死闘と混迷の、厳かなる幕開け。
Chapter7:虚腕の
Ch-7-Act-01
・朝、アパート一室。
休日の古いアパートの朝は遅い様で、9時となった今は何処から伴なく食欲をそそる様な匂いが漂ってくる。
そんな中、一足早くに食事を済ませていた彼は玄関前で靴を履きながら、脇に置いてある3枚のチケットを眺めていた。
一見すれば、後一時間程で開幕する筈のコンサートのチケットである。
ラインナップを調べてみた所、オペラ音楽のオーケストラ演奏と言った風であった。
それ自体には何の意味も無い。
だがこのコンサートで、「彼女」が何かを起こすらしい。
そして、予め会場内に居る事でその妨害に繋がる、というのが今回の問題だった。
靴を履き終え、三枚あるチケットの内の一枚をポケットにしまい、残りの2枚を手に取って見詰める。
どう考えても、後二人分戦力を用意しろというお達しだったが、彼は結局ジョージ以外の誰にも伝えなかった。
クリスらは立場があるし、“彼女達”はそもそも此方から巻き込むのは論外だ。
寧ろ単独の方がいつもらしい、そんな事さえ思っていた。
だから、少々目の前の現状には戸惑った。
何故なら、会場に向かう為に開けた扉の向こうに、例の少女二人が立っていたからだ。
「こんな朝っぱらから、二人してどうした?」
飽くまで平静を装って、彼は二人に聞く。
二人の表情は何時に無く真剣な、緊張感に満ちたものだ。
コンサートの事を知っているとは思えない、すると昨日の「一件」が問題なのか。
そう心当たりを巡っていると、マミの方が無言で自分の携帯を取り出して此方に見せてくる。
表示されていたのは、一通のメールのようだった。
「……ああ、そうだった。知り合いならメアドの一つでも交換しているか」
内容などみるまでも無い、思わず目を背けながら彼は呟いた。
二人の方も彼の反応は予測出来ていたのだろう、マミの方が此方に詰め寄ってきた。
「あなたが望んでない事も知ってます、ですが、もうこれは他人事じゃない。“あの子”がそっちに関わってるとなれば、私が連れ戻さなきゃいけない」
「お前達の闘いぶりは知ってるし、それを不当に下に見たり、馬鹿にしたりはしない。俺達と同じ様に死地に向かってるんだろう。……だが敢えて言おう、
二人が息を呑むのが分かる。
恐らく始めてだからだろう、彼が明確に怒りを見せたのは。
「先輩後輩、先人として庇う義務。素晴らしい心構えだ。だがな、そんな綺麗事だけじゃ世界は回らん。火の中に取り残された子供救う為に水被って突っ込むのは美談だが、それを
手に持っていた二枚のチケット、それを二人の目の前で二つ折りに破り捨てる。
そして、有無を言わさぬままに二人を押し退け、歩き去ろうとする。
「……黙って向かう事も出来たろうが、それでも顔を見せた事は評価する。だがそれとは話は別だ。素人の癖に首を突っ込んだ馬鹿は引き摺ってでも連れ戻す、その役目は俺の物だ。お前には譲らん」
最後に立ち止まってそう言い残し、彼は建物の影に姿を消す。
「予想通りだったわね」
終始無言だったほむらが、傍らのマミに言う。
メールが来たのは昨日の夜だ、二人はその直後にこっそり会ってそれを相談していた。
ほむらとしては、さやか自身を助ける事に大きなメリットは無いが、少なくともマミに対する信頼度を保つ上では協力するべきだと判断していた。
今一番身近な戦力が彼女しか居ない上、“従来は”良く組んでいた佐倉杏子の現状を聞いていたからこそ、此処で彼女と決別するのは悪手だったのだ。
……因みに、杏子についてはまだ彼には伝えていない、飽くまで事実上の無関係を保つ上での混乱の材料になる事を恐れたからだった。
だがこれで諦めてくれるだろうか。
そうじゃないと心の中で思いつつマミの様子を見てみると、彼女は意外な程ショックを受けた様子も無く、身を屈めて落ちていたチケットの破片を拾う。
その片割れを此方に寄越してくるので、受け取って見ると、
「何これ、何か凄いベタベタするんだけど」
「糊みたいね。二枚を貼り付けるだけじゃなくて、敢えて過剰に塗って
「……え。それって、つまり」
改めてその破片を確認するが、あれだけ破かれている割に、座席番号と運営側の控え券の部分だけがキレイに残っている。
そして、その部分さえ残って居れば、最悪チケットとして機能する。
「……アイツ、あれだけ言って置いて」
