・文化センター、正面ロビー。
多くの来客を迎え入れる為の広々とした正面ロビーは、ガラスというガラスに防火シャッターが下り、更に非常灯も電磁パルスで焼き切れているのか消えており、暗闇に包まれている。
僅かに入る外の光でやっと柱や手すりの輪郭程度に物が見えるこの環境の中、少女二人は中央廊下に一番近い柱の裏でじっと息を潜めていた。
本来ならば直ぐにでも式典ホールに急ぐべき二人が此処に居る理由は、彼女達の視線の先にあった。
「……どうしよう、このままじゃ」
マミが呟くその前には、式典ホールへと続く廊下の傍に壁と一体になっているインフォメーションカウンターらしき設備がある。
暗闇に包まれて殆ど輪郭線が浮かんでいる程度だが、よく見てみると極僅かに台の輪郭が波打ってるのが分かる。
カチカチ、と時折何かを嚙合わせるような音も響いてくる。
仮にこの音が無ければ、彼女達は全くその存在に気付かなかっただろう。
「まさか、あそこにまだ残党が残ってたなんて。居座られたらホールに入るのも難しいわね」
「無理に飛び込んだら、纏めて逃げられちゃうかもしれないし。如何にかしないと……」
刺激しないよう、敢えてライトを当てずに遠目で観察し続ける二人。
廊下の向こうから断続的な銃撃音が聞こえる事からも、恐らく此方の“レギオン”は何かしらで待機しているのだと考えられる。
つまりは、BSAA等を先発隊が仕留めるまでは動かないで居る可能性が高い。
迂回しようにも、式典ホールへ続く廊下は此処しかない。
いよいよ二人に焦りの表情が浮かび始めた。
――どうする。此処で時を止めれば安全に向こうに渡れるし、ホール前で解除すれば恐らく彼等にもバレない……。まだ杏子の事もさやかの動向も掴めない状況で、対立しているとは言え共闘者のマミの信用を得る為にも、今此処で明かすのが良いか……?――
――……あの場所に固まっている今なら、私のリボンの網で捕まえてしまえば一気に事は進む。最悪、ロビーその物を封鎖しちゃえば逃げられる事も無くなる……――
彼女達に与えられた
他に打つ手が無いとは言えないが、幼くして強力な力を手にしたが故にそれに頼りたがる、若干短絡的とも言える思考だった。
とは言え、“レギオン”が魔女だったりする訳ではない事は承知しているのか、コストと懸念して二人とも実行には僅かに躊躇を覚えていた。
特に、普段の戦闘スタイル的に浪費が激しいマミには、一帯を結界で覆う事へのリスクは中々厳しい物がある。
ほむらの時間停止魔法は、彼女に比べると「ストック」もある為にリスクは少ない方だが、今まで力を隠す事で優位性を保って来たが故に、此処でそれを捨てるべきか戸惑いが生じていた。
それでも、やはり先に腹を決めたのはほむらだった。
どう足掻いても、この世界は自分の今までのどの経験とも逸脱した状況になるのを避ける事は出来ない。
ならば、少しでも早い内に味方を作っておくべきだ、そんな判断を下したのだ。
自らの提案を伝えるべく、背後のマミに顔だけ振り向く。
夜目に慣れる為にライトを消してる為、この距離であっても輪郭線がぼんやり見える程度でしか見えない。
流石に居心地が悪いと思ったのか、単に背後の警戒をしようと思ったのか、柱の裏に隠れるようにしながらライトを起動し、やや下から照らしてみる。
だから、照らされたマミの顔の直ぐ脇に謎の“丸い物”が浮いているのを見ても、最初は見間違いかと思った。
2度ほどパチパチと瞬きして、それでも消えないのを見て、漸く彼女の顔が真っ青になった。
何と言うかそれは、中央の出っ張りが作る影や、その上の異様に光を反射する二つの部位なんかが合わさって、世の中に存在してはいけない物になっていた。
余りに予想外の、想定外の事態に、例え魔女が不意に現れても保っていた、銃を向けるという思考が一瞬で消えた。
「ひっ―――――!!?」
「……すまん、落ち着け」
涙さえ浮かべた彼女の悲鳴を間一髪で口を塞いで止めたのは、何と先程まで式典ホールにいた筈の竜二その人だった。
