斬狂   作:羽山健次郎

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前編

橘理火(たちばなりか)は校門を見上げる。

星領学園。今日から理火が実習を行う高校。

大学の同期たちの中には保険として教員資格を取るというものも多かったが、理火の場合教師になるのは長年の夢だった。

よってこの教育実習は夢をかなえるための重要なステップ。

 

「よしっ!」

 

ぴしゃんと両頬を軽く叩き気合を入れ、カバンを抱えなおす。

それから登校してくる生徒たちに「おはよう!」と元気に挨拶。

驚くような表情を浮かべた通りすがりの女生徒たちだったが、挨拶を返してくれない。

それどころか、クスクス笑いながら歩いていってしまう始末。

 

…最近の子は挨拶もしないのかなあ?

 

首を捻りつつ、いやいやそういう礼儀を身を以て示すのが教師の務めじゃない! と自分自身を叱咤する理火。

めげることなく生徒たちに挨拶を繰り返す理火だったが、その反応は先ほどの生徒たちとみな一律。

さすがに不安になった理火に、ようやく向こうから声がかけられる。

 

「…あのう」

 

「あ、はい、おはようございます!」

 

反射的に挨拶を返した先。

首にくたびれたマフラーをした少年がこちらを見ている。

制服姿からこの星領の学生に間違いないだろうけど、中肉中背の取り立て表現するところのない凡庸な少年。

 

「えっと…」

 

「なに? なになに何かな?」

 

精一杯の愛想を全開にする理火に、少年はおどおどと、気の毒そうに、言いにくそうに告げた。

 

「後ろのほう、ストッキングがスカートを喰っちゃってますよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ひょほほほ…」

 

教員待機室で、理火は苦悶に頭を抱えていた。

駅のトイレで用を足し、化粧を整えなおしたのを覚えている。

すると、さっき少年から指摘されたとおり、駅前から学園までお尻丸出しで歩いてきたってわけ、あたしは!?

しかもよりによってバックプリント付きのショーツ! 

せっかくの卸したてのスーツセットだから、下着も勝負下着にすべきだったか。

でも、駅前から意外と気配を抑えてきたから、あまり気づかれていないかも。

いくら煩悶しても後悔は先に立たない。あとはこの醜態が第三者に写真にでも撮影されて投稿サイトにアップされてないことを祈るのみ。

 

…帰ったらネットチェックして回らなきゃなあ。

 

理火がそうぼやいたときだった。

 

「橘さん? 橘先生!?」

 

「あ、はい!」

 

入口から年配の女性教師が呼んでいる。

先だっての校長からのガイダンスで学年主任と紹介された教師だ。同時に、理火の担当するクラスの担任教師でもある。

縁なしの度の強いメガネをかけ、髪の毛をアップにした学年主任を見上げ、理火はとても教師らしい教師だと思う。

漫画とかに出てくる女教師のステロタイプ。

軽蔑するどころかむしろそのスタイルは尊敬さえできるが、あいにく理火の憧れるのは若くて快濶なお姉さんキャラの教師だ。

 

連れていかれたのは一年生のクラス。

今日からここで二週間の実習の始まり。

教室の中に入ると、授業開始前に机に突っ伏す男子生徒、友人同士で会話を弾ませる女生徒、忘れた課題の写しに忙しい生徒といった面々が混沌とした空気を作り上げている。

つい数年前まで理火にも馴染深かった雰囲気。懐かしい気分。これが青春の空気というものなのだろう。

 

「ほら、予鈴は鳴ってますよ!」

 

パンパンと学年主任の手を叩く音に、生徒たちは弾かれたように、また気怠そうに、それぞれが自席へと戻る。

 

「今日から教育実習に来た橘先生です」

 

紹介されている間に、理火はあんちょこへと目を走らせる。教室の席順に名前と出席番号が記してるプリントは事前に貰ったもの。

 

