同一二四七 駆逐艦寮 潮
曙ちゃんは大切なお姉ちゃんです。潮が困っていると助けてくれるし、潮が間違っているとちゃんと直してくれます。曙ちゃんが居なかったら、潮、今までやっていけなかったと思います。たまに言い方がきついのと、提督のことになると、あの、提督は……ってことにしないと納得してくれないのは、たまに困りますが。
言い方がきついのは、そうしないと伝わらないから。曙ちゃんだって、意地悪したくて厳しいことを言ってるわけじゃないと思います。さっきのだって、潮のために言ってくれたんですよね。だからちゃんと聞かないと。
潮のために習字道具を見つけてくれるって言ったけど、それも曙ちゃんに任せきりにしちゃいけませんよね。やっぱり。
潮の割り当てが駆逐艦寮になったのはよかったです。夕雲型のみんなに、第六駆逐隊のみんなみたいに、掛け軸を書いていた子がたくさんいます。何より大所帯だから、誰かは持っていそうです。
でも、誰に頼むかはもう決めています。
秋雲ちゃん。
絵や漫画が描けるらしいです。だったら、きっと筆なんかも持ってるんじゃないでしょうか。聞いたら書き方のいろいろを教えてくれそうです。
何より、朧ちゃんの友達なら、きっと話しやすいです。あと、ほんの少し、ほんの少し、どうやって知り合ったのか聞いてみたい気持ちもあります。
そういえば、今日は廊下であまり人とすれ違いません。いつもだったら誰かが走り回ったり壁に寄りかかっておしゃべりしたり、窓の外を見ていたりするのに。あ、秋雲ちゃんの部屋は一番端、廊下の突き当りです。なんで艦級につき一部屋になっていないかというと、趣味のために、だそうです。文句を言う子、いなかったんでしょうか。でも青葉さんの新聞の挿絵になったり、例の掛け軸のような部屋の飾りに秋雲ちゃんのデザインが使われたりしているそうなので、それでみんな理解してあげてるのかもしれませんね。……たまに、秋雲ちゃんはなにか特命を帯びているなんて言う人もいますが。大淀さんや明石さん、あきつ丸さんなど、裏がありそうと言われる方もいますが、あの人たちも潮たちに何かしようという気は無いように見えます、潮には。こんなこと言っていると、また曙ちゃんに「そうやって人を疑わないから危なっかしいのよ」なんて言われてしまいそうですが。
そんなことを考えていると、もう秋雲さんの部屋まで着いてしまいました。入り方は、あの、いつもと変わらない感じにノックして入ればいいですよね。
引き戸を叩くと、バン、バン、と鳴るのと一緒に、溝と扉が擦れる音もします。この音、あんまり好きじゃありません。台風の日を思い出すから……。
「うぉっ! ちょっと待って! というか誰?」
「あの、潮です、あの」
あまりお話したことがないのですが、初対面じゃないので「はじめまして」じゃありませんし、「よろしくお願いします」でもありませんよね。あ。
「あの、入っても、よろしいでしょうか」
目的を伝えるのは間違いないですよね。
「あー! 潮ちゃんかぁ! ちょっと待ってくださいねっと」
何をしているのか、戸にはもう触れていないのにカタカタ鳴っています。中は大嵐なのでしょうか。秋雲ちゃんが動き回って。何をしていたんでしょう。最初、ノックをしたとき、「どうぞ」と言われなかったのでちょっとびっくりしましたが。なんて考えていたら、扉が向こうから開きました。
「……はーい、もういいよ」
秋雲ちゃん、何があったか知りませんが、髪がところどころ跳ねて、それこそ嵐を超えて来たような恰好をしています。服装は……ジャージです。普段、制服でなければおしゃれな私服を着ているイメージがあるので、くつろいだ格好で出てこられるとびっくりしてしまいます。
「ん? いいよ、上がって上がって」
そう言うと、戸の隙間から体を引いて、部屋に戻っていきます。
あ、朧ちゃん、秋雲ちゃんの仕草が好きなのかもしれませんね。今の動き、カニが岩に逃げていくところみたいで……って、そんなわけありませんよね、はい。
「はーい、ようこそ秋雲さんのアトリエへ。歓迎するようなものないけどーっとォオ!」
