・中学校、敷地内
蘇ったのは、あの日、自分がこの場に巻き込まれる大きな「分岐」になったあの一件の記憶。
無意識化に、認知外の刺激を与えて「姿を消した」という「エーワックス」の嘘。
「あー、だが勘違いはするな。これは飽くまで“認知”の誤差と言うか、あれだ。
頭を掻きながら、訂正する様に彼が言う。
その姿はぼんやりとしていて、周囲の色がコートの黒に溶け込んでいる様な錯覚を覚える。
今見ているその輪郭が、既に「残像」に近いものなのかもしれない。
「……いきなり、何をするの」
「さっきも言ったが、表向きはお前は「容疑者」だ。……ああ、手元にたった今入って来たよ。「女の子一人行方不明」ってね。普通は無視する案件だが、
「それは、貴方が仕向けた事でしょ。コイツの“監視役”として」
今更、その「コイツ」の脇に抱えられている事を自覚するが、無理に引き離すと自分が倒れてしまう。
苦い顔をしたほむらを余所に、その「コイツ」こと「エフエ―」は暫くジッと前を向いていたが、何かを悟った様に目を閉じた。
『多分
「試験?」
「お察しが速いようで何より。説明の手間が省けるな……、要は
力試し、といえば聞こえは良いが、結局は勝手に理由を付けて「道具」として使えるか試している風である。
彼自身の、対等な人間を見る目じゃなく、宛ら棚に並んだ商品を吟味する様な視線も、それを裏付けていた。
「さて、と言う訳で、頑張って凌いでみな。……本気で言ってるぞ? 加減はするが、
そう言うや、彼は予兆も無く真っ直ぐ此方へ向かってくる。
「走る」というよりは「駆ける」と言うべき、一歩一歩が幅跳びでもしている様な「跳躍」をもって、瞬く間に距離を詰めてくる。
何か文句を言う暇などなかった。
ほむらが動くよりも早く、「エフエ―」が長い白髪の間から「翼」を広げるや、彼女を腕に抱えて飛び上り、真上の鉄の板を突き破ってその上へ逃れる。
そのまま2階の床を突き抜け、彼と「コの字」にすれ違う様にグラウンドへ飛び出した。
「ッぐ、ちょっと貴方――!!」
『彼 交戦 望。 互 利害 一致』
「でも私が貴方と協力する謂れは――」
『問。 単独 彼
「……それは」
『貴方 怪我 満足
二人がグラウンドに降り立ったのを悟り、「Uの字」に切り返して突撃して来る彼に、ほむらを降ろした「エフエ―」が立ちはだかる。
彼女もまた、地面スレスレを飛ぶような格好で彼目掛けて突進、衝突直前に彼は右ストレートを放ち「エフエ―」の眉間を狙う。
直後に鉄骨が折れる様な凄まじい轟音が響くが、 その拳は「エフエ―」の張った青い膜に阻まれて眉間の数センチ前で止まっていた。
感心した様に片眉を上げる彼だったが、直後にその拳の直ぐ上に青い光が急速に集うのに気付く。
『
避けられないタイミングで放たれた「青い刃」は正確に彼の頭部を貫くが、直後にその姿が煙のように揺らぎ始める。
残像だ。
回り込んでいるのではと、「エフエ―」は背後のほむらの無事を確認する為に首だけで後ろを振り向く。
「前!!」
その彼女が叫ぶと同時に、前方至近距離に再び姿を見せた彼が今度は右掌で払う様に「膜」を叩く。
5本の指で抉られたようにそれが吹き飛び、その衝撃に煽られる様に「エフエ―」が僅かに仰け反る。
崩れた体勢を立て直そうと足を半歩後ろにずらす。
その隙を突くかのように、まだ右手を振り抜いた体勢のままの彼の右肩の「奥」の空間から突然、「何か」が槍の様に突っ込んできた。
「常識的」には、一人の「人間」には有りえないタイミングの攻撃。
だが「エフエ―」はギリギリで反応し、咄嗟に左手で弾く様にそれを凌ぐや背中の翼を
何事も無い様に対峙する二人。
だが背中に隠す様に回した彼女の左手は、穴あきチーズの様な無残な状態になっていた。
「今のは少しビビったぞ……、お蔭で
漸く振り抜いた右手を引き戻して「エフエ―」の方を向く、彼のその頭上に奇怪な黒い「丸鋸」の様な物が有った。
それは黒色の甲殻に覆われた触手に繋がれ、猫の「尻尾」の様にユラユラと揺れる。
その根元は、彼のコート裏の背中へと続いていた。
彼はその「尾」を見せびらかす様に背の向こうの空間を一回大きく薙ぐや、再び真っ直ぐ突進してくる。
完全に間の距離が埋まるその寸前に身体をぐるりと捻ると、鞭の様に撓った尾を叩き付けてきた。
先端では大きな「丸鋸」が高速で動いている。
受け止めたら腕ごと胴体を削られる、そう気付いた「エフエ―」は垂直に上昇する事で回避を試みる。
展開された翼部から勢い良く粒子が噴出し、小さな身体が一息に空中へと飛び上る。
直後に、勢いよく振り下ろされた「尾」はグラウンドを易々と砕き、回転する刃に巻き込まれた砂利が彼方此方に散らばった。
