《C.C.D.》
・「Colony Collapse Disorder」の略、和文では「蜂群崩壊症候群」。
ミツバチのコロニーにおいて成体の働き蜂のみが大量失踪し、やがてコロニー全体の全滅へと至る現象を指す。
一般的に、巣の内部に居座る存在(女王蜂、幼虫、卵)は失踪せずに留まり、食料の貯蓄が十分にある(外敵の侵攻がない)にも関わらず発生する場合が該当する。
細菌・ウィルス説、農薬説、食生活や環境の変化による影響説、電磁波説などが唱えられているが、失踪した蜂の行方や死骸が見付かっておらず真の原因は不明である。
Chapter4:
Ch-4-Act-01
・市内住宅街付近、「異常事態」発生の数分前。
まだ空が黄金色に染まっている頃、街の中心から少し離れた緩やかな丘の閑静な住宅地へ続く道には帰宅途中の子供達や大人の姿がチラホラ見受けられる。
この区域では今ぐらいが丁度車通りも人通りも一番多く、所々に露天商の車も幾つか止まっていた。
まだ育ち盛りな中学生の一団が、面白そうにそれらを覗き込む傍らで、短めのツインテールの少女はまるで見向きもせずにただただ先へ歩いていく。
その表情は心此処にあらずと言った風に、暗く元気の無い物であった。
――マミさん達、大丈夫かな――
彼女、まどかは先輩達が一体どんな危機に直面しているかを知っている訳ではない。
だからと言って、それを知った所で今の自分には何も出来ない。
蚊帳の外なのを自覚しながらも、ただ彼女らの身を案じる事しか出来ないでいる。
それが酷く歯痒かった。
ふと顔を上げれば、道行く人達の姿が目に飛び込んでくる。
今尚も、この街の為に命を賭けて戦う人がいる事を知る人間は、この中には恐らく一人もいない。
不謹慎な事だと思いながらも、彼女にはそれが羨ましくて仕方なかった。
「……随分と思い悩んでいるみたいだね。まどか」
鈴の音のような声が彼女の耳に届く。
その音源を辿る様に視線を動かすと、塀の上にキュウベェの姿があった。
「……キュウベェ」
「君の悩みの種は一体どっちなんだい? さやかの事か、マミ達の事か」
そう聞きながらキュウベェはまどかに近寄り、その肩に飛び乗ってくる。
キュウベェを肩に乗せたまま、まどかは暗い表情のまま少し俯いて歩き出す。
何かを言おうとしてそれを躊躇い、そんな風に暫く沈黙が続いたが、等々弱弱しく彼女は口を開いた。
「……ねぇ、どうしてこうなっちゃったのかな」
「確信が持てないからハッキリした事は言えないけど、どうやら、僕達の事を知っている別の誰かがマミ達に干渉しているみたいなんだ。だから君を抱えては置けないって事だろうね」
「別の、誰か?」
「そう、別の誰かさ。生憎、情報が少なすぎて人物特定は出来ていないのだけど……」
そこでキュウベェは僅かに間を置いてから、彼女に提案するように少しだけ強めに続けた。
「でも、君が契約すれば正体が掴める……いや、それ以上の事が出来る」
「……、」
「君が望むのなら、それだけでこの騒動は終わりを告げるだろう。マミ達も、その誰かも、誰もが望む結末を作れるに違いない」
キュウベェは力強く断言した。
その途方も無い言葉に圧倒されたまま、まどかは恐る恐るキュウベェに聞く。
「……本当に?」
「前にマミ達も言っていただろう? 実際、君には普通には考えられない程の素質がある。この宇宙の法則すら捻じ曲げかねない可能性を秘めているんだ。……何故君だけがそこまでの素質を持つのかはまるで分かってないけどね」
……確かに、まだマミと出会って間もない頃にほむらとの会話でそれに似た内容が出ていたのは記憶している。
だが、それは飽くまで普通より魔法の才能があると言った程度にしか彼女は認識していなかった。
まさか、それが神様紛いの力だとは思わなかった。
自分が望みさえすれば、その力でマミ達を助けられる、誰も傷付かずに済む。
そんな思いが頭の中を過ぎり……だが、そこでもう一人の“先輩”の存在を思い出す。
学校の同級生にして魔法少女の先輩、彼女の契約に頑なに異を唱える少女の事だ。
彼女の冷たく、悲しそうな表情を思い出すと、どうしても後一歩契約に踏み切る事が出来ないのだ。