背中を向けていた秋雲さんは、足を軸に回転しながら何か喋っていましたが、急に方向転換──海で戦うときもしないような、驚くほどキレのいい回転です──と、押し入れに向かい、その扉をバタンと締めました。あそこに色々詰めたのでしょうか。潮が急に来るから、ですよね。
「あの……連絡も無しに来てしまって、ごめんなさい」
「ん? あー、いーのいーの! で?」
「?」
で? から話し出されるなんて想定外です。
「やだなあ、なんで来たのって話! あるんでしょ? 秋雲さんに頼み事」
「あ……」
……言いたいのはその通り、なんですが、絵、じゃないんですよね。はい。
「じ、の事をお聞きしたいんです。じ」
「……ン、外にさっと塗る系の奴が欲しいの? あんま硬い椅子で作業するとよくないよー?」
あの、椅子と字に何の関係があるのでしょうか。つい考えこむと、秋雲ちゃんも同じ角度で首を傾けます。鏡のつもり? でしょうか。
「そういう筆? が、あるんですか」
「筆……? あ、字。字ねぇ。ごめんごめん。あー、字。秋雲さん、字は適当なんだよねー。台詞はワープロだし」
台詞はワープロ、それはそうですよね。
「でも、漫画にある、あの、音とか書いてあるアレって」
「あー、書き文字のこと? あれ見た目は字だけど書き方はまんま絵。ちょっと見てみてー」
そう言うと、秋雲ちゃんが机に置いてあった、タブレット(ですよね)を持ってきて見せてくれました。
「こうやって~、輪郭を描いて~」
秋雲ちゃん、その場に座ってタブレットをペン……インクは出ないけどペンですよね。本物のペン、使わないんですか……。それでなぞると歌い出しました。いや、歌っているつもりは無いのかもしれませんが、節をつけて楽しそうに言うので、もうほとんど歌です。こうやって~、輪郭を描いて~。
「中に模様を敷き詰めて~」
あ、すごい。ペンでなぞっただけで輪郭の中が網掛けになりました。
「あっという間にズッ! の完成!」
すると、もうそこには漫画でよく見るような文字があります。輪郭がちょっとギザギザになって、風を受けているような、文字そのものが走っているような……。あ、ペンで輪っかを描いて囲ったら字だけがずれました。すごいですね、タブレット。
「すごい、本当にすぐにできました」
「こんなの、ちょちょいのちょい! あ、こっちのはね、文字をなぞって太くしただけだよ」
そう言って見せてくれたところには、「ぴちゃ」「ぐちょっ」「ヌヌヌ……」など、いろいろな音が並んでいます。
「……でも、やっぱり小筆とか、そういう、習字道具みたいなのって、やっぱり無い、ですか」
でも、やっぱり文字をなぞったり輪郭から描いたりするなら、習字道具は無い、ですよね。筆も絵具も全然使いませんし。でも、それだけ絵に詳しいなら何か持っててもおかしくない、ような。
「んんー。まあ、書く字によるけど使えるものがないでもないかな~。で、何をお困りですかな?」
あ、あるかもしれないんですね。親切な子です、秋雲ちゃん。やっぱり朧ちゃんの友達だけあります。
「震えちゃうんです、字が。それに筆が止まって滲んじゃって……」
秋雲ちゃん、ペンのお尻をこめかみに当ててぐりぐり押しています。つぼ押しでしょうか。
「……で、困るくらいなの」
さっきまでの、ただ話してるだけでも笑い声が響いてきそうな笑顔から、まゆげを寄せて、いかにも考えている顔になりました。なんだか、表情が口より物を言うタイプの人みたいです。
「あ、すごい下手だったと思う……思います。提督は丁寧にやった証拠だ、って言ってましたけど……」
「うんうん……」
心なしか唇を巻き込んで、左。ペンで押していない方に視線だけ向けながら考えこんでいます。床に直に座っている様子といい、見たこともない構えです。
「潮ちゃんは、直してどうしたいのかな?」
「どう……?」
なんだか恥ずかしいからきれいに書けるようになりたかったけど、本当のところどうしたかったんでしょうか。字がきれいになると? もっとお手伝いさせてもらえます。お手伝いするのはなんで? 提督のお役に立てるから、ですね。それに、提督にサインした書類を出したとき、言いづらそうな反応をされたのは悲しかったです。なんででしょうか。それは……?
