同〇七二一 七駆居室 潮
バイブ書道を始めてから、不思議と目覚めがいい気がします。手先に集中するから、ちょうどよく頭が疲れるのかもしれませんね。震わせるときに腕に力を入れるから、体も疲れてるのかもしれません。
「んーっ」
布団をめくって、伸びなんてしてしまいました。こんな、こんな爽やかな朝を迎えられるなんて。そういえば、寝るのは遅めなのに、最近お肌のつやもなんだかいい気がします。これもバイブ書道のおかげ、でしょうか。
「おそよ、潮。ちゃんと寝ないと体に悪いし、今に寝坊するわよ」
「曙ちゃん、おはよ。ごめんね。でも、なんだか最近疲れが溜まりにくいような」
それはバイブ書道が……って。言いたいけど、言えませんから。バイブ書道は口外無用、何か忘れたけど、何だっけ。大変なことになるって、秋雲さんが言っていたような。すみません、忘れました。
「そりゃアンタは快眠なんでしょうけど、寝言? すごいわよ」
「え。だいぶ静かになってきたつもりだったんだけど」
そんな、もう音はほとんど立たなくなったと思うのですが、まだまだ足りないってことかな。まだ打ち消しきれてないってことでしょうか。頑張らなきゃ。
と、曙ちゃんが顔を起こして、まっすぐにこちらを見据えます。ちょっと釣り目がちな目。笑ってるとかわいい、なんて言ってる子も居ますが、潮は別に今この状態でも可愛いと思います。
「潮、今日と言う今日こそは教えてもらうわ。一体何してるの?」
「……内緒です」
その目は、あたしの目を捉えたまま。やっぱり、見られちゃったのでしょうか。バイブ書道。
「私は言いふらしたりしないわ、心配しなくてもいいわよ。してるんでしょ」
してる? してるっていうのは、バイブ書道でしょうか。ううん、そんな筈無い。曙ちゃんはそんなに秋雲ちゃんと仲良くもありませんし。まさか、バイブ書道を知らないのに、潮にカマをかけようとしているのでしょうか。
「うん、勉強とか、してるけど。難しくて悩んでるとき、何か言っちゃってるのかな」
曙ちゃんの目がまたちょとつり上がりました。でも、ただ怒ってるようにも見えなくて。考え込んでいるのでしょうか。バイブ書道の話をするかどうか? いや、曙ちゃん、今の反応だとやっぱりバイブ書道のこと、知らなそうです。いや。
もしかしたら、一方的に使い手だと悟られてしまうのが嫌なのかも。
「潮、アンタが嘘つくなんて、よっぽどのことって自覚、あるんでしょ」
「……曙ちゃんこそ、持って回ったみたいに。もっとはっきりいってくれなきゃ、何のことだかわからないよ」
そう答えると、曙ちゃんの眉間に皺が寄ります。珍しく言い返されてびっくりしたんでしょうか。
「まあいいわ。でもそれ、周りに人が居ないときしかやっちゃダメよ。それに、言い辛いけど、うるさいわよ」
そんな。もう振動は完璧だと思ったのに。
「ま、誰だってそういう時期はあるものよ……いや、あるらしいし。恥ずかしがることなんか無いわよ。……いや、だからって堂々とされても困るけど」
そういう時期って。やっぱり曙ちゃんも、バイブ書道を……。意外というか、秋雲ちゃんもなんでそんなことをあたしに伏せてたんでしょうか。
「……じゃあ、私は行くから。潮も早くしなきゃ、食堂閉まっちゃうわよ」
同〇七二七 食堂前 曙
黙って隣を歩いていた漣が、口を開く。
「おっつー。いやぁ、潮殿がレスバトルを仕掛けてくるとは。艦娘も生きているといろいろなことがありますな」
「アンタ、ずっと聞いてたの?」
「気付かなかったでしょ。伝説の工作員直伝だからね」
漣は、脇に折りたたんだ段ボール箱を抱えている。私が居室を出たとき、これは、さも「荷物です」という風に戸のそばに置いてあった。それで、姉妹全員宛なのか誰かに宛てたものなのか、確認しようと持ち上げたら底は抜いてあって、漣が入ってたってわけ。
「しかし潮タソもなかなか大胆な、『シてると悩ましい声でイっちゃうこともある』なんて」
「そんなこと言ってなかったわよ。何聞いてたのよ」
いや、漣。頭に疑問符でも浮いてそうな顔してるけど、潮がそんなこと言う訳ないでしょ。人一倍恥ずかしがり屋なんだから、そういう伏字とか言い回しを覚えたらもう公言はしないわ。
「まあ、朝からイライラすると血圧が上がって缶が破裂するわよ。もまえもマターリ汁」
「しようったってねぇ」
漣の口元には、相変わらずの薄ら笑みが浮かんでいる。いつもなら笑顔で楽しくってところだけど、今はそういう場ではなくない?
