我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる
第一の愛、我を造れり
しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
ダンテ:「神曲」より
Chapter10:「B.O.P.」の崩れる時に
Ch-10-Act-01
・貨物タンカー「W.H.Merritt」、船内。
「エフエー」。
戦う事に特化した、「兵アリ」の様な戦闘生物。
単純な戦力で計算すれば、例え
しかも、かつての戦いの時の様に、相手の気を逸らせる様な材料は此処には存在しない。
向こうの目的は端からほむらを殺す事、それに最適化された思考に隙が生じる要素は何処にもない。
だが、それでもほむらに有利な条件が無い訳ではなかった。
それは、此所が
長い髪を蛇の胴体の様にしならせて、エンジンルームの真ん中で宙に浮いた「エフエー」が、ほむらの方へと真っ直ぐ突っ込んでくる。
掌を此方に向ける、その体に刃や針の様な「変形」は存在しない。
彼女がほむらを殺す理由は、キュウべぇの流した情報への不安に基づく。
ならば殺してしまう前に、何れ拡散してしまうだろうその情報を引き出させる魂胆なのかもしれない。
或いは、
何れにせよ、向こうの殺意に変化はない以上、その真偽に大した意味は無いのかもしれない。
鉤爪の様に曲げた指が接触する直前を狙って、大小不規則なステップでほむらは攻撃をかわす。
助走距離が足りないのか、それとも配管の多い壁では衝撃を殺す事に不安があるのか、恐らくその両方の理由で、彼女の飛行速度は屋外のそれよりかなり控え目だ。
ブレーキを掛けるタイミングもかなり早く、壁や配管を蹴って勢いを殺す事もない。
故にほむらなら十分にかわせる速さであった。
そして、かわした直後の無防備な「エフエー」にほむらは向き直り、右手の拳銃をその背に向ける。
だが引き金が引かれる寸前、その背に「青い幕」が生じるのを見て、ほむらは盛大に舌打ちをした。
拳銃程度であの「バリアー」は貫けない。
今撃っても攻撃にならない所か、寧ろ跳弾で此方が撃ち抜かれかねない。
その躊躇の隙に、「エフエー」は宙で反転し、背中に靡く髪を大きく左右に広げる。
『......、』
が、彼女も何か問題を抱えたのか、その状態でピタリと静止していた。
降ってわいた好機だった。
彼女の浮かぶ高度は、広いとはいえ屋内である都合、10m程を稼ぐのが関の山だ。
そして、彼女の攻撃手段は銃だけではない。
――......クソッ――
「やらなきゃやられる」、その思いだけで他の考えを圧し殺し、ほむらは手榴弾のピンを弾いた。
投げられた黒い物体に、流石に機敏に反応した「エフエー」は、広げた髪を素早く一纏めにするや、鞭の様にしなったそれで素早く空を一閃。
地に落ちた
「信管を正確に分断した? ......ロケットを持ってこい、って言うつもりか」
爆発を避ける為に太いパイプに背を預けたほむらが、忌々しそうに呟く。
その声を聞き付けてか、再び突進を掛ける「エフエー」を避ける様に、ほむらは広い空間に複雑に走った配管の間に走り込んだ。
ほんの少し前の、銃を抜くのもやっとな状態からは考えられない程、ほむらの身体は素早く動く。
僅かながらでも、
――真正面からでは駄目だった。上を抑えられてる以上、隠れ通すのは難しい。なら......――
手持ちの武器を頭に浮かべ、打開策を見出そうとする。
「高威力の大型銃で、配管ごと狙撃する」。
「誘導ミサイルを連発し、無理矢理爆風に巻き込む」。
「大量の爆弾で、向こうの逃げ場を完全に潰す」。
非現実的な幾つかの案から削り、或いは流用し、そして遂に1つの「作戦」が生み出される。
何とかなるかもしれない、現実的な作戦が。
それが、「エフエー」の率直な感想だった。
自分の機動力が満足に出せないこの場所も、配管の隙間を縫って移動するほむらを律儀に追い掛けるだけのこの場面も、そしてそもそもの「排除すべき
何もかもが己の意ではなく、それが我慢ならない程に不満を呼び起こしていた。
だけど、と「エフエー」は思う。
そんな事は、翌々考えれば、
彼女にとっての「全て」は、