「人を遠ざける割に、身内には甘い人なのかもね。案外」
・劇場、正門ゲート。
そんでもって後を追ってみると、来る事自体を既に知っていたのか正門前で待ち伏せしていた。
「(……始めから渡すつもりなら、そうしてくれれば良いのに)」
「(阿呆。こっちも立場があるんだ、大っぴらに許可出来る訳ないだろ。
本人としても人手が足りないのは理解していたし、本音で言えば手を借りたいとも思っていたのかもしれない。
それでも立場上言えず、結局は「勝手に付いてこられた」という風にしないといけなかったのだろう。
面倒な事だと思ったが、彼もまた同じ思いなのだろう、何も言わないで置いた。
三人並んで難なく受付を済ませ、ホールに入場する。
そのまま指定された座席に向かうと、真ん中あたりの端から3つ並んだ席の様だった。
「俺が端でも良いか?」
「別に良いけど、何かあるの?」
「前後左右を挟まれたら動きにくい。お前達は飛ぶなり何なり出来るかも知れんが、
微妙に含みのある返答だが、彼なりの事情があるのだろう。
特に反論の余地も無いので、端から竜二、ほむら、マミの順に座る事に。
割と人気のあるコンサートだったのか、会場は殆ど満員だった。
と言う訳で、当然マミの隣にも人が座っている訳で。
「お隣失礼します」
『いやいや、どうぞど――』
何と言うか、場の空気が絶対零度の如く凍りついた。
マミのすぐ隣の席で、音楽プレイヤーに繋がったヘッドホンとメガネを外したのは、昨日散々此方を振り回した「エーワックス」だったからだ。
昨日と同じ、薄い青色のワンピースにベストを羽織った少女の白磁の様な髪の上で、ヘッドホンに押さえつけられてたらしい金髪が猫の様にびこーんと立ち上がっている。
「なっ、貴方――ッ!」
『わー!! 待って待って、ちょっと待って!! どういう事なのコレ!?』
三人が身構えると、「エーワックス」は慌てた様子で両手を振り、直後に青い顔になって周囲を見渡す。
それで気付いたが、今の大声でかなり周囲の人間の注意を引いてしまった様だ。
多くの目線に晒されながら、流石に此処でドンパチはマズいと悟った竜二に諭され、四人は席に付く。
一番近い事もあって、代表してマミが彼女に喋りかけた。
「やっぱり居たのね、此処で何をするつもりなの」
『いや、やる事は確かにあるけど。それとは別にこの講演はオフだよ? 普通に観賞に来ただけ』
「……あのね」
『いや睨まれても出て来ないものは出て来ないから! ああもう、言います言います! 今晩です! 今晩色々するつもりでしたぁ!』
やけくそになって叫ぶ彼女の様子に、嘘を言っている様な変な印象はない。
本気で予想外で、本当に困惑している様子だった。
『いやさぁこう言っちゃアレだけど、結構外でドンパチして緊迫した事情だよね今。何で三人そろって呑気にコンサートに来てるのかな。緊張感ゼロなの? 何でお隣さんなの? 私死ぬの?』
「言葉をまんま返すようだが、その緊迫した事情を作った張本人が何で呑気に趣味に没頭してるんだよ。アレか? 今時のテ――えぇ面倒、兎に角お前らは労働基準法に則って休暇消費してんのか? アウトロ―の癖にホワイトとかもうこれ分かんねぇな」
ぬぁぁぁぁぁぁぁぁ、と呻き声を上げながら膝に突っ伏す「エーワックス」に、自分で言ってて悲しくなったのか何処かたそがれる竜二。
端の二人が当てにならないので、間の二人が場の軌道修正に乗り出す。
「漫才してる場合じゃないでしょ。此処で取り押さえて根堀り聞き出す事が優先よ」
「そうね。此処で出会ったが最後、私達から逃れられると思わない事ね」
二人がソウルジェムを取り出すと、その意味を悟ったのか、あわあわと「エーワックス」は慌てだす。
だが逃げ場がないと分かったのか、とうとう観念した様に肩を落とした。
『……ねぇ、この舞台だけでも見させて貰いたいんだけど』
「そんな事言って、逃げ道を作らせるような事を許すと思っているの?」
『抵抗しないから! ホントの本当! これだけはぁぁ』
絶望を見た様な涙目で、ペコーっと頭を下げて懇願する。
問答無用、と言うように飛び掛ろうとする二人に怯える彼女に、助け舟を出したのは竜二だった。
信じられない、と言う風に彼を見る二人に、その男は首を鳴らしながら言う。
「さっきも漏らしてたが、コイツが此処で何かするのは確定なんだろ。此処で取り押さえてみろ、この
「でも……ッ!」
