・貨物タンカー「W.H.Merritt」、船内。
船外からも確認していたが、やはり船内に入ってからも薄々と感じ取れる。
何処にも見張りの姿がなく、それ所か、電気も非常灯程度しか点いてない。
始めから身を潜めて居るわけでもない限りは、この状況を見るに、恐らく
それでも出来る限り音を立てないように、いつも以上に慎重に通路を走るほむらは、先行している「エフエー」に声をかけた。
「道順は此方で良いの? 艦橋に行くにしては、さっきからどんどん下って行ってるけど」
『
足を床につける事無く、床に身体を平行に保ちながら殆ど静音に飛行していく。
まるでネバーランドかどっかから出てきた妖精を追っかけている構図だが、生憎ロマンを感じ取れる様な心理状態ではない。
先導されて進んでいくと、やがて船内エレベーターの前にたどり着いた。
扉の前で宙に浮かぶ「エフエー」に追い付き、ほむらは口を開いた。
「このエレベーターを使うの? 艦橋には階段が繋がってないとか」
『
「……ん? なら、何でエレベーターには無いって言えるの?」
『
首を傾げたほむらに答えるように、彼女は両手を伸ばした。
左右から合わせるように閉まった扉の、その隙間に指を差しこむように。
『
ベキンッ、と左右に押し広げるように、扉をこじ開ける。
余りの怪力に、扉を支える支柱が折れる前にドアが変形してしまっていた。
次に、彼女はくるりとその場で反転し、急激に伸長した白い髪がうねる様に動いて、こじ開けた隙間に潜り込んでいく。
そのまま暫くすると、遠くの方で何かが潰れるような怪音が響いた。
『
「確認は万全そうで何よりだわ」
目の前にはエレベーターを支える太いワイヤーが数本垂れ下がっているが、どれ程の高さを上がるのか分からないので、ほむらは「エフエー」の飛行能力に頼る事にした。
長く伸長した髪にしがみついて、「エフエー」にぶら下がる格好で艦橋を目指す。
途中の、明らかに
扉をこじ開けて踏み入れると、そこはほむらの胸元辺りまでの高さの機械が整然と並ぶ空間だった。
奥には、見晴らしの良さそうな広い窓が一面に広がっている。
そしてその空間の中央の機械に、一際目立つ
あれは操舵輪、つまりここが艦橋だ。
『
「手伝える事は?」
『
言い残して、「エフエー」は手近な機械の方へと、滑るように宙を移動していく。
予備電源か、或いは自ら電気を供給して動かすつもりなのかもしれない。
実質的にほぼやる事がないほむらが、軽く部屋を散策するように歩いていると、エレベーターから左手の棚の向こうに木製の扉を発見する。
「この部屋は?」
『
興味本意で扉を開けてみると、中は大きめの棚に挟まれる様にデスクと仮眠ベッドが置かれていて、思ってたより事務所風な作りであった。
既に引き払った後らしく、棚の最低限の書類や書物以外は何も残って無いように見える。
デスクの引き出しならどうだろうかと、ほむらは側によって取っ手を掴む。
気付いたのは、その時だった。
少し目を見開いたほむらは、引き出しを動かさないまま、取っ手にやった手を離してその手のひらを見やる。
目を逸らさずに、手の指同士を重ねて感触を確かめる。
勘違いでは無さそうだった。
「埃、っぽい?」
改めて付近を見渡すと、棚の縁や寝台の下など、人があまり触れない一方で、掃除では必ず払う筈の箇所に薄く埃が溜まっていた。
はっきりと確信出来る訳ではないが、此処に最近まで人がいたとは感じられなかった。
一応伝えるべきかと思って艦橋に戻ると、機械に背を預けるように座り込む「エフエー」の姿が見える。
此方に気付いて顔を上げた彼女の青い瞳と視線が重なる。
その儚い光を受け取り、何となくほむらは訳を察していた。
『
「......その事で、だけど」
埃を被った室内の事を話すと、「エフエー」はまさかという顔付きで艦橋をぐるりと移動する。
そして、神妙な表情で戻ってくると、黙ったままでほむらの脇を通り抜けて船長室へと入っていった。
後を追いかけて扉を開くと、彼女は棚の書類を片っ端から漁っていた。
引っ張り出された幾つかの書類が、乱雑に床に積まれている。