考えが纏らず、落ち込む様に下を向く。
その時だった。
ドサッ、と言う重い物が落ちる音がして、いきなり彼女の視界が黒く染まった。
「わひゃぁああッ!!?」
顔全体に突然掛かった風に驚き、素っ頓狂な声を上げて小さく飛び退くまどか。
慌てて前を見ると、見覚えのある顔が彼女を見下ろしていた。
だがその表情は、今までに無く深刻そうなものだ。
その表情のまま彼女の姿を上から下まで一周する様に見回すと、唐突に口火を切ってきた。
「成る程、お前は無事だった様だな」
「え、は……?」
「……まさか、気付いてないのか」
心底呆れた様に肩を落とすのに触発されて、漸くまどかの注意が周囲に向く。
それでやっと彼女は気付いた。
一帯の喧騒が完全に途絶えている事に。
売店に溜まっていた人だかりが、店員ごと姿を消していた事に。
道のど真ん中に無人の車が放置され、にも関わらずそれを咎める人間すら居ない事に。
この場から見る限りで、自分達以外に人の気配が一切無い事に。
状況を少しずつ把握し出した彼女の顔色が次第に蒼白へと変わっていく。
「え、嘘、そんな、」
「駅の方も大体こんな状況だった。多分、街の何処も彼処も同じなんじゃないか?」
「……あ」
その言葉を聞いて、彼女の脳裏に幼い弟の笑顔が思い出される。
働き者で朝にちょっぴり弱いママと、お料理上手な優しいパパの姿も一緒になって現れる。
まるで走馬灯の様に、家族で過ごした思い出が脳裏に浮かぶ。
途轍もなく嫌な予感がした。
考えたくも無い、最悪の状況を彼女は想像してしまう。
居ても立っても居られず、目の前の人物を放置してまどかは走り出す。
坂を駆け上がり、小道に入り、見知った道のりを脇目も触れずに全力で駆け抜ける。
余り運動が得意ではない彼女の息は直ぐに上がってしまうが、より大きな絶望に染まりかけている彼女のとっては些細な事だった。
幾つかの角を曲がっていくと、目の前によく見知った建物が現れる。
そのドアの前に駆け寄り、そのドアノブに手を伸ばす。
確認の意を込めて回すと、難なくドアが開いた。
鍵は掛かっていなかった。
愈々、予想が現実味を帯びだした。
家の中に駆け込み、リビング、台所、風呂場、二階の寝室を次々と確認するが、人の気配は何処にもない。
次第に声が喉から漏れ始め、息が荒くなっていく。
やがてその声は悲痛な叫びに代わり、最後の扉を開けたが其処にも誰も居ない。
家は完全にもぬけの殻だった。
最悪は現実になった。
膝の力が抜け、その場にガクリと尻餅をつく。
どうして、どうしてこんな事に、どうして私だけが……。
声にならない問いの答えは返って来ない。
現実を受け止めきれず、弱い心が重圧に潰されかける。
「此処がお前の家か」
後ろから響いた声を聞いて、彼女は我に返った。
が、彼女に答える気力も振り向く気力も無い。
そのまま辺りに沈黙が訪れたが、暫くすると再び声が響いてきた。
「……そんな気分じゃないだろうが、此処で立ち止まっている暇はないんだ。この状況を打破する為にもな」
「……私に、何が出来るんですか」
その声は掻き消えそうな程に小さく、硬く強張っていた。
余りにも突然に家族を失って、困惑と苦悩、絶望とが交じり合ってまどかの中で爆発しかけていた。
だが、背後の人物は気後れする事無く即答した。
「“生きる”事くらいだな。今のお前には」
「……、」
「ああ。言っとくが、こんな所で貴重な「お願い事」とやらをするんじゃないぞ? なんせ――」
発言の途中で、急に二人に強い横風が吹いた。
驚いて二人が同時に横を向くと、閉まっていた筈の窓が何時の間にか全開になっていた。
そして、その窓の直ぐ傍にまどかに近い背丈の人影があった。
「こんな所に居たの」
そんな風に話し掛けてくるその人物は、紫を基調にしたセーラー服風の衣服を纏った癖っ毛のあるロングヘアーの少女、暁美ほむらだった。
その表情は幾らか緊張している様に見えるが、まどかに視線を向けて小さく息を吐くその態度は彼女の無事を安堵するかの様に感じれた。
だが直ぐに目線をその背後の人物に向け、鋭い口調で切り出す。
「説明して」
「その様子じゃ、そっち側の事象では無い様だな。安心したよ」
「……と言う事は?」