「その選択肢を真っ先に出してこない辺り、抵抗しないってのに嘘は無いんだろ。最悪直ぐ傍だし、お前のリボンで繋いでおけば良いんじゃないか?」
何処となく楽観的と言うか、荒事にしたくない風が見える。
納得はできてないが、彼のいう事も一理はある、年長者である事もあり渋々二人はその意見に従った。
目立たない様に腰の辺り、三重にリボンを巻き付けてマミの身体と繋ぐ事で止めると、「エーワックス」は神仏を拝む様なお辞儀をした。
『この恩は必ず精神的に』
「調子が狂う様な事を言うな……、と言うか、お前オペラが好きなのか」
『音楽全般は嗜んでいるよ。音波は脳の活動や精神に対してリラックス効果を齎すからね。そして音楽にとって一番重要なのは音のテンポ、響きや和音が一つの纏まった意味を作りだす事。それが人の想像心を刺激し、無限の聖域に連れ出す。つまり
ああコイツ、本気で趣味で来たんだ。
半ば呆れながら理解した三人に向けて語る「エーワックス」の瞳は
これは長丁場になりそうだ、と竜二は目を瞑った。
そもそも、「オペラ」とはルネサンス後期、古代ヨーロッパにおける古典芸術を復興させようとする地域全体の活動傾向にあった最中、古代ギリシャで行われていた「演劇」を復活させる運動の最中で生み出された。
ギリシャ悲劇を模範に、歌や音楽を用いて演出する劇として成立した「演劇」は「
比較的初期に誕生したギリシャ系の「オペラ」は後に貴族階級に受け入れられ、後に「
貴族階級と共に早期に成熟し、後に廃れたジャンルだが、宮廷音楽家であった「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」を筆頭とする著名な音楽家たちによって完成された作品はどれも一見、ならぬ一聴の価値ありだ。
その一方、後期に始まったより世俗的で、コメディ性の強い歌劇は「
今でいう「オペラ」とは殆どこれの事を指し、現在でも様々な歌劇が公開され、楽しまれているのである。
『最近だと映画が盛んになって、その高度な映像技術が持て囃されるけど、臨場感で言うならオペラには多分敵わない。同じ題材の物でも、映画と遊園地のアトラクションでは臨場感に差が出る様に、オペラは其処で実際に人が居て、実際に劇を演じてるって事だけでも見る者を引き込む力があるの。更に普通の寸劇と違うのが、歌う様に話すセリフと共に流れる音楽。何百年と培っただけあって、その求心力は尋常じゃない。「オペラ」とは「寸劇」ではなく「音楽作品」なのよ。曲との結び付きが深い。だから見終わった後は、その時の曲を聴くだけで「物語」が、「歌劇」が鮮明に浮かび上がる。未だに多くの人の心を掴み、足しげく通わせるのはそう言った理由があるからだね』
「……ぐぅ」
『私の話が長いのは認めるけど、演奏前に平然と熟睡するその精神は一体どうなっているの。……一回オペラ座に連行したろうか』
真っ先に爆睡する竜二を見て、「エーワックス」は思いっきり毒吐く。
ほむらは眠りこそしないが、殆ど聞き流しの様な感じでぼんやりと時計を眺めていた。
そしてマミは、
「そう言うあなたは、オペラ座行った事あるの?」
『パリの本家の事なら一回ね。かの有名な「
本人の嗜好もあったのだろう、割と喰いついていた。
そうしている内に、ブザー音と共に劇場の照明が調整され、やや薄暗くなる。
眠っていた彼もその変化で起き、他の三人と一緒に静かに降りた垂れ幕を見詰める。
<皆様、大変お待たせ致しました。これよりオペラ楽曲のオーケストラ演奏会を開幕致します――>
そんなアナウンスが終わるや、唐突に壮大なパイプオルガンが鳴り響く。
曲名「
「見た目」だけで忌み嫌われ、迫害から逃げ延びる末に「
その数奇な物語の入り口の様な荘厳なメロディーと共に、舞台の垂れ幕がゆっくり上がっていく。
本来は興味が薄かったほむらや竜二すらも、その光景から目を離せずにいた。
そして、彼等を含めて。
その場に居た誰もが、
舞台の上には、晴れやかなオペラ歌手も、紳士的にスーツを纏った演奏者も居なかった。
ただ一人、安っぽいジーパンに紫色のジャンバーを羽織った、小さな少女が立っていただけだった。
その姿を見て、思わず彼は視線を横にずらす。
其処には、難しい顔をして額を押さえる「エーワックス」の姿が有った。
そう、髪型が首の後ろで結んだ簡単なツインテールだったとしても。