「わかんない、です」
「ほんと~?」
秋雲ちゃん、急にいつもみたいな何かたくらんでそうな顔になりました。
「あ、字が下手だと思われそうなのは、恥ずかしかったです」
ふむふむ、という秋雲ちゃんの独り言だけが部屋に響いています。
「普段は下手じゃないんだ?」
「はい、緊張しちゃうから、だと思います……普段は、あの、漣ちゃんと朧ちゃんはほめてくれます……」
「あ、いいこと思いついた!」
「ひゃああああああ!」
びっくりしました。突然秋雲ちゃんが大声を出すから……秋雲ちゃんは、それより潮の声にびっくりしたみたいで、バッ! と振り向いていましたが。未索敵で攻撃されたとき、こんな風に振り向くのかもしれません。
「……っくりするなホント……。ところで潮ちゃん、波の合成は知っているかな」
「え?」
いきなり何の話なのでしょうか。
「ほら、複縦陣で進むとき、隣の艦の白波とぶつかると波はどうなる?」
「……えと、高くなる? うーん、よく見てない、です」
任務の最中にそんなのを見ていられるなんて、やっぱり秋雲ちゃんは度胸があるのでしょうか。それとも、そういう観察力があるから絵を描けるのでしょうか。きっと両方ですね。
「それはねえ、高いところと高いとこが重なると高くなって、低いところと低いところが重なるともっと低くなるんだ」
つまり……? 説明一回ではちょっとわからないですね。
「あー、図を描いたほうがいいかな」
タブレットの画面を切り替えると、新しく波を描いてくれました。全く同じで、上下で同じ振れ幅の波です。それぞれの真ん中の直線は、きっと凪いでいるときの水面ですね。
「でね、これが山一つ分ずれると……?」
「ずれると? ……あ、ぶつかる山と谷が入れ替わります。互い違いになりますね」
「ご名答!」
そう言うと、さっき「ズッ!」をずらしたみたいに波をずらしました。
「これだとできる波はどうなる?」
「えっと……」
山と谷、谷と山……。
「あ! もしかして、無くなるんですか?」
「すごいじゃん! つまりね」
「震えるのと逆に震えれば波はなくせる、ってこと、ですよね!」
すごい。こんな簡単に解決してしまうなんて、やっぱり物知りなんですね、秋雲ちゃんは。でも……。
「どうしてそんな。逆に震えたら意味ないんじゃ……?」
震えるのを制御できればそもそも震えなければ解決、ではないでしょうか。
なんて潮の心配をよそに、秋雲ちゃんは、相変わらずのしたり顔です。
「潮ちゃん、秋雲さんは最初から絵が上手かったと思う?」
「はい、艦娘ですから」
艦娘は生まれたときから艦歴に合わせた記憶と技術、技能、趣味、嗜好をもっています。潮だって、艦娘としての記憶が始まったときから二本足で歩いていますし。
「む、確かに記憶のせいと言われるとどうしようもないなぁ」
あ、ふつうの人はいきなり二本足で立って歩かないそうですね。秋雲ちゃん、絵も最初は描けない、と、そういうつもりで引き合いに出したのでしょうか。
「まぁそれもそう、だけど。もっとうまくなるには練習するしかないんだよねぇ。字もそう、結局は」
「はい……」
……とても、とても自分勝手なことを考えてしまいました。──すごいやり方が知りたかったのに、そんな当たり前のことならわざわざ秋雲ちゃんに聞かなくてもわかっています、なんて。
「でもねぇ、この練習っていうのも、ただ時間をかければいいってもんじゃないんだ」
秋雲ちゃんは急に立ち上がり、押し入れを開きました。……ここから見えるような浅いところにはお布団しかありません。何の変哲もない押し入れ。じゃあその奥は、というと、日の光も差し込まず、真っ暗です。秋雲ちゃんは布団の上によじ登り、こちらからは闇にしか見えない、深く、深くで何かをまさぐっています。
「あ~これでも……これでも……」
ガサゴソと物がこすれる音と、秋雲ちゃんの服とお布団が擦れる音がずっと響いています。やっぱり、あの中に部屋の物を全部突っ込んだんでしょうか。それとも、あの中には潮には伺い知れない世界が広がっているのでしょうか。そういえば、ここ……。
「は……ひゃう!」
「うわっ! 何今の? なんか……なんか変な物でもあった?」
「あ……ごめんなさい、くしゃみです」
ちょっと寒いです。だからくしゃみが出た、それだけなのですが、秋雲ちゃんが大慌てで出てきました。本当に優しいんですね。しかも物知りで、絵も上手。朧ちゃんが通うのも、なんだかわかっちゃう気がします。
「あ~、換気したくて窓開けっぱなしでエアコン点けっぱなしにしたんだったわ。メンゴ。もう閉めるわ~」
からからから……と窓を閉めると、秋雲ちゃんはまた押し入れの中に戻っていきました。
同一二三〇 執務室周辺 漣
さて、来てしまいましたが、執務室。
何の計画もなく来るなんて、漣もぼのの事言えねぇな! まぁ、ブーメランはなるべく勢いよく投げるものって、山本五十六も言ってるからね! 問題なし!
