「ヒーローは遅れてやってくるものよ」
夕焼けに染まる海に、白波のシュプールを刻みながらやってくるのは、いつもの制服、いつもの艤装の、いつもの漣ちゃん。
「漣ちゃん! 脱落したはずじゃ……?」
そんな、朧ちゃんたちの方に送り出してくれたのに。動揺なんてまるでしないで、いつもの漣ちゃんの笑顔で、こちらに滑ってきます。
「残念でした、トリックよ。漣XXは明石さんに頼んで作ってもらったコス衣装です。だから、破壊したって漣を戦闘不能にしたことはならないのよ」
してやったり、と言うでもなく、漣ちゃんはいつも通り、に言って見せる。
でも、潮は、潮は。目頭が熱いです。
「ゑ、潮ちゃん泣いちゃった……? いや、それはまあ、騙すほうが悪いってことで。恨んでくれていいよ」
「うそだったの……?」
「うそだったの」
全く悪びれない漣ちゃん。
「潮が優しすぎるのを克服させるためだって。あれも、嘘なの?」
漣ちゃんは、「それは本当だよ」と、その背に輝く夕日を見ながら答えます。潮との距離は二〇メートルもないくらい。そして、いつもの連装砲を、いつものように一度抱えてから、右手を一直線にこちらに向け、照準を合わせました。
「克服してくれなきゃ、この戦いが面白くないからね!」
こんな、ずるすぎます。あたしは機関が不調、砲も機銃も爆雷も捨ててしまいました。一方の漣ちゃんは。ほとんど無傷です。
「最初から、こんなことするつもりだったの」
「ナイス脚本だったでしょ?」
「じゃあ、潮達の戦いは?」
「うーん、お膳立て?」
「そんなのひどい! 皆が納得して決められるようにって決めたんじゃないの!」
「そんなこと言ったっけ。潮、まだまだ正直すぎるわよ。せっかくだから他にも。ルール確認のとき、『勝った人がルールを決める』って言ったけど、あのとき詳しいことを言わなかったのは、ルールを漣の好きなように変えるためよ」
「好きなようにって、じゃあ、大広間の話も……」
「あれは一部本当。漣は、ご主人様以外の提督をご主人様って呼びたくないのですよ。提督になった人のことは、きっとご主人様って呼んでしまうけど。
呼べてしまいそうだからこそ、他の提督で上書きしたくはないのです。そう思って提督になりたい、と言ったわけですが、大淀さんのルール説明のとき、もっといいことを思いついたのです」
とても悪いことを言っているのに、漣ちゃんは平気な様子で、片膝を立てて座る長門さんや、散らばって浮かぶ布や、艤装、あたしの砲や爆雷を眺めています。曙ちゃんと朧ちゃんは、いつの間にか運び出されたようです。
「提督は、ここを出ていくとき、最初にあてがわれた艦娘を連れて行くように、漣がルールを書き換えるのです。ご主人様の人生とそのすべては、永遠に漣のものとなるのです」
漣ちゃんは、どこを見ているのでしょうか。あたし、その向こうの観戦しているみんな、鎮守府、もっと向こう……?
「そんなわけありません。提督は提督のものだし、ものじゃなくて提督です」
「……わかってない。分かってないよ潮クン。漣たちはモノ。提督もモノ。自分で決めてることなんて、なぁんにも、ないの。提督はなんの因果か提督になっただけで、誰かに指定された建物と土地で、誰かが指定したやり方で提督をやってる。いろんな配慮とかいって抵抗してるけど、それも大元の縛りに対するささやかな抵抗でしかないの。朧の言うように艦娘を手放したって、それはモノとして処分しただけ。
それに、俺の手を離れて自分で生きろっていうのは、もう呪いとか、死後も続く念みたいなものじゃん。さんざん漣たちで遊んできたなら、責任をとってくれても、ねぇ。
全員が無理なら、漣だけでも。漣は一番長く提督に遊ばれてきたわけだから、その権利があるのよ。そして提督とは違って、漣は優しさを捨てられる。そのために人を、提督自身を苛む覚悟だって、朧たちを出し抜く覚悟だって、出来てる」
話し終えてから、手首を回したり、砲身を掴んだりして、砲の状態を確かめる漣ちゃん。
「……最後のことばは、自分で悪いことと思ってるように聞こえるけど、でも潮は、それでも漣ちゃんが好き」
「だったら降参して」
「でも、仲間を傷つけるのはダメです!」