「エフエー」ら下位の「ユイ」のあらゆる行動、理念は全てそこに行き着き、必ず帰結するのが当然であり、摂理である筈。
ならば、一見「自殺」紛いの行動もまた、彼女の目的に沿い成し遂げられる「生存戦略」である、と考えて然るべきだ。
例えば、一部のタランチュラは産まれた自らの子供に己を喰わせて、子がある程度育つまでの糧になる。
またある種のサメは、子宮内で卵から孵るや、より強靭な子供を残す為か、産まれたばかりの他の子供と共食いを始めて、生き残りが漸く外界に生を受ける、という戦略を取る。
これらの戦略を一切の妥協なくこなす彼等は、己の生態に対し疑いを持つ事はない。
最も、
そしてだからこそ、不思議でならない
『
全ての個体の意思は、「オリジン」の意思に帰結する。
ならば、
少なからず、
だが、今までにそんな事を考えた個体がいたなんて聞いた事がなく、そんな議題が「エーワックス」らの思考上に生じた事もない。
......まさか、あの「Mu.Ro.」が
その不満そのものが、「オリジン」の生存の害悪になると判断されたから?
だから、我々が彼女を「裏切り者」と見たのか?
......
元々「エフエー」は、全体の大勢の判断、つまり完全にあやふやな状況からある程度の具体的な指針を見出だすのは苦手だというのが、「アルファ」の評価である。
だから、今の彼女には、その答えなんて出せる訳がなかった。
僅かな間の、彼女の
それは、配管の間に生じた少し長めの直線の空間にほむらが姿を晒した事で、一瞬で彼方に消え去った。
直線状に伸びた通路の向こうに、宙に浮く「エフエー」の姿を認める。
1人分程度の細い横幅のその通路の真ん中で、堂々とその姿を晒すほむらを前に、「エフエー」は、彼女が高威力の攻撃を確実に此方に与えてくるつもりだ、と判断しただろうか。
ほむらが大型の銃を持っておらず、
ガション、と背中から飛び出す様に骨組みの様な「翼」を展開した「エフエー」は、力む様な動作でその翼の前面に青い光を集中させる。
『
光る両翼を左右に広げ、そこからジェットの様に白い粒子を吹きながら、宛ら
両翼は通路の左右に囲む配管や機械を根こそぎ切り裂き、綺麗に切断しながらほむらに向かってくる。
爆弾を何処に仕掛けようが、高速の突進とバリアーの強度で纏めて捩じ伏せる魂胆なのかもしれない。
左右にかわす事は当然、今更引き返して逃げられる速さではない。
そもそも、逃げるつもりで此処にいる訳ではない。
――かかった!――
新技で向かってくる事以外は予想通りに進んでいるが、喜んでいられる余裕はほむらには一欠片もない。
これは根性勝負だった。
起爆寸前まで握ったそれを、突進する彼女の眼前へと思いっきり投げつけた。
直後、ほむらは迫撃砲の様な勢いで垂直に跳び上がる。
普通の手榴弾なら、寧ろ自殺行為になる行動。
その理由を、
手榴弾をまるごと消し飛ばそうとしたのか、額から
身体と盾で顔を被ったほむらにも、その隙間から入った光が容赦なく目に刺さる。
だが直撃でない以上は、視界は確保出来ている。
目の間で受けた「エフエー」よりは遥かにマシな筈だ。
正面から投げても無意味。
対処不能な至近距離で投げるのは、自爆行為以外では現実的な策ではない。
だから、ほむらは
「――痛ッ!」
光を浴びた目に走る激痛に耐えたほむらは、直ぐに盾から本命の手榴弾を取り出し、真下を向いて「エフエー」を探す。
ぼやけた視界でも、この距離なら見付けられる筈だ。
果たして、直ぐにその姿は視界に飛び込んできた。
――ど根性っ!?――
視界なんて存在しない筈だし、そもそも目から直に食らった閃光で意識が飛んでてもおかしくない。
空恐ろしい忍耐力だが、このままでは捨て身の突貫で逆襲されてしまう。
ほとんど本能的な行動で、ほむらは手榴弾を真下へ投げた。
同時に盾を胴に張り付ける様に構え、責めて致命傷を喰らわない様に備える。
直後に、その盾に強い衝撃が加わり、斜め上に弾き飛ばされたほむらは、天井の配管に背中から激突し、底から3m程の何かの機械の上に落下した。
盾越しに胴に受けたダメージで、うつ伏せに倒れたまま悶絶するように腹を抱えるほむら。
強烈な吐き気に襲われたが、昨夜になってから何も食べてないのが幸いした。
