潮
漣ちゃんの夢を無駄にしないためにも、早く二人の所まで行かなきゃ。
二人は長門さんと交戦しています。曙ちゃんは長門さんにまとわりついて、朧ちゃんは遠くから砲雷撃で支援しているようです。これ、何陣って呼ぶんでしょうか。
戦況はわかりません。ただ、お互いに砲撃はなかなか当たらないみたいです。命中しなかった弾が、いろんな所に落ちるのが見えます。
この状況だと、朧ちゃんと合流するのが良さそうですね。
「朧ちゃん、あたし、生き残ったから、みんなと合流するね」
あれ。無線を飛ばしても返事がありません。調子が悪いんでしょうか。
「朧ちゃん!」
近付いてみると、朧ちゃんはカニさんを抱えて、長門さんの方を睨んで、全然動きません。
「朧ちゃん、お待たせ。作戦を、教えて……」
思わず、途中で話を辞めてしまいました。話かけても、朧ちゃんが全然こっちに反応しないので。
「あっ、潮ちゃん。そうだ。早く曙ちゃんを助けないと。やっぱり、二方向から同時に、潮ちゃんは左、あたしは右から。すぐやろう」
「朧ちゃん、あれ見て!」
やっぱり、朧ちゃんの意識は飛んでいたみたいです。曙ちゃんは、両手を長門さんに摑まれて、吊り上げられています。
「すぐに行かなきゃ、曙ちゃんが!」
「な、何が起きたの? どうして曙ちゃんが捕まってるの?」
「それは近付き過ぎたんだと思うけど……潮は見てないよ。朧ちゃん、本当に気を失ってたの?」
「……多分。カニさんの力を借りようとしたら、わからなくなって……そんな場合じゃないよ。早く曙ちゃんのところまで!」
朧ちゃんについて、曙ちゃんの方まで進んでいきます。力。カニさんにそんな、能力みたいなのがあったなんて、知りませんでした。前に言っていた、カニさんと自分の境界がわからなくなる、というのでしょうか。
「その、力を借りる、っていうのは、どんななの?」
それがいい状態なのか、悪い状態なのかもよくわからないので。
「なんだか……カニさんの部分まで神経が通ってる感じになる。爪で敵を刺した。あと、凄く闘志が湧く。敵を倒そうっていう……」
カニさん、意外と武闘派なのかもしれませんね。小さかった頃は、戦いたそうになんて全然見えませんでした。大きくなって、気分も大きく……ってことは、ありませんよね。
「それで、わからなくって?」
「うん、カニさんに頼ると、本当にカニさんがあたしの一部になったり、逆にあたしがカニさんの一部になったりしていきそうな感じがして、怖い……」
その時です。
「うわっ、あ、ああああああああっ!?」
叫びが聞こえてからすぐ、曙ちゃんの艤装が、圧力鍋のふたのように飛んで、服が吹きとんでしまいました。
「曙ちゃん!」
「でも、人質がいなくなったから、思う存分撃ち込める。いくよ。潮ちゃんは左!」
あたしの利き手側から長門さんを狙いやすい位置です。朧ちゃんは、こういう時はいつも、妹にいい位置を譲ってくれます。
「次は二人がかりか! いいぞ! どこからでもかかって来い!」
どこからでも、とは言いますが、艤装のアームが柔軟に動くので、真後ろまで砲撃できそうに見えます。どこにいても、こちらとしては、あまり安心できない気がしますが……。
「朧は鎮守府を解体するべきだと言ったが」
「演習中です」
長門さんの呼びかけに構わず、朧ちゃんは砲を構えます。とはいえ、お互いの声が聞こえるくらいの距離です。撃たれたら、避けきれなそう。長門さんは、余裕で勝てると思っているから話しかけてくるのかな、とも思うのですが。
「提督の意向というのは分かった、朧自身はそう思っているのか?」
朧ちゃんは、返事の代わりに砲撃を加えます。長門さんは回避なんてしません。砲弾は、右の艤装──なぜか上段の砲はすでにひしゃげています──の、まだ無傷だった下段の砲塔に直撃します。
「朧自身は、ここで皆と過ごす日々が終わることに未練はないのか。たとえ深海棲艦との戦いに命を賭すこととなっても、ここで過ごしたいとは」
「お笑いね」