頑張りすぎてぼろぼろの機関を回して、さっき落としたあたしの装備の近くまで行きます。そこに、容赦なく漣ちゃんの主砲が。当たりはしませんでしたが、砲弾が波を立てる上に、機関がボロボロで速力が足りないので、どうしてもよろけます。
「まだ漣とやる気なの?」
機関以外は無傷。まだやりようはあります。駆逐艦同士なら、まだ戦えます。
足元に衝撃。痛い。被弾したようです。
「もうそんなボトボドなのに?」
浮かんでいる機銃を拾って、漣ちゃんから逃げます。
「逃げたら勝てないよ? それに機銃なんかじゃ」
ううん、勝つために、今は逃げます。逃げつつも、機銃を左手に着けます。漣ちゃんは速力を上げずに、余裕たっぷりに、じわじわと潮を追いかけてきます。
「主砲か魚雷、どっちがいい?」
「どっちも、嫌!」
漣ちゃんの足元を狙って、機銃を斉射。
「だから機銃ではなあ!」
動かないで機銃を打ち込む潮を、漣ちゃんはそのまま仕留めようとします。
そのとき、カァン、と、甲高い音が響きました。
漣ちゃんの足元、すぐ後ろに浮かんでいる、迷彩が施された箱。そこに機銃が当たったのです。
「……潮? 謀ったな潮!」
爆雷ケースは爆発し、漣ちゃんは爆炎に包まれて吹き飛びます。受け身なんて取れるわけもなく、体を投げ出すように飛んできた漣ちゃんを、しっかりキャッチします。
「漣ちゃん!」
「ずるいことも勉強したのね。もう漣から言うこたねぇよ……漣を撃てたら合格だ」
漣ちゃんは、力なく潮にもたれかかっています。
「……でも、まだまだ漣の方が上手だったようね」
力尽きたようだった漣ちゃんが、急にしっかりと潮に抱きついてきました。
え、なに。
振り向くと、その水面にはうさぎさんの乗った砲が。
「漣に構うな! 来い!」
「嫌ぁっ!」
打ち込まれる恐怖に、漣ちゃんに抱き着くと、爆発音とともに、漣ちゃんの服と主機がはじけ飛びました。まだ、あたしの体はぶるぶると震えています。
「全身バイブかよ……。こりゃ漣の負けだ。なんも言えねぇ……」
脚がすくんで、水面に座り込んでしまいました。岸から、歓声が聞こえてきます。ああ、潮、勝ったんですか。その、決闘に。
同一六五〇 鎮守府 沿岸区域
漣の服が弾け飛び、大淀が演習終了の合図をした。約二時間に及ぶ激戦は、ついに潮の勝利で決着した。
「はーあ。やっと終わりましたね。それでどうなんです? 創作のインスピレーションというのは得られたのですか?」
秋雲は、夕雲に連れられて観戦に来ていた。最初こそ断って自室にこもり、原稿の追い上げを図るつもりだったが、なにかの参考になるのでは、という夕雲の悪魔のささやきに負け、観戦することにしたのだ。
「秋雲さんの絵が勝手に立体化された挙句、いきなり破壊されたのは……まあ……パンクだったけどさ……コス衣装破壊合同でも主催するか……」
「夕雲には全く意味が分かりませんでしたわ。まあ今夜から、私達の部屋で修羅場オブ修羅場を乗り越えてもいいわよ。巻雲も風雲も、なんだかんだ言って楽しそうだし」
他の皆が、賭けの結果やそれぞれの戦いぶりについて話している間にも、秋雲は、貴重な時間をこんな娯楽に費やしてよかったものかと考えていた。友人のよしみで朧に賭けた軍票も、ほんの少し惜しんでいた。
「那珂ちゃん大勝利! 那珂ちゃんは見てましたから、潮ちゃんの強さー」
大抵の艦娘は、秋雲の胸中など構わず、賭けに熱中している。皆は大番狂わせに熱狂し、一部は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
しかし突然、びっくり水でもかけたように、騒ぎが収まっていく。
「おいまたやってるのか、賭博はやめろと言った筈だが」
所用を済ませて鎮守府に帰ってきた提督が、この騒ぎを聞きつけてやって来たのだ。
「まったくもう、目を離すとすぐにこれだ。まあ、俺も最近は留守にして悪かったが……。とにかく解散、各自の任務に戻れ」
「ちょっと待った! 皆が集まっているうちに、話しておきたいことがある」
威圧感をまとった声が、提督の指示に続く。木曾だ。……彼女の真剣そうな言葉に反して、姉たちは「また木曾がなんか言ってるクマ」「いつものやつにゃ」などと小声で言っているが。
「全員こっちを見てくれ。近い将来、この提督が辞めるという噂がある」
静かなざわめき。そこかしこで、噂について話す声が聞こえる。皆、思い当たるところがあるようだ。