右手でほむらの口を抑え、序とばかりに左手を回してマミの口を抑えた状態のままで、ばつの悪い表情を浮かべた彼が小声で言う。
「脅かすつもりは無かったんだ。ただ前にアレが居る状態で迂闊に音を立てられなかったから、結果的に忍び寄る事になってしまった」
目線で無言の抗議を行う二人の口から手を離した彼は、二人の更に後ろから“レギオン”を注視する。
暗闇での視力は彼の方が上なのだろうか、蠢く黒い輪郭を暫し見詰めた後に、こんな事を口にした。
「……動いているのと動いてないのが居るな」
「え?」
「大きさ的に、成体の方が動いてるのかな。比較的小さい方は殆ど身動きしてない。これは……、待てよ。ひょっとしたら」
思わず聞き返したマミの言葉が聞こえてないかの様に何かを呟いた彼は、徐に懐から自分の拳銃を取り出す。
それをカウンターから少し手前の床に適当に向けて、一発だけ発砲した。
弾丸はカウンター手前で跳ねて壁に掛かっていた何かに直撃したらしく、ガラスが割れるような音が響く。
直後、その銃声や跳弾に驚いた数体の“レギオン”が飛び立ち、スズメバチがそうするように周囲をホバリングしながら警戒する。
カチカチ鳴っていた音も、一層激しさを増した。
「大体予想通りか」
「どういう事?」
「アイツ等は待機してるんじゃない、
大人の奴が子供を咥えて運んですらいるぞ、と指差して言うが、彼女達には黒い輪郭が激しく蠢いている程度しか認識できない。
彼が出鱈目を言っているとは思ってないが、その上でほむらは疑問を投げかけた。
「……幼体が動けないって理屈は? バッタって子供も大人と同じ姿だったと記憶してるけど。まさかそこも蜂化してるって言いたいの?」
バッタとハチは種族的にも遠いが、大きな違いとして成長過程もある。
バッタは不完全変態を行う種であり、生まれた時点で既に大人と同じ形をしていて、「群生相」といった特異例を除けば普通は幼少から単独で生活する生き物である。
一方で、ハチは完全変態を行う種であり、特に幼虫の時代は殆ど動かずに衣食住全てを成虫に任せて過ごす事が多い。
元の“セイクウ”が幼体時代も積極的に活動して獲物を襲う事自体は、「エーワックス」の発言や此処までの経緯からも容易に推測できる。
“レギオン”に変異した今になって、その部分もハチの生態に帰ったのか、と彼女は思っていた。
だが、彼女の予想に反して、彼は首を横に振って答える。
「いや、其処まで変化しているとは思ってない。幾らなんでも変わり過ぎだろう」
「じゃ、何で」
「恐らくは
一方、式典ホールでは“レギオン”のワンサイドゲームが続いていた。
自在に飛び回り、群れの形を触腕の様に変形させて襲いかかる“レギオン”の群れは、宛ら不定形のアメーバの様な生物だと思いたくなるほどに柔軟だ。
此方の射撃は向こうの反応速度で殆ど躱され、十字砲火で追い込んでも仲間すら盾にして司令役を生き残らせる。
群れ全体の存続の為に個を切り捨てる、優れた生存戦略をこの「
――【それでも、群れの個体数を削れば全体の総力は減る。長期戦は覚悟の上で挑んだはずだったんだがな……】――
実際、一体一体を仕留めて減らすその作戦は効力を見せていた。
今も上空で蠢く群れの大きさも、心なしか一回り程小さくなった印象を覚える。
触手上に群れを伸ばす攻撃も、余りやらなくなっていた。
だがそれは同時に、新たな「戦略」に移行を始めた事も意味していた。
「【コイツ等の変異前ですら「城前破り」をやったんだ。一回り大きくなった分、一体分の力も増えるのも自然か】」
憎々しく見上げるその先には、“レギオン”の群れに取り込まれる様に「固定座席」が複数浮かんでいた。
座席その物を投げ飛ばす事も勿論だが、彼等は更に別の利用法を編み出していた。
「【リーダーを座席の裏に隠してシャッフルし、迷ってる間に低空から奇襲する。俺達はパソコンのミニゲームをしに来た訳じゃないと言うのに】」