返事をすると同時に、長門さんに突っ込んでいく朧ちゃん。その右手、砲の上にはカニさんが。
「何だと? 姉妹揃って無茶をする!」
長門さんの巨砲が、朧ちゃんに襲いかかります。大気を揺さぶる轟音のあと、朧ちゃんに着弾。がきぃん、と音がして、朧ちゃんが黒煙に包まれます。が、すぐに朧ちゃんが煙を尾に引かせながら飛び出してきます。
「あたしの装甲を、舐めないで!」
「蟹で弾いたというのか?」
カニさんで自分の体をかばっていた朧ちゃんは、再び砲ごとカニさんを突き出すポーズに。長門さんも回避しないので、あっと言う間に距離は縮まります。そのまま二人がぶつかり合って、長門さんの右の艤装と砲塔の合わせ目に、カニさんの左の爪が食い込みました。いま朧ちゃんは、カニさんの力を借りているのでしょうか。
「深海棲艦との戦いがずっと続くっていうのは、本気でやってないからでしょう、多分」
「艤装を!? そんなことが……」
その言葉に反して、主砲はみしみしと音を立ててはぎ取られていきます。長門さんが止めようと左手を伸ばすと、左ひじをカニさんに摑まれます。
「ここが心地よいばかりに、誰も本気にならない」
「それとこれとは関係ないだろう」
カニさんの爪の動きに合わせて揺れていた砲が、瓶の王冠のようにスポンと落ちて、一瞬水面でこらえた後、海に飲まれていきました。
「あるからまだ戦ってるんだ!」
続けて、カニさんの爪が右下段の砲塔と艤装の間に爪を立てます。
「この蟹が……」
長門さんが手首を返して掴み返そうとしますが、カニさんの腕は途端にポロっと取れてしまいました。すぐに別の爪が、長門さんの左手に突き刺さります。
「だから長門も、心の底では、終わりが来るのが怖いんだ!」
「この長門が?」
驚いたようにも、否定したようにも取れる響きですが、ここからは顔が見えません。そのときまた、どぼん、と、砲塔が沈んでいきます。同時に、砲撃音。長門さんが主砲を発射しました。朧ちゃんに当てられはしない距離ですが、反動で長門さんが少し退いて、朧ちゃんとの間隔が開きます。
「仕切り直しとしよう」
「朧ちゃん、そのまま下がって! このままじゃ曙ちゃんと同じに!」
「今しかない! 今なら!」
朧ちゃんがまた距離を詰めて、カニさんが、長門さんに腕を伸ばしていきます。それに構わず、長門さんが左手を伸ばします。カニさんの鋏も、爪も、長門さんの左腕に……。
「大した蟹だったが、これで終わりだ」
長門さんの右腕が、無防備になったカニさんの胴体を掴みます。
「ふんッ!」
力を込めたと同時に、カニさんの脚が一斉に抜け落ちます。痛そう! そして、ぼとぼとぼとっ、と、水面へ。支えを失ったカニさんの胴体は、長門さんにつかみ上げられます。
「嫌……カニさん……? なんで……」
「その脚と引換に、私の左腕を封じたんだ。大した蟹だ。これからも大事にするといい。こんな忠犬ならぬ忠蟹はなかなかいないだろう」
またぼーっとして、長門さんの方を向いて動かない朧ちゃん。
「さあ、蟹を取り返して見せろ」
長門さんが手を離すと、脚の無くなった蟹は力なく足元に浮かびました。
「この!!」
怒りに任せて長門さんを狙う朧ちゃん。でも、こうなってしまえば、もう……。長門さんが、ぱし、と手首を掴むと、ひねり上げて朧ちゃんを引き寄せます。
「朝言っていたことも、今言っていたことももっともなことだ。しかしそれは、提督の本心なのか? 理想の提督をやろうという提督の辛さを、感じたことはないのか? 何よりだ。朧自身は、それを言うのが辛くはないのか?」
いつもの優し気な口調の長門さん。朧ちゃんは、勝ち目の無くなったことを悟ってか、抵抗しません。でも、怯むことなく言い切りました。
「提督は、提督本人だって辛いと思うけど。それでも、あたしのために、と言ってくれた提督が、朧は好きです」
「そうか」
聞き届けた長門さんの右手が振動して、朧ちゃんの砲が、服が、艤装が、次々と破裂していきます。
これは、まさか、長門さんはあたしと同じ、バイブ書道の使い手……?