「また、何か隠し球でもあるの?」
『
散らばった資料の中でも、見出しだけを流し読みして、「エフエー」は数枚の紙をピックアップしていく。
そうしてやっと残ったそれを、彼女は内容で追い始めた。
ほむらも横から覗き込むが、船の出入り表同様、英語のみで書かれていて、ほむらが解読するには時間がかかりそうだった。
そんな風に思っている内に内容を把握したのか、「エフエー」は書類を投げ捨てて、ぽっかりと空いたエレベーターシャフトへと
行き先を聞こうと口を開いたほむらへ振り返り、彼女はこう言った。
『
・貨物タンカー「W.H.Merritt」、エンジンルーム。
百聞は一見にしかず、とはこの事か。
巨大な貨物タンカーの心臓であるエンジンの置かれる空間にやって来たほむらは、目の前の光景にそう感じていた。
全長100mを超えるタンカーを動かすだけあって、エンジンルームには軽くテニスコートが入りそうな広大な空間が設けられている。
幾つものパイプや金属のチェーン、鉄骨が突き出ているそこに、だが窮屈さは全く感じなかった。
それらが繋がる筈の「先」が、ぽっかりと抜け落ちていたからだ。
「
『
「エフエー」ですら、その先を言い淀んだ。
単に整備を偽装していれば、こんな事はあり得ない。
エンジンがない、
可能性があるとすれば、此処で外したか、曳航されてきたかの二択だが、
『
だが、それは余りにも非効率だ。
これだけの質量を曳航出来る船を用意すれば、その分手間がかかり、足もつきかねない。
幾らなんでも、まさか「屠龍」で引っ張る訳にも行かない。
だが、此処で、ほむらは「ある事」を思い出す。
「......そうだ。貴方達の親玉なら、あの「巨大な奴」なら」
『......
純粋に驚きで、ほむらは「エフエー」の方へ振り返える。
ほむらより一回り身長が低い彼女は、真っ直ぐな瞳で此方をじっと見上げていた。
その青い光にほむらは見覚えがあった。
昨日、
......これで、仮に彼女が全て知っていて、自分を騙そうとしているなら、「番兵」なんぞせずに「女優」をやるべきだ、そうほむらは思った。
「「上位個体」よ。ビルより巨大で、劇場をひっくり返して飛んでいったのよ」
『............ほむら』
長い沈黙を置いて、彼女はただほむらを呼ぶ。
その表情に、
目を見開き、顔の皮膚が緊張で強張る。
彼女の白い頭髪が俄に「青い光」を帯び、僅かに逆立ってくる。
頭頂部の金の
自分達がやって来た、船内の通路の方へと。
「エフエー」が、「恐怖」していた。
......ほむらがやっと気付いたのは、「ソレ」が
気付くべきだった。
この船に、明らかに重要な「ナニカ」を持ったこの場所が、一切の警備の手も無く、
考えるべきだった。
「上位個体」と呼ばれる、彼女達の親玉がこの船を引っ張って来たとするなら、それ程までして態々用意した物なら、
『
明らかに「エフエー」と質の違う声が、奇妙な反響を伴って二人の元に届く、その前に。
「......此処は、提携先の所有だと聞いたけど?」
『実はオーナーというか、船その物の建造は我々「グランフォート」主導なんだよねぇ。今は提携先に貸していて、だからこそ
背を向けたままのほむらに答える、のんびりした口調のその声は、サラウンドの様に反響していて発信源がほむらには分からない。
硬直した「エフエー」の後方を気にする素振りがなければ、何処から現れるかも分からなかっただろう。
『生憎、お茶も菓子も切らしてるけど、此処まで来たからには歓迎したげる。......まぶっちゃけ、仕向けてたけどね』
「......ふーん?」
傍らの「エフエー」に問い詰める様な視線を送るが、当の本人は呆然とした様子で佇むばかりだ。
すると程なくして、何処か嘲る様な、愉快そうな笑い声が響いてきた。
『その子は悪くないよ。きっと、「エーワックス」連中に流れる情報に
「......初めから、この子がどうするのか、全部分かってたのね」
『そりゃまぁ、曲りなりにも「上司」みたいな物だし?』
悪意を全く感じない、平然とした様子で返してくる。
