでもスクランブル出来る様にするとの事だ』
「……動きまくってるじゃん、むちゃくちゃ」
『さて何の事やら』
すっとぼけた様に言うジョージ。まだ何か用意しているのかもしれない。
全く喰えない奴だ、という感想が喉まで出かかるのを男は何とか押し込めた。
「さて、何時出発するの?」
『今でしょ! ……何やらせてやがる』
「んで、空港に向かえば良いんだよな?」
『流しやがるか……、ああそうだよ。チャーター機がある』
「良し」
横に置いてあったボストンバッグを掴み、机のPDAを手に取った男はスイッチに指を掛けて最後にこう言う。
「んじゃ、クソッタレの連中に宣戦布告と洒落込もうか。ジョージ」
『あんまり暴れてくれるなよ? 竜二。』
スイッチを切った
この物語は、竜二・
戦い続ける事を止められなくなった者の物語。
彼すら知らぬ、過去を巡る物語。
そして、
世にも奇妙な、
初めての皆様、こんにちは。「前作」を読んで頂いていた方、お久しぶりです。
何とか書き上がったので、此処から再出発となりました。
暫くの間はゾンビ撃ってサバイバルな展開は無いですが、どうかよろしくお願いします。
それでは、また。
……「情報の氾濫」とか言っちゃって、一体何処の愛国者だろうね……。