ブラとパンツだけになった朧ちゃんを、長門さんが水上に寝かせて、カニさんの胴体をその胸に乗せました。
*
「やはり潮が最後の一人になったか」
長門さんは、もう左側の一門しか撃てる砲が残っていません。左手も、頼りなげにぷらぷらしています。しかも服はずぶ濡れ、油やススでボロボロなのに、佇まいはまだ凛として見えます。内面の美しさ、というのは、これでしょうか。
「潮には砲も魚雷も残っているとはいえ、この距離では丸腰も同然だ。抵抗できない者を撃つのは士道不覚悟。私は攻勢に出ない方がいいのかもしれない。かといって、攻撃を渋るのは、潮を侮る、敬意を欠いた行動とも取れる。今ある武装で、真剣勝負をした方がいいのだろうか」
長門さんの艤装が、ゆっくりと、電池の切れかけた時計のように、時折止まりつつ、あたしに照準を合わせます。
「……一つ、聞かせてください」
「いいだろう」
答える間にも、砲塔はあたしを捉えたままです。
「どうしてそんなに、提督の後を継ごうとするんですか」
ずっと誰も気にしなかったのが不思議なくらい、単純な質問。長門さんができる限り提督のそばに居ようとするのは、提督のことが好きだから、で、間違ありません。でも、鎮守府を残すことは、提督を好きなことと全然関係ないと思います。
「提督が愛したこの鎮守府を、ここに居る艦娘たちを、私も愛しているからだ。私は提督の築いたこの幸せを守りたい」
長門さんは、落ち着いた声で、感情を交えず、淡々と話します。
「でも、提督自身は朧ちゃんに、俺のためじゃなく自分のために戦ってほしいって、言ったそうです」
長門さんが、ほんの少し、眉をひそめました。
「朧が言っていたように、提督の望みは、皆がここに居座らずに生きて行けることなのかもしれない。だがそれはおそらく本心ではない。提督は本当は、ここで過ごす日常を永続させたい筈だ。私も……」
話すことに気を取られた隙に、機関全速でまっすぐ前進しつつ。砲も、肩に掛けた爆雷も放り投げます。もうこれは要りません。とにかく身軽にして突進。魚雷も、左腕の機銃もはぎ取って、長門さんに投げつけます。もとより、これが役に立つとは思えません。まともに私を追えるのは、右側の上段の砲塔だけ。あれの砲撃にさえ当たらなければ、長門さんに張り付けます。
「まだ闘志を失っていないとは。やるな!」
長門さんが、体ごと左にひねって、死にかけた砲の砲口をこちらに向けます。あたしじゃ砲弾を見て避けることは絶対にできません。でも、砲塔は見えます。身体を左にひねったなら、その逆に避ければ、狙いは定められないはず。着いてはこれないはず。タイミングよく方向転換すれば、いける!
「えええええええい!」
「撃てえ!」
全速後退しつつ、体を跳ね飛ばします。肺に、肩に、潰されるような痛み。ぼすん、とおかしな音がして、煙突が黒い煙を吐きます。水面が盛り上がりました。やった、回避できたんだ。急いで態勢を立て直して、長門さんに突っ込みます。
「この長門、ここまで胸が熱くなるのは久しぶりだぞ!」
ぱきん、という音と一緒に、長門さんの艤装が支えを失い、水面に落ちます。潮と同じく、もはや砲の使える戦いをする気はないのでしょう。
「なんで長門さんの気持ちを、提督に押し付けるんですか!」
「意図を酌んでいるだけだ!」
長門さんの拳が、冷たい空気を切り裂きつつ、潮の顔めがけて飛び込んできます。艤装を捨てたのだから、予測はつく攻撃です。右手をパーにして迎えにいきます。
パン! 予想以上の衝撃でしたが、長門さんの手がきちんと収まりました。
受け止められた……?