「心当たりがある。憶測に過ぎないが」
割と素直に答えるのが意外だったらしく、ほむらの口調が少し緩まる。
が、最後の言葉で少女二人の緊張が一層増した。
一方、ほむらと会話していた彼はここで再び注意をまどかに向けて、少し穏やかな口調で説明を始める。
「……鹿目ちゃん。さっき言い掛けた事だが、心配しなくてもお前の家族は無事だ」
「……へ?」
彼の方を向き、呆気に取られて間の抜けた様な声をあげるまどか。
ほむらの方も全く言っている事が理解できずに首を傾げていた。
「どうして断言できる?」
「簡単な話」
だが次に彼が言った言葉は、それよりも大きな衝撃を彼女達に与えた。
「家族皆、「この家の中」に居るからだよ」
「……は、え……?」
「どういう事」
まどかは信じられないという様に言葉を失い、ほむらは思わず一歩踏み出して問い詰める。
「確認した限りでは、リビングルームの隅っこに三人固まって座っていた。ここの家族写真を見る限り、彼女の家族構成は4人みたいだから全員居るって事じゃないか?」
「でも、私が見た時――」
「ああ、見えなかった筈だよ。……ほむら、俺とお前が初めて会った日の事覚えているか」
「……ええ、そう言う事か」
彼女もどうやら彼と同じ結論に達したらしい。
会話に付いて行けず、キョトンとしているまどかの方をチラリと見て、彼は推論の最後を締めくくった。
「“
その時、三人の直ぐ近くで、だが三人の誰にも気付かれる事もなくその“獣”も同じ事を発言していた。
独り言の様なその物言いに、だが聞こえている筈の距離であるのに三人は返答はおろか反応すら全く示さない。
ウサギにも猫にも犬にも見えるその白い小動物は、その赤い瞳を“三人がいる筈の場所”に向けて静かに続けた。
「それにしても、僕の存在を「認識させない」様にするなんて、まるで「あの街」の再現――いや、それどころか“僕の方からも彼等を五感で認識出来なくする”辺り、それ以上に素晴らしい「僕の殺し方」だね。だけど、これで少しは君の正体の裏付けが取れたよ」
キュウベェがそう言うのと同じ頃、目の前では事情が全く分からないまどかに二人が簡潔に説明をしていたのだが、その内容は勿論、音が発生する事による空気の振動すら彼には知覚出来ていなかった。
今の彼には、精々その存在を“因果の流れ”から感じ取れるだけである。
だが全く慌てた素振りは無く、寧ろ何処か感心する様な声色すらあった。
――さて、そうすると少し厄介だね。恐らく彼女の包囲網はこの町全体には広がっているだろうし、このままではこの街の人間と契約を結ぶ事が出来ない。……彼女が何を考えているかは分からないし、此処は今の内に“備え”を作っておくべきかな――
そんな事を考えていると、突然彼の脳裏にテレパシーが飛び込んできた。
〈居るんでしょ、インキュベーター〉
〈やあ、暁美ほむら。やっと僕が居なくなった事にまどかが気付いてくれたみたいだね〉
〈端的に聞くけど、一階のリビングにまどかの家族は居た?〉
〈確かに居たね。まるで人形の様に座っていたよ〉
〈……人形の様?〉
〈三人とも正気を失っているみたいだったよ。身動ぎもしていなかった〉
〈……そう〉
それを最後に、一方的にテレパシーを遮断された。
やれやれと首を振ったキュウベェは、そこで改めて三人の居る方を見る。
そこにある因果の三つとも“異常”ではあったが、その中でも飛び抜けて「有り得ない」物が其処にはあった。
――それに、彼の観察を邪魔されて徒労に終わるのは惜しいし、ここは慎重に対策を練るべきだね――
改めて方針を決めたキュウベェは、三人が移動し始めたのを確認して、その後を静かに追跡し出した。
・市内、駅前大通り。
三人が固まって動き出した頃、巴マミは数分前に佐倉杏子と出会った辺りにやってきていた。
「この辺りの筈だったけど……」
丁度自分が立っていたビルの上に飛び移って周囲を見渡すが、特に変わった様子は無い。
眼下の大通りも含めて、“何時も通りの”午後七時の喧騒が広がるばかりである。
自分の検討違いだったのだろうか、そう思って彼女が見ていると、少し離れた駅の前、小さな広場の隅にある植え込みの角に座る普段着の杏子の姿を発見する。