「それでは橘先生。自己紹介をお願いします」

 

「はい」

 

ここで『橘理火です、よろしくお願いします』と単純に済ませてしまっては、理火の目指す教師像としては失格。

 

「橘理火です。みなさんと大して歳は離れてないですけど、よろしくお願いしますね。

 短い実習期間ですけど、みなさんに頼られるような先生になれるよう頑張りたいと思います」

 

ここでちらりと学年主任の様子を伺う。うん、まだ大丈夫。

理火は続けた。

 

「趣味というか特技は料理です。こう見えても大学のミス料理コンクールでは準優勝したこともあるんですよ」

 

ほう、とか、おお、とか、冷やかしか賞賛かわからない声が上がる。

更に理火は続けた。

 

「…といっても、コンクールの参加者は私も含めて二名だけだったんですけど」

 

素直な笑い声が上がる。よし、つかみはOK! とばかりに畳み掛ける理火。

 

「でも、本当、私は料理が得意だし、美味しいですよー。特に煮物とか。友人はお袋の味だって言ってくれたし」

 

それって褒められてないんじゃないのー? という無邪気な突っ込みに、満更でもない。

ひどいなー、なんて返しつつ、理火は素早く教室中を見回す。

そして見つけた。

今朝、校門でスカートのことを指摘してくれた少年。

なんとまあ同じクラスだったとは。

どうやら向こうも気づいた様子で理火は見返してくる。

えーと、あの子の名前は…。

あんちょこに書かれた彼のフルネームに理火は目を見張った。

姓は奇しくも理火が大好きだった一昔前のヴィジュアル系ロックバンドのナンバータイトルと一緒。

下の名も文字通り斬新。

ごく自然な流れで、理火は訊ねていた。

 

「えーと、紅くん? 君にとってのお袋の味って何かなー?」

 

果たして、突然の理火の質問に紅少年は目を見張り、それから大きく顔を歪めた。

 

…え?

 

予想外の反応に理火が硬直した瞬間、学年主任の声が飛ぶ。

 

「橘さん―――!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後。

星領学園の校門前で、理火はたそがれていた。

朝のHRの自己紹介の途中で半ば無理やり教室の外へ連れ出された理火は、学年主任にこってりと絞られていた。

 

―――世の中には、家庭に様々な事情を抱える子供もいるんです。

 

世の中の全ての子供の両親が健在とは限らない。

主任の口にしていた一般論に、全く反論の余地がなかった。

調子に乗っていたことは否めず、そういう配慮を完全に失念していた。

反省することしきりで、今日は丸一日教室の後ろで授業を眺め、鬱々と過ごすしかなかった。

 

それにしても実習初日でこれかあ…。

 

朝一番で痴女まがいの露出をして、初めてのHRでは生徒への配慮を怠る。

まさに踏んだり蹴ったりのアンラッキーディ。

こんな日は、さっさと帰ってゆっくり入浴し、ハーブティをガブ飲みするのが理火の常だったが、今日はまだしなければならないことがある。

こうやって校門の前で待っている所以。

 

「あ…」

 

来た。

くたびれたマフラーをした少年が一人歩いてくる。

紅少年だ。理火の目当ても彼。

少年は、一人校門を出て歩き始める。

そのあとについて歩き始める理火。

十分学校から距離をとり、かつ周囲に他の生徒たちの姿がないことも見定め、理火は背後から声をかける。

 

「紅くん」

 

少年は足を止め振り返る。少しだけ驚いた様子。それから訝しげな表情。

 

「…橘、先生?」

 

「嬉しい、覚えてくれたんだね!」

 

図々しく理火は微笑みかけ、一気に頭を下げた。

 

「HRの時はごめんなさい! デリカシーのない質問でした!」

 

少しの間。下げた後頭部に、淡々とした声が降ってくる。

 

「…いいですよ。別に気にしちゃいないし」

 

「…本当?」

 

「本当ですよ」

 