「【然も座席その物も、奴からすればかなり大きい。「正解」を撃ち抜いても、その先の「本命」に弾が届くと言う訳じゃない。避けるなり、“仲間を盾にする”なり……、奴等にとっては、「中核」さえ生きていれば問題ないんだ】」
座席を使ったブラフに攻めあぐねてる、その隙を突いて奇襲隊が襲い掛かる。
隊の中で分担してリーダーへの攻撃と奇襲隊への迎撃をするが、それでも間に合わない程攻勢が激しい。
然もその攻撃は最初の様な漠然としたタックルじゃなく、首や顔、指を狙ったより効果的な物に変化している。
下手にそちらに気を取られると、今度は本隊から重量のある固定座席が飛んでくる。
急所に真面に喰らえば即死する恐れもあるので、注意を怠るわけにはいかない。
それだけ向こうも追い詰められて必死なのだと楽観的に考えるには、今の現状は少々厳しかった。
それでも、唯一救いがあるとすれば、
「【これだけ戦っても、向こうに“貪られる”事が無い。やはりそういう事なのか】」
「【……餌の少ない環境下で生まれた奴等が、成長する為に必要だったとは言え、「共食い」を偏食にしてしまったと言うのは皮肉な物ですね。奴等は自分の仲間を喰う事でしか、自分達の
早期に封じ込めをした「彼女」の行動は決して無駄ではなかった。
満足な餌も無く、閉鎖空間に閉じ込められた彼等は、己を貪る事でしか生き残れなかった。
まるで
始まりも終わりも無く、此処に居る限り、自分自身を貪り続ける奴等の未来は朽ちる以外に無い。
……まるで人間の未来その物だな、一瞬過ぎったそんな考えを振り払いながら、手にした大型の狙撃銃で群れの首領を狙う。
「――――つまり、群れの成虫は同じ仲間を喰わないと生き残れない。そして多分、もう子を残す事も不可能なんだろう。だから彼等は、本能に従って次の世代に未来を託した」
「……そんな、たかが虫でしょ? 信じられない」
「蜂の一種には、幼虫が生まれる前に成虫が寒さで死ぬから、獲物を腐らせずに保存する為に「生きたまま麻酔をかける」種類の奴が居る。アナバチやジガバチなんかがそうだ」
「カリウドバチ」と呼ばれる種類の彼等は、群れをつくらず単独で生活する上に、多くが成虫で冬を越せないという性質がある。
それ故に、その間の幼虫の発育を助ける為、予め巣に「麻酔をかけて生きたまま保存した」獲物と卵を入れて固く蓋をするのだ。
幼虫は冬の間、獲物を生きたまま貪り、蛹となり、または春が来た頃に成虫となって巣を飛び出す。
そして交尾し、また新たな世代の為に巣を作り始めるのだ。
「「セイクウ」自体の成長は10分だったな、それだけ代謝も激しい筈だ。普通に過ごすだけでは間に合わない。だから、最後の世代の代謝を止めて、「偏食」を植え付ける前で保存する事で、共食いで世代を繋いだ悪循環を乗り越えようとしてるんだ」
ある意味、その点で言えば“レギオン”は最早、「
ただ目的の物を排除する、それだけだった「セイクウ」から発生した彼等は、今や
其処には単に自己増殖して無秩序に人間を襲う「道具」とは違う、環境に適応しようとする徹底した
新種の「真社会性昆虫」。
その事実を改めて溜飲した、その上で彼は口を開いた。
「一匹も逃す訳にはいかない。此処で仕留めなくてはな」
「ええ。だから、先ず如何にかしてホールに…………」
ほむらの発言が出し抜けに止まる。
怪訝な顔をした彼が目を向けると、彼女は彼の顔をジッと睨んでいた。
その剣幕に気圧された彼がマミの方に視線を向けるが、彼女も彼女でほむらと同じ表情だった。
急に居心地が悪くなった(それでも元から最悪だが)彼に、マミが徐に口を開いた。
「そう言えば、すっかり聞き忘れてましたけど」
「……ん?」
「貴方、一体“どうやって”此処に来たの?」
ほむらがそう続けて、彼はキョトンとした表情を作る。
だが、彼女達がそう言うのも最もだった。
此処から式典ホールのある棟へと続く廊下は、一階ロビーから伸びる渡り廊下以外に存在しない。