「な......にッ、が......!?」
痛みに混乱するほむらは、だがある「違和感」を感じていた。
その理由を思い浮かべようとする直前に、真上から降る恐ろしい「殺気」に身体が反応した。
転げ落ちる様に、彼女の身体が機械の上から床へと落下する。
直後、そのついさっきまで彼女が居た場所を、
間一髪で逃れたほむらが蒼白な顔を上げた前で、白い刃がぐにゃりと曲がって、縦に裂けて「毛状」に変化していく。
それを触手の様に靡かせた、ほむらよりも一回り小さな少女が、己の足元に顔を向ける。
虚空を移すような全く輝きの無い碧い瞳が、見上げたほむらを
「違和感」が、より一層強まった。
「そんな、まさか。貴方――っ!?」
『......
遠くで、
その後の嘘の様な
『
『......というより、元々
貨物タンカーの船内貨物倉庫、エンジンルームより更に広大な空間に、1人居座る「アルファ」が呟く。
無造作に放置された大小様々なコンテナの中で、中央に鎮座する一際大きなそれの縁に腰掛けて、目を瞑ったまま彼女は話す。
『不思議かな? なら、私達が
誰かに語る訳でもない、伝えるつもりもない独り言。
なのに、彼女の言葉は正確に、此処から
『しっかし、本当に大丈夫かなあの子。わりーとかなり、それとなく
目をゆっくりと開いた彼女は、ぼんやりと天井を見上げる。
『この計画の完遂は私達の悲願であり、世界史を塗り替える転機になる。故に、結末の方向性は示せど、事象の証明は出来ない。「想定外の事態でして」、って奴だね。ルートは那由多に分岐し、その選択を完全に御す事は大仏様でも不可能。ならばどうするか。言わないよ? だって、1章前を見返せば分かるでしょ?』
「訳が分からんわ!」
痛む腹を庇いながら、ほむらは必死に床を這っていた。
そこは、配管や機械の下であり、彼女がやっと通れる程度の隙間であった。
何故彼女がこんな場所に追い込まれているかと言うと、
パイプや機械の上に「エフエー」が陣取っていて、髪の毛で作った巨大な刃、本人が「
こうしている今も、ガシュガシュと真上から刃が降っており、彼女は全力の匍匐移動を強いられている。
何度か身体を掠めて冷や汗を掻いているのだ、誰の目からも心臓に悪すぎる状況だった。
「って、私が言うと冗談にならないか。冗談のつもりもないけど」
案外、まだ余裕有るんだな、と我ながら思う。
ガンガンと上から襲ってくるそれを避けながら、残った理性で何とか思考を立て直す事にした。
目下、最大の謎は「エフエー」の「
視界を全く持たないというのは分かったが、なら今までどうやって外を知っていたのだろうか。
その感知能力の精度は、視界で把握する私達のそれに全く劣った様子が無かった。
心当たりがあるとすれば、彼女の頭頂部の
一先ず、推論を幾つか挙げてみる事にする。
最大の候補は「音」だが、これには少し疑問が残る。
思い出すのは、劇場の外での一幕。
あの時、「エフエー」はヘリの銃撃を回避しようとしていた。
銃弾は完全に音速を超えているし、事前の駆動音もヘリのロータリーの爆音に掻き消されている筈である。
あの状況で、正確に機関銃の駆動音を察知するのは相当に難しい。
つまり全うに考えるなら、音以外の「何か」で察知していたとするのが自然なのだ。
次に、「電磁波」がある。
彼女達が交信に使う能力である、感覚として電磁波を利用していてもおかしくない。
ほむらは知らない話だが、実際に、魚類の一部は電磁波を使って周辺の知覚を行う種類がいたりする。
だが、これも、ある一場面で齟齬か生まれる。
「......電磁波では、お店で売っている
洋菓子は、それぞれ微妙に調理や材料の配合に差異がある筈である。
電磁波の反射や透過で、正確に見分けられる、というのは考えにくい。
また、第三候補の「匂い」では音と同じく、機関銃を避ける術がないし、二度に渡って投げた
――手掛かりが無さすぎる、せめてもう少し「何か」があれば......――
歯噛みしたほむらだが、ここでふと、さっきまで襲ってきた「白い刃」が止まっている事に気付く。
ここから上の様子は確認出来ないが、少し待ってみても此方に攻撃が襲いかかってくる気配がない。
諦めたのか? それとも違う攻撃を?