遠めで見る限り、その手元には物が一杯まで詰まったスーパーの袋が置いてあるようにも見える。
どうやらあれからずっとこの付近にいたみたいだ。
何かあの子が知っているかもしれない、そう思ったマミは一旦変身を解いて制服姿に戻り、杏子の元に歩み寄る。
5m程まで来た所で杏子は顔を上げ、マミの方をジッと見詰める。
その表情は先よりもかなり柔らかく優しい物で、思わずマミは不意を討たれたかの様に固まってしまった。
「何か用?」
そう言われて我に返ったマミは、飽くまで前の時と同じ様に強い口調で答える。
「“獲物探し”は中断なのかしら? 出来れば早く事を済ませて欲しいのだけど」
「悪いね。中々尻尾を出さない奴だもんで、下手に動くよりこうやって待つ方に方針を変えたのさ。「急がば回れ」って奴」
マミの口調に対して、杏子のそれはかなり穏やかな物だ。
彼女は困惑で眉を顰めた。
噂で聞いた評判と先の会合とを踏まえて、今になって杏子が急激に態度を改めた事に違和感を感じていたのだ。
「……貴方、何かあったの? 急に丸くなっちゃって、さっきの威勢は何処かに行ったのかしら?」
「単に機嫌が良いだけだよ。上手く事が進んでくれてるからね、普段とはちと違うあたしって訳さ」
杏子は穏やかに、だが淡々と問いに答え、感情的な彼女らしくない様子にマミは更に眉間の皺を深くする。
その時だった。
マミの後ろから油蝉の悲鳴の様な音が鳴り、急に視界が僅かに暗くなった。
それに注意を引かれて横目で後ろを見ると、少し離れた街灯が白熱灯の様な点滅を起こしていた。
その点滅には見覚えがあった、彼女が此処に来る前に見た電灯と同じパターンだ。
「ま、結局、アンタが許可してくれたお陰ですんなりと獲物が狩れそうって訳だ。だからこうやって景気付けに前祝をしていたんだよ」
「……佐倉さん、貴方――」
「だけど、ちょっと物足りないと思ってたんだ……其処にタイミング良くアンタのご登場さ」
その台詞と共に、マミの背後だけでなく周囲の街灯も同じ様に点滅し出す。
やがてその点滅は駅前全ての街灯に波及するが、それでも勢いは止まらない。
「パーティって奴には出し物が必要だよなぁ。そして、此処にはいがみ合う魔法少女が二人……もう言わなくても分かるよな?」
「……ッ!」
それは街灯に留まらず、その点滅は周囲の建物の蛍光灯にすら伝播し、まるで何かの行事の様に駅周辺全ての電灯が点滅を開始する。
急に賑やかな駅前が恐ろしい異世界に変わったかのような錯覚を受けて、警戒を強めて周囲を見渡すマミの視界に人混みの影が入ってくる。
最初は面倒そうに歯噛みしていたマミだが、直後にその人混みの様子がおかしい事に気付く。
これだけの異常が発生しているのに、誰もそれに注意を向ける事も無く“普段通り”に動いているのだ。
始めからそんな物など存在しないとでも言うかの様に。
「まさか、これだけの人に魔法を……ッ!?」
「さあ、……頼む」
驚愕を滲ませるマミの言葉を無視して、杏子はドスの効いた声でゆっくりと呟く。
そして、レジ袋の近くに置いていたその右手を静かに背中に廻した。
直後、マミの瞳には彼女の背から微かに青いオーラの様な物がユラリと立ち上った様に見えた気がした。
咄嗟に身構えようとするマミだが、杏子の魔法の作用があるとは言え人の多数いる場所で変身する訳にも行かず、戦うか逃げるか判断に一瞬迷ってしまう。
その隙を見逃さず、杏子は背中に廻した右手を瞬時に振り抜いた。
反応に遅れたマミは身を交わす事すら敵わなかった。
直後、何の抵抗も出来ずに棒立ちのマミの額に何か硬い物が直撃した。
「っあいたッ!!?」
痛みと言うよりは寧ろ驚きの方で、マミが悲鳴を上げる。
その一方で、額に当たった何かはそこで跳ね返って彼女の足元に落下した。
額を片手で押さえながら、マミが屈んでそれを見る。
「……永楽銭チョコ?」
「……ふっ」
彼女に当たった物の正体は、未開封のままの真ん中に四角い穴の開いた円形のチョコレートだった。
訳が分からずにマミが困惑に顔を染めていると、彼女の耳に吹き出すような笑い声が聞こえてくる。
彼女が前を見ると、杏子が体を震わせながらさも愉快そうに腹を抱えて笑い出だした。