でも、体ごと後ろに運んでいかれます。力の差がありすぎます。
「ぐぅっ!?」
機関の全力を振り絞って抵抗しますが、黒い煙が、さっきよりさらに濃く、たくさん流れていきます。今のダメージが振られたのか、服が袖口からびしっ、と裂けていきます。
「提督に言えるのか!? もっと私達と一緒に居たいだろうと!? 提督に言えるのか!? 別れは怖いだろうと!?」
「それが変だと思います!」
「逃れられない悲しみでも、確認するべきだと言うのか……!」
長門さんは。怒っているような、焦っているような、かなしいような、いろいろないまぜになった表情です。でも、拳は強く押し込んできます。一度も、潮の手から引き抜こうとはしません。
「長門さんは、提督も辛いって知りたいんじゃありません! 長門さんはかなしいと、長門さんはさびしいと、ちゃんと言わないから! 言わないから辛いのを、ずっとうまいこと言い訳して逃げてるだけじゃありませんか! なんで! なんでそんな簡単なことが言えないんですか! 全然わかりません! 潮は、潮はかなしいです! 長門さんが辛そうに笑うのが! いつも一緒にいるのに、とっても好き同士なのに、知らないことばっかりなのが! どうして、どうして気持ちを伝えるだけのことができないんですか……!」
ただ一生懸命に話していただけなのに、かなしくなって、泣いてしまいました。かなしい時に泣くのはおかしいですか? 泣けない人を見るのはこんなにかなしいのに!
「なぜ潮が泣くんだ! 意味が……意味がわからないぞ! これだけ人を責め立てておいて、なぜ……なぜお前が泣けるのだ!」
長門さんも、かなしいみたいです。
「かなしいから、せつないから、こころが痛いから、涙は出ちゃうんです!」
「その心が偽物だとしてもか! 提督を支えるために、提督を愛するように作られているとしてもか!」
「偽物!? 作られた……?」
「そうだ! 私達艦娘は、建造されたその時から、提督を慕うように、姉妹艦の艦娘を慈しむように出来ているのだ……! 知らなかったろう! 作られた心に提督を愛する資格など無い……! しかも私達は病まず、老いず、死すことも無い。であるが故に、真の伴侶とは決してなれないんだ! だから私は、仮初のきずなではなく、せめて提督の面影を愛する!」
「全然わかりません! そうやって難しくして、わかりやすく言わないから苦しいんでしょう! 長門さんのこころは偽物かもしれないからかなしい、提督と同じ時間に生きていられないのはかなしい! 一緒に居て欲しいって!
それに、お姉ちゃんたちへの気持ちが嘘だったら何なんですか!
朧ちゃんの眼差しはあたたかいです!
曙ちゃんが褒めてくれるとうれしいです!
漣ちゃんがふざけていると楽しいです!
何が嘘なんですか! ずっとずっと、なんでもかんでも難しく言ってばかりだからどんどん辛くなるんじゃないんですか! 難しく言ったらかなしみは消えますか? こころは痛くなくなりますか? 涙は、止まりますか……?」
「さっきから甘えた、綺麗事を……! 伝えたら乗り越えられるか? 違うだろう!
伝えたら、提督は去らないでくれるのか! 私と提督の、別れるときの痛みが深く鋭くなるだけではないか!」
「痛いことだって嘘じゃありません! 痛いって言うことが悪いですか?
転んで痛くて泣いたとき、朧ちゃんが痛かったねっ言ってくれたのは、温かかったです! それは悪いことですか?
曙ちゃんの金魚が死んじゃったとき、あたしはかなしかった、曙ちゃんがかなしそうなのもかなしかった。一緒にかなしんだのは、悪いことだったんですか?