それが気に食わなくて、ほむらは珍しく嫌悪を表情に表していた。
幾ら彼女達が、普通の部下上司の関係とは異なる繋がりを持つとは言えど、これはどう考えても仲間や同士に対する仕打ちではない。
それはある意味、ほむらが
「
それは単純に、コイツが「上位個体」の誰か、という問いだけではない。
いけ好かない奴の、
そんな、強い侮蔑の込められた問いに、何の感慨もなく「ソレ」は淡々と答えた。
『うーんと、私は「ユイ」だけど、多分求めているのはこうだよね......「アルファ」、だよ』
「アルファ」。
「エーワックス」と「エフエー」が双方ともに語った「上位個体」。
素性は分からない、ただ彼女達の上に君臨する存在。
『ま、そんな事はどうでも良くて、もっと「実りのある話」がしたいのよ』
「私には十分実りがあるけど?」
『まーま、聞いて下さいな。貴方の今後の事だし』
ほむらが漸く身体ごと振り向く。
先程まで非常灯の灯っていた通路は、完全に消灯し暗闇に包まれていた。
その闇の中に青白い靄のような光が浮かんでおり、収縮と膨張を繰り返す様に動いているのがわかった。
『貴方、此処に来る前に「裏切った」とかどうとか言ってたよね?』
「ええ、見え透いた嘘だったけど」
『
ピクリと、ほむらの眉が動く。
興味を持ったと思ったのか、「アルファ」は畳み掛ける様に続けた。
『と言っても、何か仕事を頼んだりってのは無い。内容その物は「嘗て提案したの」と同じだよ。ただ、退いてくれれば良い』
「......あのね」
『当然、此処まで来たからには、
「なら、直ぐにこの馬鹿げた茶番を終わらせてくれない?」
『手厳しいなぁ。ま、
妙に含みが有る言い方だった。
間違った判断を表面だけ優しく諭そうとする、実際には相手を見下した印象が其処にはあった。
『――わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである――』
「......、」
『確かに、私達は「終末」を望むが、
劇場でみせた、尊大な言い方で「アルファ」は話す。
偽りを言っている様子は無いが、一方で完全に信頼しては行けないような胡散臭い気がした。
それを読み取ったのだろうか、「アルファ」が元ののんびりした口調で続けた。
『嘘を言っていると思うなら、一つサービスしようか』
「貴方に叶えて欲しい願いなんて何一つない」
『と言っても、
......「叶ってた」?
何故か、妙な胸騒ぎを感じた。
その先を聞きたい様な、聞きたくない様な曖昧な感情が湧き出て来る。
その決心が出来る前に、「アルファ」は容赦も無く「現実」を突き付けた。
『「ワルプルギスの夜」だっけ、アレ確か、
........................。
自分が今どんな表情をしているか、それも分からなくなってきた。
悪い冗談だと思った。
変な笑い声が出そうになって、直後にどす黒い感情が湧き出てきた。
何を言うかと思えば、人をコケにする様な「ふざけた嘘」で自分をたぶらかそうとしている、そう彼女は理解した。
話にならない。
銃の一つでも取り出そうと、彼女が左手を動かす。
その時だった。
「――っ痛!?」
『......うん?』
左手の平に、刺すような痛みを突然感じる。
「アルファ」が怪訝そうな声を出す前で、ほむらが痛みに耐えながら手を見ると、其処には
訳が分からずに、痛みを振り払おうとほむらが左手を持ち上げる。
『
「っ!?」
それは突然、脳裏に響いてきた。
「アルファ」や「エフエー」とは、明らかに質が違った。
彼女にとっては
『黙ったまま聞いて欲しい。今ので彼女の「正体」が割れた、ほむら、彼女の言葉は「事実」だ。「ワルプルギスの夜」は、
俄に、ほむらの呼吸が速くなってきた。
嘘だと、只のハッタリだと、
今さらに、身がすくむような恐怖が身体に募りはじめる。
『君が僕達を憎んでいるのは分かる、だけど今だけは大人しく聞いてくれ。......
何時に無く必死な懇願が伝わる。
それが、
食い付いているのだ。
「ユイ」によって
『ほむら、彼女は「
『......成る程ぉ?