「俺と若葉は、しばらくその裏を取っていた。見つかったのは……」
「おい何を暴露するつもりだ! やめろ木曾!」
全力で止めようとする提督を艦娘たちが訝り、目の色が変わる。
「フン。やはり後ろ暗いところがあるようだが、そいつはお前が正直に話してこなかったせいだろう。ここでいっそ公開して、鎮守府の全員で解決に取り組もうじゃあないか。いいぜ。俺たちは家族みたいなもんなんだ」
「こればかりは無理だ! お前たちに解決して欲しいとは死んでも思わん!」
一同が騒然とする。「どれほど重大な秘密を……」「やっぱり提督は……」「提督殿には、まだ隠すような嗜みが……」などと、またしても憶測が飛び交っている。
「いや、言わなくて後悔するよりは、言った後悔だ、これを見ろ!」
「やめろおおおおおおお!」
提督の叫びも虚しく、木曾の持った模造紙が、ばさっと開かれる。
そこには、レシートと写真、提督の外出履歴などが貼られている。
「これが提督に関する疑惑の真相だ。こいつは、あきつ丸の管理を陸軍に移譲することを拒否する時、なぜかあきつ丸とオナホ華道の作品が一緒に映った写真を添付したみたいだ。そのことに対する質疑があって、こいつはよく外出していたようだ。
しかも、鎮守府の出納記録を作成しているとき、大量のアダルトグッズが購入されていることに気付いてしまった。問題になることを恐れた提督が、その隠滅を図っているのが、近いうちに処分を受けるという憶測に繋がったんだろうな」
「そんなことか。いや、それもやめて欲しかったが」
なぜ提督が安堵したのか、木曾にも、大抵の艦娘にも、理解できなかった。
「とにかくだ。提督に嫌疑を向けられたときの対応さえ間違えなければ、提督が辞めるハメになることも無いと思うぜ」
「ちょっと待って下さい! 司令が私達それぞれに戦闘以外の課題を与えていたのは、近い将来、司令が司令を辞めてしまうからではないのですか!」
比叡が、戦闘以外の技術を学ばせようとしていたことについて質問する。
「あるとも言えるし、無いとも言える。深海棲艦が根絶されるか、艦娘に代わる対抗手段が見つかれば、お前たちが戦う必要は無くなるだろう。その時に、何かしら出来たほうがいいかと思ってな。
だが、今は他に興味の湧くことを自分で見つけて欲しいと思っている。やっぱり俺の選択より、自分の意思に従って欲しいしな。何かやりたいことが見つかったなら、俺はそれを全力で応援したい」
どこか寂し気に、提督はその真意を明らかにした。
「それに、木曾の言う通り、俺には心配もあった。あきつ丸の件について色々調べを受けていた訳だが、そちらの方も今しがた解決できた。
取引をしてな。いつぞや木曾が設計した秘密兵器ディルド、あれの情報を渡すことで、あの写真の件は不問にしてもらった。それに、いかがわしい買い物の件も、後から報告するとまずいだろうと思って相談したが、それは特に問題ないらしい。まあ、『艦娘のために必要なもの』の定義もいろいろ議論があるらしい。そのあたりが整備されたらまた俺から……俺がするのか……? まあ、その時はその時だ」
提督が辞めることは無いと分かり、胸を撫で下ろす艦娘、興味のない艦娘、「必要なもの」について周りに尋ねる艦娘など色々だったが、とにかく提督は辞めないようだ。
「何だ、だったら証拠を隠滅する必要はないのか」
そんな和やかな雰囲気の中、若葉が提督に唐突に訊く。
「別に、いかがわしいことに使っていないと説明できるのであれば隠すこともないが」
「そうか。木曾に言われて全て処分すべく動いていたのだが。インターネット上の情報は既にすべて改ざんし、紙の書類も合わせて捏造してある。それに、いかがわしいモノの現物を処分する準備もできている」
「いや若葉、すごいな……。それで、現物を処分ってどういうことだ」
周到すぎる行動と、人間離れした技量に驚愕し、顔を引きつらせる提督。
「秋雲の部屋に爆弾を仕掛けた。もう爆発する」
「よ、よくわからんが今すぐ止めろ!」
「え、ちょっま、どういうこと?」
提督と、先ほどまで我関せずを装っていた秋雲が、若葉に詰め寄る。
「時限式だし、もう遅い。すまないが、若葉にもどうしようもない」
その言葉と同時に、轟音とともに駆逐艦寮の角部屋の窓が吹き飛んだ。逆巻く炎は、ガラス片を煌めかせ、夜空に立ち上る黒煙に姿を与えていた。