「アハハハハハハハハハハッ。ック……い、今のは傑作だよ……クフフッ」
「――貴方、私を馬鹿にしているの」
ここでマミも自分がコケにされた事が分かったのか、苛立ちの篭った声色になる。
一方の杏子はその様子を気にした風情も無く、笑い過ぎで半ば涙目になりながらマミに答える。
「ま、ック……まあ、ソイツはあたしからのプレゼントだ。受け取っといてくれ。良い物見せてもらえたしな」
そう言うや、全ての電灯が同時に点滅を止めて駅前が元の明るさを取り戻す。
一瞬周囲に気を取られたマミを前に、杏子はスーパーの袋を片手に下げてゆっくりと立ち上がる。
「それじゃ、今日はこの辺で切り上げるかな。んじゃな」
「待ちなさい。さっきのは悪ふざけにも程が――」
様子に気付いて呼び止めようとするマミだったが、杏子はそれを無視して彼女に背を向けて歩き去ろうとする。
直ぐにその後を追いかけて杏子の肩を掴もうと彼女は走り出すが、駅に電車が着いたのか、タイミング悪く駅前通りの人が急に増して思う様に進めなくなる。
それでも彼女は諦めずに追おうとするが、やがて杏子の後姿は人混みに紛れるように消えていってしまった。
完全に杏子を見失ってしまったマミは、一先ず最初に彼女の居た辺りに戻ってきてその場に佇む。
見失ってしまった事は悔しかったが、それでも幾つか分かった事はある。
――どういうつもりかは分からないけど、あの子がさっきの「地震」について何か知ってるのは確実ね。次会ったらはっきりと問い詰めないと……――
同時に発生した電灯の異常と言い、彼女がこの件の原因であると考えてもおかしくはなかったが、そうとしてもマミにはもう一つの懸念があった。
前後の出来事から考えても明らかに不自然な、彼女の別人の様な態度の変容が気になっていたのだ。
――これは暁美さんにも伝えておくべきね。一先ず連絡を取るか――
自分だけで抱えられる問題ではないと判断したマミは取り合えず携帯を取り出して――ほむらの連絡先を知らない事に気付く。
あの時に聞いておくべきだったと少し後悔しつつ携帯を閉じようとした彼女だったが、その直前で何かに気付いてその手が止まる。
「……どうして」
言葉は自然と漏れていた。
大きく開かれた彼女の瞳には携帯の画面最上部の記号が写っている。
その一番左、携帯の電波回線の強度を示す記号に見慣れない文字が表示されていたのだ。
たった一言、「圏外」と。
街のど真ん中、駅前の広場で。
――まさか、まだ影響が続いているの!?――
慌てて周囲を見渡すが、道行く人々はそんな事に気付いていないかの様に“普段通りに”駅前を歩いている。
それどころか、普通に携帯を使って連絡を取っている人もちらほらと見受けられる。
ひょっとして自分の携帯が勝手に壊れているのでは、そう思った彼女は取り合えず植え込みの影に隠れるように移動する。
そしてポケットから取り出すような動作で黄色いリボンを魔法で生み出し、携帯に巻き付けて修理を試みようとする。
その直後だった。
急に携帯を持つ手に熱を感じたと思うや、携帯その物が急激に発熱し始めた。
火傷をしかける寸前にマミが慌てて手を離すと携帯はそのまま地面に落ち、暫くした後に小さな煙を上げて液晶が真っ暗になる。
誰がどう見ても、携帯が突然ショートを起こしたのだとしか思えない現象だった。
マミは恐る恐る携帯に手を触れ、温度が下がったのを確認してから慎重に拾い上げる。
本体の状態を確認すると、下部のバッテリーが発熱で焦げているのに気付いた。
こんなタイミングで前触れもなくバッテリーがショートするなど、自然に起こる事とは到底彼女には思えなかった。
つまりこれは誰かが引き起こした事に違いない。
まだこの一帯に彼女の影響が及ぼされていると確信したマミは、使い物にならない携帯をポケットに仕舞った後、杏子が消えていった方向へと走り出す。
何の目的かは知らないが、これ以上彼女に好き放題させる訳にはいかない。
そう決意してマミが杏子を追って人の間を駆け抜けるのを、誰一人として気に咎める事はない。
やがてその後ろ姿が人混みに紛れて消えると、何一つ変わらない“普段通り”の駅前の平和な賑わいが戻ってきた。