『――っ! 良いね、反抗しては駄目だ。
ズイッ、と左腕が一瞬後ろに引っ張られ、直後に痛みと共に声が消え去った。
残ったのは、未だに血が止まらない傷口だけ。
呆然と、ほむらはその傷を眺めていた。
まさかあのキュウべぇが、此処まで焦るとは思っていなかった。
ただ「ワルプルギスの夜」を倒す、それだけではあり得ない反応だった。
何か、まだ見落している。
自分が気付けていない「何か」が、まだ残っている。
『......さて、何を聞いたか知らないけど』
そんな声に視線を通路に戻すと、青い靄の代わりに、其処には白い髪の少女が立っていた。
頭では金色の触覚が、中程で箒のように束状に分岐して、さながら王冠かティアラの様に大きく広がっている。
服装は白を貴重にした、簡素だが地味さはないワンピース・ドレス姿であった。
髪型も「Mu.Ro.」とは違う、頭の横に結ぶタイプのツインテールで、パーマがかかっているのか緩い螺旋を描いていた。
そして、真っ青で瞳孔の開いた瞳を光らせ、ほむらを見据えるように目を細めた。
『少し面倒になってきたね。単純に、貴方が私の「何か」を聞いていて、闇討ちする可能性が出てきた、と』
少し間が開き、彼女が不意に笑みを作った。
何か悪戯を思い付いた様な不敵な表情に、ほむらに緊張が走る。
『......
それは、真横から聞こえた。
反射的にほむらが大きく跳躍する、その後を
大きく横に広がり、顎のように迫るそれを身体を捻ってかわすと、エンジンの間の点検用通路らしい空間に着地する。
そして、獲物を仕留め損ねた白い髪が縮み、持ち主の周囲て蜥蜴の尻尾の様に揺れ動く。
『貴方に私達を脅かす「何か」があるとして、それを確かめる最も簡単な方法。それは、
「アルファ」はのんびりと言って、姿を消して行く。
『あ、さっきの提案の答えなら、この船のコンテナ格納庫で待ってるから、言いに来てね? ......
最後に、そう残して。
「......「エフエー」」
ほむらは、残されたもう一人の「少女」に、
自分を脅かすかも知れない相手の前に、事実上
散々、良いように利用され、挙げ句に使い捨てにされる運命を背負って。
そもそも、最初に出会った時でさえ、
声をかけずには、居られなかった。
例え、
背中を預けた、それに応えた「
でも、
『
その言葉に、感情はない。
仲間に背いてでも、守り抜こうとする意思は無い。
『
あるのは、ただ「使命」を果たす「力」。
「
『
ほむらも、分かってた筈だった。
どう巡り合わせがあっても、最後はこうなるのだと。
それが本当に辛くなる前に起きただけ、寧ろ幸せなんだと。
分かってた、筈だった。
でも、実はまるで分かって無かった。
目の前の「エフエー」の、『後は任せた』と言う様な哀しげな凄みを孕んだ瞳を見るまで、私は、何も分かって無かったんだ。
「エフエー」が跳躍する。
一段高いパイプの上に降り立ち、ほむらをじっと見詰める。
その視線が、彼女の右手に向いていく。
言わんとしている事は、分かっていた。
ほむらも右手に目を落とす。
その手は、端から分かるレベルで震えていた。
その手をゆっくりと左腕に伸ばす。
こんなに苦心すると思ってなかったのに、今や胸が締め付けられるような感覚に陥っていた。
何も分からない、教えてくれないのに、ただ仲間の為に「死ね」と言われる。
なのに彼女は、......いや、だから彼女は、共に戦った自分に「託す」しかないのだ。
私の素性も知らないのに、最早すがるしかないのだ。
そんな覚悟なんて何一つしていない、
やっとの思いで、彼女は盾からアサルトライフルを抜いた。
まだ、その手は震えていた。
両手で保持して、ほむらは彼女を見上げた。
『RRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
それが、合図だった。
機械じみた恐ろしさと、強大な威圧感を併せた咆哮が放たれる。
魂を失った、哀しき叫びが。
信念の為に、全てを捨てる。
少女よ、本当に、その覚悟はあるか。