さて、これからどう何をしようかな。
① まず服を脱ぎます! 安定行動パート
② ご主人様が自分の進退について考えている証拠を集める! 探偵パート
③ 殴り込んで真実をつきとめる! 法廷パート
④ 急に利根氏と筑摩氏のほのぼのした様子を流す! 日常パート
まず①はダメね。誰かに見られたら恐怖の反省室送りかも。反省室が本当にあるのかって? 自分で考えなきゃメディア・リテラシーが無くなって馬鹿になるって青葉が言ってたわよ。しらんけど。
②は今の所問題なさそう。これは保留にしとこ。でも、ご主人様のゴミとか漁るっていうのは……まぁこれも真相究明のためだから。きっと青葉も許してくれるよね。
③は今やらなくてもぼのがやってくれるでしょ……。それに又聞きの情報だけで行ってもしらばっくれられて終わりって、漣自身が言ったじゃん。発言に責任を持たないのはジャーナリストとしてイカがなものか。って青葉に言われるわよ。
大穴の④がお望みなら、青葉にお任せして撮ってもらってください。
というわけで、⑤の「突撃! 青葉さんちの昼ごはん」に決定! 冗談よ。②、地道に提督周りのネタを集める、一択だろ。常識的に考えて。
で、どうやって集める? まぁまぁ、まずはご主人様周りでご主人様自ら公開した内容から。ご主人様自身が開示してる情報なら苦労なく集められるっしょ。
……うん、やらなくては。だって、そのためにわざわざ来たんだし。
さて、ご主人様が普段情報を発信するのに使っているのは……掲示板というか、黒板というか。この壁だったハズ。でも、ご主人さまの予定が……。
「潜水艦に休暇を! 特にここの三連休あたりがいいでち」
いつも本当に乙です。
「司令官へ メリット以外のシャンプーを買ってくれ。百歩譲ってTSUBAKIだ。あと、この前のノンヒロポンだったか、あれは泡が立たなくて気持ち悪かった。いくら髪に良くてもあれはダメだ」
漣もそう思います。あ、漣はマシェリが良かったけど、ご主人様はきっと覚えてなんかないわよね。考えて買ってはなさそうだし。ヒロポンは週一くらいならいいんじゃね?
「オナホ華道のつどい 一四〇〇~ お菓子あり〼 山城」
……(゚Д゚)ハァ? 二度見したけどやっぱりわからない。ディルド茶道は禁止するっていうイミフな通達もあったけど、これは大丈夫なの? でも鎮守府では常識に囚われてはいけないのですね! って誰か言ってた気がするし、まあ、そういうのもアリなのよね。
「カレーの日! 豚 正
牛 正正正T」
あ、こういうのにも使えるのね。でも、これじゃ一人何票入れてもバレないじゃん。とりあえず豚……。いや、豚野郎……。ご主人様の……あ。これじゃ漣ってバレバレだは。「司令官の豚野郎 一」……と。
「提督を司令官と呼ぶ中で、提督を豚扱いしそうな者か、誰だろうな」
「そりゃあ……うーん、改めて考えるとあんま合ってる子、居ない気が……って」
凛とした中に穏やかさが滲み出る声。まぎれもなく戦う人の声だけど、纏うものは刃物の冷たさでも、銃火の残忍さでもなく。間違えようがない、これは……
「はぅ! サーセンした! 長門氏!」
「いいんだ。まぁ、何だ。ふざけるのもいいが、節度を持てということだ」
「いやぁサーセン……」
くぅ~、居たのかこの……じゃなくて、長門氏ならもっとkwsk知ってるのでは?
「そういえば長門氏、例の件、提督は何か?」
「例の件? 艦娘に戦闘以外の技術を取得させようとしていることか?」
む、シラを切った。口裏はもう合わせてあるってこと?
「……ほら、それってアレでしょ、提督が居なくなった後の事を考えて……」
そこまで言うと、一瞬、長門氏の顔からいつもの緊張感が消えて……何か、遠くを見るような。もしかして、ビンゴ?
「……そうだな。逃れられはしないのだろう」
逃れられないって……? でも確証が得られるまでは洗いざらい話してもらっちゃわないと。
「やっぱり?」
「ああ。どのみちな」
どのみちって。漣と交代して以来ずっと秘書艦やってたのに。長門氏、あまりにも平然とし過ぎでは?
「はぁ~。やっぱ長門氏ともなると安定感が違いますなぁ。やっぱり……運命には逆らえないのね……」
ここまで言って、考えがあれば……ていうか、何か手の施しようがあったら長門氏自らが解決しようとするよね、JK。
「ああ、何事にも……違うな。ディルド茶道とオナホ華道以外うろたえなかった提督も、これは流石に不安らしい」
「へ?」
なんですと?
「何も恐れなかった……恐れを見せなかった提督も、こればかりは無理だ」
無理。二番目くらいに長門氏から出てきてほしくない言葉っすね。一番は……。
「無敵のビッグセブンでなんとかして下さいよォ~」
「無理なものは無理だ」
っくぅ~。とりつくシマもないとはこのことね……。
や、だとしても。漣が諦めるとは思わないことね。漣、きっと運命を変えて見せる。
「漣、ご主人様を止めます。必ず止めます」
だって、漣はしつこいから。それに、いつの時代だってデスティニーはクソだかんね!