「私がよ、潮と大事な話してるってのに静観ってどういうことよ」
「性感!?」
「何考えてんの? 空気読みなさいよ」
「からけ……?」
「だからさぁ、真面目に話したいんだけど」
「や、スマンカッタ」
はーぁ。ほんっとにもう。漣ともちゃんと話さなきゃダメね。最近私達を馬鹿にしてる感じが強くなった気がするわ。でも、今は潮よ。
「というか、今日話すってなんで分かったの」
「マインドスキャーン。曙ガールの手札に『無視』と『我慢』が残っていないのはお見通しデース」
金剛みたいな喋り方をし始めた漣を睨む。
「あ、またやってしまいまいましたね。いや、ぼのはいつも漣と潮殿を待たないで朝食を摂るのに、今日はずっと居室にいるので。何かするのだろうなと」
「ふーん。ちゃんと空気読めるんじゃない」
「この漣を舐めてもらっては困るのです」
今のは胸を張るところじゃないんだけど。と、ツッコミたいのをなんとか抑える。
「なのに、全部私に押し付けるって、ちょっと酷くないかしら」
「おや、漣の助太刀キボンだったの? でも漣、そういうしんみりしたのはあんまり得意じゃないので。それに、ぼの自らの力で解決したかったのかと」
「いや、私だって大変だし、言いにくいし。というかね、なんで私がその当番みたいになってんのよ」
「お姉さま!? あの時漣は妹だと、妹は姉であるお姉さまを頼るようにと仰ったではありませんか。あれは嘘だったのですか」
今度は急になんか、熊野の話し方を誇張したみたいな話し方に……賑やかでいいわね、この子は。はあ、はぐらかされてる間に食堂着いちゃったし。
「相変わらず人大杉」
「目玉焼きか。しょぼいわね」
朝食の時間は、給仕場に沿って長蛇の列ができてる。これ、時間を三つくらいに区分けしたら混雑解消できるんじゃないって言ったことあるけど、結局変わらなかったのよね。だからこんなごった返してて、みんな思い思いに食事を摂ってる。
「そういえば」
お盆を持って前を歩く漣に尋ねると、首だけ振り向いて「ん?」と返事をする。
「漣って、いつも誰とお昼食べてるの」
「そりゃもちろん、ご主人様だけど」
「はっ、ハァ? クソ提督と?」
「うっそぴょん! 漣はソロ充。ぼっち飯がデフォですよ」
何よもう、驚かせて。漣が知ってか知らずか、すぐ傍の机で目玉焼きをほおばっていた卯月に物まねをダメ出しされ、「ごめんぴょん」と誤っている。
「アンタ、意外と一匹狼よね」
「男は狼だからね」
「一人でも平気?」
「平時にあっては、人間らしく幸せであって欲しいといつも思っているよ」
「兵器じゃなくてねぇ。クソ提督、そんな話してたの」
「してたような。四年前くらい」
隙あらばボケるせいで話が進まない。潮は危なっかしいし、抜けてるし、いつも気になるけど、漣のことだって私は気になる。機会があれば話したいけど、機会があってもいつもふいにされてしまう。
「なんかね、潮の件もだけど。あたし達ってお互いのことそんなに知らないのかなって。漣は、別にそれでいいってこと?」
「何勘違いしてるか知らないけどさあ。漣は全部わかってるつもりよ。朧ネキは漣たちのことより気になることがあって、ぼのは焦ってて、潮殿は不安なのよね」
「私が、焦ってる?」
いきなり何を言い出すかと思ったら。でも、漣は深刻そうな顔なんて全くしないで、へらへらと、さっき冗談を言ってたのと変らない調子で続ける。
「ご主人様がいなくなるかもって話を受け入れられないのは自覚あるでしょ? んで、潮殿がいつも顔色気にしてくれるお陰でアネキぶれてたのに、潮殿は成長していく。自分の手を離れるのは寂しい。何もかもが自分から離れていく気がする。これでFA」
何を。何をわかったみたいに。わかったみたいに。そりゃクソ提督が居なくなるってのは寂しい。寂しいわよ。潮だって、時間が経てば経つほど私から離れていって。でも、それを私が頼ってるみたいに言うこと無いでしょ。
「ま、ご主人様はぼののそういう所も好きなんだろうし、潮殿もまあ、しばらくは漣たちを頼ってくれるでしょうな。心配すんなよ。くよくよすんなよ。ドントウォーリー。ビーハッピー」
どうして私が励まされてるのかわかんないんだけど。全然。そんな思いはよそに、漣は近くの席に着く。
「いやぁ、本心から話すとみんな傷ついちゃうので。通常攻撃が全体攻撃になっちゃう体質でして……」