だが、体勢を戻すまでには時間が掛かる筈だ。
そのまま反撃を、と彼の頭上の「エフエ―」が動こうとして、いきなりその体勢が崩れた。
確認すると、「翼」の粒子の噴出の流れが明らかに乱れ、浮力が不安定になっている。
『被害 想定外 甚大。 飛行 攻撃 両立 不可 !?』
「言ってる場合か?」
足元に居た彼が、一息に跳び上って此方を狙う。
5m近く高空に浮上した「エフエ―」を、鳥を狩ろうとする豹の様に両手を伸ばして襲い掛かる。
不安定になった状態では飛行の維持で精一杯、咄嗟に回避も出来ずに「エフエ―」は冷や汗を流す。
だが、実際にその手に掴んだのは、30cm程度の円筒の物体だった。
その両端に、乾電池や簡単な配線が備わっているのが見える。
1秒もかけずに、彼はその正体を看破する。
「パイプ爆弾!?」
投げ捨てようと右腕を振りかぶった直後、それを狙ったかの様なタイミングで起爆した。
手榴弾よりも遥かに大きな爆発と共に、彼の身体が地面に叩き付けられる。
「……あれで、死なな、っわよね」
『多分 軽傷。 ……
それを、校舎の入り口の下駄箱の裏に隠れた二人が見届ける。
火薬の煙が充満する、その中から人影が浮かぶのを見るや、素早く二人は廊下を移動して彼の視界から逃れる。
まどかの両親の存在を見破った謎の「知覚」の前では無意味かも知れないが、抵抗しているのだと少しでも自分に納得させる為にはそうするしかなかった。
実際は殆ど「エフエ―」に抱えて貰う格好で、二人は無人の保健室へと辿り着く。
鍵を無理矢理「エフエ―」が焼き切り、躊躇なく飛び込む。
先程の戦闘の「救援」に動いたほむらだが、そもそも真面に立てるのが不思議な程の怪我を負っているのだ。
一度は止まった、腹に刺さった破片や足の怪我からの出血が、あの「無茶」によって再び始まっていた。
そのままベッドにほむらを降ろし、「エフエ―」は棚から救急箱を持って来る。
その間、ずっと彼女を見詰めていたほむらだが、その顔色は蒼白になっていて、言葉一つ吐くのも辛そうな状態だった。
『
「でも、っ、今は――」
『
まだ文句を言いそうな雰囲気だったので、その場にあったタオルを使って無理矢理猿轡を噛ませておく。
そして、躊躇なく胴体を片手で押さえて、もう一方で腹の破片を掴んだ。
大量出血の危険があるが、傷の化膿や破傷風を起こされる方が後に重荷になる。
「エフエ―」には外傷治療に対してある程度先見があるが、内科的な治療を行うには現状、物資も知識も不足しているのだ。
ほむらの抵抗を無視する様に力任せに、だが下手に傷を広げない様に一気に引き抜く。
激痛に身をよじって暴れるほむらを両手で抑えて、「エフエ―」は傷口の止血に動き始めた。
どうやら重大な血管は避けていたらしく、出血の勢いが増えているものの噴き出す様子は無かった。
傷に消毒液を垂らし、何故か箱の中に備わっていた縫合用の針を糸を用意して開いた傷を塞ぎに掛かる。
その辺りでピタリと動きが止まったほむらの様子を確認すると、痛みに精神を削られたのか、虚ろな瞳で天井を見ていた。
縫合を終え、猿轡を外してやった後に「エフエ―」は声を掛けてみる。
『痛覚 遮断?』
「……それも、知ってるの、ね。……してない。それをやったら、戻れなくな、るから」
『
包帯を巻いた所で、今度は足の様子を見る。
幾つも傷が出来て出血が多いものの、言えば其処まで甚大な怪我は無い様に見える。
だが、踝の裏辺りに真っ赤な腫れを見た彼女は、思わず天を仰いだ。
『アキレス腱 断裂。 ……無茶 限度
「何とか、片足でも歩けたから……」
枕木になりそうなものを探して、だが余り無さそうだったので、ベッドの枠組みの鉄骨の一部を切り取って支えにする。
冷蔵庫から持って来た保冷材と一緒に包帯で巻いて完全に固定する。
このまま安静にするのがベストだが、そんな暇はないだろう。
と言うより、ずっと廊下の方で待ってる気配がする。
『試験 目的
「……暫くは、小休止って事?」
『同時 情報 意見
彼女は「戦術」も専門に入ると言った。
つまりは、戦力分析もある程度は可能なのだろう。
直接戦った彼女なら、何か掴めるのかも知れない。
「あの人は
『貴方 魔法 彼 知。 先 成功 手段 多分 今後 通用
「……ぶっちゃけ、何か思いつく事ある?」
『
もう少し、戦ってみないと分からないと。
正直、今のコンデションでは先の様な無茶はしたくない所だが、此処で撃退できなければどうなるか分からない。
少なくとも、自分の望む未来にはならないだろう。