そう思って身を固くするほむらに、その答えは突然返ってきた。
ズドンッ、と大きな衝撃が腹に伝わり、
直後にドッ、と
全てを悟ったほむらは、思わず腹から叫んだ。
「本気でやるかソレ!!?
言ってる側から、前方より凄まじい水飛沫が迫ってくる。
叫んだ事で先の腹痛がぶり返して少し後悔しつつ、ほむらは必死の後退を開始するが、当然の様に水の勢いには間に合わず。
濁流となった海水に押し流され、もみくちゃになってもがいていると、左手が何か取手らしい物を掴んだ。
流れに逆らって必死に捕まり、身体を引き寄せる様に持ち上げて、やっと水面の上に顔を出す。
どうやら運良く掴まったのは、上階に上がる為の小さな梯子だったようだ。
上に何があるかは分からないが、ほむらは一先ず急いで這い上がって息を整える事にした。
今の浸水は2m半程で、ほむらが居るのは更に2m程上の、床から伸びた用途不明の機械の上だった。
見渡すと、他にも水上に顔を出したパイプや機械、足場があちこちに見えるものの、大体7割方が水面下に没している。
つまり、今まで姿を隠せていた配管の殆んどが水の下だった。
――地形の有利が奪われた、か――
歯噛みするほむらだが、後にその想定が甘かった事を知る。
具体的には、
ダパンッ、と真後ろから飛沫が上がった。
振り向く暇は無かった。
脇腹に重たい衝撃を受け、華奢な身体が横殴りにふっ飛んだ。
「つ」の字に飛んだほむらの身体は、途中で天井まで伸びた太い配管にぶつかり、めり込む様にそれを凹ませる。
落下する事無く凹みに嵌まったまま、声にならない苦悶に喘ぐが、何とか気は持っていた。
上体を少し捻って起こし、視線を下の水面に走らせると、非常に見難いが、黒っぽい色の水面下で
「地の利が、今度は向こうの物になったのね」
長い髪を、まるでウナギやウミヘビの様にくねらせて水面下を泳ぐ「エフエー」は、イルカにひけを取らない速度でほむらの居る配管の近くまで迫るや、唐突にその姿が消えた。
深く潜水して、配管の間に入り込んだのか。
この場に居るのは不味い、そう判断したほむらは、片手と両足だけでバネの様に跳んで、近場の「逆L字」に折れた配管の上に着地する。
直後、先までほむらの居た配管を、蜥蜴の様に螺旋状に高速で這い上がった「エフエー」が、蛇の様に配管に巻き付いていた髪を彼女の方へ素早く突き出した。
縦にやや幅広な、鉋の刃のような形状のソレが、身を捻ったほむらの脇をすり抜ける。
二度、三度と連続で突き出され、狭い足場の上で無理に避けようとした事で、身体がふらつき危うくバランスを崩しかける。
それを狙って横薙ぎに振り回した「エフエー」の髪を、敢えてほむらは盾で受け、その身を真横に大きく弾かれた。
――水中なら確実に向こうが有利。水中銃なんて持ち合わせてないし、ライフル弾でも水の抵抗や配管の先を撃ち抜くのは......――
空中で身を捻って、別の足場の上で滑りながら三点着地したほむらは、再び水の中に戻っていく「エフエー」を睨んで歯ぎしりする。
だが、直後にハッと息を飲んだ。
「待て、「