気負いのない少年の表情を理火は伺う。

傷ついて拗ねているわけではなさそうだ。

かといって嘘を言っている風でもない。

むむ、表情が読めない。

 

「じゃ! じゃあさ! お詫びとお礼も兼ねて、お茶でも奢らせてくれない!?」

 

「…お礼?」

 

「朝の…」

 

「…ああ」

 

ほんとは生徒と一緒にお茶なんてダメなんだけどね? 頬を染めたとっておきの上目使い。

 

「うーん、それも別にいいです」

 

それじゃ、とばかりに片手をあげて踵を返す少年に、理火はあんぐりと口を開ける。

 

ちょ、ちょっと待ってよ! 少しも迷うでもなく一言で切って捨てるって、なにそれ?!

こっちにも女のプライドってもんが…!

 

瞬間的に頭が沸騰しかけたが、たちまちその熱さも消沈してしまう。

もともと全面的に非があるのはこちら。謝罪すべきなのは理火のほう。

それを向こうがあっさり許してくれたのだ。憤る道理はないはず。

 

肩を落とし、とぼとぼと理火も歩き始める。

紅少年と同じ方向へ進むのはそちらに駅があるから。

間もなく駅に到着。

しかし。

 

「…あれれ?」

 

紅少年は駅をスルーして行ってしまう。

そちらの方向は住宅街ではなく繁華街。

理火はもちろん彼の住所は知らない。

それぞれの生徒に家庭事情があるのは昼間の学校で学年主任に諌められた通り。

それでも理火が違和感を抱いた一因は、やたらと紅少年が周囲に視線を走らせていたから。

まるで後をつけられるのを警戒しているよう。

 

―――怪しい。

 

理火の直感がそう告げる。

ただ繁華街に遊びに行くのに、そこまで気を配るのは不自然。

あとをつけられたくない後ろ暗い理由がある…?

 

好奇心がないといえばウソになる。同時に教師としての使命感もあった。

あの少年自体、不良というタイプではなさそう。

もちろん人は見かけに拠らないし、予断は禁物。

だが、仮に生徒が間違った道へ進みそうになったとき、それを身体を張って止めるのが教師の仕事ではないのか。

理火は強くそう思う。

そんな彼女なりの必然性をもって、こっそり紅少年の尾行を正当化。

 

繁華街を抜け、さびれた区画に足を踏み入れたとき、理火の直感は確信に変わる。

いくつものビルや倉庫が立ち並び、半ば廃墟と化したものまであるこの地域に、彼の住居があるとは思えない。

ましてや誰かに見とがめられるのを避けるかのような紅少年の足運びは、どう考えてもただの下校途中を逸脱している。

ビルの影に入るたびに、念入りに周囲を警戒しているのは、明らかに尾行がついてないか確認している仕草。

 

にも関わらず、どうして理火は気づかれることなく尾行できているのか?

 

それは、意図的に気配を消すことが可能な彼女の特技による。

この技能を自覚したのは幼少の頃。同年代の少年少女と本気でかくれんぼをすれば、先ず見つけられることはない。誰にも見つけられないまま、置いてけぼりをくらったこともさえある。

両親にも話していないこの特技を、大好きな祖母が『()()()()の本家よりよほど筋が良い』と褒めてくれたことが一度だけ。

長じて何か役に立ったかといえば、遅刻直後の講堂にこっそり忍びこんだり、頭数合わせで参加させられた合コンからさりげなくフェードアウトしたり。

大学の友人の背後から携帯電話を入れて『もしもし、わたしリカちゃん。いまあなたの後ろにいるの』といたずらをするくらいがせいぜいの日々。

 

そんな能力が現実的な活用の場を与えられたことに、少なからず理火は興奮していた。

だから昔からの有名な格言も失念していたのだ。

『好奇心、猫を殺す』

 