長門さんだって、陸奥さんが落ち込んでたら話を聞いてあげるでしょう! 陸奥さんは嫌がりますか……?!」
「だが提督は陸奥ではない!」
「長門さんも提督も、陸奥さんじゃないから嘘をついてもいいんですか?! それは違います! 偽物だとしても、みんな、温かくなったり、痛くなったりするこころがあるのなら、たいせつにしてあげればいいじゃないですか!」
「大事にしても、どんなに大事にしても、提督は居なくなる!」
だんだんと弱くなっていた長門さんの力が、また戻ります。手も肘も、こんなに痛いのは初めてです。
「い、いいいいっ……!」
「潮、お前の負けだ、かなしいだろう」
「嫌です……自分を傷つけるのはダメです……!」
まだまだ、思い出さなきゃ、バイブ書道の力を……!
「私を……? むっ、震えているだと!? どこにそんな力が……?!」
突然震え始めた潮の手に、驚愕する長門さん。
「バイブ書道をし続けて疲れが限界になると、最終的に勝手に手が震えます。ただ震えていただけでは辿りつけない境地でした。これが、裏バイブ書道、です……!」
「そんな、雨に濡れた子犬のような震え方で、ビッグセブンを超えられるか?」
「そんな……?」
長門さんが、ついに、拳を震えさせ始めました。二つの波が合わさって、ぐわんぐわんと不規則に揺れています。
「フッ、何が裏バイブ書道だ。しょせんはか弱い振動ではないか。私の魂の震えに勝てるか?」
何と、だんだんと、だんだんと、震えが収まっていきます。何が起きて……?
「潮よ、波の合成を知っているか?」
波の合成……そうだ、秋雲ちゃんがバイブ書道を説明してくれたときの、ですね。真逆の形の波を重ね合わせると打ち消し合うって。
……そんな、長門さんは潮の手でバイブ書道を……?
「適材適所とはいうが、今回ばかりは大が小を兼ねたようだな。これからどうする? このまま私の手を、握りつぶしてみるか?」
このまま、潮の燃料が尽きて叩き潰されるか、長門さんがこの拳以外で攻撃してきたら、潮は、絶対に、勝てない……。
「もう反撃はできまい。諦めろ、潮。私を悲しんだようだが、その悲しみは報われなかったな。悲しくとも私は生きていくさ。提督との思い出を抱えて……」
やっぱり、あたしは、長門さんに勝たなきゃダメみたいです。
「降参はしません。それに、報われるってなんですか……」
「ではもう少し、我慢比べとしようか」
長門さんの力が、さらに強まります。
「報われるというのは、意味を成す、実を結ぶということだ。
潮の悲しみが、私の痛みを癒すことができなかったように、報われないものは多い。艦娘はオフにハワイには行けない、駆逐艦は戦艦になれない、提督の愛は平等には与えられない。艦娘は提督と添い遂げることはできない……。それらは報われないもの、虚しいもの、あってもなくても同じものだ……」
すっかり夕暮れ。夕日を背に立ちはだかる長門さんの目は、なんだか虚ろに見えます。
「……あります。それは絶対にあります」
「いや、無いと同じだ」
全力で手を震わせているはずなのに、ピクリとも動きません。
「あります。長門さんはそうやって、何も無い、何もなくなる、ある必要がないなんて言っているから、嘘ばっかりついて、自分を傷つけて、何も変わらない世界に逃げ込もうとするんじゃありませんか?! きっと!
ハワイに行きたいと思うのに意味はないですか? あたしはそれを聞いた時、おもしろくて、かわいくて、笑いました。
清霜ちゃんを応援したとき、あたしのこころは、温かくなりました。
金剛さん、漣ちゃんや、曙ちゃんや、秋雲ちゃん、みんな違う形ですが、提督のことが大好きです。
でも金剛さんがいつも盛り上げてくれるのは意味がないんですか?
漣ちゃんが提督に向けるまなざしでせつなくなるのは、意味がないんですか?