「そういう漣は」
言いたいことばかり言って、気は済んだとばかりに箸立てから箸を一膳取り出していた漣。目を丸くしつつも、ドゾー、と、今取った箸はこちらに寄越した。
「姉妹のことも、クソ提督のことも、気にならないわけ」
漣が自分の箸を取り、黙って手を合わせる。私も合わせる。
「んなわけねぇだろ」
一言短く答えると、漣は味噌汁に箸をつけ、そのまま茶碗を持ち上げて、すすった。
「じゃあなんで何もしないの」
「ぼのが気付かないだけよ。漣は漣なりに貢献しているので。漣が何もしないときは、なにもしないのが最善策のときだけなのです」
私も一口、味噌汁を擦った。キャベツと豆腐の入った合わせみそ。昆布だしのまろやかなうまみにキャベツのうまみが溶け出している。交わすのがこんな話題でなければ、ほっとする味とでも言いそうなのだけど。
漣は、いつからこんな風だったか。何でもお見通しみたいな。いや、実のところ私が周りなんか気にしてなかったから気付かなかったのか。だったら、私達姉妹も特に問題なんてなくて、私が変わったせいで潮のことで違和感を覚えたり、変に姉妹の特別な何かを求めたりするようになってたのか。
「それってのは、潮に何も言わなかったり、昼間ほっつき歩いてたり……私とご飯食べようとしたりっていうのが、そうなの」
「ぼのとご飯食べてるのは成り行きだし、ほんとに食べたかっただけよ」
じゃあ、ほかの二つは何か考えあってしてたのね。いや、こうなると、私とご飯食べたくてご飯食べてるってのも怪しくなってくるわね。
「そ。よく出来た妹がいて嬉しいわ」
「拍手ありです。キリ番はカキコよろ」
いつもの楽し気な顔だけど、私が話したことを受けてはにこりともしない漣。私も、そんな褒めるつもりで言ったわけじゃないけど。
「やっぱり、正直に話してほしい。ひとつ屋根の下に居るのに、一物抱えてるってのはこう。落ち着かないわ」
「ぼのはさあ」
唐突な問いかけ。漣が、こちらをじっと見ている。その顔はいつになく真剣で、その目は吸い込まれるようで。髪とおなじ桜色の瞳が、私の視線を吸い込んでいる。あまりに澄んでいるから、底の底まで見たくなるのか。
「漣の何が好き?」
「え、何がって」
さっきまで、自分はのらりくらりと躱してきたくせに、自分の方は単刀直入すぎて混乱する。何がって色々だけど、そもそも私が漣を好きって前提で話してくるところがよ。好きな理由? 変わってるとこ。いや、それは特徴ってだけで好きな理由じゃないし。だったら手先が器用なところも好きなところじゃないし。だったら。
「明るいとこ、一緒に居て楽しいところかな」
「それは楽しいのが好きってだけではないですかな?」
「そんなこと言われたら、なんだかんだ言っても優しいところとかも違うって言うのかしら。落ち着いた気持ちが好きなだけだろうって」
「よくおわかりですね」
「可愛いとこ。可愛いし、自分が可愛いのもよくわかってるとこ」
「そりゃそうでしょ。漣は漣博士ですから」
「じゃあ何。何ならいいの」
「漣は欲しい答えが出るまで質問ガチャするほど女の子じゃないわよ」
「まさに今してるじゃない」
漣は、相変わらずあの目で私を見ている。桜色か桃色か。髪飾りがさくらんぼなら、漣本人は桜色だと認識してるってことなのか。その底がこちらを向いている。透き通って見えるってことは、私も漣に見られてるのか。顔全体も、つい先々月までは炎天下で出撃してきたとは思えない、色白な肌。あの髪にはこの肌しかない。私が太陽だったら、そう思って焦がすのを躊躇うかもしれない。長いまつげは、風が吹いたら比喩じゃなく揺れそうだ。目は、相変わらずこちらを見ている。
「今気づいたけど、その目とか好きかも」
漣は、目をしばたいた。その後、目を固く閉じたり、見開いたりした。そして、いつもの顔に戻る。
「ぼのも漣アイの魅力に気付いてしまったか……もう魅了されたから、漣からは逃げられないよ」
「何馬鹿言ってんの。逃げないわよ」
そう答えたとき、漣は急に目を食器からこちらに移し、すぐにまた目を伏せた。そして、箸立ての隣の調味料棚から醤油さしを取った。
「目玉焼きには、やっぱ醤油だろ」
醤油さしから注がれる醤油が、目玉焼きの黄身をつたっていく。それは黄身から白身へ滑り落ち、しばらく皿に小さく溜まった。でも、それも目玉焼きの裏に吸われて、見えなくなった。