そして、彼女達は此処に来てからずっと、廊下の先から目を離してはいなかった。
仮に、彼女達の到達前に此処にやって来たとすると、渡り廊下を使っているならば、先ずあそこの“レギオン”の群れに鉢合わせする筈である。
つまり、彼は奴等に「気付かれずに」此処に来ている事になる。
「あの群れを何とかするにも、先ずは“あの人達”と合流するのが先。貴方が此処に居るという事は、奴等を“素通り出来る方法”があるって事でしょ?」
「……あー」
二人の思いに納得した上で、物凄く渋い表情を作る竜二。
何と言うか、何処か申し訳なさそうな雰囲気があった。
「ひょっとして、物凄く難しい技だったりします?」
「まぁ、多少はな」
少し心配そうなマミにそう言った彼は、徐ろに端末の返還を求める。
ほむらが彼に端末を返すと、彼はライトを起動してロビーの一角を照らした。
そこには金具の蓋が外された、縦15cm横20cm程度の四角い通気口が開いていた。
「…………冗談?」
「縄抜けの要領で関節を外したまま、真面に息も出来ない真っ暗な閉鎖空間を腹筋だけで移動する覚悟があるなら、手本は教えるが」
「ご遠慮します」
即答だった。然もマミの方が。
倉庫で子供の頃の宝物を入れた小さなブリキ箱を見付けて懐かしい思いで蓋を開けたら、集めてたセミの抜け殻が腐って異常な臭いを発していたみたいな、そんな何とも言えない表情を作った彼女等を置いて、彼は再び“レギオン”の観察を始める。
そんな時、ふとマミがこんな事を聞いてきた。
「さっきから聞こえてるカチカチ鳴ってる音は何なんです?」
「奴等の威嚇音じゃないか? 顎を噛み合わせて音を出すのは、スズメバチの習性だしな」
「でも、此処に私達が来た時からずっと鳴ってたわよ。一体何に威嚇してるのかしら」
「……ふむ」
暫し考え込んだ彼だったが、突然顔を上げてマミの方を向いた。
「少しだけ力を借りられるか」
「何をすれば?」
「そこにベンチがある。それをお前のリボンで掴んでカウンターに投げ込みたい」
「……いきなり派手にやりますね」
「銃撃程度では怯まない相手だ、これ位じゃないと揺さぶりにもならんだろう」
心得た、という様に頷いた彼女は、ほむらに再び渡った端末のライトでベンチを照らして貰いながら、柱から身を乗り出してベンチへ数本のリボンを伸ばして巻き付ける。
そのまま少しだけ引いて動くのを確認するや、リボンの伸縮する勢いを生かして一息でカウンターへ投げ飛ばす。
それと同時に、ライト機能を消そうとしていたほむらからいきなり竜二が端末を奪い取った。
抗議の声を上げようとする彼女を無視して、素早くカウンターへとライトを向ける。
その光に吸い寄せられるように、少女の腕から放たれたとは思えない速さで飛んでいくベンチに気付き、慌てた様子で“レギオン”の群れが飛び立つ。
その直後にベンチは正確な狙いでカウンターの中心へと突き刺さり、壁と一体化していたそれを突き破り奥のスペースへとめり込む。
その衝撃で、残りの個体も全て飛び立ち、カウンターの残骸の上で集まった。
だが群れの真ん中に攻撃を受けた事で向こうも頭に来たらしく、トルネードの様に円を描きながら激しく飛び回り、一部の個体は群れを離れて周囲を捜索、特に光を当てられた方向への威嚇と巡回が激しくなっている。
ライト機能を消して柱へ身を隠す彼に、ほむらが怒りの声を上げた。
「何考えているの!? ライトなんて当てたらこっちの居場所を教えてるようなものでしょ!?」
だが、彼は何も答えず、ただ何かを考え込んでいる。
少し違う事が有るとすれば、その表情が先程以上に深刻な物になっている事だろう。
「これは、思った以上に不味い事になってるかもしれん」
「……何だって?」
「まだ確信が無い。だが仮に事実としたら、確実に仕留めるには少々強引な手を使わざるを得ない。……構わんな?」
その頃、ホールでの戦いもいよいよ終盤に差し掛かっていた。