好きっていう気持ちを真剣に考えてる秋雲ちゃんは、意味がないんですか。そんなことありません。絶対に、絶対に!
アイドルのように振る舞う那珂ちゃんが、大好きです。
戦艦になりたい清霜ちゃんも、夢を守ってあげるみんなも、大好きです。
英語の混ぜ方が変な金剛さんが大好きです。
ふざけが過ぎる漣ちゃんが、大好きです。
お姉ちゃんみたいな秋雲ちゃんも、大好きです。
だから諦めるなんて嫌です、諦めてなんて言えません……!
何より、いつもかっこいいお姉さんの長門さんも、ずっと大好きです。今日の、とっても悲しそうな長門さんだって、大好きです。
だからあたしは、引けません……! 止まっていたら、ほかに大好きなものと出会えないから! あたしは変われるから。変われたから、あたしはなんでも好きって言えます。あたしの気持ちはたいせつなんだって、わかったからです!
あたしは提督が好きです。大好きです。理由はわかりません。もしかしなくても、漣ちゃんや曙ちゃんの好きには勝てないかもしれません。だから何ですか。
提督への愛で、長門さんには絶対に勝てません。でも、だから何ですか。
それでも好きなんです。提督の何が好きなのかなんてわかりません。だから何ですか。
潮が提督を好きだって、別にいいでしょう。好きでいいじゃありませんか。長門さんと提督が好き同士なら、潮はそれでいいです。提督は好きですが、長門さんが提督を見ているときの顔も好きです。おかしいですか……?
長門さんは、提督を好きでもいいと思います!! なのに、お互いに何も相談していないから、こんなに好きなのに、嘘ばっかりついてるから、潮はかなしいです!」
長門さんは、まだ手を押して、あたしの振動を消しています。
「お前の気持ちはよく分かった。気持ちは分かったから、負けてくれ!」
右手に押し以外の力が……、ヒクヒクと、ひきつけるような……。
ダメです、手が疲れ切ったこのタイミングじゃあ、手を抜かれてしまいます……!
嫌だ、ここまでやって負けたくない!
教えてください、バイブ書道……!
「見つけました、バイブ書道、最後の、振動です……!」
そう、バイブ書道は何も右手だけでやるものじゃありません。綺麗な字を書くには……。
──あった!
「左手で。押さえます……!」
長門さんの手首を、左手で掴みます。
「なッ、何?」
そう、バイブ書道をするとき、必ず左手を添えています。手の震えとバイブの震えの誤差調整役だったのが、この左手……!
「左手ごときで何ができる。その振動もろとも消してやろう」
長門さんが、その新しい波を打ち消そうと、力を入れる。
「ヌんっ!」
これが狙いです。
「なっ、振動が、激しく?」
打ち消そうとした分の振動も手に加わって、あとは、振動数を調整すれば。
「なんだと……っ?!」
長門さんの艤装と同じ固有振動の波が、右手から、肩、背中、頭、つま先へ。
ボン。
艤装が爆発。
バラバラになった長門さんの服が、艤装が、水面に散っていきます。
最後に、長門さんが前のめりに倒れて、散ったものたちと浮かびました。
ああ。長門さんに、勝ったんだ……。
「潮……この長門を倒すとは、なかなかやるな。最後に一つ、私からも頼みがある」
長門さんは水面に膝立ちになっています。服はボロボロに破壊されているので、ちょっとおかしいです。
「はいっ……何ですか?」
「潮に勝つためには、もっとバイブを理解しなければならないだろう……。だから今度、私にバイブ書道を教えてくれないか?」
返事なんて決まっています。
「もちろん、いいですよ! 一緒にバイブ書道、楽しみです!」
一緒に何かする友達が増えるのは、とても嬉しいです。どんな字がいいでしょうか。
と、満足げな笑顔だった長門さんの表情が、急に険しくなります。
「潮、後ろだ!」
え、後ろ? 振り向くと、そこに見えたのは……漣、ちゃん?
*
「ヒーローは遅れてやってくるものよ」