ほむらは横たわっていたベッドからゆっくりと降りようとして、よろけたのを「エフエ―」に支えて貰って何とか立ち上がる。
自分でも気付かない程に身体は消耗していた。
「……肩を並べる、って訳にもいかないわね」
『我 飛行
「長期戦は無理、って事か」
『奇襲 罠 駆使 弱点
「……まだか?」
壁一枚隔てた廊下に立ち尽くしながら、彼は待っていた。
先程の爆発の影響で服装が大分煤で汚れ、右肩から先が完全に消失している有様になっていた。
だが、その下にあった右腕自体は
あれだけの衝撃を受けて、その実、その身体は全くの無傷であった。
厳密には傷一つ付かなかった訳ではないが、最終的に傷が無ければ同じ事だろう。
「互いに十全じゃない状態だ。このまま逃げ切れると楽観出来る精神じゃない。とすると作戦会議か?」
目の前のドアに聞き耳でも立ててやりたい所だが、それでは態々この場を設けてる意味を失う。
一先ず応急処置をさせて、同時に一種
それは、「
推理小説で犯人のトリックをネタバレされてしまっては、主人公と同調して謎解きする面白さは失われる。
恋物語で結局誰が結ばれるかを知ってしまえば、途中の修羅場など単なるストレスにしかならなくなる。
そんな、
そして同時に、それは
そして、だからこそ、
「……それが、この程度の
不意に少し開いた保健室の扉の向こうから、片手に収まる程度の「黒い塊」が飛んで来た時は、正直落胆していた。
果たして、彼の居る廊下へと投げ込まれたのは、ほむらが所有していた
内部のマグネシウムが瞬時に発火する、その強烈な音と閃光で敵対者の五感を奪って昏倒させる武器を使ったのは、単純にそれで彼を気絶させようとする為ではない。
と言うより、投げるものその物は正直、その辺の石ころでも良かった。
問題はそれにどれだけ
つまり、手榴弾は
本命たる「エフエ―」は、それが破裂する爆音に紛れる様に、廊下に居るだろう彼目掛けて突撃した。
保健室の廊下側の壁全体に髪を張りつかせ、
ゴンッと響くような、然し確かな手応えを壁越しに感じた「エフエ―」は、その勢いのまま廊下を押し切って更に奥へと突き進む。
対面の壁にぶつかり、それを易々と押し壊して、その向こうの教室へと進む。
だがその中程で、突然
幾ら押しても、ミリ単位ですら進んでいかない。
一瞬彼女が後ろを振り向き、それで次に何が起こるか悟ったほむらが保健室を転がり出て、来た道を戻るように脱出する。
その直後、壁の向こうからの恐ろしい圧力に押し返された「エフエ―」が、
壁が瓦礫に崩れるけたたましい破壊音に、廊下を戻っていたほむらが思わず足を止めて振り返る。
その先、崩れた壁の向こうから幽鬼の様にゆらりと廊下に現れた
その背後で、己の身体よりも長い尾が鞭の様に撓る。
「……真面目にやるつもりだしな。さて、
「ッ!!」
背を向けて、出来る限りの速さで走る。
「エフエ―」の手当てもあって動くだけで死に掛ける事は無いが、それでも普段からは明らかに速度は落ちている。
時間を止めて移動すれば強引に無視できるが、彼女にその気は無かった。
別に出し惜しみをしている訳ではない。
他でもない、
その黒い影が校舎の奥へと消えていくのを、彼女は身を潜めて確認していた。
フリーになった、とは言い難いが、少なくとも此方への注意は散漫になった筈だ。
『
自然と英単語のぶつ切りの発言に戻っていた「エフエ―」は、瓦礫を押し退ける様に立ち上がる。
身体の調子を確認する、やはり「翼」の出力に問題がある様だ。
暫くすれば回復の見込みはあるが、それを待つ時間は無い。
『
彼女には、彼女のやるべき事が有る。
その為なら恥でも何でも喜んで受け止める。
それが裏切りになろうと、敵の利益になろうと。
彼女は
彼等は「
嘗て、「T-A.L.O.S.」という兵器が存在した。
4連装ロケットランチャーによる
脳内に埋め込んだチップによる
更に循環器系を
その頭文字を名前にする、「不死身の破壊性と精密な制御性」を両立させた次世代の「B.O.W.」。
彼女を産んだ……もとより、彼女を
「暴走」の運命を避けられなかった「T-A.L.O.S.」の失敗を基に、更なる革新を求めた結果だった。
制御不能な「生物兵器」に、より強固な「制御性」の枷を。
その研究の果てに誕生した「生物」だった。
だからこそ、彼女は「B.O.W.」とは言い難い。
何故なら、彼女の本来の役割は「破壊性」ではなく、「制御性」の方にあるのだから。
校舎に背を向け、翼部から青く発光する粒子を噴出し、だが飛ばずに地面を高速で滑る様に移動を始める。
凡そ生物には思えないその動き、だがその原理に根付くのは明らかな「生命」。
『
その意志は、果たして