片や、大量の銃弾を消費し、予備の拳銃も残弾残り僅かになって猶予が無くなって来たイレブン達。
片や、多くの同類を撃ち落とされ、盾に使っていた固定座席も粗方が穴だらけになり、群れのリーダー自身も掠めた銃弾で後足の一本を失う程に疲弊した“レギオン”。
互いにボロボロに傷付き、だがお互いに引く様子は見られない。
終わりの時は近い。
――奴等一体一体は其処まで硬くない。拳銃でも何でも良い、兎に角胴体に一発でも入れられれば奴は落ちる――
彼等はアイコンタクトで連携を取り、群れを囲い込む様に動く。
“レギオン”も残りの群れ全体で突進を仕掛けたりと抵抗するが、明らかに速度も精度も落ちている。
座席を引っこ抜いた事もあって障害物も減り、今や難なく躱せる程度のものでしかない。
一方で彼等も散発的な射撃を行い、狼の群れの様に確実に追い込んでいく。
そして、等々端の方に囲う様に追い詰める事に成功した。
――【……残弾を考えても、これが最後のチャンスだろうな】――
傷付いてなお敏捷性の高く小柄な彼等を確実に仕留められるのは、囲んで十字砲火を浴びせる事以外には難しい。
そして、今の残弾数では出来て後一回と言った所だった。
確実に仕留めなければならない分、重圧は重くなる。
「群れの長」を誘き出して足止め、仕留めるのが彼等の役目である以上、失敗は許されない。
だがそれにしても、何か引っかかるような感覚を覚えていた。
根本的に、積み上げて来た土台を間違っているような感覚を。
だが、今更ここに来て後戻りは出来ない。
全員で銃を構え、最後の攻撃を行おうとする。
丁度その時だった。
「【……何だ?】」
思わず誰かが呟いた。
先程まで固まって此方を睨んでいた“レギオン”が、突然フラフラと散開し始めたのだ。
中央で孤立したリーダーが、まるで子供の様にオロオロしながら金属音を放つも、周囲の個体は全く見向きもしない。
あちこちに飛び散り、勝手気ままに動き始める。
――今になってリーダーを見捨てた? 一体どうして?――
理由は分からないが、願っても無いタイミングだ。
ただ一体留まったリーダー格に銃口を向けるが、引き金を引く前に事態は進んだ。
ふらっ、と出し抜けにリーダーが体勢を崩し、そのまま墜落したのだ。
全く訳も分からず、首を傾げたイレブン達が包囲を狭めて落ちたリーダーへと近寄る。
見ると、落ちたリーダーは羽や足を細かく痙攣させていたが、暫くするとそれもやがて停まった。
思わず彼等が顔を見合わせた、その時だった。
ホールの入り口の奥、廊下の方から大きな物音が響いてきた。
それは断続的な銃声、だが彼等の物とは少し質が異なる音だった。
同時に、聞き慣れた不快音が響き始める。
蜂の羽音のようなそれは、明らかに“レギオン”の物だ。
「【残党が残っていたのか!?】」
驚いたバディが険しい表情で叫び、慌てたイレブンは近くに置いてあったカンテラを掴んでホールを飛び出す。
素早く廊下を駆け抜けた彼等が目にしたのは、カウンターのすぐ前に固まる真っ黒な虫の群れに混じった、大量に浮かぶパイプ椅子やベンチ、破壊されたカウンターの残骸と言った手当たり次第の物を集めたバリケードだった。
そこに向かって、柱の裏に身体を隠しながら射撃を続ける黒髪の少女の姿が、その幼さに不釣り合いなアサルトライフルの凶悪なマズルフラッシュに照らし出されている。
さらに、そこに向かって別方向から「赤い物体」が投げ込まれ、直後に銃弾が当たって弾け、白い煙のような何かが一帯に撒き散らかされた。
群れの近くに居た彼等にもそれは飛んできて、顔を庇った腕にヒンヤリとした泡状の何かが付着する。
手で取ってみると、それは単なる泡じゃなく微妙に粘り気が存在する。
「【消火剤か?】」
「【油の火災にも対応してる奴だ。羽や触覚に付着すれば多少は怯むだろう】」
本当に、いつの間にか直ぐ傍まで来ていた“若者”が答える。
現に、“レギオン”は付着した泡で羽が動かしにくいのか、浮力が維持できずに大量に浮かんでいた残骸ごと粗方床に落下していた。