頭頂部に生える金髪が、左右ではなく前後に伸びていても。
その透き通るような特徴的な容姿は、「エーワックス」と
オペラ歌手が立つべき台に一人立つ彼女の背後には、無人の椅子にオーケストラに用いる楽器が置かれている。
今まで耳にしていた音楽は、全て
無人のピアノの鍵盤が動き、宙に浮いた弦がバイオリンの音色を奏で、トランペットが独りでに音を発する。
流石に事態を悟ったのか、会場がざわめき出す。
だがその時、それを鎮めるかのように高らかな声が響いた。
舞台に立った少女のものだった。
それは最早言葉では語り切れない、強さと儚さを合わせた歌声だった。
そして、少女は一瞬で此処に居た全ての人の心を奪った。
静まり返ったホールの中で、ただ少女の“詩”を聞いていた。
オペラ座の地下に住み着いた醜い「怪人」は、だが同時に「天使の声」を持っていた。
何処から伴なく響くその声で、それは
その声に、その不思議な力に、やがて彼女は舞台の主役をも成功させる。
例え、その為に「怪物」が裏で動いていたとしても、表で彼女が輝くのは間違いなく、彼女自身の力と「天使の声」の賜物だ。
だが、それでも彼女は気付いてしまっていた。
「天使の声」は己の武器であると同時に、あの「怪物」が己に掛けた戒めであるという事に。
例えどれ程忘れようとしても、あの声を忘れる事は出来ない、決して戒めが解かれる事は無い。
一度その声を聞いてしまったら、己は己で居られなくなる、ただ我を忘れて甘美に浸る事しか出来ない。
「
そう、其れこそが「
愛しき
少女は、舞台の上でくるりと背を向ける。
同時に照明が変化し、毒々しい赤色に変わる。
長い髪を揺らし、顔を手で覆いながら首だけ此方を向く少女は、本当に「怪人」の様に思える。
そして少女が発しているとは思えない、美しい青年の声で「怪物」の思いが綴られた。
生まれた時から、彼は「愛」を知らなかった。
崩れ落ちた肌に、醜く歪んだ顔、それは産みの親でさえも忌み嫌った。
罵られ、追い出され、嫌われて、それが日常になっていた。
それで誰かを恨んだ事は無い、それが
仮面を付けて姿を隠し、誰も寄らぬ地下に身を潜める、例え「怪人」と呼ばれても孤独な己には届かない。
ああ、だから
私と共に、永遠の
この醜き姿を見て、それを恐れて、それで尚も共に居てくれるお前でしか、私には有りえないのだ。
私に愛を注いでくれ。
孤独に生き続け、虚ろになったこの身を、その声で満たしてくれ。
そして、懺悔させてほしい。
罪を重ねて、忌み嫌われて、永遠に孤独に生きて行けると、それが
そうやって、自分に「仮面」を被って、偽り続けていた。
その過ちを、どうか、償わせてくれ。
そう、其れこそが「
醜き
詩は続ける。
焦がれる様に、狂った様に愛を求める「怪人」と。
その“歪んだ”思いを知りながら、恐れながら、それでも見捨てられない「歌姫」と。
迷宮に迷い込んだように入り組んで、すれ違い続ける思いを、歌い上げる。
全ては、永遠に
歌え、我らが中の
「
その終わりは、ただ沈黙と共にあった。
音が消え、誰もが、息を忘れる程に“魅了”されていた。
そう、
そして、その囁きを弾き返したのもまた、同じ「怪物」だった。
『ほら、シャキッとしろ!』
耳元で叫ばれて、マミとほむらが我に帰る。
驚いたように周囲を見渡すと、直ぐ隣で席から立ち上がった竜二が、その手の拳銃を少女に向けていた。
そんな彼等を見詰める様に、舞台の少女は此方と向き合っている。
その顔が、その気迫が、激しい怒りと憎しみに染まっていく。
『どうやら、勝手に題目を変更した馬鹿が居るみたいだね……折角の休暇を潰しやがって、こっちも堪忍袋の緒が切れるってんだよ』
「エーワックス」が吐き捨てる様に言うと、彼等に顔を向けてこう言った。
『観客達の避難誘導は任せるからね、頼んだよ』
竜二も目を向けた先では、エーワックスが席から立ち上がり、腹に巻かれたリボンに手を置いている。
その次の瞬間、まるで水の中を通す様に
流石の彼ですら唖然とする中で、彼女は目を真ん丸にするマミにリボンを渡すと、気楽な風に言った。
『んじゃ、行ってくる』
誰の制止も聞かず、彼女は舞台の少女に向けて一足で突っ込んで行く。
高速で衝突するその直前、彼は少女の肩の先の空間から突如
そして、強烈な青い閃光と共に。
存在してはならない、二体の「怪物」の「闘劇」が始まった。