興奮しつつも努めて気配を消し理火は尾行を続行。なに、いざ危なくなったら気配を消したまま警察へ電話でもすれば…。

ビルの隙間と隙間を縫うように辿りついた寂れた工場跡。

錆びついた巨大な扉の隙間へと紅少年は中へと身を滑り込ませる。

少し遅れて、扉の隙間から中を覗き込む理火。

薄暗くだだっ広い工場の中は埃くさい。

その埃をかき分けるように、幾つもの人の気配を感じる。

 

「…なにこれ…?」

 

工場の中に積まれた無数の段ボールの山。その間をいかにも胡散臭げな男たちが闊歩している。

そんな彼らは一斉に手を止めてこちらを見ている。

見つかった!? 思わず首をすくめる理火。

いや、違う。

彼らが見ているのは紅少年だ。

 

『…おたくらのリーダーは誰?』

 

声を発したのは意外にも紅少年の方。さらに意外だったのは、彼が英語で話しかけたこと。

凶悪な眼光を宿したスキンヘッドの大男がすかさず怒鳴り返してくる。

 

『なんだてめえは!?』

 

こちらも英語。なまりは酷く聞き取りづらい。同時に理火も大男の正体を知る。おそらく日本人ではないアジア人。

 

『いいからリーダーを出してくれ。大事な話がある。少なくともあんたらにとって損はない話だ』

 

臆することなく紅少年が応じている。こちらの英語は聞き取りやすいが発音が平坦で抑揚が丸っこい。

文字であらわすなら「オーケー」ではなく「おーけー」といった感じ。

 

彼のリスリング能力もさることながら、ヒアリング能力の方に理火は驚いていた。

こう見えても理火は英検準一級を持っている。一年前にカナダに語学留学したこともあるし、でなければ英語教師など志すわけもなく。

問題は、そんな理火をしても聞き取るのが困難なスラング混じりの英語を、紅少年はしっかりと理解出来ているらしいこと。

 

…なんなのよ、あの子。

 

少なくとも標準的な男子高校生の英語能力ではない。

 

『なんの用だ。ここはおまえみたいなクソガキ(ペーパーボーイ)が来るとこじゃねえぞ』

 

ランニングに二の腕までむき出しの男たちの間を抜け、一人スーツを着た男が出てくる。

 

『あんたが親玉か?』

 

『そういうおまえは学生か? さっさと帰って母ちゃんのおっぱいでもしゃぶってな。大人は仕事で忙しいんだよ』

 

周囲から下卑た笑い声が上がる。

 

『あんたら、最近荒稼ぎしている窃盗団だろ?』

 

あくまで静かな少年の発言に、笑い声がピタリと止まる。

理火は思わず工場内を見回す。

ひょっとしてこの段ボールの中身って…。

 

 

『…ガキ。どういうつもりだ?』

 

スーツの男が凄む。

 

『早まるな。誤解するな。俺は警察に連絡しようとか考えちゃいない』

 

『ああ!?』

 

『アンタらはよくも悪くもやりすぎたんだよ』

 

紅少年は周囲をあごでしゃくり、冷静そのものの声を出す。

 

『これだけ荒らし回ったんだ。さすがに被害者の方もバカじゃない。とうとう連合して、業界関係者を頼むことにした』

 

『ガキ、話が見えねえぞ』

 

『数日前、奪還屋がここへ来たはずだけど?』

 

『ああ、あのおかしな恰好した二人組か。今頃、太平洋の底でバカンス中だろうよ』

 

男たちの笑い声に、少年は溜息で応じる。

 

『だろうね。だから商会も本腰を入れることにした。この件の始末に、殺し屋が一人投入されることになった』

 

『殺し屋? こちとら盗むも殺すも専売特許のつもりだがね』

 

あくまで余裕を崩さない態度を続けている男たち。

だが、その虚勢も一瞬で凍りつく。

 

『彼女は《ギロチン》と呼ばれている』

 

 

 

 

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