「今日中に片付けるには、こうするしか無かった。都合よく皆これを観戦しに出払っていたからな。必要なくなるとは……」
数十秒は茫然としていた提督だが、我に返り、消火開始の合図をするとともに現場に走っていく。それに合わせて皆走り出し、岸壁はまた、閑散となった。取り残され立ちすくむ秋雲に、夕雲が尋ねる。
「ね、見に来てよかったでしょ?」
「いや意味わかんないし。機材が、資料が、書きかけの原稿が……。なんで、なんで秋雲がこんな目に遭わなきゃいけないんだよお! もうディルドは懲り懲りだあ!」
燃え盛る部屋を見て泣きわめく秋雲を、夕雲は、優しく抱きしめた。
同二三〇〇 沿岸区域 若葉
「姉さん、こんなところに居たんですね」
初霜だ。若葉が帰って来ないのを気にして迎えに来たのだろう。臙脂のマフラーが良く似合っている。息が真っ白だ。さぞかし冷えるのだろう。
「やっぱり、今日のことで自分を責めているんですか?」
「そうだな。次からは実行にあたって確認することが重要だろう。大丈夫だ。その件の処分があれば、謹んで受けるつもりだ。今回ばかりは、私が悪い」
初霜はマフラーを外し、若葉の首に何周も巻いた。随分長いな。
「いいのか、寒いだろう」
「ずっとここに居たんだから、姉さんの方がもっと寒いでしょう。私は大丈夫。もう、帰りましょう」
首元が露わになると、初霜の服装は寒そうだ。私もほとんど同じ装いとはいえ、それは気になる。でも、もう一つやらなくてはいけないことがある。
ポケットに手を突っ込み、活きのいいアジフライを取り出す。
「それ、まだ腐らないんですか?」
何に抵抗しているつもりなのか、激しくのたうつアジフライ。
「生きているからな。だからこそ、海に返してやろうと思う」
岸壁の際まで歩き、そこに屈むと、初霜も隣に屈む。
「でもいいんですか、これまで大事にしてきたのに」
「いいんだ、そうした方が、若葉は嬉しい。泳いでいるときの方が、こいつは活き活きしている。こいつはその方が幸せなんだろう」
「幸せ……ですか」
びちびちとのたうつアジフライをのぞき込む初霜は、心底不思議そうだ。
「それがアジフライにとって幸せかは、若葉にはわからない。もうアジフライの声も聞こえないから、アジフライはただ泳いでいるだけにしか見えない。だが、それを見て気持ちよさそうだと思うこと、だからもっと広いところで泳がせてやりたいと思うことは、馬鹿馬鹿しいだろうか」
初霜は、今度は若葉の方を見る。未だに、若葉を疑う表情だ。
「でも、アジフライは何も感じては」
「初霜はアジフライではないだろう。そうだ。同じように、若葉は初霜でもアジフライでもないからな。お前が笑っていたところで、本当に楽しいのかはわからない。アジフライだって同じだ。すいすい泳ぐからといって、本当に楽しいのかはわからない」
アジフライは、まだ体をびくつかせている。
「だが、苦しそうなお前は見たくない。同じように、暴れるアジフライだって見たくはない。
確かに若葉は、これまでアジフライを手放せなかった。理由はわからない。ただ、ひどく眠くておかしくなっていたせいなのかもしれない。
でも、動き出したアジフライを生ゴミとして捨てることはできなかった。なぜ面倒を見るのかずっと考えていたが、わからない」
初霜は、こちらの顔を見つつも、筒状にした手に息を当て、温めている。やはり寒いだろう。早く済ませよう。
「とにかくこいつを返してやるべきだろう。キス島のあたりに放そうとしたが、あの日のゴタゴタでできなかった。今がその時だ」
尾を離す。アジフライは、夜の闇を吸った海に消えていく。すぐに見えなくなったあれのことは、見送ることもできなかった。まあ、達者でやるだろう。海には、街頭、クレーンの誘導灯、遠くの船の灯りが浮かび、風と波にとろとろと揺れている。
「行くぞ。おかしなことに付き合わせてしまったな」
歩き出すと、初霜は若葉の後ろを歩こうとするので、立ち止まって目で促す。その意味を汲んでか、初霜は追いついて隣に来る。
それから、長すぎるマフラーを外して、今度は初霜の首も一緒に巻きつけた。これが一番暖かい。
お付き合い下さいまして、本当に、本当にありがとうございました。
明日のエピローグで、ディルド茶道三部作・完結です。