その隙を突いて彼は真っ直ぐ群れに突撃し、その向こう側のカウンターの内部に強引に入って行く。
一瞬だけ、復帰し始めた“レギオン”に群がられてその姿が見えなくなるが、再び群れを突っ切って彼は戻って来た。
「畜生、やっぱりそう言う事か!」
日本語で悪態を吐くや、彼は服にへばり付く虫を払い落としながら彼は叫ぶ。
「マミ、想定通りだ。“それ”を持って先に建物裏に回れ! ほむらはそのまま! 【そっちも彼女と一緒にこいつ等を追い込んでくれ!】」
「【畜生ッ!】」
状況が理解できないまま、だがカウンターを包囲するように扇状に隊を移動させる彼等を尻目に、彼は先に移動を始めたマミの後を追う。
暗い廊下を駆け、途中の小さな通路の分岐を予め予習した手順に従って曲がると、先に移動していたマミの後ろ姿がボンヤリと見えてくる。
彼女は裏口にも律義に降りていた防火シャッターを前に、足音に気付いたのか此方に振り向いてくる。
「あ、あの! これって……」
そう言えば極力、
そんな事を思いつつ、だが周囲を見ても欧米の様に緊急用の手斧(主に通路を塞ぐ瓦礫や鍵の掛かった扉を壊す為)や動かせる大型のカートの様なものは置いてない。
代わりを探しに行っている時間も無いだろう。
なので、
走る勢いを殺さずにシャッターに足の裏を付け、そのまま前に押し込む様に
「え」
ポカンとした表情でマミが呟く。
その直ぐ前で、彼に蹴飛ばされたシャッターが
そしてその奥で一際大きな轟音が響くが、恐らく奥側の棟の壁に当たったのだろう。
思わず目元を拭って惨状を確認する彼女を余所に、彼は外に出て目的の物を探す。
そして悔しげに悪態を吐いた。
「番号でも確認すべきだったか……、
彼の目の前にあるのはこの棟の一階に設置された“エアコン”、その室外機に当たるパーツだ。
だが流石に大きな建築物なだけあって、その数は3個や4個では済んでなかった。
失念していた難題に頭を抱える彼に、ここで建物出て来たマミが胸に抱いていた“マインスロアー”を彼に差し出しながら言う。
「此処は私に任せてくれませんか? ちょっと考えがあります」
「どうするつもりだ?」
彼がそれを受け取ると、彼女は一旦両手を手を握りしめて、次にそれを開くや左右5本、計10本のリボンが真っ直ぐにラジエーターの吸気口の奥に延びていく。
その付け根は、彼女の指に一本一本繋がっていた。
「振動で探知しようってか。考えたな」
「こんな使い方は初めてですけどね、でも数十体の群れなら……」
つまり、こういう事だった。
現在成体になっている“レギオン”は同じ“レギオン”しか食せない。
そして、今の幼体を養えるだけの環境はこの場に存在しない。
唯一の食料限も殆どが死に絶えた。
猶予はない、だから彼等は「新天地」を求めた。
恐らく始めから、それこそ「ドアを開けられた瞬間」から、彼等の“脱出計画”は始まっていたのだろう。
「邪魔になる“人間”は「
これこそが、徹頭徹尾に守られた彼等の行動理念だったのだ。
彼等が今に至るまでに、どんな試行を行っていたかは分からない。
それこそ何処かに、
でも恐らく、その何れも成就しなかった。
群れの勢力も限界が近い。
だから、彼等は「元々外と繋がっている」通路に望みを託した。
――此処の通気口は鉄板の蓋で塞がれている。集えば鉄骨でも持てる奴等でも、通気口の狭い領域では2~3体しか動けないし、それでは無理だったんだ。だが、天井にくっ付いているエアコンなら邪魔になるのは合成繊維のフィルターだけだ。それなら簡単に喰い破れる――
カチカチとなっていた音は威嚇ではなく、フィルターの繊維やプラスチックのフレームを食い破る音だったのだ。
どれ程攻撃を喰らおうが群れ自体はその場を動こうとしなかったのも、身を守る物が多く、且つ動けない幼体を置いておけるスペースもあるカウンターを離れたくなかったからなのだろう。
そして幼体と一部の成体を残して、残りはホールの方へと向かった。
宛ら、我が子を捕食者から守る為に身を挺して囮になる草食動物の様に、始めから犠牲になるつもりで人間に立ち向かったのだ。
全ては、生物兵器には有りえない、「種を残す」本能の為に。
だが、その最後の望みも此処で潰える。
「来た!」
右端から2番目、その室外機から一際強い振動が指に伝わる。
彼は一度彼女に目を向け、同じく彼に向いていた彼女と目を合わせて一度頷き、室外機の吸気口手前にマインスロアーを向ける。
そのまま一回引き金を引き、飛び出した弾丸が土に狙い通りに突き刺さり、赤いランプを点灯させる。
これで準備は整った。
念の為にマミに消火器を持って来るように指示し、彼は10m程距離を離す。
直ぐ傍にあった別の室外機の影にしゃがみ込むのと時を同じくして、漸く問題の室外機からくぐもった
音が聞こえて来た。
群れが一斉に狭い配管を通って来たのもあって、進行が遅くなっていたのだろう。
そして、吸気口のフィンの間を潜り抜けるように出て来た黒い物体が羽を広げて飛び立つや、ランプが赤から緑に変化した。
速やかに弾丸が起爆し、中から大量の液体と信管の火花が飛び散り、引火性を持ってるらしい液体に着火して一気に燃え上がる。
まるで火炎瓶でも投げ込んだ様に、室外機の前を遮る巨大な火柱が発生した。
――アレは人間を襲わないからと言って、無闇に野に放って良い訳じゃない。1年目は良くても、5年10年後に突然変異の新種を生み出したい訳でもないからね。此方も対抗策はあった。適切に「使用した」後、その後始末の「手順」を確立していた。それを此処で使う――
強い熱風が彼の元に吹き付けられ、目の粘膜が乾きそうになって目を細める。
だが完全に閉じる事無く、目の前の“処理”を眺めていた。
――バッタもハチも、共通して
室外機から飛び出した“レギオン”は、まるで吸い込まれる様に炎に飛び込み、自らその身を焼いて落ちて行く。
当然、眠らされた幼体も例外じゃなく、成体に咥えられたまま火に飛び込んでは灰に変わる。
中には室外機にしがみ付いて耐えるような仕草を見せる個体も居たが、それも次第に熱にやられて落ちて行く。
その光景を前に彼は、
「【……で、敢えて狭い配管に追い込む事で、
建物の裏にやって来たイレブンが、真っ黒に変色した室外機を前にそう呟く。
塗料と虫の焼けたキツイ臭いに部下共々顔を顰める彼だったが、ふとその耳が遠くの方から響くサイレンの音を聞きつけた。
先程の炎に火災報知機でも反応したのかも知れない。
或は、敢えて「彼女等」が呼んだのか。
「【これで一旦収束したのか?】」
「【……お、通信が出来る。兎も角、向こうも引いたみたいだな】」
端末の電波状況を確認し、久々に“上司”に連絡を取る竜二。
一方で、集まってくるだろう警察や消防へ対応するべく、イレブンらも部隊を率いて正面入り口へと向かう。
そして、各自が事後処理に移るこの状況に困ったのが「一般人」のマミだ。
「あの、私達は一体如何すれば?」
「っと、そうだったな。……あんまり遅くまで留めるのも悪いし、彼等には何とか言っておくから――」
そう言っていた所で、漸く彼は気づいた。
「――ほむらの奴は何処だ?」
『……ふー、一時はどうなるかと』
「おかえりなさい、事は済みましたか?」
『まぁね、上々。これで「アイツ等」も納得するでしょ。……“ルート”は構築出来るってね』
「あれだけの異常事態に対応出来たって事も、恐らく評価の上乗せになるでしょう。「予定」を少し早めても良いかと」
『かな。……「予定調和」ってのも、いい加減吐いて捨てたい所だけど』
「……完璧な制御下にあった状況で、不意の事態が起こるとすれば、それは外部の干渉と言うよりも、寧ろ制御下にあった「内部」の問題だと?」
『ま、だからこそ。向こうはこの「土産」に文句を言う事は出来ないし、絶対に言わせない……怖い顔しなくて良いよ、ちょっとした
『じゃ、暫く